<第二十八足>隣にいて欲しい理由
「如月さん、大阪も地下鉄とか沢山あるよね……迷わないの?」
「たまに迷ってました……あはは」
如月さんの歓迎会兼誕生日会の半ば。
最初は学校生活やバイトの話で盛り上がってはいたが、次は大阪の話になっていた。
「東京みたいに浦安や横浜とか行けたりはするのか?」
「はいっ。阪神電鉄やJRで……京都や神戸、滋賀にも行けたりします」
「おーっ!さすが西日本最大の都市……!」
盾澤店長や福吉さんみたいに、質問出来たらいいのに。
楽しそうに笑う如月さんを見て、なぜ言葉が出てこない。
俺の心の中ではこう思っていた。
今は俺だけを見て欲しい、と──。
「京都も神戸も電車で行けるんだ……都会っ子だね」
「よく京都や神戸にも遊びに行っとってん。神戸の海、京都の街は最高やで」
「やっぱり、食べ物や味付けは違うよね?」
如月さんは普通に話して、普通に笑っているだけ。
それだけなのに、どうして心が落ち着かないのだろう。
タコのお好み焼きを分けた時に見た、あの笑顔。
──しばらく忘れられないだろう。
「うん。餅は丸餅やし……味噌は白味噌。何より同じ料理でも、関東と全然違ってくるねん」
「確かに、桜餅も関東と関西じゃ違うってよく聞くよね」
しかし、今の如月さんは俺を見ようとしない。
こちらから話そうとしない限り、こちらを見ない。
そりゃそうだ。
顔を見たけりゃ、話せばいいのに。
分かっている。
分かっているのに、喉の手前で声が詰まる。
「…………なぁ」
「……んにゃ……?」
しまった。
つい語り掛けてしまった。
如月さんと目が合う。
こんなにも、彼女が愛おしく見える。
「お前って身長……幾つなの?」
「………百四十二ぐらいやった気が……」
「ちっちぇな……ほら、タコもっと食えや」
「うわぁ……おおきに!廉命さん!」
眩しい笑顔を向ける。
余計に輝いて見える。
──なんだよ、その顔。
俺がタコを分けただけで、そんなに嬉しそうに笑うな。
いや、笑ってくれるのは嬉しい。
嬉しいに決まっている。
なのに、どうしてこんなにも落ち着かないんだ。
「失礼いたします。あと十分でラストオーダーになります……他に何か注文されますか?」
店員が、俺達に話し掛ける。
もうすぐラストオーダーの時間になるらしい。
「エビもんじゃともち明太チーズ、タコもんじゃと大盛りチャーハン、あとは……海鮮玉」
「かしこまりました」
俺はラストオーダー分を頼む。
「廉命さん、まだ食べるん?」
「お前が食うだろ」
「えっ、ええん?」
「頼んだもんは食えよ」
「うんっ!」
だから、その顔。
本当に、どうにかならないのか。
****
食事を終え、店の外に出る。
夜風が頬を撫でた。
「今日はありがとうございました!」
如月さんが、みんなに向かって頭を下げる。
「いやいや、誕生日も兼ねてるんだから、遠慮しなくていいんだよ」
それぞれ集まり、皆で語る。
盾澤店長が笑いながら言った。
「そうそう!今度はカラオケでも行こう!」
「ええなぁ!うち、カラオケか…行ったことないねんけど…楽しそう!」
「本当?じゃあ、今度みんなで行こうよ!」
また始まった。
楽しそうに話す如月さんを、俺は少し離れたところから眺めていた。
──そろそろ帰るか。
そう思って、希望さんに声を掛けようとした時だった。
「あの、すみません」
聞き慣れない男の声。
振り向くと、若い男が二人、如月さんの前に立っていた。
「君、めっちゃかわいいね。今、友達と遊んでるの?」
「……へ?」
如月さんが目を瞬かせる。
「よかったら、俺たちと一緒に遊ばない?」
「えっと……」
困ったように、如月さんの視線が泳いだ。
──は?
