蒼の季 向夏-08.地の声
アウリスに乗って朝の平原を歩く。
青い空には、濃い灰色をした雲の塊が所々に浮いている。
機嫌の悪い青空は、雨の気配をちらつかせながら、陽射しは通してくれている。
身体はもう充分に回復していると思う。
それでも、病み上がりだと言われると、返す言葉が見つからなかった。
置いていかれると思ったフェンは不満げだったが、一緒に行けるとわかってからはご機嫌で、それ以上は抗議してくれなかった。
よく眠れたからか、ユアンは昨日よりも澄んでいる。
身体から溢れる気素の感触は、陽射しよりも柔らかだ。
霊核は、もう彼自身としてすっかり馴染んでいる。
畑に着くと、茶の木の間で3人が話しているのが見えた。
ショウの畑は、見違えるほどだった。
畑の土を入れ替えたのは正解だったようで、土の温度も徐々に上がってきている。
「お嬢さん! 土を半分くらい入れ替えたんだけど、良くなったろう?」
張りがある声が、畑の真ん中から飛んできた。
ルティナと揃いの麦わら帽子を被ったショウは、顔が影になって表情が見えない。
それでも、声色だけで充分に伝わった。
「ルティナ様、お元気になられたようで安心いたしました」
レイランはマントを付けず襟元を緩め、すっかり畑仕事の姿だ。
「はい、ご心配おかけしました」
彼は後ろにいるユアンの様子を確認して、安心したように作業に戻った。
その奥では、イアムが独り言のように呟き続けている。
紙に図を描きながら、計算を重ねているようだ。
ひとしきり上を向いて考えたあと、その紙をレイランに渡した。
「イアム様、先日はお時間を作っていただいたのに伺えず、申し訳ありませんでした」
「お気になさらず。身体が何より大切ですから。ミオルが酷く心配していたので、時間が空いたら顔を見せてあげて下さい」
ミオルの心配する姿も、会いに行って叱られるのも想像できる。
イアムに浮かんでいる微かな笑みは、何かを思い出しているようだったが、なんとなく聞くのはやめておいた。
「何か魔法を使うのですか?」
「ルティナ殿にはご説明できていませんでしたね」
イアムは、腰に付けていた淡い青色の魔導石を手に取った。
「問題なのは魔素の濃さではなく、畑の土に魔素が定着してしまっていること。魔素はどこにでもありますが、通常は自然に流れていきます。流れずに留まっている魔素があるせいで、他から流れて来る魔素と合わさって濃度が高くなる」
「確かに、巡っていれば問題は起こっていない……」
「定着した魔素だけを剥がす方法は、今のところ見つかっていません。浄化も効果が薄いです。だったら、魔素を使ってしまうのが一番早いと思いました」
なるほど。
結局は魔素だ。
魔法でその魔素を消費してしまおうということだ。
「ちょうど、水の影響を受けている魔素なので、水の魔法であれば反応が良い。畑に害にならず、むしろ役に立つように。ウィランが構築した農業用の土魔法を組みなおしました。一度水に変換してから、水肥にします。ショウさんも水肥を使うそうなので、成分的にも問題ないと思います」
「素晴らしいです。わたしには思いつきませんでした」
「運がよかっただけですよ。ウィランが最近農業に熱心なようで、おかしな魔法が山とできていました。その中にちょうど使えそうなものがありましたので」
魔法というのは、どこまでも人の暮らしに馴染むものなのだと感心してしまう。
ルティナにとって、魔法と言えば戦闘と治癒だった。
古の時代にあった魔術とは、こうやって使われたのかもしれない。
人の想像を、“創造”するための術。
たくさんの可能性に胸が躍らない研究者はいないはずだ。
イアムも以前会ったときより、いくらか早口になっている。
淡々としているが、きっとイアムもウィランと同じ側だろう。
