蒼の季 向夏-11.夕映え
市場は、陽が暮れる前の最後の賑わいを見せていた。
行き交う人に呼びかける店主たちは、よく馴染んだ喉で声を張り上げる。
夕食の食材を選ぶ人でどの店も盛況だ。
雨が降ると、出店や屋台は数を減らす。
今日のような晴れた日は、彼らにとっては商い日和だろう。
色鮮やかな野菜を積んだ荷車に目が留まる。
どの野菜も、霊素をたっぷり蓄えてふっくら艶やかだ。
その傍らに立つ、はつらつとした店主と目が合った。
にっと笑う人懐こい目に釣られて、足がそちらに向いてしまう。
「いらっしゃい! 今日は雨上がりに収穫したから瑞々しいよっ!」
真っ赤に熟れたトマトは、はち切れんばかりに大きい。
そろそろトマトの旬も終わりだ。
食べるなら今だ。
「見事なトマトですね」
「だろ? 最後にこいつらも頑張ってんだよっ」
この人が育てたというのが伝わる言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「トマトで煮込みでも作りましょうか」
「お、珍しい食べ方するんだなぁ。煮込むなら……こっちのが旨味が濃いよ」
店主は、奥の籠に積まれた小ぶりのトマトをルティナに渡す。
こちらの方が実が詰まっているのか、小ぶりでもしっかりと重みがある。
「いい香りですね」
店主はトマトを指で撫でながら笑う。
「甘みもしっかりある。煮込みってどうやるんだ?」
「湯剥きしてから荒めに潰して、肉や魚、野菜と一緒に……最後にチーズを乗せるのも良いですね」
それを聞いた店主は目を上に寄せ、うんうん、と2度頷いた。
「味付けは、塩と具材の出汁ってことかい?」
「そうですね、あとはハーブを少々入れようかと思います」
「ハーブ……お嬢さん、相当な料理好きと見た」
嬉しそうに声を上げて笑う店主は、いくつかの野菜を見繕って勧めてくれた。
「煮込むなら、崩れにくい野菜がいいだろ? 山茸と夏瓜なんかどうだい?」
「いいですね。出汁も出そうです」
「あとはこれ、最近作り始めたんだが、ハナノメっていうんだ。花の蕾を食べる野菜なんだが……試してくれるなら、半値でいいよ!」
初めて見る野菜だ。
全体が濃い緑色で、蕾というだけあって力強い霊素を持っている。
「じゃあ、その4種類を下さい」
「まいどっ! いつもここら辺りにいるから、ぜひまた来てくれ」
渡された袋には、いっぱいに野菜が詰まっている。
随分とおまけをしてくれたようだ。
「こんなに……ありがとうございます」
「その代わりってわけじゃないけど、何か他の食べ方があったら聞かせてくれっ!」
口の両端をくっと上げて、にこやかに頼みごとをしてくるあたり、かなりの商売上手だ。
「わかりました」
手を振って見送る店主に会釈を返し、人をすり抜けながら先へ進む。
隙間なく並ぶ店の中を歩きながら、魚を扱う店を探す。
トマト煮込みには、魚介を合わせたい。
坂道を下った先で見つけた魚屋で、立派なシーバスを一尾求めた。
あとはパンがあれば充分だろう。
ふと思い立って、帰り道でフウ用のお肉も買った。
今日は、尾が増えたお祝いもしよう。
アベリスの厩にフェンを迎えに行くと、厩から出て来るユアンたちの姿があった。
こちらに気付くと、レイランが中へ戻って行く。
「たくさん買って来たね」
ルティナが抱えていた袋を受け取り、中を覗き込む。
ユアンは、きっと夕食の期待を膨らませている。
「お店の方が、たくさんおまけしてくれました」
「何を作るの?」
「トマト煮込みにしようと思って」
セラが持っている箱の中のシーバスも、そこそこの大きさだ。
2人が食べに来たとしても、足りるだけの材料はある。
「お時間があるのなら、ご一緒にいかがですか?」
「ぜひ、お願いいたします」
フェンを連れて戻って来たレイランが、前のめりに返事をした。
「では、これから支度をするので、着替えを済ませたらお越しください」
「この荷物だけ運んでからにするよ。レイランはウォルグに伝えておいてくれ」
ユアンは荷物を抱えて先を歩き始めた。
火床に2人で立つことも、すっかりいつもの風景になった。
シーバスを捌き始めると、セラは食前酒の準備を進めてくれる。
いつの間にか、セラもアラ・ノトに馴染んでいる。
シーバスにハーブ塩を振り、馴染ませている間に野菜に取りかかる。
森の家ではその都度ハーブを選べたが、王都ではあらかじめ作ったハーブ塩が便利だ。
トマトを湯剥きし、ハナノメは軽く塩ゆでしておく。
大きめに切った山茸と夏瓜を浅い鍋で炒め、潰したトマトを加えしばらく煮込む。
煮込み始めたところに、ユアンとレイランがやって来た。
今日の2人は、とても空気が柔らかい。
