蒼の季 向夏-15.繋ぐ
「では、わたしはバドゥ殿に報告に行ってまいります。戻りは夕方頃かと」
「ああ、よろしく伝えてくれ」
会議室にはエイダとユアンが残り、午後からはイアムが来ることになっている。
リシアの任務に就く文官候補の、簡単な面接と言ったところか。
屋敷から出ると、頬と首元に湿った空気が押し付けられた。
纏わりつく生温かい風に、片方の眉を寄せる。
雨の季節の湿気は、強い陽射しなどよりもずっと苦手だ。
汗もかくし息苦しい。
雲に覆われた空は今のところ明るく、雨の気配はない。
雨が降るなら気温が下がってくれるが、今年はあまり期待が出来そうもない。
リズを連れて、賑わう市場を横目に裏道へ入る。
洞窟へ行く前に、リシェの店に立ち寄ることにした。
細い道を通り抜けると、店の前に見慣れない魔獣の姿があった。
豹をひと回り逞しくしたような体躯で、背中には鞍が乗せられている。
薄茶色の短い毛には淡い模様が浮かび、こちらに向けられた瞳は透き通るような淡い灰色だ。
じっとこちらを見つめながら、動く気配はない。
美しい魔獣だ。
騎乗できる肉食魔獣は、この辺りではあまり見かけない。
見惚れていると、店の中からリシェが出て来た。
彼女に頭を寄せて甘える仕草は、大きな猫のようだ。
近付いていくと、気付いたリシェは淡い笑みを浮かべてから、店の中へ戻って行った。
「取りに来られたんだね。レパ便で届けようと思ってたけど、会えてよかった」
リシェは、いつものように手を取った。
少しひんやりとした感触が肌に伝わる。
彼女にとっては自然なことなのだろうが、自分から手を取るのは未だに躊躇ってしまう。
それを分かっているのか、リシェは先に手を差し出してくれる。
「ありがとう。これでしばらくは安心だ」
「今日はリズも一緒なんだね。どこかに行くの?」
「ああ、これからバドゥ殿の所に行く。商家の件の報告も兼ねて」
「そうなの? じゃあ一緒に行く。ちょうど石を取りに行くところ」
隣で大人しくしている魔獣は、リシェの意を汲んだのか、ゆっくりと立ち上がる。
思った以上に大きい。
体高はリズよりも低いが、しっかりとついた筋肉で重量はそれなりにありそうだ。
「綺麗な魔獣だな……」
「アーグリンネ。母さんは、この魔獣から繋がる獣人」
初めて聞く名だった。
身体に感じるのは、確かに地の魔素だ。
豹のような見た目の割にどっしりと見えるのは、地の特性かもしれない。
とても落ち着いて、ゆったりと動く。
「まだ若そうだな」
「うん、家には番のアーグリンネがいて、この子はその子供。まだ3才だけど、身体はもう大人」
「いつもこの子と移動するのか?」
「ひとりのときはね。普段は父さんに同乗して来ることが多いから、その時はこの子のお父さん。アーグリンネは生涯でひとりだけ、背中に乗せる人を決めるの」
一対一の繋がりを好むということだ。
ずっと共に歩む相手を、生涯にひとりだけ決める。
リシェに身体を寄せるこの子からは、リシェに似た空気を感じる。
「名前を聞いてもいいか?」
「ラウラ。女の子だよ」
「触るのも嫌がる?」
「そんなことないよ。撫でられるのは大好き」
ラウラの前に立つと、じっと目を合わせる。
とても優しい瞳をしている。
「ラウラ、触ってもいいかな?」
すっと身体を捻じり、首元をレイランに寄せる。
みっしりと詰まった毛は滑らかで、弾力のある筋肉質な身体はよく動きそうだ。
喉の下を擦ってやると、気持ちよさそうに目を瞑る。
「可愛い……」
「可愛いし、力もある。あと、だいたいの場所は登れるよ」
「木登りが得意ってことか?」
「木にも登るけど、垂直な崖でも登れる」
「すごいな……」
「足の裏で岩に張り付く。大人しいから好戦的ではないけど、どんな相手からも逃げ切れるくらいは動けるよ」
知らない魔獣もまだまだ多いものだ。