「それにしても……茶というのは繊細なのですね。周りの畑も同じような状態なのに、誰も気にしている様子がないのです」
「お茶だから……というわけではないと思います。ショウさんだから、気付かれたのだと……」
レイランと話しているショウを眺め、なるほど、というように頷いた。
「では、やってしまいましょう。ルティナ殿、畑の外から土に定着している魔素が見えますか? 私はここから動けませんので、見えるなら、無くなったときに教えていただきたいのですが」
「この範囲を一気にやるのですか?」
「ええ、その方が早そうなので」
「……そう……ですか」
畑としてはそんなに大きくはないと言っても、端から端までようやく見えるかどうかだ。
この範囲をひとりでやれるというのは……普通のことなのだろうか。
今までの魔法の知識で考えると、相当遠くまで自身の魔素を運べるということだ。
思わずイアムをまじまじと見つめてしまった。
それをどう捉えたのか、イアムは説明を付け足した。
「今回は、魔素がすでに水に近い状態なので、私自身の魔素の消費は多くないのです」
「あ、いえ……イアム様は魔素の制御がお得意なのだと思っただけです」
「ああ、そちらですか。……そうですね……魔素とは仲が良い方だと思います」
仲が良い。
この人もまた、違った意味で面白い人だ。
その表現がイアムから出てくるとは思わなかった。
あっけらかんと言った彼に、親近感が湧いた。
「ふふっ わかりました。では、外から畑全体を見ております」
「合図は俺が指笛でするよ」
イアムは頷いて、レイランの方へと歩いて行った。
茶畑よりも一段高い位置に上り、全体を見下ろす。
畑には淡い水色の魔素が、土を覆うように留まっている。
ユアンが手を上げて、準備完了の合図を送る。
畑の中央に、イアムだけがぽつんと立っている。
レイランとショウは、畑の端に移動してイアムを見守る。
イアムが集中し始めたのが分かる。
身体の下に、彼の身長ほどはありそうな丸い陣が組み上がる。
その陣から光が立ち、畑の四隅に向かって藍色の魔素が進んでいく。
そこには、あらかじめ陣が刻まれた魔導石が置かれ、イアムの魔素が届くと連動するように小さな陣が浮き上がった。
イアムを中心に、畑全体を淡い藍色が包み込む。
陣はすべて左にゆっくりと回る。
左に回るということは、浄化魔法の一種なのだろうか。
土に留まっていた魔素が徐々に溶けていく。
そこで水が湧き出して染みていくように、畑の土が水を含み、その範囲がどんどん広がる。
畑に水が行き渡ると、陣の回転が徐々に速度を落としてく。
陣の色も、わずかに淡くなったような気がする。
不思議な光景だ。
茶の木が囁き合うように、互いに振動を返している。
小さな小さな森のようだ。
畑の土を覆っていた水の魔素が無くなったところで、ユアンに合図を送ってもらう。
よく通る指笛が、畑を越えて響いた。
イアムの足元の陣が光を落とすと、四隅の陣も止まったようだ。
「相変わらず器用だなぁ」
「途中から……違う魔法になっていたような気がしたのですが……」
「俺も水の陣は詳しくないけど、最初は水に変換する基本的な魔法で、それに浄化っぽい効果が足された気がした。あれが水肥に変化させる魔法なんじゃないかな」
陣はずっと展開されていた。
自分の魔素で陣を描くなら、途中から足すことも可能ということだろうか。
「途中から変えるって……普通の人はやらないと思うけどね」
ユアンは呆れたように笑う。
その笑みには、イアムへの尊敬が含まれているのを感じる。
「ユアン様、嬉しそうですね」
「だって面白いだろ? 俺、昔から大好きなんだよなぁ。誰よりもあまのじゃくで、自分ではそう思ってない感じがさ」
「アルデニアは、本当に個性的な方が多いですね」
「今は特にそうかも。兄上がそういうの大好きだからね、普通なら止められることをもっとやれって言うから、どんどん自由になっていくんだ」