商家の件が落ち着いてきたのかもしれない。
集い間がない離れでは、火床のすぐ側にある席で待ってもらうことになる。
自然に作っている所を眺めてしまうのか、常に視線を感じる。
これが、案外緊張するのだ。
セラは、用意した食前酒と、きのこと根菜の梅和えを並べた。
梅干しが手に入ってからというもの、小鉢は大抵これだ。
鍋が煮立ってしばらくしたら、シーバスを乗せて更に火を入れる。
最後に茹でたハナノメを乗せて、ハーブ塩で味を調える。
火から下ろすと、鍋から勢いよく湯気が立ちのぼり、トマトの爽やかな香りが火床いっぱいに広がった。
いい香りだ。
あの店主が丁寧に育てたのが伝わる。
浅めの鍋は、そのまま食卓へ運んで取り分けながら食べられる。
鍋敷きの上に鍋を置くと、鮮やかな赤が夏らしく映える。
レイランは目を思いっきり細め、湯気の香りに浸っている。
この幸せそうな顔を見ると、作った甲斐もあるというものだ。
席に着く前に、フウ用に買っておいた肉と、フェン用の果物を手に厩へ行く。
いつもより少しだけ豪華な食事だ。
フウだけ室内に入れるよりも、この子たちは一緒にいる方が心地よさそうなのだ。
火床に戻って、温めたパンを並べて食卓に付いた。
セラは、いつものように後ろに控えている。
「セラも一緒に食べましょう」
「いえ、私は……」
「いいじゃないか、ここなら問題ないよ」
迷いながら、セラは鍋に目をやって、静かに席に着いた。
冷めてしまうことを気遣ってくれたようだった。
「これは何とも……トマトは煮込むとこんなに食べやすくなるのですか……」
レイランの反応は、常に作る側を幸せにしてくれる。
ユアンも頬張りながらしきりに頷く。
「トマトを好んで食べることはありませんでしたが……これなら、いくらでも食べられそうです」
出来上がった煮込みは、魚と野菜だけとは思えないほどコクがある。
魚と山茸の出汁も旨味たっぷりだが、何よりもトマトが美味しい。
甘みと酸味のバランスがちょうどいいのだと思う。
トマトにしては水分が少なめだったのも関係しているかもしれない。
セラも無言で食べ続けているのを見ると、気に入ってくれたようだ。
「良いお店を見つけました。店主が作っている野菜を売っているようで、このハナノメという珍しい野菜も勧めてもらったのですが……思った以上に美味しいですね」
「俺も初めて食べたけど、煮込みすると味が染み込んですごくいいね」
よほどお腹が空いていたのか、今日のユアンは食べるのが速い。
すっかり食べきってしまっている。
「今日はお忙しかったのですか?」
「昼は食べ損ねたかな。でも、商家の方は終わりそうだよ。あとの判断は兄上次第かな」
「そうですか……」
結局、あの商家は何が目的だったのだろう。
ただ採掘したかっただけなら、魔獣を傷付ける必要は無いように思う。
「商家は……ラウデンは、どうなるのですか?」
ユアンは、残り少なくなった飲み物に手を伸ばし、一気に飲み干した。
「ラウデンへは、罰金と自然物の取り扱い許可の剥奪、しばらくは重い税が課せられる。今回の件の責任者と、改造魔銃を使用していた傭兵は国外に出されて、以後の入国は許されない」
重い罰だと思っていい内容だろう。
ラウデンはアルデニアでも大きい商家だ。
この処分で、国が受ける影響も無視できないはずだ。
「なぜ……魔獣を狙ったのでしょうか……採掘とは結び付かない気がするのですが……」
ラウデンの話を始めて空気が重くなったの感じてか、厩にいたフウが中へ入って来た。
ユアンは、目の前に座ったフウを撫でながら、言葉を選ぶように話す。
「これは俺が感じたことだから、本人がそう言ったわけではないけど……魔獣は排除するものだと考えているように見えた」
魔獣を、生き物ではなく危険なものとして見ているということだろうか。
確かに危険な部分もあるが、かなり極端な考え方に思える。
「……ラウデンは、元は南にあるファムエンの商家なんだ。働いている人や関わる人間も、ファムエンの人間が多い」
ファムエンは、南にある運河を越え、更に広大な砂漠の先にある国だ。
「ファムエンは土地柄もあって、好戦的で危険な魔獣が多い。身を護るため、資格があれば魔銃の携行や使用も認められている。だから、魔獣に対する考え方がアルデニアとは少し違うんだ。被害も比べものにならないくらい多い」
ユアンの空気は、以前よりも穏やかに感じる。
少なくとも、事情と価値観の違いを、理解することは出来たのだろう。
「魔銃の改造も、ファムエンでは割と一般的なことのようでした。だからと言って、アルデニアでは違法であることに変わりはありませんが」
レイランの口調も静かだ。