この2人からは、言い表せない深い繋がりを感じる。
アーグリンネは、血で結びつくのかもしれない。
リンネ族の血や、その家族。
長い年月を共に暮らし、共に子を育て、幾つもの世代を越えていく。
その中で、深い信頼関係を築くのではないか。
「行くんでしょ? 市場を通ると目立つから、裏から回る。門の外で待ってて」
「分かった」
リシェを乗せたラウラは、ひょいっと屋根に上がる。
大きな体をしならせて城壁に飛び移り、そのまま壁の外へと消えた。
すごい跳躍力だ。
一瞬だけ見えたその姿は、まるでひとつの生き物であるかのような一体感だった。
逆光の中を横切る影が、しばらく目の奥から離れなかった。
ラウラとリシェは、呼吸を合わせて走る。
ゆったりとした動きからは想像できない速度で、風の中を抜けていく。
まるで、全身がバネのようだ。
ぐっと引き寄せた後ろ足で力強く土を蹴り、前足で漕ぐように進んでいく。
瞬発力はかなりのものだ。
まだ若いからか、走るのを楽しんでいるようだ。
思いっきり加速しては緩め、レイラン達が追い付くと並走して、また気が向いたら加速する。
リシェは止める気もないのか、好きに走らせている。
この気ままな雰囲気も、リシェと重なる部分がある。
洞窟の前で降りると、リズが落ち着かない様子で耳を動かす。
あの事件のあとから、洞窟の外に残されるのを嫌がるようになった。
戦場に出ることもあるリズは、そういう刺激にもある程度耐性がある。
だが、改造魔銃から響いた音は、普通のものとはよほど違ったのだろう。
ラウラがゆったりと歩み寄り、リズに身体を寄せた。
リズはそわそわしながらも、ラウラにぴたりとくっついて、多少落ち着いた様子を見せた。
「守る相手がいるときは、ラウラはすごく強い。任せて大丈夫だと思う」
「……そうか。すまないラウラ、リズを頼むぞ」
レイランの声に、ラウラは視線で応えた。
洞窟の中は静かだった。
それでも、後ろを歩くリシェの足音はほとんど聞こえない。
ついて来ているかと振り返るのも気が引ける。
背中に意識を集めていると、リシェが手を取った。
「ちゃんと後ろにいる」
「……すまない、気になったか?」
「ううん、でも落ち着かないんでしょ?」
「そうみたいだ」
ルティナやユアンと同じように、リシェには気付かれる。
あの2人は特殊な体質だが、リシェの感覚の鋭さも相当なものだ。
手に触れているときでなくとも、彼女は気付く。
自分が外の気配を感じ取るのだとしたら、リシェは内の気配を感じ取っているようだ。
「なぁ、なんで考えてることが分かるんだ?」
「ん? 全部分かるわけじゃない。……なんとなくかな」
「なんとなくでそこまで分かるものか?」
リシェは歩く速度を緩めて考える。
「人って、それぞれ違う音を持ってる。それが感情で変わるんだけど、レイランの音は分かりやすい」
「なんでだ?」
「いつも安定してるから、変わるとすぐ分かる。他の人って、常に変化してるっていうか……ルティナもユアン様も、すごく綺麗な音だけど色々変わる。あの人たちは素直なんだなって思う」
「それは分かる気がするけど、それってわたしが素直じゃないって言われてないか?」
笑うと目を閉じるリシェは、小さく肩を揺らす。
「そうじゃなくて、自分の感情も、ある程度のところまでは客観的に眺めてるんだと思う。だけど、たまに湧き上がるときあるでしょ。いつも穏やかな分、結構驚く」
「ああ、自覚はある」
「でも、濁ってないよ。レイランはいつも澄んでる」
「怒ったり、苛立ったりしてもか?」
「うん。いつも澄んでる。いつもの穏やかな音も……すごく落ち着く、自然の中にいるみたいな……大好きな音」
リシェを包む空気が、柔らかくなる。
夜の草原のような静けさだった。
彼女自身も、自然によく馴染む気配をしている。
気配を読む感覚は強い方だと思う。
