<第二十九足>進路
「……来月、期末テストがあります。このテストは…進路で一番大事なテストなのできちんと勉強するように」
歓迎会兼誕生日会が明け、数日後の学校。
ホームルームで愛姉が話す。
一学期の期末テストは、進路で一番大事なテストであること。
「なお、公務員希望の方は放課後進路指導室へ…進学希望・就職希望の方は各教室で集まるように」
卒業後の進路。
それは公務員、進学、就職と分かれているが、私はどれにも当てはまらなかった。
****
「………はぁ」
「夢玖ちゃん、進路どう考えてるの?」
「……まだ決めてへん」
休み時間。
夜海が顔を除く。
「そっか……私と仁愛ちゃんは福島大学を希望してるんだ…」
「そう、なんや……」
夜海と仁愛は、大学進学を考えてるらしい。
「うんっ!それでね…夏休み、オープンキャンパス行かない?」
「えっ」
仁愛が、オープンキャンパスへ誘ってくる。
オープンキャンパス、というのは何だろうか。
「オープンキャンパス…?」
「うん。学校の雰囲気や授業内容を実際に見たり体験するイベントのことだよ。進路のヒントになるかもしれないし…仁愛達…大学でも一緒なら嬉しいんだけど…」
仁愛曰く、雰囲気や授業内容を実際に見たり体験するイベントのことらしい。
卒業までまだ時間はあるが、卒業後も会えたらいいのに─と思っていた。
「………うん!オープンキャンパス行く!愛姉とも相談してみる…」
「よし決まりねっ!」
夏休みの予定が一つ決まった時だった。
「ちなみに、廉命君もオープンキャンパス来るんだよね」
「ほんまなん?」
そして、廉命さんもオープンキャンパスに来るらしい。
「うんうん!スポーツ系の仕事を目指したいらしくて…人間発達文化学部に行きたいみたいなの」
「そうなんや……難しそうな学部やな」
「スポーツも、心理学も、芸術も学べるの」
「スポーツ……」
思わず、その言葉を繰り返した。
廉命さんが、スポーツ系の仕事を目指している。
そういえば、スポーツ用品店でも靴のことをよく勉強しているし、希望さんと一緒にお客さんの足や歩き方を見ている。
口悪いしぶっきらぼうだけど、仕事には真剣な人だ。
「廉命さん、スポーツ好きなん?」
「うん。運動するのも好きみたいだけど、将来はスポーツに関わる仕事をしたいんだって」
「へぇ……」
知らなかった。
いや、考えてみれば、私は廉命さんのことをまだまだ知らない。
仕事中の姿や、普段の口の悪さ。
たまに優しくしてくれること。
それくらいしか知らないのだ。
─そう考えると、少し不思議な気持ちになった。
「夢玖ちゃん?」
「……んにゃ?」
「どうしたの?考え込んじゃって」
「あ、ううん。なんでもない!」
慌てて首を振った。
「それで、オープンキャンパスなんだけど、夏休みのいつ頃に行く?」
仁愛がスマートフォンを取り出す。
「大学によって日程が違うから、確認しないとね」
「うんっ!」
大学。
進学。
将来。
今までの私には、どれも遠い世界の言葉だった。
卒業したら、何をするのだろう。
働くのかな。
それとも、学校に通うのかな。
そもそも、私は何がしたいのだろう。
考えれば考えるほど、分からなくなってしまう。
けれど。
「……ちょっと、楽しみやな」
ぽつりと呟くと、二人が顔を見合わせた。
「うん!きっと楽しいよ!」
「大学って、学食もあるしね!」
「学食……!」
その言葉に、思わず反応してしまった。
「夢玖ちゃん、そこなの?」
「だって、大学のご飯ってどんな感じなんやろ……」
「ふふっ、夢玖ちゃんらしい!」
仁愛が笑う。
私もつられて笑った。
──そうだ。
今すぐ将来を決めなくてもいい。
まずは、知らないものを見てみよう。
知らない場所へ行ってみよう。
そこから、何か見つかるかもしれない。
「……愛姉にも相談してみるな!」
「うん!楽しみにしてるね!」
夏休みの予定が、一つ増えた。
それだけなのに、卒業後の未来がほんの少しだけ近づいた気がした。
****
放課後。
私は、スポーツ用品店のシューズコーナーでアルバイトをしていた。
「……なぁ」
「んにゃ?」
商品の整理をしていた廉命さんが、こちらを振り返る。
「お前、進路どうすんだ?」
「……え?」
突然の質問に、手が止まった。
「学校で進路の話になってさ。まだ決めてへんねん」
「……そうか」
廉命さんは、それ以上何も言わなかった。
──あれ?
