蒼の季 向夏-12.継承
フェンと一緒に王都を歩くのは久しぶりだ。
上機嫌で尾を振り、白いレンガの道を踏む足音は、フェンの心を表すように軽快だ。
フェンとフウが並ぶ姿はとても目立つらしく、すれ違う人は皆振り返り、魔獣たちもこちらを気にしている。
これだけ白いエルドポニーは珍しい。
真っ白なふわふわの毛並みは曇り空の下でも艶やかで、歩くたびに揺れる鬣は絹糸のようなしなやかさだ。
フェンの美しさは、いつも側にいる自分でも見惚れてしまう。
まだ人が集まりだす前なのか、市場には店の準備を終えてひと休みする人や、荷運び中の馬車が多い。
王都の中心である市場広場に入ると、目的の店が見えてきた。
その静かで主張しない店構えは、物が溢れ、人を呼ぶ声が飛び交う市場で逆に目を引く。
店の前に置かれた年季の入った看板は、どれだけの間この街を見つめてきたのか。
木目が浮き上がる一枚板に、Norvaとだけ彫られた看板を見るだけで、不思議と胸が弾む。
この雰囲気が好きなのだ。
店の脇には、手入れされた馬留めが用意されていた。
フェンを連れて進んでいくと、深い緑のベストを着た店の人が笑顔で出迎える。
「ようこそお越しくださいました。お預かりいたしましょう」
手綱を受け取ると、品の良い落ち着いた声の男性は、フェンとフウを交互に見て、僅かに笑みを深めた。
「美しいエルドポニーですね。そちらの……その子は、そのまま店内にお連れ頂いても構いませんが、いかがなさいますか?」
フウは、フェンの足元に寄り添っている。
「ここに一緒に居たいようなので、預かっていただけますか?」
「かしこまりました。店内へはこちらからでもお入りいただけます」
馬留めの奥には、木で造られた緩やかな傾斜の道があり、小さな入口へ繋がっている。
後ろに控えていたセラが進み出て、店員に声を掛けた。
「エルドポニー用の鞍についてご相談したいのですが」
「そうでしたか。では……担当の者を呼んで参りますので、少々お待ちください」
店員は足早に店内へ向かい、小柄な白髪の男性と共に戻って来た。
ちらっとフェンの鞍に目をやり、こちらに浅くお辞儀をする。
そこそこの年齢だと思うが、背筋が伸びた美しい立ち姿だ。
「お待たせしました。鞍のご相談とのことですね」
使い込まれたモノクルを付けた目元には深い皺が刻まれている。
「はい、魔獣用の石飾りを付けたいのと……」
男性はこちらの話を聞きながら、フェンの鞍を確認し始めた。
その手つきと真剣な横顔は、商品を見つめる商人のそれだ。
「……日常は充分なのですが、長距離を移動すると身体が辛く感じるのです。使い分けた方が良いのかと思いまして」
「石飾りというのは……」
「これです」
ルティナは持って来たフェン用の飾りを取り出した。
フウの足首に付けるものとは違って、大きなチャームのような形で、今は革紐だけを通してある。
「ドワーフの石ですね。これは良いものだ」
物を見るときに目が輝くのは、商人の特性だろうか。
側に控えている先ほどの男性の目も、しっかりと石飾りを目で捉えていた。
「長距離というと……長旅のご予定ですか?」
「そう何度もあるかは分かりませんが、リシア近くの森に住んでおりまして。王都まで一巡ほどかかると、どうしても身体が……」
「なるほど、森ですか……森の中や短距離の移動もこの子で?」
「……森の中で乗ることはあまりありません。採取に行くときに荷物を持ってもらっています。街との行き来では乗せてもらいますが……」
モノクルを外し、白髪の男性はルティナと鞍を交互に見比べる。
「鐙とベルトの調節と、座り心地を柔らかいものに取り替えれば充分だと思いますよ。とても丁寧に扱っていただいている。まだまだ使い続けられます」
