<第二十六足>笑顔の置き場所
──なんやねん。
──私やって、女の子やねん。
「……なんやねん。少しくらい、ええやんか」
廉命さんに言われた言葉を思い出すたび、腹が立つ。
せっかく、舞姫姉が可愛くしてくれたのに。
あんなに楽しそうに、私のために頑張ってくれたのに。
****
「夢玖ちゃん、今日はメイクするよー!」
「……メイク?要らへんで?」
「何言ってるの!誕生日くらい、可愛くしないとね!」
前日の夜、舞姫姉と希望さんが煌星家に泊まりに来た。
そして今朝。
いつもより早い時間に、舞姫姉に起こされた。
「夢玖ちゃん、起きて!」
「あと五分……」
「お化粧したいのっ!」
「んにゃー……」
布団の中は、ぽかぽかと暖かい。
できることなら、このまま二度寝したい。
けれど、舞姫姉は諦めてくれそうにない。
猫のように唸りながらも、私は渋々、布団から這い出した。
「はーい!まずは顔を洗ってー!」
舞姫姉に洗面所まで連れていかれ、顔を洗う。
「導入美容液に、化粧水、美容液、クリームを塗って……」
「んむ……」
「はい、これ顔に貼って!」
顔を洗い終えると、舞姫姉は化粧水や美容液を次々と塗り、最後にシートマスクを貼ってきた。
「なんやねん……朝から……」
「メイク前にパックすると、化粧ノリが違うの!」
舞姫姉は朝からご機嫌だ。
その楽しそうな様子を見ていると、文句を言う気も少しずつ失せていく。
数分後、シートマスクを外してもらい、着替えを済ませて鏡の前に座った。
「よし……まずは日焼け止めに化粧下地。夢玖ちゃんは肌が綺麗だから、ファンデーションはなしでいいかな」
いよいよ、メイクが始まった。
美容用語が飛び交う中、顔にいろいろなものが塗られていく。
愛姉が化粧について話していることはあるけれど、正直、何を言っているのかさっぱり分からない。
「コンシーラーを馴染ませている間に……リキッドチークを乗せて……」
「ま、舞姫姉……このコスメって、舞姫姉のなん?」
メイクに夢中になっている舞姫姉に尋ねる。
今、私の顔に使われているコスメは、誰のものなのだろう。
「ベースメイクは私のだよ。それ以外はお姉ちゃんの!」
「愛姉のなん?」
「そう!夢玖ちゃん、もったいないよ……こんなに可愛いのに、メイクしないなんて!」
ベースメイク以外は、愛姉のコスメらしい。
話している間にも、舞姫姉の手は止まらない。
「夢玖ちゃんは目がぱっちりしてるから、アイシャドウは暗めの色にしようかな。この赤なら、絶対可愛い!」
目を閉じていると、柔らかな筆がまぶたを撫でた。
目元に、赤色。
どんな仕上がりになるのだろう。
少しだけ、気になった。
「よし……まつ毛は束感を出して、涙袋にも血色感を足して……」
「おはよう……。おお、如月、化粧デビューか」
目元のメイクが終わる頃、希望さんが起きてきた。
「希望君、おはよー!そうなの。ずっと夢玖ちゃんにお化粧したくてさ……昨晩、お姉ちゃんとコスメ会議したの!」
「このアイシャドウの色、似合ってるな……。多分、如月はブルベ冬だから、シルバーのラメを黒目の上に乗せたら絶対可愛いと思う」
希望さんも、化粧の知識があるらしい。
「確かに……!それなら、このローズシルバーのラメを……」
「うわぁ、可愛い!」
「アイラインは……猫目にすると、さらに映えるんじゃないか?」
「うんうん! あとはチークとハイライトで……完成だね! リップはねぇ……お姉ちゃんのお気に入り!」
舞姫姉と希望さんの会話が弾む。
その間にも、筆で頬を撫でられ、唇に色を乗せられた。
そして、ついに。
「……よし、完成!」
舞姫姉が、嬉しそうに声を上げた。
「目を開けて……夢玖ちゃん」
言われるまま、ゆっくりと目を開ける。
そして、鏡を覗き込んだ。
「……っ!」
鏡に映っていたのは、自分の面影を残した、ひとりの少女だった。
ぱっちりとした目元には、深みのある赤色。
光を受けて、きらきらと輝くラメ。
いつもとは違う、少しだけ大人びた唇。
見慣れた顔なのに、どこか知らない誰かのようにも見えた。
「……これ、私?」
思わず、そんな言葉が零れた。
「そうだよ、夢玖ちゃん!」
舞姫姉が、弾けるような笑顔を見せた。
「すっごく可愛い!」
「……ほんまに?」
「ほんと!」
希望さんも、鏡越しに私を見て微笑んだ。
「似合ってるよ、如月」
「……えへへ」
自然と、頬が緩んだ。
嬉しかった。
自分の知らない一面に出会えたことも。
舞姫姉が、私のために一生懸命になってくれたことも。
全部、嬉しかった。
鏡の中の私は、私なのに、いつもより少しだけ違って見える。
こんな自分も、悪くないかもしれへん。
「夢玖ちゃん、笑った!」
「……笑ったらあかんの?」
「ううん!もっと笑って!」
「なんやねん、それ……」
おかしくなって、また笑った。
そのときの私は、まだ知らなかった。
この笑顔が、ほんの少しの言葉で曇ってしまうことを。
****
「……童顔に化粧、ねぇ」