いつもなら、何か余計なことを言ってきそうなのに。
「廉命さんは、大学行くん?」
「ああ。まだ決めたわけじゃねぇけど、オープンキャンパスには行くつもりだ」
「スポーツ系の仕事、したいんやって?」
「……誰から聞いた」
「夜海ちゃん!」
「……あいつ」
小さく舌打ちする。
「何か、意外やなぁ」
「あ?」
「廉命さん、勉強嫌いそうやし」
「お前な……」
廉命さんの眉間に、深い皺が寄った。
「誰が勉強嫌いだ」
「えっ、違うん?」
「……得意な方だけど…やりたいことが決まらなかっただけだ」
「そっかぁ」
「納得すんな」
思わず笑ってしまった。
「でも、スポーツのお仕事ってええなぁ」
「……そうか?」
「うん。好きなことをお仕事にできたら、素敵やと思う」
その言葉に、廉命さんが一瞬だけ黙った。
「……別に、好きなことだけで食っていけるほど甘くねぇだろ」
「……そっか」
確かに、そうなのかもしれない。
好きなことを仕事にするのは、簡単ではないのだろう。
それでも。
「……でも、好きなことを仕事にしたいって思えるのは、ええことやと思うで」
廉命さんは、私を見た。
「……お前は?」
「……へ?」
「お前は、何がしたいんだよ」
何がしたいのか。
その問いに、すぐには答えられなかった。
私は、これまで生きることに精いっぱいだった。
明日の食事。
眠る場所。
次の日をどう過ごすか。
そんなことばかり考えていた。
だから、未来のことなんて。
「……まだ、分からへん」
正直に答えた。
「……けど」
「……けど?」
「知らんこと、いっぱい知りたいなぁって思う」
勉強も。
大学も。
仕事も。
今まで知らなかった世界を、もっと見てみたい。
「……だから、オープンキャンパスに行ってみるねん」
そう言うと、廉命さんは少しだけ目を細めた。
「……そうか」
それだけだった。
でも、不思議と嬉しかった。
「廉命さんも、一緒に行くんやろ?」
「……ああ」
「ほな、よろしくな!」
「……おう」
差し出した手を、廉命さんが軽く叩いた。
握手というより、子ども同士の約束みたいだった。
それでも。
夏休みが、少し楽しみになった。
私はまだ、自分の未来を知らない。
けれど、知らないからこそ、これから見つけていけるのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は再び靴を並べ始めた。
****
帰宅して、私は夕飯を食べる。
「ん〜!愛姉のご飯おいひ〜!」
「ありがと〜!暑くなってきたから、冷たいミネストローネにしたの!あとアボカドでサラダも作ってたの!」
「…愛姉大好き」
アルバイトを終えて帰宅すると、愛姉がご飯を作って待っていた。
「そういえば…今日少し聞いたのだけど、福島大学のオープンキャンパス行くらしいわね」
「うん。夏休み、仁愛ちゃんと夜海ちゃんと予定合わせて行くねん」
「そう。お父さんと話し合ったのだけど、進学を選んでもお金は大丈夫だから安心してちょうだい」
愛姉のご飯は美味しい。
しかし、進路について聞いてきた。
「……うん。でもな…やりたいことが決まってないんよ」
「夢玖ちゃんは、新しい環境に移りたてだから…進路を考える余裕がないかもしれないわね…でもね…大学へ進んで、視野を広めるのも一つの手よ」
「愛姉……」
思わず、箸を止めた。
進学しても、お金は大丈夫。
そう言ってもらえることが、こんなにも心強いなんて思わなかった。
「……うち、大学って、よう知らんねん」
「そうよね。夢玖ちゃんにとっては、まだ未知の世界だもの」
愛姉は、優しく微笑んだ。
「だからこそ、オープンキャンパスに行ってみるのはいいことだと思うわ」
「……うん」
