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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
第三章後編 蒼の季 向夏 ―地の音を聴く―
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蒼の季 向夏-10.ひと粒

 藍色の絨毯が敷かれた階段を昇るのは久しぶりだった。

 外はしとしとと雨が降り続く。


 ドワーフの洞窟から戻ったのは夕方で、少し横になるつもりが、そのまま朝まで眠ってしまった。

 自分が思うよりもずっと、身体は疲れていたらしい。


 ユアンたちは王都に戻るとすぐに、兵舎へ向かった。

 商家の件は、これからが大変だろう。


 レスティアは、病み上がりだからと、しばらく予定を入れないようにしてくれた。

 ルティナがいなくとも、王都では研究や作業が進んでいる。


 調薬も軌道に乗り、本格的な夏が来る前に薬は間に合いそうだ。

 貯水湖のラクサールも新しい水場に馴染み、今のところ問題は起きていない。

 エデュードはヒユイの山を見守りながら、都下に使う新素材を研究している。

 ウィランはありとあらゆる魔法の研究に引き籠っているらしく、着々と試験が進められている。


 アルデニアは、変化を受け入れる国だ。



 空いた時間で、フウと一緒にリュサールの書庫にやって来た。

 雨の日は本が読みたくなる。


 書庫の入口は、耳飾りに付いたチャームが反応し、自動で鍵が開いた。

 実際に使うのは初めてだったが、いざ体験すると感動してしまう。

 魔導具というのは、本当に色々なことができる。


 ちょうどお昼だからか、書庫には誰もいない。

 微かに空気が動いている室内は、外よりも空気が乾いている。

 ここは、暑さと湿気で過ごしにくい今の時期には、最高の休憩場所だ。


 自分の足音を聞きながら、書庫の奥、目当ての書棚へ向かう。


 読みたいのは、魔獣に関しての本だ。

 王都に来てから、知らない魔獣にたくさん出会った。

 上位魔獣という存在や、かつては霊獣と呼ばれていた魔獣たちの記録が残っているかもしれない。



 魔獣に関する本は、植物や魔法の本に比べて数が少なかった。


 背表紙に目を滑らせる。

『アルデニア魔獣録』、『アルデ大陸の魔獣分布図』、『魔獣観察記録』。

 比較的新しい本が多い。


 棚の下の方、ひと回り大きい古びた本が目に留まった。

『大陸生物史』、『生物分類録』、『生物と環境の相関』と書かれている。


 魔獣ではなく、生物という言葉を使っているのが気になる。

 3冊とも同じ装丁の叢書のようだ。

 その1冊に、手を伸ばす。


 ずっしりと重い。

 しっとりした質感が手に馴染む。

 厚い革装は、角が擦れ、飴色へと変わっていた。


 ルティナはその3冊を持って、いつもの窓際の席に向かう。

 立ったまま本を開いてしまいそうになり、後ろで静かに待つセラに気付いた。

 どれだけ気持ちが逸っているのだ。


「お茶をご用意して参ります」


 セラは、入口の脇にある小部屋に向かった。

 ルティナが座るのを待って、フウは足元に伏せた。



 『大陸生物史』を自分の前に置き、頁をめくっていく。


 その本には、アルデ大陸に生きる様々な生物の変遷が記されていた。

 獣や鳥、虫、植物に至るまで。

 興味深いのは、魔獣も霊獣も、他の動物と同じ括りで書かれていることだ。

 草食や肉食、生息地域などでは分類されているものの、魔獣や霊獣といった区分は見当たらない。


 書かれている内容も面白い。

 ラクサールは、もっと小型で水に棲む鱗獣であったこと。

 スヴェルフは、今より大柄で群れを成して暮らしていたこと。

 ガゼルやステードは、もともと一つの種で、徐々に枝分かれしていったこと。


 夢中で読み進めると、そこで手が止まった。


 ヤクモだ。

 描かれている挿絵を見ると、狐と狼を合わせたような姿だ。

 濃い灰色の毛並みと、分かれた尾。

 夜行性で、標高の高い岩山などに群れで暮らす。

 尾は成長と共に増えるようで、通常の個体は5本前後が多いらしい。

 挿絵のヤクモは、群れの長だろうか。

 立派な尾が9本も描かれている。

 

