<第十八足>初めまして如月さん
世間は、ゴールデンウィーク前半。
スポーツ用品店は、いつもの倍近い客で賑わっていた。
「ふぅ……やっと昼休憩か……」
午後二時を過ぎ、ようやく客足が落ち着く。
休憩室へ入ると、雷磨と鳳兄が先に休んでいた。
「お疲れ、生野」
「お疲れっす……」
椅子に腰を下ろした瞬間、全身から力が抜ける。
「そういえばさ」
鳳兄が缶コーヒーを片手に口を開いた。
「あの……関西の子。元気?」
「元気っすよ」
「今、聖陵で高校三年生だっけ?」
「はい」
「アルバイトの面接、いつ頃来られそう?」
俺は少し驚いた。
「アルバイト?」
そう。盾澤鳳斗──通称、鳳兄。
この店舗の店長であり、スタッフからの信頼も厚い。
何より、筋トレとスポーツの話になると止まらない人だ。
「今、舞姫たちとお泊まり会の予定が入ってるんすよ」
「ああ、なるほど」
鳳兄は腕を組んで考える。
「聖陵って実業系だから、検定とかも多いよね?」
「はい。簿記とか情報処理とか。検定前は課外授業もありますし、日程が被ることもあります」
「そっか」
鳳兄は少し笑った。
「なるほどね。そしたらそこはこっちで調整しよう」
「……本気なんすか?」
「もちろん」
鳳兄は真面目な顔になった。
「でも、生野。俺が話したいのは、面接のことだけじゃないんだ」
「話?」
「ああ」
鳳兄は少しだけ言葉を選ぶ。
「如月さん、こっちに来てまだそんなに経ってないだろ?」
「……そうっすね」
「大阪から福島。生活も学校も、人間関係も全部変わった」
雷磨がぽつりと口を挟む。
「文化も、結構違いますからね」
「そうそう」
鳳兄は頷いた。
「だから、いきなり仕事の話をするより、まずは本人と話してみたいんだ」
俺も納得した。
如月がこの店に初めて来た時、俺と廉命しかいなかった。
しかも、あの時の夢玖は明らかに大人を警戒していた。
知らない土地。
知らない人。
知らない環境。
そんな中で、いきなり「働いてみない?」と言われても、不安になるだけだろう。
「……それなら」
俺はスマートフォンを取り出す。
「さっき、舞姫からLINE来てたんすよ」
「なんて?」
「みんなで碧ヶ丘公園にピクニックする予定らしくて」
鳳兄の顔が明るくなる。
「それなら話は早いな」
「……え?」
「少しだけ、如月さんを借りられないか聞いてみてくれない?」
「分かりました」
こうして翌日。
如月は、スポーツ用品店へ来ることになった。
****
翌日。
店の前に、一台の車が止まる。
助手席から降りてきたのは、如月。
そして運転席から愛さんが降りてくる。
「夢玖ちゃん」
「……うん」
「アルバイトのこと、どう思ってるの?」
「……分からへん」
夢玖は少し俯いた。
「でも、今日は面接じゃないから大丈夫」
愛さんは笑う。
「今日は少しお話しするだけ。嫌だったら断っていいのよ」
「……うん」
それでも如月の表情は硬い。
緊張しているのが、遠くからでも分かった。
俺が店の入口まで迎えに行く。
「おはよう、如月」
「お、おはようございます……」
愛さんが俺を見る。
「希望君。終わったら電話してちょうだいね」
「え、あ、はい」
愛さんは如月の肩を軽く撫でる。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「……愛姉」
「ん?」
「……」
夢玖は何か言いたそうにしていたけれど、結局黙って手を振った。
その姿は、まるで母猫を見送る子猫みたいだった。
「大丈夫だって」
俺は笑う。
「鳳兄も待ってるし、今日は話するだけだから」
「……うん」
俺は如月をバックヤード兼事務室へ案内する。
今日の売り場は廉命に任せてある。
****
事務室。
空いている椅子を夢玖に勧める。
「ここ座って」
「……お邪魔します」
「いや、別に家じゃないから」
「……ふふ」
少しだけ笑った。
俺は自動販売機へ向かう。
