蒼の季 向夏-09.想い
洞窟の入口にいたフェンたちの姿がない。
咄嗟に感覚を深める。
感覚だけの暗闇に、鮮明に浮かび上がる気配を追いかける。
フウの風の余韻が、レパがいた小さな森の方へ続いている。
森とは反対、それほど離れていない場所に、フェンとアウリスがいる。
2頭は寄り添い、じっとしている。
森へ向かって駆けて行くのは、レイランとリズだ。
感覚を森の方へ広げると、風を裂くように突き進むフウを感じた。
その先に、人の気配がある。
「森の方だ。かなり距離がある、アウリスたちを呼ぼう」
ユアンの足に光が集まった。
靴で地面を鳴らすと、伝わる振動が霊素を揺らす。
アウリスがそれに反応して、走り始めたのを感じる。
フェンも後を追っている。
手を繋いだままのリシェは、ずっと身を固くしている。
伝わってくるのは、不安と……戸惑いだろうか。
リシェは感情の起伏が激しい方ではない。
湧き上がる感情に、頭が追い付かないのはよく分かる。
大人びていても、まだ19だ。
握っていた手に、もう片方の手を添える。
「一緒に、行けますか?」
顔を上げて頷く彼女の瞳は、不安を抱えたまま前を向いた。
強い意思だ。
アウリスが戻って来た。
不安げな様子は、ユアンを見つけて落ち着いた。
「リシェは俺と一緒に乗ろう。フェン、ルティナを頼むぞ」
フェンはいつもと変わらない様子で、小さく鼻を鳴らした。
フェンに跨って、森へと駆ける。
まったく振動のないフェンの背中で、ひたすら感覚を研ぎ続ける。
フウは止まっている。
レイランはまだその手前を走っている。
近付くにつれて、そこにいる人の空気が読み取れる。
この少し粘り気のあるどろっとした感覚は、まだ覚えている。
タヤの森、黄養があった場所で感じた人の気配だ。
数人の感情が重なるようで、はっきりとは分からない。
怯え、欺瞞、焦り、自責……そして、不快感――。
鼓動が重く打ち、身体中に響いた。
これは、レパの側で感じたのと同じだ。
心から、黒く冷たい何かが染み出すのを感じる。
深く、息を吸った。
身体の中心に、美しい白銀を集める。
吞まれない。
心は、自分の中にある。
空を貫く乾いた感触が、ようやく辿り着いた森の入口まで届いた。
銃声とは違う。
音はほとんどしなかった。
その感触だけが、身体を通り過ぎた。
内側全部を撫でつけられ、胃の下側がぞわっと沸き立つ。
直感で理解したのは、それが何かを壊すものだということだ。
身体が前に揺れた。
フェンの足が一瞬止まりかけ、態勢を整えて走る。
前だけを見つめるフェンは、この先にあるものを感じている。
アウリスは動じる様子もなく、力強く地面を蹴り続ける。
リシェの緊張が跳ね上がったのが、離れていても分かる。
ユアンはしっかりとリシェを抱えて、速度を上げた。
フェンの翼に、淡い緑の印が浮かぶ。
全身が風に包まれ、滑るように前へ進む。
フェンを避けるように風が分かれ、不思議と静かだった。
遠くに、レイランの姿が見えた。
近くの木陰から、リズがゆっくりとレイランの方へ歩いて行く。
その先に立っているのは、尾をなびかせて前を見据えるフウだ。
足元には、黒い小さな影が身を寄せていた。
奥底から溢れてきたのは、安堵だった。
チノワも、フウも、レイランも、リズも、皆無事だ。
ユアンの指笛が響いた。
その音にレイランが振り返る。
フウは耳だけをこちらに向け、視線は前から外さない。
ゆらりと動かした尾が、大丈夫だと伝えている気がした。
手前でリシェを降ろし、ユアンがレイランの元へ走って行く。
ルティナも、アウリスの近くでフェンから降りた。
リシェはその場から動かない。
そっと手を握ると、自分と同じ、心からの安堵が流れ込んできた。
彼女の瞳は潤み、それが零れないように少しだけ上を向く。
リシェの手を引いて、フウの元へ向かう。
フウの視線の先には、5人の人がいた。