 足元のフウに目を落とす。

 尾はまだ2本だ。

 ヤクモとして考えるなら、まだ子供だろう。

 混血なら、ヤクモほど尾は分かれないのかもしれない。

 それでも、9本の尾を持つ挿絵と見比べると、そんな未来も、まったくあり得ないとは思わなかった。


 視線を上げると、離れた席でセラが別の本を読んでいる。

 いつの間にか、机の端にはカップが置かれていた。

 お茶が置かれたことにも気付かなかった自分に苦笑しながら、カップを口に運ぶ。

 紅色に染まる、甘酸っぱい花弁茶だ。

 雨の多い季節には、この酸味が爽やかに感じる。


 ほっと息をついて、次の本を手に取った。



『生物分類録』の目次を見て、目を疑った。


 魔獣/魔鳥、霊獣/霊鳥。

 確かに、そう記されている。


 編纂されたのは……、今から約600年前だ。

 

 シダの記録を調べたときにも、500年前の植物分布の記録が残っていた。

 リュサール家が、どれだけ大切に知識を残してきたかが伝わる。


 だが、胸の内にあるのは一握りの寂しさだ。

 記録が残っていても、ヒトの記憶からは完全に消えている。

 600年という月日の流れは、ヒトが忘れるのに充分な時間だということだ。


 ドリアードならば、まだ人生の途中。

 アマヒトならば、ひとつの巡りが終わる頃。

 ドワーフならば、孫の世代に移り変わるだろうか。


 ヒトは、600年経てば20の世代を超えている。

 

 だからこそ、記録として残すことに重きを置いたのだろう。

 忘れてしまっても、思い出すための手がかりとして。



 ゆっくりと、頁を進める。


 魔獣の項目の最初に置かれているのは、スヴェルフだった。

 ヨダの言ったとおり、上位魔獣を意味する言葉も記されている。



 精霊に準ずる、極めて強い力を持つ魔獣を、アルカと呼ぶ。

 古い言葉でアル・カ――“魔素を扱う”の意。


 

 精霊。

 神話や寓話で語られるような存在だ。

 600年前には、その存在が確認されていたのだろうか。

 今でも、少数の種族では精霊信仰が残っている。


 精霊は、存在すると思っている。

 ただ、それが実在するものなのか、概念としての存在なのかは分からない。


 少なくとも、この表記からは、精霊の存在が前提とされていたように受け取れる。



 その先の頁には、今存在するのかも分からない、たくさんのアルカや魔獣について記されていた。

 この本の魔獣は、アルデニアに生息する魔獣だけではないかもしれない。

 火山や海、砂漠や高山など、今のアルデニアにはない環境の魔獣も多い。


 

 霊獣の項目に入って2番目に、地輪の頁があった。

 洞窟にいる地輪とは、だいぶ印象が違う。

 毛色や模様、尾の形状などは一致するが、身体がずっと大きい。

 洞窟の地輪は猫ほどだったが、挿絵では豹と変わらない。

 600年前を基準にするなら、今の地輪はそのまま小さくなったように思える。


 地輪の分類には、マナトと表記がある。



 精霊に代わり、巡りを守り調える力を持つ霊獣を、マナトと呼ぶ。

 古い言葉でマナ・ト――“霊素が巡る”の意。



「マナト……」


 本を閉じて、背もたれに身を預けて目を瞑る。

 この言葉の響きが、妙に懐かしく感じる。


 アル・カといい、マナ・トといい。

 どこか、古いアマヒトの言葉に近い響きを持っている。


 アラ・ノト、オル・トア、ノア、ルオル、ヒムカ。



 偶然だろうか。

 アマヒトの古語は、その響き自体に意味がある。

 響きの意味を知らなければ、聞いても理解が出来ない。

 その多くは抽象的で、考え方や在り方を示す言葉だ。



 心の奥に、小さな思いが生まれた。



 理へ導く何かが、アマヒトの郷にあるような気がしてならない。


 父の生まれ育った場所。

 父が郷を離れた経緯。

 父からは聞けなかった――自分とは、なんなのか。



 アマヒトの郷は、東にあるとだけ聞いた。


 タヤと話をしてから、確信を持っていることがある。

 あの時、タヤが口にした言葉……


 “迷う日が来たら、この森の奥を目指すと良い。

 クヴィティアは、あなた方なら迎え入れるかもしれない。”