なんだ、あいつら。
「めっちゃ小さくてかわいいじゃん。何歳?」
「え、ええと……」
「ねえ、連絡先教えてよ」
俺達は唖然とした表情で、男達を見る。
男の一人が、如月さんとの距離を詰める。
如月さんは一歩、後ろへ下がった。
その瞬間。
「……おい」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
男たちが振り返る。
「……何?」
「嫌がってんだろ。離れろ」
「は?別に嫌がってねえじゃん」
「困ってんだろうが」
俺は如月さんの隣に立った。
それから、男たちを見下ろす。
「こいつ、俺の連れだから」
──何を言っているんだ、俺は。
「えっ……?」
隣から、小さな声が聞こえた。
だが、今さら訂正する気にはなれなかった。
「なんだよ、彼氏持ちかよ」
男の一人が、つまらなそうに肩をすくめた。
「なら、最初からそう言えよ」
「……お前らが勝手に話し掛けてきたんだろ」
「はいはい。悪かったな」
男たちは、ぶつぶつと文句を言いながら去っていった。
その背中が見えなくなるまで、俺はそちらを睨んでいた。
──ったく。
何が連絡先だ。
何が一緒に遊ぼうだ。
如月さんが、ようやく息を吐いた。
「……廉命さん」
「……あ?」
「助けてくれて、おおきに」
振り返る。
如月さんは、ほっとしたように笑っていた。
「ちょっと、びっくりしてもうた……」
その声は、いつもより小さかった。
──そうか。
怖かったのか。
俺は、無意識に拳を握っていた手を緩めた。
「……大丈夫かよ」
「うん。もう平気やで」
「そうか」
それだけ言って、歩き出そうとする。
すると、服の裾が引かれた。
「……廉命さん」
「……何だよ」
「ほんまに、ありがとう」
もう一度。
今度は、少しだけ照れくさそうに。
如月さんが笑った。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
やめろ。
そんな顔で、俺を見るな。
嬉しい。
助けられてよかったと思う。
でも、それだけじゃない。
あいつらが如月さんに話し掛けていた時。
連絡先を聞こうとしていた時。
如月さんが困った顔をしていた時。
俺の頭の中には、ずっと同じ考えがあった。
──こいつに、他の男が近づくのが嫌だ。
何でだ。
俺は、如月さんの保護者でも何でもない。
恋人でもない。
そもそも、こいつは俺のことなんか、ただの職場の先輩としか思っていないだろう。
なのに。
他の男に笑い掛けられるのが嫌だった。
他の男に連絡先を聞かれるのが嫌だった。
他の男が、こいつの隣に立つのが嫌だった。
──俺は。
「廉命さん?」
「……何だよ」
「顔、怖いで?」
「元からだ」
「そっかぁ……」
如月さんは、くすっと笑った。
「でも、うちは廉命さんがおってくれて、安心したわ」
──ああ。
駄目だ。
これは、もう駄目だ。
俺は、彼女の笑顔が好きなんだ。
俺に向けられる笑顔が。
俺の言葉で笑ってくれることが。
俺が何かをして、嬉しそうにしてくれることが。
そして何より。
俺がいないところでも、彼女が笑っていることを願うくせに。
その笑顔を、誰より近くで見ていたいと思っている。
矛盾している。
分かっている。
だが、もう誤魔化せなかった。
俺は、如月夢玖が好きなんだ。
いつからかなんて、分からない。
初めて会った時は、ただの変わった奴だと思った。
小さくて、世間知らずで、放っておくと何をするか分からない。
見ていられないから、気に掛けていただけだと思っていた。
飯を食わせたのも。
困っていたら手を貸したのも。
彼女の笑顔を見て、胸が温かくなったのも。
全部、そういうものだと思っていた。
そうか─違ったんだな。
「……廉命さん?」
「……帰るぞ」
「うんっ!」
如月さんが、俺の隣に並ぶ。
いつもと同じ距離。
いつもと同じ笑顔。
なのに、もう、同じではいられない。
隣を歩く彼女が、どうしようもなく愛おしい。
手を伸ばしたら、届く距離にいる。
けれど、今はまだ。
その手を取る資格なんて、俺にはない。
だからせめて。
彼女が安心して笑える場所でありたい。
──いつか。
こいつが俺の隣を選んでくれる日が来るのなら。
その時は、ちゃんと言葉にしよう。
逃げずに。
誤魔化さずに。
俺の気持ちを。
「……なぁ、如月さん」
「んにゃ?」
「……明日も、バイト来んだろ」
「うん!行くで!」
「……なら、遅刻すんなよ」
「せぇへんわ!」
いつものように、如月さんが笑った。
俺も、ほんの少しだけ口元を緩めた。
──俺は、こいつが好きだ。
ようやく認めたその気持ちは、思っていたよりもずっと、厄介だった。