理解はしたものの、彼は許していないようだ。
「どちらにしろ、ラウデンが意図的に行ったことではないと思う。採掘の護衛として雇われた傭兵が、個人的な感情で魔獣を傷付けたという結論だよ」
「そうですか……」
事情を聞いて、頭では理解できたと思う。
生きていく中で、価値観が違う人がいることも分かる。
フウに強い視線を向けていたあの人は、魔獣に傷付けられた経験があるのかもしれない。
でも、彼のしたことを認められるかと言われると、どうしても心が拒絶する。
そもそも、彼を許すか許さないかは、自分の心に置くべきではないように思う。
彼を許せるとしたら、それは傷付けられたスヴェルフや地輪、そしてレパだけだ。
「価値観というのは、国や人によって本当に違いますね。今日もそれを実感しました」
今日出会ったフォート家の当主も、魔獣を生き物として見ているようには思えなかった。
ルティナには、やっていることは違っても、彼らに大きな差は無いように思えた。
根本の考え方が、彼らとは違うのだ。
彼らは、魔獣を命があって意思がある存在として認めていない。
それを責める気もない。
同じように感じて欲しいとも思わない。
それなのに、そういう人たちに出会うたびに、自分の中に強い拒絶を感じる。
この矛盾に向き合う覚悟が、まだできていないのだ。
「今日って……何かあったの?」
ユアンは何かを感じ取ったようで、ルティナではなくセラに言葉を向けた。
セラの話を聞くと、2人からは分かりやすく不快感が漏れた。
商家の話をしていた先ほどと比べると、だいぶ違う。
その理由も、分かるような気がした。
ユアンたちは、魔獣と共に生きることを目指している。
だが、全てがそれで解決できるわけではない。
魔素によって危険な状態になった魔獣と、戦う機会だってあったはずだ。
ファムエンに暮らす人が魔獣に対して敏感なことは理解できるのだろう。
「またフォートか。懲りないな」
ユアンがここまで強い感情を表に出すのは珍しい。
ため息混じりの言葉には、嫌悪が滲む。
「あの人は昔から変わりませんね。最近は度が過ぎる気がしますが」
レイランも同じように、厳しい表情を浮かべた。
四家の人たちは、フォート家に対して厳しい目を向ける人が多い。
ルティナの中にあった貴族の印象は、むしろフォート家の人の方が近い。
身分の高い人は、ああいうものだと思っていた。
もちろん好ましいとは思わない。
自分とはあまり縁のない世界だったからか、それほど不快感を持つこともなかった。
人の世界独特の感情は、ルティナにとっては遠いものなのだ。
「でも……」
ルティナは、凛々さが増したフウの姿を見た。
あのとき、あの人への怒りや恐れよりも、強く心を満たしたものがあった。
迷うことなく自分の隣を選び、守ろうとしてくれるフウへの愛しさが、今も深く残っている。
「あの人を、フウは選びません。あの人に、フウをどうこう出来るとも思えませんでした。そのくらい、圧倒的な力の違いと……この子の思いを感じました」
顔が自然と綻ぶ。
この子から向けられた信頼が、心までも守ってくれた。
ユアンたちから感じる強い感情が、ふっと消えた。
自分の感情なら、自分で選ぶことができる。
それなら、幸せでいられる方を選びたい。
あの人の不快感よりも、フウからの信頼を。
あの人への怒りよりも、フウへの愛しさを。
「……この子は、自分の意思で選んだのだと思います。それがきっかけなのかは分かりませんが……この子は今日、一歩大人になったのですよ」
「大人に……?」
ルティナがフウに視線を向けると、フウは尾を揺らして風を送った。
その風は部屋を巡り、ここにいる全員に届いた。
心なしか、今までよりも優しく、ふくよかな風だった。
「あ……」
気付いたユアンが、フウの尾を見つめる。
目を丸くした後、ふっと笑みをこぼして、フウの顔をくしゃくしゃに撫でた。
「フウの方が、俺よりもずっと頼もしいな」
満面の笑みを浮かべる横顔は、黄金色の粒を散らしている。
フウは得意げに尾をゆらゆらと揺らし、それに応える。
「何本まで増えるのでしょうか。ヤクモなら、5本までは増えそうですね」
レイランもフウの横に座り、お祝いのように首元を撫でる。
「書庫で見つけた本には、ヤクモは最大で9本まで増えると書いてありました。フウなら、いつかそうなるような気もします」
「9本!? そうなったら、もう魔獣の域を超えてしまいそうだな」
月に照らされたその姿を想像すると、それは精霊のように神々しい。
その姿が見られるとしても、まだまだ先になりそうだ。
いつかそのときを迎えるなら、また同じようにお祝いをしたい。
この人たちと一緒に。