「大学には、いろいろな学部があるでしょう? 学べることも、卒業後の進路も違うの。実際に見てみれば、興味を持てるものが見つかるかもしれないわ」
「興味……」
何かを好きになること。
やってみたいと思うこと。
今までの私は、そんなことを考える余裕すらなかった。
けれど、今は違う。
学校に通って、友達ができて、アルバイトもしている。
毎日が少しずつ楽しくなってきた。
だから、これから先のことも考えてみたい。
「……愛姉。うちでも、大学に行けるんかな?」
気づけば、そんなことを聞いていた。
愛姉は目を丸くしたあと、ふわりと笑った。
「もちろん。夢玖ちゃんが進学したいと思うなら、応援するわ」
「……勉強、いっぱいせなあかんよな?」
「そうね。大学によって入試の方法も違うし、準備も必要よ。でも、今から調べていけばいいの」
「……そっかぁ」
大学に行くためには、勉強が必要。
当たり前のことなのかもしれない。
けれど、私にとっては、これから知っていくことの一つだった。
「ただし」
「……んにゃ?」
愛姉が、少しだけ真剣な顔になる。
「進学すること自体を目標にしなくてもいいのよ」
「えっ?」
「大学は、夢玖ちゃんが未来を考えるための選択肢の一つ。進学することが正解とは限らないし、就職してから学びたいことが見つかる人もいるわ」
「…………」
「大切なのは、夢玖ちゃん自身がどうしたいか、ということよ」
自分が、どうしたいか。
その言葉を、心の中で繰り返した。
「……うん!」
私は、頷いた。
「まずは、オープンキャンパスに行ってみる!」
「ええ。たくさん見て、聞いて、楽しんでいらっしゃい」
「学食も楽しみやねん!」
「ふふっ、そうだったわね」
愛姉が笑う。
「でも、学食だけで大学を決めちゃ駄目よ?」
「わ、分かってるもん!」
「本当かしら?」
「ほんまやってぇ!」
二人で笑い合う。
冷たいミネストローネが、火照った身体を優しく冷ましてくれた。
アボカドのサラダも美味しい。
こんなふうに、誰かが自分のためにご飯を作って待っていてくれる。
将来について、一緒に考えてくれる。
分からないことを、分からないと言ってもいい。
それだけで、私は随分と恵まれた場所にいるのだと思った。
「……愛姉」
「なあに?」
「うち、もっといろんなこと知りたいねん」
「ええ」
「勉強も、大学も、お仕事も……まだまだ知らんことばっかりやから」
「そうね」
「せやから、これからいっぱい勉強する。知らんこと、いっぱい覚えたいねん」
愛姉は、嬉しそうに目を細めた。
「……素敵なことだと思うわ」
「……えへへ」
少しだけ、照れくさかった。
まだ、将来の夢はない。
何になりたいのかも、分からない。
けれど。
分からないからといって、何も選べないわけじゃない。
まずは一つずつ、知っていけばいい。
知らなかった世界を、自分の目で見ていけばいい。
そうしていつか、自分が歩きたい道を見つけられたら。
「……ごちそうさま!」
私は、最後の一口を食べ終えた。
「はい、お粗末さまでした。お風呂入りましょう」
愛姉が笑う。
食器を片づけながら、私は夏休みのことを考えていた。
仁愛と夜海。
それから、廉命さんも。
みんなで大学を見に行く。
どんな場所なのだろう。
どんな授業があるのだろう。
どんな未来につながっているのだろう。
考えるだけで、少しわくわくした。
──私の未来は、まだ真っ白だ。
でも、真っ白だからこそ。
これから、いくらでも描いていけるのかもしれない。
……To be continued
第29話、読んで頂きありがとうございます。
本格的に夏が始まる一歩手前、期末テストを機に進路に向き合う夢玖。
彼女が選ぶ、進路は……!
それではまた。