怯え切った目で、全員が地面にへたり込んでフウを見ている。
誰も傷付いているようには見えない。
一番手前で、フウに恐怖と憎悪が混じった視線を向ける男が目に付いた。
その男の前には、長い筒の魔銃が投げ出されている。
周りの景色からは、そこであったことの半分も想像できなかった。
5人の奥には、深い穴が掘られているのが見える。
散乱している石や岩から、破壊されたものなのは分かる。
その付近の木々が数本、根元付近からへし折られ倒れている。
おそらく彼らが、地面を破壊しながら木をどかそうとしたのだろう。
穴の周りには、採掘用の道具がある。
しかし、それらが全て、見事なまでに真っ二つになっている。
荷車も、中身の鉱石が散らばった箱も、何かしらの魔道具も。
へし折られた木とは対照的な、乱れのない切り口で2つに分かれている。
「レイラン、拘束は?」
「陣を展開してあります。動けば発動します」
「応援は呼んだ?」
「先ほどグライフェルを飛ばしました」
レイランとユアンは5人の前に立ち、話を始めた。
ルティナがフウの背に触れると、フウは逆立てていた毛を収めた。
こちらを向いたフウの瞳は、まだ淡い光を残していた。
フウはルティナに尾を巻きつけ、頭を寄せる。
その柔らかさで、自分の身体の強張りを理解した。
足の力が一気に抜けて、その場に座り込んでしまった。
今になって、鼓動が速くなる。
目の奥で脈打つのを感じる。
フウの首に手を回して、力いっぱい抱きしめた。
「ルティナ様、フウが――」
話しながらこちらに近付いてくるレイランに向かって、後ろにいたリシェが動いたのが分かった。
ルティナの横を駆け抜け、レイランの胸に飛び込んだ。
レイランの足が止まる。
「そんなに怖かったか? 待っていれば良かったのに……」
レイランの様子は、普段と全く変わらない。
ユアンと目を合わせて、微妙な表情になったのは言うまでもない。
「心配だっただけ……」
「リシェにはそんなに頼りなく見えているんだな」
レイランは、顔をうずめたまま動かないリシェの頭を撫でる。
感情が溢れているリシェの素直さが愛おしく、思わず微笑む。
彼女がずっと心配していたのは、レイランだったはずだ。
「フウが、全部終わらせていましたよ」
リシェに胸を貸したまま、フウに目をやる。
「わたしが着いたときには、もうあの状態でした。魔銃の音にはヒヤッとしましたが、その後のフウの魔法は圧巻でした……あまりの鋭さに身が竦みました」
「人にけがはさせていませんか?」
「はい、全員無傷です」
その言葉にほっとした。
人を傷付けた魔獣は、例外はあれどあまり良いことにはならない。
「ですが……」
レイランの視線がフウの足に向いた。
足元のチノワが、フウの前足をしきりに舐めている。
足首に嵌めた石飾りのすぐ上に、血が滲んでいるのが見えた。
傷口は浅いかすり傷だが、魔素の残滓が見える。
「魔銃……」
「治癒師に診てもらいましょう。応援で呼んだ兵士の中にもいるはずです」
「……治してしまって良いのですか?」
レイランは一度言葉を止めた。
「魔素の残滓を写すまで、傷を負わせたままにするのは可哀想ですから」
フウ自身は気にしている様子はない。
だが、傷が浅いと言っても足だ。
フウのことを考えるなら、治してもらうに越したことはない。
「見せて」
リシェが、レイランから離れフウの前に座る。
目元には、まだ涙の跡が残っている。
傷を確認するように、リシェはフウの足に触れる。
「これくらいなら、治せる」
「リシェは……治癒魔法が使えるのですか?」
「ううん、これは……治癒魔法じゃない。血の力……」
リシェが巡りを強くする。
周りの魔素が黄褐色に色付き始める。
「石飾りにも傷が入ってる。これも、直すね」
理解が出来ないまま、ルティナはリシェの手元を見つめた。
黄褐色に染まった魔素が、ふわふわと漂いながら、フウの足と石飾りに集まる。