「取り替えられるのですか?」
思わず声が大きくなる。
王都との行き来のために買い替えようと思ったが、出来れば使い続けたかった。
これは、父がフェンの為に用意してくれた鞍だ。
「ええ、こちらは当店でお求めになった物ですし、充分可能です。5年ほど前でしょうか……私が応対したのを覚えております。他にも何かご希望があれば、お好みに合わせて調整いたします」
ルティナは採取のときの使い勝手を説明しながら、細かく要望を伝える。
白髪の男性は親身に耳を傾け、ルティナでは思いつかない方法や使い方を提案してくれた。
「では……そうですね、3日ほどで仕上げられると思います。こちらから使いを出すことも可能ですが、鞍なので……仕上がった後に実際に乗ってみて微調整した方が良いかと存じます」
「また3日後に参ります。石飾りはお渡しした方がよろしいですか?」
「かしこまりました。……伺ったお話だと、鞍を付けていない時間も長そうなので、取り外しができるようにした方が良いのではと思っております。お預かりできるのでしたら、方法を探してみますが……」
この人の言う通りだ。
フェンの場合、むしろ付けていない時間の方が長い。
フウは足飾りを付けたままで不自由なく過ごしているようだし、その方が良いかもしれない。
「では、よろしくお願いいたします」
鞍と石飾りをノルヴァに預けることが決まり、手続きのために店内に向かう。
店内は淡い香の香りがした。
温もりのある灯りで照らされ、余裕を持って商品が並べられている。
セラが手続きをする間、店内を見せてもらうことにした。
1階は生活に必要な細々したものが中心のようだった。
陶器やガラスの食器が並ぶ棚は、見ているだけで目が喜ぶ。
そわそわする胸を落ち着けながら、棚の食器を順に見ていく。
料理好きは、食器も好きだと思う。
目に留まったのは、艶消しされた墨黒の食器だ。
濃い色の食器はあまり見かけない。
触れてみると、さらさらとした手触りが心地よい。
大皿と小皿、深さのある鉢型の器もある。
どれも派手な装飾は一切ない。
これを作った職人は、料理が主役になるように配慮したのではないか。
盛り付けるのを想像しても、案外料理を選ばずに使えそうだ。
野菜の色が映えて、さぞ美味しそうだろう。
「その食器はつい最近入ってきました。北のイグドラから買い付けているもので、その土地でしか手に入らない土を使っているそうです」
気付くと、鞍の案内をしてくれた白髪の男性がにこやかに立っていた。
「お料理が映えそうです」
「作り手の意図が伝わるでしょう。縁が厚めになっているので欠けにくいのも良い点です」
「本当に……」
「揃いの湯呑みもありますよ」
案内された棚には、湯呑みと急須、それに離れに置いてあるのと同じ鉄瓶が置かれていた。
「この鉄瓶は、こちらのお店の物だったのですね」
「おや、お持ちですか? ありがとうございます。鉄瓶は王都では珍しいものなので、ご存じの方が少ないのですが」
「父が東の出で、お茶をよく飲んでいたものですから……」
モノクルの位置を調整し、白髪の男性は首を傾げた。
「もしや、香立さんにも行かれますか?」
「はい、今日もこの後に伺う予定です」
「そうでしたか。王都の店をよくご存じだ」
「王都で美味しいお茶に出会えるとは思っていなかったので、とてもお世話になっています」
深く頷いて、男性はゆっくりと店内を眺めながら歩いて行く。
この店に置かれているものは、作り手の思いを汲んだ上で選ばれている気がする。
物自体が主張するというより、使う相手を尊重するような商品が多い。
並べられた魔導石の中には、繰り返し使える加工が施されたものもあった。
充填して使い続けられる魔導石のほとんどが、ドワーフたちの手によって加工されるのと聞いた。