誰でも、人であればある程度の主張があるものだ。
彼女はそれがとても淡い。
そばにいても、彼女の空気だけがあるような感覚なのだ。
「わたしがリシェに感じるのと同じようなものか」
「そうなの?」
「リシェも、自然そのものみたいな気配だよ。いつも静かだ」
控えめに笑い、リシェはほんの少し手に力を込めた。
ドワーフの街に入ると、いつもよりも強い熱気を感じる。
どの炉にも赤々と火が入り、街中が紅く照らされる。
炉に向かうドワーフたちは、額に大粒の汗を光らせ、煤で顔を真っ黒にしながら作業している。
その瞳は炉に入った火のように、活き活きと滾っている。
「すごい熱気だな……」
「外の採掘組が戻って来たところだから、加工が忙しいのかも」
「そういうのがあるのか?」
「うん、洞窟だけじゃ採れる鉱石が限られるから。色んな場所に採掘に行ってる」
言われてみると納得だ。
この洞窟は魔導鉱石の鉱脈だったはずだ。
様々な種類の石や鉱石を扱うのなら、ここだけでは難しい。
「あ、レイランだ! リシェ姉も!」
バドゥのいる大きな炉では、数人のドワーフが作業している。
後ろで手伝っていたドトムとニドムが、真っ黒な顔で手を振る。
ニドムのような小さい子も、ここでは立派に仕事をしている。
「忙しい時に来てしまったな」
「大丈夫だよ! 今は人も大勢いるから、炉が足りないくらいなんだ」
遅れて走って来たニドムが、レイランの足に飛び付いた。
上を向いてにぱっと笑うまん丸の顔も、しがみつく手も、煤で真っ黒だ。
「あ、こら! レイランの服が汚れちゃうだろ! 離れろニドム!」
気付いて離れたニドムだったが、すでに服には真っ黒の手形が付いている。
慌てたニドムが手ではたこうとするが、どんどん被害は広がるだけだ。
みるみる顔を歪ませてうつむくニドムは、口を結んで頬が更にまん丸だ。
この可愛さを見て、怒れるわけがない。
「ごめんなさい……」
「ははっ、大丈夫だニドム。気にするな、洗えばいいだけだろ」
屈んで頭に手を置くと、ニドムは申し訳なさそうに目を合わせる。
「皆と一緒に頑張ってるんだな。楽しいか?」
「うん! まだまだ続くんだよ!」
「そんなに忙しいのか?」
「これから3日は、夜通し炉が動くよ!」
「3日もか、それは大変だ……」
ニドムの後ろから、バドゥが汗を拭きながら歩いてくる。
顔は真っ赤に火照り、玉のような汗が噴き出している。
煤は汗に流され、真っ黒になった雫が頬を伝う。
その姿に、何かがうずくのを感じた。
心からかっこいいと思った。
子供の頃に抱いた憧れと似ている。
「よく来た。ちょうど山場だ、騒がしくてすまんな」
「いえ、すごい熱気に圧倒されていました」
「今年は良い鉱石が多くてな、皆の気が乗っている。リシェの石も用意してあるぞ。珍しい石もあるから見ていけ」
リシェは頷いて、慣れた様子で炉から離れていく。
置いてあった水を一気に飲み干し、バドゥは置かれた木箱に腰を下ろした。
ふぅ、と息を吐いたが、吹き出す汗は一向に収まらない。
「はい、これで拭いて」
走って来たドトムが、絞った厚手の布をバドゥへ手渡す。
それを受け取って顔を拭くと、白かった布は煤で真っ黒だ。
炉の炎を映したバドゥの横顔は、今まで見た中で一番の迫力だった。
仕事に打ち込む職人の熱量に、こちらまで当てられる。
「今日はどうした? 作って欲しい物が決まったか?」
「いえ、商家の件が終わりましたので、ご報告に参りました」
「……そうか」
バドゥは炉に目を向けたまま、表情を変えずに答える。
きっと、彼にとってはもう終わったことなのだ。
近くに立っているドトムは、こちらに視線を向けないようにしているが、耳だけはしっかり集中している。