魔素は漂っているだけのように視える。
石飾りに吸い込まれていく魔素、傷口に触れては離れる魔素、今まで視たことのない動き方だ。
魔素が触れると、その部分が魔素の色に染まり、すぐに消える。
リシェは、魔素に任せるように見守っているだけだ。
フウはただじっとしている。
魔素の色が徐々に薄くなり、銀鼠へと色を戻した。
リシェは目を開けた。
「終わったよ」
血が滲んだ毛色はそのままだが、確かに傷はなくなっている。
石飾りも、どこにも傷なんて見当たらない。
驚いたのは、傷口にあった魔素の残滓がそのまま残っていることだった。
魔法ではないと言った意味が分かる。
「不思議な……魔素の動きでした……」
リシェはルティナの手を取った。
「記憶の力……って、母さんは言ってた。物の記憶、生き物の記憶、そういうのを、魔素と共に思い出す力だって。……母さんは、リンネっていう獣人族なの」
「……リシェから感じる特別な力は、それを受け継いだのですね」
「獣人との混血って、珍しいから。あまり知られないようにしてる」
「そうなのですか……」
「獣人とヒトの間に子供ができること自体が稀。この耳も、多分その影響だと思う」
確かに、混血はあまり聞いたことがない。
身体の構造が異なる者同士には、子供が出来にくい。
魔獣でも、人でも、それは同じなのだろう。
その奇跡の証が、身体のどこかに現れることがあるのかもしれない。
「でも、耳からではないけど、もっと深い音を聞ける。それで充分」
微笑むリシェからは、偽りのない、自分自身への愛情が伝わってくる。
この子は、すべてに同じく愛情を持っている。
とても強く、優しい子だ。
「あまり、使うことのない力だけど……ルティナとフウの為になったなら、嬉しい」
「自分には効かないのですか?」
「自分に……だけじゃなくて、人には効かない。人の記憶って……物や他の生き物に比べて、すごく曖昧で淡い気がする……この力で呼び起こすのは、頭にあるものじゃなくて、もっと深い所に刻まれた……種としての根源に近いものなんだと思う」
言葉には表せないが、なんとなく理解ができた。
その人、その魔獣の個体の記憶ではなく、種としての記憶。
魔素と共に思い出す、という表現から考えると、魔素がそれを覚えているとも取れる。
「ありがとう、リシェ。フウの……記憶を戻してくれて」
リシェはただ穏やかに笑んだ。
ありのままの自然のような、純粋で素直なリシェを、心底美しいと思った。
しばらくすると、王都から数人の兵士が駆け付けた。
乗って来た馬車は、普段見かけるものとは違っている。
兵士たちは敬礼をしたあと、拘束された5人を馬車へと乗せた。
外からかける鍵も魔道具のようだった。
頑丈に作られた馬車はとても重そうで、がっしりとした牛型に近い魔獣が2頭で引いている。
その場に残っていた魔銃や魔道具は、魔封箱に入れて回収された。
これから現場の調査が始められるようで、馬車だけ先に王都へ戻って行った。
レイランとユアンは、現場の兵士に引き継ぎを済ませたようだ。
「お待たせ、洞窟に戻ろう」
リシェは、レイランと一緒にリズに乗った。
フウの背中には、チノワが座っている。
その姿は可愛過ぎたが、さすがに無理ではないだろうか。
フウが走ったら、振り落とされてしまいそうだ。
ルティナはチノワを抱き上げて、フェンに跨った。
洞窟は、思ったよりも近かった。
あれだけ遠く感じたのは、それだけ緊張していたのだと、今更実感が湧く。
洞窟の階段を降りて行くと、街の入口にドトムの姿が見えた。
隣には、石の上に腰を下ろすバドゥもいる。
あれからずっと待っていたのだろう。
レイランを見つけると、全力で走って来る。
その後ろから、ひと回り小さな男の子が、頼りない足取りでついてくる。
立ち止まったドトムの後ろに隠れて、こちらの様子を伺っている。
「ただいま」