ドワーフたちも、この店を信頼しているのだろう。
素敵なお店だ。
「ルティナ様、お待たせいたしました」
「セラ、この茶器……とても素敵だと思いませんか?」
セラの目は釘付けだ。
あまりにも素直な反応に、言葉を聞かずに頷きを返す。
「鞍を受け取りに来るときまでに、ゆっくり検討しましょう」
極まりが悪そうに目を逸らし、セラはいつもの表情に戻った。
森に帰れば鉄瓶はあるし、離れに用意してくれたものはセラにそのまま使ってもらえる。
茶器さえあれば、王都でもゆっくりとお茶を楽しめるはずだ。
2組揃えて、1つはセラへの贈り物にしようと、心に決めた。
ノルヴァを出て、大通りを香立へ向かう。
後ろを振り返ると、ノルヴァの店の前で先ほどの2人が見送っていた。
こちらの視線に気が付くと、浅く会釈を返してくれた。
あの店で過ごした余韻を、最後まで心地よく味わう。
ノルヴァの人たちに、アマヒトと似た文化を感じたのは間違いではなさそうだ。
香立のある裏通りに入ると、ちょうどシノが店の前にいた。
店の前に置かれた看板を拭きながら、店の中を覗いている。
フェンの足音に気付くと、立ち上がって手を振ってくれる。
「お嬢さん、元気そうで良かったわ。今日は綺麗な馬もいるのねぇ」
褒められたのが分かったのか、フェンはシノに鼻先で挨拶をする。
フェンは褒めてくれる人が好きなのだ。
「こんにちは。麦わら帽子ありがとうございました。今年の夏が涼しく過ごせそうです」
「気に入ってくれて良かったわ。こちらこそ、色々とお世話になりっぱしだもの」
シノは暖簾を抑え、ルティナたちを中へと案内する。
店の中では、ショウが袋詰めにしたお茶を並べているところだ。
「おや、お嬢さん、いらっしゃい」
「こんにちは」
「様子を見に来てくれたのかい? あれから畑も順調だよ、まだ完全には戻っていないけど、あと一巡もすればまた香立を作れそうだよ」
店に並ぶ棚には、一箇所だけ何も置かれていない。
どうやら香立は完売してしまったようだ。
「茶の木が元に戻るのが待ち遠しいですね」
「そうだねぇ、でも、坊ちゃんたちが使ってくれたお陰で、買ってくれる人が増えたんだよ。本当にありがたいし、早くここにも並べたいんだけど……やっぱり香立として売るならね、間違いないものにしたいからね。今は待つだけだね」
ショウは困り半分といった表情で笑う。
気に入った人が買いに来るようになれば、きっと今までよりも店も賑わうことになる。
王城に納品する分と合わせると、今までと同じ量では足りないはずだ。
ショウひとりで作るのだとしたら、相当大変なのではないだろうか。
「これから……忙しくなりそうですね。お身体は大切に、無理なさらないで下さいね」
空になった箱を片手に、ショウはいつもの場所に腰下ろした。
シノがその箱を受け取り隣に座る。
2人の空気は、いつもよりも弾んでいる気がする。
照れたようにうつむくショウを見て、シノは嬉しそうだ。
「実はね、坊ちゃんとも相談したんだけど……故郷にいる息子夫婦をこっちに呼ぶことにしたのよ」
確か、海の近くの街に住んでいると言っていたはずだ。
そこで作ったという茶葉も、風味が違って美味しかったのを覚えている。
「たしか畑をされていると……」
「そうそう。向こうの畑は大きくてね、弟夫婦と息子夫婦がやってるんだ。弟は畑が好きでね、茶は作らない。息子は畑を手伝いながら茶師もやってるんだ」
ショウは、少し遠い目をした。
その表情は穏やかで、流れて来る感情が胸をくすぐる。
「坊ちゃんに言われてね。この技術は誰かに伝えていかなきゃいけないものだって。……正直、そんなに繁盛しているわけでもないし、王都でお茶は根付かないんだって思い始めてたんだ。茶の木がだめになったと思った時に、店を閉めようかと思ったんだよ」