 アマヒトの郷は、エルゼド大森林の奥に隠されている。


 いつか、行ってみたい。

 いや、行くことになる気がしている。

 でも、今か、と考えると……まだその時ではないように思う。


 そして――そこへは、ユアンと共に向かうことになる。



 目を開き、すっかり常温になったお茶をひと口飲む。

 冷めても風味が変わらないのは、読書にぴったりだ。


 最後の本に手を伸ばす。


 『生物と環境の相関』は、生物が環境に与える影響や、受ける影響について書かれているようだった。

 その内容は、ルティナの認識とは異なる部分が多かった。


 この本では、生物と自然が同じ重みで存在している。

 相互に影響を与え合って、世界の均衡を保っているという考え方が伝わってくる。


 生物は、環境に適応しながら、世界に寄り添う側だと思っていた。


 この本では、生物は共に巡りを形作る存在として捉えているのだ。


 この生物に、人は含まれるのだろうか。

 ルティナは、ようやく人を巡りの一部として考えられるようになったばかりだ。

 なのにこの本では、一部どころか、巡りそのものだと言っているのだ。



 この世界に立って、この世界のひと粒であることが幸せだと思った。


 この世界に在る、木も、石も、鳥も、虫も、魔獣も、人も。

 すべてが、同じ重さのひと粒であるなら――

 自分という存在も、自分が持つ力も、この世界に必要なのだと。

 そう思って、良いのだろうか――。




 読み終えてしばらく、余韻から抜け出せずにいた。

 この3冊は、同じ人が書いた叢書なのではないだろうか。

 どの順番で読んでも、内容が相互に繋がって、同じところに導かれる気がする。


 この人が、世界をどう見ていたのか。

 客観的なようで、世界に対する思いが詰まっている。

 読み終えた後、それが深く心に残る。


 そして、忘れてしまう後世へ残した手紙のようにも思える。


 名前も顔も分からないその人から、間違いなく心に残るものを受け取った。

 本の表紙にそっと手を添え、静かに感謝を込めた。




 書庫から出ると、ちょうど夕方の鐘が聞こえた。

 雨は止み、生温かい湿った空気が漂っている。


「セラ、久しぶりにのんびり夕食の支度をしましょうか」


 無性に料理がしたくなった。

 時間をかけて支度をして、ゆっくり食事をしたい。


「材料を探しに、市場に寄ってから帰りましょうか」

「そうですね。たまにはお魚もいいかもしれません」


 リュサールの敷地から出て、市場に向かって歩き始める。

 城下はほとんど人の姿がない。

 雨だと貴族は外に出ないのかもしれない。



 白い石畳を進んでいくと、フウが身体を寄せて立ち止まった。

 フウが見ている先には、一台の馬車がある。


 確かに、視線を感じる。

 セラはぴたりと後ろに付き、耳元で囁いた。


「ルティナ様、行きましょう」


 セラの様子は警戒とは違う。

 関わらない方が良い相手ということだろうか。


「フウ、行こう」


 ルティナの声に耳を向けはするが、フウは馬車を見つめたまま動かない。

 徐々に、視線に含まれる感情が強くなっている。

 肌にちくちくと刺さる。

 馬車の中には2人。

 敵意ではないが、じっと見られているのを感じる。


「フウ」


 もう一度声を掛けると、渋々といった雰囲気で歩き始める。


 市場へ繋がる坂道の手前で、こちらに走って来る足音が聞こえた。


「失礼、少々よろしいでしょうか」


 先ほどの馬車の人の従者だろうか。

 この人からは、特に何も感じない。


 フウが気にしているのは馬車の方だ。


「何か?」


 ルティナが答える前に、セラが前に出る。

 抑揚のない声で、いつもの無表情のセラに戻っている。


「そこの魔獣を、譲ってもらえないでしょうか」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。


「申請済みの魔獣です。あり得ません」


 セラが短く答えた。

 その言葉を聞いて、以前のセラが言っていたことを思い出した。

 珍しい魔獣をそばに置きたがる貴族というのが、あの馬車の人なのだろう。


「それは分かります。譲っていただけるのであれば、謝礼を言い値でお支払いいたします。申請もこちらでし直しますので……」

「あり得ません。2度目です」


 セラの声色は変わらないが、圧は高めている。