「……えっ?」
出勤して、売り場に顔を出した直後だった。
廉命さんが、私の顔をじっと見ていた。
「……お前」
「……な、何?」
「女だったのか」
「……は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「ちょ、ちょっと!私やって、年頃の乙女やねんっ!」
「……ちっ。幼児体型で色気もねぇのによ」
「なっ……!」
「こういうの、お前にはまだ早えよ」
頭の中が、真っ白になった。
希望さんも、店長も、可愛いと言ってくれた。
舞姫姉も、あんなに嬉しそうにしてくれた。
私だって、鏡を見て、少しだけ嬉しかったのに。
どうして。
どうして、廉命さんだけは、そんなことを言うんやろ。
「……このっ、廉命さんのアホっ!」
思わず声を上げた。
「ふんっ!」
「おい、廉命! 言い過ぎだろ!」
希望さんが間に入る。
けれど、廉命さんは顔を背けただけだった。
「……事実を言ってるだけでしょ」
その一言で、また腹が立った。
「希望さん、後方での作業あります?」
イライラを隠せないまま、希望さんに尋ねる。
「えっ? あ、ああ……あるけど」
「ほな、そっち行ってきます」
「お、おい、如月……!」
「……ふんっ!」
私はそのまま、売り場を離れた。
背中に廉命さんの視線を感じたけれど、振り返らなかった。
今日は、私の歓迎会兼誕生日会なのに。
十八歳になった、特別な日なのに。
なんで、こんな気持ちにならなあかんのやろ。
****
「……まずいぞ」
夢玖が後方へ向かったあと、希望は小さく呟いた。
いつもなら、口喧嘩をしてもすぐに言い返してくる二人だ。
けれど、今日の夢玖は違った。
そして、廉命も。
「……あいつら、どうなるんだ……」
希望は頭を抱えた。
歓迎会と誕生日会が始まる前に、なんとかしておきたい。
だが、今の二人に何を言っても、逆効果になりそうだった。
****
「……廉命君」
如月さんと喧嘩別れしてからも、俺の頭の中は彼女でいっぱいだった。
作業をしていても、さっきのことばかり考えてしまう。
もし、あの場で。
可愛いと言っていたら。
似合ってると言っていたら。
「……どれだけ良かったか……」
思わず、ため息が漏れた。
改めて、自分の言ったことを後悔していた。
可愛いと素直に言えなかった。
ただ、それだけだ。
なのに、口から出たのは、彼女を傷つける言葉ばかりだった。
「生野から事情は聞いたが……少しでも悪いと思ってるなら、謝れよ」
福吉さんが、俺に声を掛けてきた。
「……分かってます」
「本当か?」
「……」
「如月も高三の女だ。化粧したって何もおかしくないだろ。なぜ、あんな言い方をした?」
分かっている。
如月さんは高校三年生だ。
化粧を楽しんだっていい。
誕生日に可愛くなりたいと思ったって、何もおかしくない。
それなのに、俺は。
「……それは」
言葉が詰まる。
「……似合ってたんすよ」
「ほう」
「……だから、調子が狂ったんです」
福吉さんは、呆れたように俺を見た。
「それで、あんなことを言ったのか?」
「……あれだけ可愛かったら……仕方ないでしょ……」
「まったく……」
福吉さんは、深く息を吐いた。
「今からでも遅くねぇ。ちゃんと謝ってこい」
「……」
「お前が本当に悪いと思っているならな」
「……俺、ちょっとトイレっす」
「……そうか」
俺は、その場を離れた。
従業員トイレに向かうふりをして。
けれど、行く場所は決まっていた。
****
「……如月さん」
「……なんや」
後方の作業場で、如月さんは黙々と仕事をしていた。
俺の顔を見るなり、露骨に眉をひそめる。
そりゃそうだ。
あんなことを言ったんだから。
「……話がある」
「ない」
即答だった。
「……おい」
「仕事中やねん。邪魔せんといて」
「……っ」
いつもなら、ここで言い返していた。
けれど、今は違う。
俺が悪い。
それだけは、分かっている。
「……如月さん」
「……何?」
ようやく、こちらを向いてくれた。
その顔を見た途端、言葉が詰まった。
何を言えばいい。
どう言えば、ちゃんと伝わる。
──いや。
そんなことを考える前に、まずは謝れ。
「……さっきは、ごめん」
如月さんが、わずかに目を見開いた。
「……本当は」
顔が熱くなる。
情けねぇ。
こんなことも、まともに言えないのか。
それでも、目を逸らさずに続けた。
「……本当は、可愛いと思った」
「……え?」
「化粧、似合ってた。……すげぇ、可愛かった」
言い切った瞬間、耳まで熱くなった。
何だ、これ。
顔が熱い。
心臓がうるさい。
──知らねぇよ、こんな感覚。
「……だから、あんな言い方をしたかったわけじゃねぇんだ」
「……」
「お前が嬉しそうにしてたのに、あんなこと言って……悪かった」
如月さんは、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと口を開く。
「……廉命さん」
「……何だよ」