「何飲む?」
「……コーヒー」
「やっぱり?」
缶コーヒーを買って、如月に渡す。
俺はミルクティーを選んだ。
「ほれ。リラックス、リラックス」
「おおきに」
両手で缶を包む如月。
少しずつ緊張が解れていく。
「……福島、慣れたか?」
「ううん」
即答だった。
「まだ慣れへん」
「そりゃそうだべ」
俺は笑う。
「大阪とは結構違うもんな」
その言葉に、如月の表情が少し変わった。
「せやねん」
「……どんなところが?」
「エスカレーターは右やし、マクドのことアクドって言う人もおるし……」
「そこまで変わるか?」
「あと、お餅は丸餅やし」
「餅まで?」
「会話にはオチが必要やし、飴ちゃんは常備品やし……」
次々と出てくる大阪の話。
さっきまで緊張していたのが嘘みたいだった。
「何より、食べ物が全然ちゃうねん」
如月は楽しそうに話す。
辛い過去があった大阪。
それでも。
如月は、大阪そのものを嫌いにはなっていなかった。
むしろ、大好きなのだ。
「……まだ東北を好きになる余裕はないんやろな」
俺が呟く。
如月は少しだけ目を伏せた。
「……うん」
その時。
事務室の扉が開いた。
「お待たせ」
入ってきたのは鳳兄だった。
「君が如月さんだね?」
「……はい」
「初めまして。盾澤鳳斗です」
鳳兄は如月と同じ目線になるよう、少し腰を落とした。
「今日は面接じゃないから、そんなに緊張しなくていいよ」
「……はい」
「実はね、生野から君の話を聞いて、ちょっと興味を持ったんだ」
夢玖が首を傾げる。
「……私に?」
「うん」
鳳兄は笑う。
「アルバイトに興味があるか。それを聞いてみたかった」
夢玖はしばらく黙っていた。
「……まだ、分からへん」
「それでいいよ」
即答だった。
「今すぐ決める必要なんてないから」
鳳兄は机に置かれていた夢玖の履歴書へ視線を落とす。
「如月夢玖さん。高校三年生」
「……はい」
「大阪出身なんだよね?」
「うん」
「じゃあさ」
鳳兄は笑った。
「大阪って、何が有名?」
「……え?」
夢玖が目を丸くする。
「たこ焼き!」
「お好み焼き!」
「串カツ!」
「おお!」
鳳兄が楽しそうに頷く。
「やっぱり関西人だねぇ」
「そりゃあ、純度百パーセントの生粋の関西人やから!」
さっきまでの緊張が嘘のように、如月は笑っていた。
「でもな」
少しだけ声が小さくなる。
「まだ……東日本を受け入れるんは、時間かかりそうやねん」
鳳兄は笑わなかった。
否定もしなかった。
ただ、静かに頷いた。
「そっか。それでいいと思うよ」
「……え?」
「無理に好きになる必要なんてない」
鳳兄は続ける。
「大阪を大切にしたまま、少しずつ福島で好きなものを増やせばいい」
如月は黙って鳳兄を見る。
「君がオッドアイで辛い思いをしてきたことも、生野から聞いてる」
如月の表情が少し強張る。
「でも、それを理由に君が自分を変える必要はない」
鳳兄は穏やかに笑った。
「もしアルバイトを始めたら、社会経験にもなる。自分で使えるお金も増える」
「……」
「でも、一番大事なのは」
鳳兄は夢玖をまっすぐ見た。
「君自身が、ここで働いてみたいと思えるかどうかだ」
夢玖は缶コーヒーを両手で握りしめた。
すぐには答えられない。
でも──
「……ちょっとだけ」
「ん?」
「やってみても……ええかなって」
鳳兄は嬉しそうに笑った。
「それなら十分だよ」
その時。
事務室の外から声が聞こえた。
「希望さん、こっち終わりました」
廉命だった。
「おう、ありがとうな」
俺は立ち上がる。
「如月」
「ん?」
「これから、みんなとピクニックなんだろ?」
「……うん」
「行ってこい」
如月は少しだけ笑った。
「うん!」
その笑顔は、初めて店に来た時よりずっと明るかった。
大阪から歩いてきた少女は、
今度は自分の足で、
新しい場所へ一歩踏み出そうとしていた。
……To be continued