****
帰宅し、俺はシャワーを浴びる。
肌を濡らすシャワーが、余計に熱く感じた。
「…………」
目を閉じても、浮かんでくるのは如月さんの顔ばかり。
笑った顔。
驚いた顔。
俺を見上げて、嬉しそうに礼を言った時の顔。
──どうなってんだ、俺は。
シャワーを浴び終え、携帯を手に取る。
「……まさか、この俺がな……」
苦笑しながら、ある人に電話を掛けた。
『廉命、どうした?』
「……希望さん、俺……」
『?』
「……如月さんのこと、好きになっちまったみたいっす」
希望さんに。
恋という現象を覚えた脳と心臓を紛らわすために。
自分でも、まだ信じられなかった。
俺が誰かを好きになるなんて。
ましてや、あの如月夢玖を。
『……やっぱりな』
「……え?」
思わず聞き返した。
しかし、希望さんの返す言葉は予想外だった。
『……さっき、如月の顔を見てた時、お前どんな顔してたと思う?』
「……は?」
いきなり何を言い出すんだ。
『お前、自分じゃ気づいてなかったみたいだけどさ』
「…………」
『如月を見ると、表情も目元も緩んでたぞ』
「…………そうっすか」
なんと、俺は如月さんを見るたびに表情や目元が緩んでいたらしい。
──最悪だ。
いや、別に隠すつもりだったわけじゃない。
ただ、自分でも気づいていなかっただけで。
『……話は今度、詳しく聞くとして』
希望さんの声が、少しだけ真面目なものになった。
『俺は賛成だよ』
「……どういうこと、すか?」
『一番は、如月がどう応えてくれるかだけどな』
「…………」
『だけど……お前なら、如月を任せられると思う』
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
俺が、如月さんを。
──任せられる、か。
「……あざっす」
それしか言えなかった。
『ただし、焦るなよ』
「……はい?」
『如月は、まだまだ新しい環境に慣れる必要がある。今まで知らなかったことも、これからたくさん経験していくはずだ』
「…………」
『恋愛だってそうだ。もしかしたら、如月自身、恋がどういうものなのか分かっていないかもしれない』
─そうだ。
如月さんは、これまで自分の生活を守ることに精いっぱいだった。
誰かを好きになることも。
誰かに好かれることも。
俺たちが当たり前だと思っていることを、まだ知らないのかもしれない。
『だから、今すぐ答えを求めるんじゃなくてさ』
希望さんは、穏やかに続けた。
『ゆっくりでいいから、まずは自分の気持ちを受け入れることだね』
「………はい」
『それに、好きになったからって、急に何かを変える必要もねぇべ?今まで通り、如月のことを知っていけばいい』
「……そうっすね」
『うん。じゃあ、また今度な』
「……あざっした。おやすみなさい」
通話が切れる。
静かになった部屋で、俺は携帯を見つめた。
希望さんは、前から俺の気持ちに気づいていたらしい。
──どんだけ分かりやすいんだよ、俺。
小さく息を吐く。
けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。
如月さんを見るたびに緩んでいたという目元も。
あいつが笑うだけで嬉しくなる、この気持ちも。
他の男に近づかれるのが嫌だった、あの感情も。
もう、誤魔化す必要はない。
俺は、如月夢玖が好きなんだ。
六月十日。
如月さんが十八歳になった日。
初めて誕生日を祝ってもらい、あんなにも嬉しそうに笑っていた日。
そして──。
俺が、恋を覚えた日でもあった。
如月さんは、まだまだ新しい環境に慣れる必要がある。
知らないことも、これから覚えていくことも、たくさんあるだろう。
もしかしたら、恋というものだって、まだ分からないのかもしれない。
それでもいい。
今すぐ振り向いてほしいなんて、言わない。
この気持ちを知ったからといって、明日から何かが劇的に変わるわけでもない。
ただ、今までより少しだけ。
あいつの笑顔を、大切にしたいと思った。
焦らなくていい。
時間を掛けたっていい。
いつか、如月さんが自分の気持ちを見つけた時。
その隣に俺がいられたら。
──なんて。
らしくもないことを考えながら、俺は携帯を置いた。
六月十日。
如月夢玖の誕生日。
そして、俺が恋を覚えた日。
この日を、きっと忘れることはないだろう。
……To be continued
第28話、読んで頂きありがとうございます。
やっと廉命が、恋を自覚した日。
そして…夢玖が18歳になった日。
それが、6月10日。
物語は夏へと進み、夢玖達のスクールライフはまだまだ続きます。
それではまた。