「なるほど……素晴らしいです」
畑に戻ると、ショウが座り込んで土の奥まで手を差し入れていた。
聞かなくても分かる。
彼から伝わってくるのは、心からの安堵と感謝だった。
「ショウさん……良かったですね」
ショウの隣に屈んで土に触れると、あの芯から冷える感覚はなくなっている。
目尻が下がり切った横顔は、ただ土を慈しむようだ。
「うんうん、陽射しが楽しみだよ。あとは待つだけで大丈夫かな……?」
「ここからは、普段のショウさんのやり方で良いと思います。馴染むのにしばらくかかりますが……蒼の季中には元に戻るはずです」
立ち上がったショウは、麦わら帽子を胸の前に抱えてこちらに向き直る。
土にまみれた両手を見た途端、目の奥がじんわりと熱くなる。
「皆さん、本当に、ありがとう。こんなに大変な、手間のかかることをしてもらって……何もお返しが出来ないのが心苦しいが……」
「農業魔法の研究に、ご協力いただけて助かりました。美味しいお茶を楽しみにしています」
イアムの答えは、きっと本心なのだと思った。
レイランとユアンが、その言葉に薄い笑みを浮かべていた。
「ショウさんのお茶は、王城や兵舎でも好評だと聞きました。これで安定して作れるようになるなら、それで充分です」
「そうかい、それは良かった。夏までには作れるようになって、たくさん飲んで欲しいよ」
お茶が、アルデニアで普通に飲まれるようになるなんて、想像できなかった。
それはショウも同じだろう。
「ショウさん、これから忙しくなりそうですね」
「お嬢さん、ありがとう。また遊びに来てよ。シノがね、会いたがってうるさいんだ」
「近いうちに、必ず伺います」
ショウはずっと、零れ落ちるほど笑っていた。
作業を終えて、イアムは王都へ戻った。
後ろ姿はどこか楽しそうで、疲れなど微塵もなかった。
畑から平原に降りたところで、ユアンがアウリスを止めた。
「レイランはこれからどうするんだ?」
「ドワーフの洞窟に行くつもりです」
商家の件は、まだ調査が続いている。
決定的な証拠がなく、現状は動けないということらしい。
あれ以来、洞窟では何も起きていないのだろうか。
ちらっとユアンを見上げると、予想されていたようで、しっかりと目が合った。
「行きたい?」
「お邪魔でなければ……」
「俺もドワーフの街に行ってみたいし、一緒について行こうか」
ユアンとの会話が、以前よりも自然に進むようになった。
希望を言葉にするだけで、こんなにも変わる。
今までは、言葉の行ったり来たりが倍以上続いていた。
「レイラン、構わないか?」
「もちろんです。ユアン様にも、バドゥ殿に会っていただきたいです」
レイランの空気が切り替わっていた。
畑のときとまるで違う。
いつの間にかマントを肩に掛け、襟元もきっちりと整えている。
紛れもなく王都の騎士だ。
ユアンも、アウリスまでもが引き締まった。
2人は、この商家の問題をこのままにする気はないのだ。
「じゃあ、行こう」
アウリスに合図をすると、力強く地面を蹴って走り出す。
蹄が大地を踏みしめる感触は、フェンと違ってずっしりと重い。
後ろにいるフェンとフウも、アウリスを追って駆け出した。
ふと、レパのことが浮かんだ。
ドワーフの洞窟は、レパを送った森に近い。
思わず、ユアンに掴まる手が彼のマントを握った。
ルティナを支えているユアンの手にも、わずかに力が込められた気がした。
洞窟の入口でフェンたちを待たせて、ドワーフの街へ繋がる道を降りていく。
なんだろう、身体がざわざわする。
洞窟全体から感じる振動が、首のあたりをざらりと撫でる。
「ちょっと様子が違います」
レイランの足が速くなる。
胸騒ぎとは違う。
嫌な感触に心が逸る。
隣を歩くフウも、何かを感じているのか、耳を立ててしきりに動かす。