隣のシノも同じ瞳をしている。
諦めの先、理解して受け入れたあとの表情だ。
「それがさ、突然舞い込んで来たみたいに……とんとんと話が進んでさ。こんなに熱心に広めようとしてくれる人が現れてさ、うちら以上にお茶がどれだけ素晴らしいかを語るんだよ。これは文化だって。おかしいだろ? それをするのはこっちのはずなのに」
「坊ちゃんの真剣さはすごかったわね」
シノも相槌を打ちながら、くすくすと笑う。
「それでさ、坊ちゃんに聞いたんだよ。なんで突然そう思うようになったのかって。そうしたら、お嬢さんに教えて貰ったって。美味しいのはもちろんだけど、身体を調えて生きやすくしてくれるんだって。そのとき分かったんだ、お嬢さんに分けてもらったお茶がどうしても忘れられなかった理由がさ」
顔を上げて、ルティナを見つめる。
ショウの目は、すべてを受け入れた後、進む先を見つめる深い眼差しだった。
「あのお茶は、誰かのためじゃない。その人のために作られたお茶だ。その人のために調合して、思いも、願いも、全部含めてあのお茶なんだ。そんなものを、うちらが製法を教わったところで、作れるわけがないんだよ。あれはお嬢さんにしか作れないものだ」
「そうね、そう思うわ」
2人は再び目を合わせて、静かに微笑んだ。
そこにある陽だまりのような空気は、溶けてしまいそうに温かい。
「自分は、何を思ってお茶を作っていたっけって。それで、思い出したんだよ。自分の技術も、そう特別なものだと思ってなかったんだけど、どうやら長いことやってるうちに磨かれていったらしい。それが、人のためになって、皆が美味しいって飲んでくれるなら、こんなに嬉しいことはないだろう? だから、ちゃんと誰かに伝えていこうと思ってさ」
「ショウさんの技術は、素晴らしいものです。わたしにはできません。思いつきもしませんでした」
「はははっ、嬉しいねぇ。それで、ダメもとで息子に聞いてみたら、二つ返事で来るっていうんだよ。騒がしい都会なんて嫌だって言われると思ったらさ、嫁さんも一緒に行くから寝る場所を用意しとけってさ」
くすぐったそうに、顔いっぱいに溢れさせる嬉しさが、店中に広がった。
こちらまで照れてしまいそうだ。
「これから……息子さんは大変ですね。わたしは息子さんの気持ちの方が分かってしまうかもしれません。簡単そうにやる師を前に、何度も心が折れそうになるんですよ」
昔の自分を思い出すと、今でこそ笑っていられるが、悔しさと不甲斐なさで、何度も投げ出しそうになった。
そんなルティナには取り合わず、毎日同じことを言い続ける父に、心の中でいつも文句を言っていた。
きっと、この師弟もそう変わらない日々になるはずだ。
「お嬢さんでもそうなら、うちの息子は何回故郷に帰るか分からないね」
「少しは優しく教えてやってよね。せっかく来てくれるんだから、感謝しなきゃ」
「それは分かってるけどさ、あいつだって覚えたいって言うなら根性見せてもらわないとねぇ」
ショウは、案外厳しい師匠かもしれない。
一番大変なのは、間に挟まれるシノになるのも想像できる。
そんな未来を考えられるのも、きっと幸せなのだ。
「だからさ、お嬢さんには感謝してもしきれないんだよ。何もお返しできていないけれど……うちらにできることがあったら、何でも言ってよ。喜んで力になるから」
「そうよ、いつでも声を掛けてね」
2人から向けられる感謝と愛情が、じんわりと染みる。
「美味しいお茶と梅干しを、楽しみにしてます」
店の中に溢れた笑い声は、心地良い温もりで心を包んでくれた。
この場所――この陽だまりだけで充分だ。
―地の声を聴く― 巡了