「嬉しいです。おおきに」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなった。
──よかった。
そう思ったのも束の間。
「……でもな」
「……あ?」
「私、悲しかったんよ」
思わず、顔を上げた。
如月さんは、俺を見つめていた。
「舞姫姉がな、朝からずっと楽しそうにしてくれてん。私のために、いっぱい考えてくれて……」
「……」
「希望さんも、可愛いって言うてくれた」
「……ああ」
「私も、鏡を見て嬉しかったんよ。こんな自分も、ええなぁって思えてん」
如月さんは、少しだけ俯いた。
「……それやのに、廉命さんは、あんなこと言うたやん」
何も言い返せなかった。
「私、女の子やねん」
その言葉が、胸に刺さった。
「子どもっぽいとか、童顔とか、そういうのは別にええねん。今までだって、散々言われてきたし」
「……」
「でもな、私が嬉しかったことまで、否定せんといてほしかった」
如月さんの声は、少し震えていた。
俺は、拳を握った。
ああ。
そういうことだったのか。
俺は、ただ褒めるのが恥ずかしかった。
それだけのつもりだった。
けれど、俺の言葉は、彼女が嬉しいと思った気持ちまで傷つけていた。
「……本当に悪かった」
今度は、ちゃんと顔を見て言った。
「お前が嬉しかったことまで、否定するつもりはなかった」
「……うん」
「でも、そう聞こえることを言ったのは俺だ。……悪かった」
如月さんは、しばらく俺を見つめていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……ほんま、アホやなぁ」
「……うるせぇ」
「謝るん、遅すぎやねん」
「……悪かったって言ってんだろ」
「それは聞いた!」
少しだけ、いつもの調子が戻ってきた。
よかった。
……いや、まだだ。
「……如月さん」
「……何?」
「……もう、お前が嬉しいと思ったことを、あんなふうに言わねぇ」
如月さんは、驚いたように目を瞬かせた。
「……ほんまに?」
「ああ。俺……口悪いからさ」
「また言うたら?」
「……そのときは、好きなだけ文句言え」
「今でも好きなだけ文句言いたいんやけど?」
「……それは勘弁してくれ」
如月さんは、くすりと笑った。
その笑顔を見て、胸の奥が少しだけ軽くなった。
やっぱり。
この子は、笑っている方がいい。
「……廉命さん」
「……何だよ」
「私、まだちょっと怒っとるからな」
「……ああ」
「すぐに忘れたりせぇへんから」
「……分かってる」
それでも、俺は頷いた。
すぐに許してもらおうなんて、都合が良過ぎる。
自分が言ったことを、なかったことにはできない。
だからこそ、これからは気をつけようと思った。
少なくとも、この子が嬉しいと思ったことを、わざわざ傷つけるような真似はしたくない。
「……ほな」
如月さんが、少しだけ顔を上げた。
「……仲直り、してくれるん?」
「……は?」
「せやから。仲直り」
俺は、一瞬言葉に詰まった。
何だよ、それ。
そんな顔で聞くな。
「……もう、謝っただろ」
「それとこれとは別やん」
「……っ」
如月さんは、少しだけ笑った。
俺は、深く息を吐いた。
「……分かったよ」
「……ほんま?」
「ああ。……仲直りだ」
そう言うと、如月さんは、ようやくいつもの笑顔を見せた。
「……おおきに、廉命さん」
その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
よかった。
本当に、よかった。
「……つーか」
「ん?」
「……別に、誕生日おめでとうって言おうとしてたわけじゃねぇからな」
しまった。
また余計なことを言った。
「……え?」
如月さんが、きょとんとする。
「……今、なんて?」
「だから! 誕生日を祝おうとしてたわけじゃねぇって!」
「いや、自分で言うたやん……」
「……っ!」
顔が熱い。
何で、こんなことになるんだ。
如月さんは、そんな俺を見て、楽しそうに笑った。
「……ほんま、素直やないなぁ」
「……うるせぇ」
「ふふっ。おもろいなぁ、廉命さん」
その笑顔が、あまりにも眩しかった。
さっきまで、俺の顔を見ることすら嫌がっていたはずなのに。
今は、こうして笑ってくれている。
俺の言葉で曇らせてしまった笑顔が、少しだけ戻っていた。
──よかった。
心の底から、そう思った。
何で、こんなにも安心するんだろう。
如月さんが笑っている。
ただ、それだけなのに。
俺は、まだ知らない。
この気持ちに、どんな名前をつければいいのか。
ただ一つ分かるのは。
もう、この子の笑顔を、自分の言葉で曇らせたくないということだった。
……To be continued
第26話、読んでいただきありがとうございます。
6月10日…夢玖の歓迎会兼誕生日会当日。
夢玖が化粧したと思えば、廉命がまさかの発言をしてしまい…二人の近い行方は…
それではまた。