「違法な採掘を行ったラウデンには、自然物の取り扱い資格剥奪、一定期間の税率引き上げと、破壊した土地への賠償。この件の責任者と実行犯は国外追放、その後10年の入国禁止、魔銃を使用した者は永久追放となりました」
「……随分と、重い罰になったのだな……」
バドゥは炉から目を離し、驚いたようにレイランを見る。
「それから……、今後のこの洞窟での採掘は、前もって申請を行った者のみ認め、現場では地窟族の責任者の指示に従うこと。発行された許可証を提示しないものは追い返して構いません。守られなかった場合は王都へご連絡ください。責任を持って対処いたします」
バドゥは目を見開き、何かを言いかけた口は半分開いたままだ。
「……事後報告で申し訳ありません。規則として運用するため、勝手ですが作らせていただきました。こちらが、ドワーフ族の採掘許可証と、この洞窟の管理を委任する証明書です。どこかに保管していただければ……」
街の中が、静かになっている気がした。
周りを見ると、作業していたドワーフたちが皆こちらを見ている。
聞き耳を立てていたのは、ドトムだけではなかったようだ。
「皆さんは、今までと変わらずにお過ごしください。何かあったときに、こちらが対処するための規則です。人の都合で、ご不便をお掛けしますが……」
言い終わる前に、ドトムが全力で突進してきた。
子供とは思えない衝撃で、咄嗟に足に力を込めたが間に合わなかった。
尻もちを付いたレイランの腹に乗っかるように、ドトムは顔をうずめている。
ずっしりと重みのあるドワーフの身体は、ドトムのような子供でもレイランより厚みがある。
顔を上げたドトムは、目を大きく開いてレイランを見た後、顔全部で笑った。
「ありがとう、本当に。やっぱりレイランはすごいんだ! 僕の言った通りでしょう!?」
叫ぶような高い声が街の中に響き渡り、岩壁がその声を返す。
返って来たその声で、バドゥの表情はふっと解けた。
「ドトム、離れてやれ。レイランの服が真っ黒だぞ」
「あ……」
「あははははっ! 兄ちゃんの方がよっぽど汚してるじゃないか!」
さっき叱られたニドムが、ここぞとばかりに声を張り上げる。
その声と同時に、街中から笑い声が上がった。
その声は洞窟中に反響し、大地を、壁を、街を揺らす。
地面から伝わる振動は、この街への祝福のように、身体の奥に届く。
「レイラン、ありがたく受け取らせてもらう。この洞窟のために、心を尽くしてくれたことに感謝を」
バドゥは、右手を胸の前で握り、右手の甲に左手を被せるように添えた。
それに倣うように、街のドワーフたちが同じ仕草でこちらに向く。
「ドワーフの感謝の礼だよ。全力でありがとうって意味!」
ドトムの作る温かい空気が、街中に広がる。
バドゥに向かい、アルデニアの敬礼で感謝を受け取った。
「お役に立てて良かったです。正直、最後までどうしようかと悩んでいました。ユアン様からも、よろしく伝えて欲しいと託っております」
「ああ、お前にもユアンにも、上乗せで礼を返さんといかんな」
豪快な笑い声を響かせながら、バドゥは炉の方へと戻って行く。
赤い火に照らされた彼の瞳は、さっきよりも澄んだ眼差しで炉を見つめる。
作業を再開したドワーフの街からは、リズミカルに槌を振る音が響き始めた。
手に、ひんやりとしたリシェの手が触れた。
「良かったね」
「ああ」
「なんか……真っ黒だね」
「ん? ああ、煤だらけだよ」
「でも、嬉しそう」
「ああ、こんなに嬉しいことはないよ」
「いい音……」
「ドワーフの街だけの音楽みたいだよな」
「それもあるけど、レイランの音。すごくいい音だよ」
隣で微笑んだリシェは、目を閉じたまま耳を澄ましている。
自分と同じように喜んでいるリシェを見て、今更ながらに実感が湧く。
ドワーフにとって、これで良かったのだと、ようやく思うことが出来た。
赤で揺れる街を見ながら、リシェの手を握る左手に、ほんの少しだけ力を込めた。