「ドトム!」
階段を駆け下りるレイランの声が、洞窟に響いた。
走って行くレイランを追いかけると、街の奥に見慣れた姿があった。
ひと際大きな炉の前には、ドトムとバドゥ、そしてリシェがいた。
「レイラン!」
レイランの姿を目にすると、ドトムは今にも泣き出しそうな顔で走って来る。
「チノワがいなくなっちゃったんだ!」
言い切らないうちに、レイランの足にしがみついた。
感情を爆発させる子ではなかった。
今のドトムは、不安と心配で押し潰されそうだ。
「ドトム、落ち着け」
レイランが膝を付き、ドトムの両肩を抑えた。
ドトムは眉を八の字にして、ぐっと堪えるように顎を引く。
「いついなくなった?」
レイランの声は落ち着いている。
でも、背中から感じるのはもっと激しい感情だ。
「朝まではいつもの場所……この前の鉱脈のところに寝てたんだけど。気付いたらいなくて、水場にも、この洞窟の中は探したんだけどどこにも……」
「外に出て行ったんじゃないのか?」
「行かないよ! チノワはこの洞窟から出たことなんて一度もない」
ドトムの隣に立つリシェの手を取ると、彼女も不安そうにこちらを振り返った。
「洞窟が……騒がしい気がするのですが……」
「うん、少し前に来たんだけど、そのときからずっとそう」
「リシェには何か感じますか?」
「……この中には、変な音は聞こえない。でも、外の方が気になった」
「外ですか?」
「うん、いつもと違うってこと以外は……分からないけど」
リシェは声を小さくしてうつむく。
ユアンが感覚を広げるのが伝わって来た。
振り返ると、目を閉じたユアンを包む黄金色が、まばゆく光る。
その圧は、今までになく強い力で広がっていく。
一体どこまで拾えるようになっているのだろう。
「地輪は、大地の巡りの変化を感じ取って、自分の居場所を決める」
バドゥは分厚い大きな手で、ドトムの頭に手を置く。
「もしかすると、それをどこかで感じたのかもしれん」
バドゥの声も、絞り出すように重い。
洞窟からチノワがいなくなるのは、よっぽどのことなのだ。
レイランがリシェの肩に手を置く。
「変だと感じたのは、どっちの方か分かるか?」
「場所っていうか、地面」
レイランの空気が、鋭く肌に刺さった。
きっと、思い浮かべたのは同じことだろう。
「ドトム、わたしたちが探しに行ってみるから、ここで待っていてくれ」
ドトムの瞳からは、言いたいことが手に取るように伝わる。
でも、それを言わせないレイランの空気を感じたようだった。
ぐっと顎を引いたまま、ドトムは小さく頷いた。
我慢している。
バドゥの服に顔を押し付けて、裾を握りしめる小さな背中にあるのは、自分への悔しさだ。
それはほぼ同時だった。
ユアンが目を開けた――瞬間、風が駆け抜けた。
フウは土を蹴り、尾をなびかせ宙に舞った。
風に毛を膨らませ、風が走るのと同じ速度で、外へ向かって駆け出した。
「俺たちも行こう」
ユアンとレイランが足早に歩き出す。
足が勝手に動いた。
フウが行ったのだ。
追いかける以外なかった。
その手を握ったのはリシェだった。
止められるかと思ったら、彼女も一緒に走り出す。
気付いたユアンが速度を緩め、小さな声でレイランに伝えた。
「かなり離れているけど、人がいる。5人だ」
背中を冷たいものがなぞった。
その声が、すべてを表しているようだった。
レイランが駆け出した。
離れていく背中を見るリシェの手に、力が込められた。
全身から溢れ出す彼女の不安が、ルティナを冷静にしてくれた。
リシェはとても素直だ。
「大丈夫です。フウもレイラン様も、とても強いです」
「……うん」
その言葉は、自分の為のように耳から返って来る。
前を歩くユアンの背中越しに、外の光が見えた。
やけに遠く感じる光を見つめ、少し冷えたリシェの手を強く握り返した。