「チノワは見つかった?!」
ドトムの声に応えるように、チノワはルティナの手からするりと降りた。
「チノワ!」
チノワはドトムに向かってふわっと飛び上がり、腕の中に納まった。
顔を真っ赤にして抱きしめる。
足元にいる小さな男の子に見せるように、ドトムは膝を付いた。
その子はドトムそっくりに笑い、頭を撫で回す。
チノワは、されるがままに身を任せる。
むしろ、チノワがその2人をあやしているようだ。
「レイラン、ありがとう! ほんとに、ありがとう!」
レイランは姿勢を低くして、ドトムの後ろに隠れる男の子に目を合わせた。
「初めまして、レイランだ。ドトムの弟か?」
「うん」
ドトムのズボンを掴んで、顔を半分だけ出している。
まんまるの頬は落ちそうにふっくらして、うっすら赤みが差している。
ドトムをそのまま5才幼くしたら、きっとこうなると想像できる。
「名前を聞いてもいいか?」
「ニドム」
「ニドムか、良い名前だ」
レイランがぽんぽんと頭を撫でると、ぱぁっと花が咲くように笑う。
可愛い……
ドワーフの幼子は、なんというか、丸くて可愛いのだ。
「ニドムも一緒に探してたのか?」
「うん」
「頑張ったな。疲れていると思うから、しばらく休ませてやってくれ」
「うん!」
ニドムは振り返って、街の奥の方へ歩き出す。
その後ろを追いかけるように、チノワがついていく。
てけてけと身体を揺らしながら歩く後ろ姿は、どこまでも愛らしい。
その姿を見送って、バドゥが立ち上がった。
「また、世話になったな」
「いえ、チノワに感謝しています。採掘していた者を捉えることが出来ました」
バドゥは、ユアンに視線を移す。
「お前さんは、初めてだな。世話になったな」
「ユアンと申します」
丁寧に頭を下げるのを見て、レイランがユアンの隣に下がった。
「ユアン……お前も……いや、何でもない。助けられてばかりというのは好かん。何か欲しいものがあったら言ってくれ。3人ともだ」
3人で顔を見合わせる。
欲しい物と言われても、特に思いつかない。
「お気持ちだけで充分です。助けたのも、捉えたのもフウなので。我々は何もしておりません」
ユアンの答えに、レイランも続いて頷いた。
「今回のことだけではない。思ってくれたことに、儂らの気持ちで返すだけだ。ヒトはせっかちでいかん。今すぐでなくてもいい。儂が生きている間は儂が、いなければ他の者が引き継ぐ。思いついたときに言ってくれればいい」
「バドゥ爺さまは何でも作れるよ! 剣だって、飾り物だって、なんでもすごいんだから!」
ドトムは自分のことのように自慢げだ。
「ははっ。ドトムも作れるのか?」
「僕はまだ……でも、いつか作れるようになるよ!」
「じゃあ、わたしはいつか、ドトムに作ってもらうことにするよ」
レイランのこういうところは、本当に素敵だ。
ドトムの瞳を、一瞬でこんなにも輝かせた。
「ユアン、だったか。お前さんはまだ身体が変わりそうだ。落ち着いたら、一度訪ねて来い」
「……そのときは、よろしくお願いいたします」
「お嬢さんも一緒にな」
「必ず」
バドゥは、ルティナへと視線をずらしてから目を伏せた。
表情は見えなかったが、感じる空気は穏やかだった。
バドゥの心に、彼らの思いは届いたのだと思う。
レイランとユアンが、異種族と打ち解けられる理由は、理解しようと寄り添うからだと思っていた。
でも、それは違うのかもしれない。
彼らは最初から、相手が誰であろうと区別しないだけだ。
子供も大人も、ドリアードもドワーフも、人も魔獣も。
自分に対してもそうだ。
そんな彼らに出会えたのが、何よりも幸せだったと思う。
こうやって、王都で普通に過ごせているのは、彼らと一緒だからだ。
彼らといる日々は心地よい。
もちろん、森が恋しいと思うこともある。
それでも……
出来るだけ永く、彼らと過ごしたいと望む自分も、確かにいるのだ。