 相手は一度怯んだように見えたが、言葉を続けた。


「……フォート家のご当主が、その魔獣を望んでおられます」


 この人は、ずっと目を斜め下へ向けたまま、一度もこちらを見ない。

 本人も、これを言いたくないと心の中では思っている。


 フォートという名には聞き覚えがある。

 どうやら、大きな家の人らしい。

 セラは顔が知られていると思っていたが、この人には分からないようだ。


「それが何か?」


 顔色を変えないセラに、従者は戸惑いを隠せないでいる。


「どうか……お願いいたします」


 目の前で気まずそうにしているこの人は、当主のために頭を下げているのだ。

 それをしたいとは思っていないのに。


「あの、顔を上げて下さい。わたしたちに頭を下げても、どうにもなりません」


 なぜ声を掛けてしまったのか、自分でも分からなかった。

 何を言っても伝わらない相手ではないと思ったのかもしれない。


 身体を起こしたその人と、初めて目が合った。

 目を置く位置が定められず、忙しなく視線が動いている。


「この子は、わたしと共にいますが、無理にそうさせているわけではありません。この子がそれを選んだだけです。頼むなら、この子に。この子がそちらへ行くと言うなら、それを尊重します」


 目の前の人は、視線をルティナに合わせた。

 その目には、僅かに安堵の色が見えた気がした。

 お待ちくださいとだけ言い、馬車に走った。


 馬車から降りて来たのは、体格のいい初老の男性だった。

 

 その姿が見えると、フウはルティナの前に位置を変えた。


 杖を手に持って、意気揚々とこちらに歩いてくる。

 歩き方も、視線の向け方も、表情も。

 所作のすべてが、お世辞にも品が良いとは言えない。


「この魔獣がこちらに来るなら、ただで良いということだね?」

「この子がそれを選ぶなら、尊重します」


 初老の男性は、フウを威圧するように見下ろす。

 周囲の空気が張り詰めるのが伝わる。

 だが、思ったほど圧を感じない。


 その威圧はフウには届いていない。

 フウからは、その何倍もの存在感が放たれている。


 圧倒的だ。

 フウは守るためにそうしている。


 初老の男性は、顔を歪ませ睨みつけているが、フウは動かない。


「……人に敵意を向けるとは、随分と危険な魔獣だ」


 男性は、地面に付いていた杖で勢いよく薙ぎ払った。


 風が鳴る音を聞いた。


 杖は虚しく空を斬る。 


 黒い高価そうな杖は、根元から先がなくなっていた。

 遅れて、馬車の近くで下半分が落ちる音が響く。


 フウはその場に留まったまま、ゆらりと尾なびかせるだけだ。


 男性は、何が起こったのか分からないまま、音のした方を振り返った。

 こちらに向き直った顔は、理性をどこかに置いてきたようだった。



「これ以上何かされるのであれば、相応の対処を致します」


 セラは、襟の裏から金のチャームを取り出した。

 狼を象ったその紋を見た途端、男性の表情がみるみる青ざめる。


 なんの言葉も発しないまま、男性は馬車へと足早に戻って行く。

 従者はその様子を横目で見たあと、こちらに向かって丁寧なお辞儀をした。

 急ぐ様子もなく、ゆったりと馬車へと歩く。


 従者のほうが、洗練された所作をしている。



 馬車が走り去るのを見送り、セラと顔を見合わせて大きく息をついた。

 フウは、馬車が見えなくなるまで目を離さなかった。


「あの方たちが、セラが前に言っていた貴族の……」

「彼らに限ったことではありませんが、その中の一人でしょうか」

「アルデニアにも、ああいった人たちがいるのですね」


 セラは何も言わなかった。

 今まで出会わなかっただけで、自分の正しさだけで生きている人はどこにでもいるものだ。


 フウにとっては、きっと人がすることなど大したことではない。

 だが、人の世界にいれば、これからもこういうことは起こるだろう。


 それでも、フウがここにいることを選ぶのを、心は願ってしまう。



 フウの後ろ姿を眺めていると、何かが違うことに気付いた。


 ゆらりと揺れる尾と共に、穏やかな風が吹いた。

 

 2本だったはずの尾が、確かに3本ある。

 存在感を増した3本の尾を揺らす姿は、いっそう凛々しく、頼もしく見えた。




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