序章-09.文化の違い
突然投げられた言葉に、思わず立ち上がってしまう。
仕事以外で、あまり誰かと関わることのない毎日だった。
父と2人の生活で、こういう言葉を言われることはなかったし、正しい返し方が分からない。
驚きと気恥ずかしさで、しどろもどろになりながら、必死に話題をかえる。
「ち、父はとても作法にうるさい人だったので、わたしもよく叱られたのですよ?作り手としては、料理が美味しいのか気になるので、口に入れて直ぐに感想を求めてしまったり、食べる様子をまじまじと見てしまって……父によく、無理に言わせようとするものではない、相手が言わないのであれば、その様子を見守り、感じ取り、心に留めおけと」
焦って早口になり、目が泳いでしまう。
それを自覚すると余計に恥ずかしい。
レイランは特に気にする様子もなく、何か考えるように言葉を続ける。
「感想が気になるのは当然のことだと思います。アルデニアでは、感想を口にしないのは、逆に失礼だと言われます。相手の心遣いや技術、装いなどを細かく褒める習慣があるというか、むしろそれが礼儀だと考えるというか」
「素晴らしいと思います」
「ですが、すべての人に賛辞を述べようと思えるわけではありません。褒める要素のない相手にも、同じように何か言わねばならないのです。褒める言葉が出てこないところを無理矢理捻りだすのは……正直大変です」
「それは……たしかに難しそうですね……」
褒める要素のない相手、と言われる人を想像すると少し気の毒だが、実際にそういう人はいる。
そんな相手を褒めようとしても、自分なら言葉に詰まってしまう。
考え方の違いというのは、本当に面白いものだ。
「以前、そういう言葉が出ない相手に黙っていたら、あとから酷く叱られました。褒める要素などいくらでもあるだろうと。見つからないときは髪型や瞳の色、持ち物でもいいから褒めろと……」
「なるほど……、つぶさに観察する訓練が必要なのですね」
飲みかけて吹きだしそうになるのを、寸でのところで押しとどめたようだ。
苦しそうに咳き込むレイランに、絞った薄布を差し出す。
布で口元を抑えたあと、押しとどめた笑いを吐き出した。
「たしかに、あれは訓練かもしれません」
「そこまで相手を褒めようとするのは、とても興味深いです。たしかに、褒められて嫌な気持ちになる人は少ないですし、素敵な文化だと思います」
「少しいきすぎな気もしますが」
「逆にわたしは、父に叱られたときに、美味しいなら美味しいと素直に言えばいいのに、と。言わないことに何の意味があるのかと、少し面倒に感じました」
父は、そういうところにとても厳しかった。
普段はとても穏やかで優しい父だったが、礼儀や所作に関してはよく注意をされたものだ。
「なるほど、そういう考え方も出来ますね……。でも、汲んでもらえるというのは、相手が自分を気にかけてくれるように感じて心地よいものです。ルティナ様からはそういう心遣いを多く感じて、とても過ごしやすいです」
「面白いですね……。レイラン様のまっすぐな言葉に、最初は少し戸惑ったというか……くすぐったい感じがしたのですが、言葉として伝えられると嬉しいものなのです」
汲み取る、感じ取る、という受け取ることに重きをおくのが、父が大切にしていた考え方だ。
それが間違いなく自分の中心にあり、あたりまえだった。
アルデニアは、言葉にすることに重きを置く、伝える文化なのだろう。
この国で育ったはずなのに、まったく知らなかった。
色々なことが頭を過った。
今まで関わった人、施術した相手の言葉や態度。
聞いてもらえず、理解されず、それを受け入れて、自分たちが伝えることを諦めたこと。
それは、本当に、そうするしかなかったのか。
頭で理解しても、心が追い付かないのは、その価値観で積み重ねた時間の重さだ。
そう簡単に埋められるものではない。
ルティナは父の背中を思い出していた。
少し間をおいて、先に口を開いたのはレイランだ。
「伝えることと、汲み取ること。同じことなのだと、今、正しく理解した気がします」
正しく。本当にそう思う。
「わたしも、同じことを考えていました。そして、自分に対して、思うところもあります。少し恥ずかしさもあり、どうしようもないという気持ちもあり……」
「恥ずかしいことなど、どこにあったのかと思ってしまいますが……」
「……わたしと父は、聞いてもらえず、理解されないなら仕方がないと、伝えることを諦めました」
「それこそ、文化の違いではないですか。あなたは押し付けることをしない、相手を尊重して受け入れたというだけだと思います」
ルティナは視線を落としたまま、少し考えた。
その言葉を受け止めようとするが、胸の前でひっかかり、落ちてこない。
「……そうでしょうか。ただの傲慢のように感じます」
レイランの声が、わずかに強くなる。
「今日、少しですが一緒に過ごし、話をした中で、わたしは傲慢さなど欠片も感じません」
空気が刺さるような感触がした。
口調が強くなったレイランからは、今までにない強い感情が漏れている。
悔しさと怒り、その鋭さに、身体が引いてしまう。
小さく息を吸い、声を整える。
「あの、申し訳ありません……」
「あなたが謝る必要など、どこにもありません。わたしはあなたの話を聞かなかった者達に対して、怒りを感じたくらいです。あなたは伝えようとしたのに、聞かなかったのは相手ではないですか」
ルティナは首がわずかに傾いた。その感情の向きに驚いてしまう。
レイランの怒りは自分よりも、知らない誰かに向いているのだ。
「レイラン様が怒ることではないと思うのですが……」
「それは分かっていますが、それでも思ってしまうのです。そして、ルティナ様にも少し怒っていますよ。なぜそんな風に考えるのかと、もどかしくなります。あなたはもう少し、自分自身を気遣うべきだと思います」
この人は、ルティナの為に、ルティナに対して怒っているのだ。
心配し、守ろうとして責めている。
なんとも不思議だ。支離滅裂だ。
考えれば考えるほど、嬉しさと可笑しさが交互に出てくる。
「ふふっ」
「笑うところではありません」
「そうですね。でも嬉しいのです」
「嬉しいではなく、そうして下さい」
「気を付けます、できる限りは」
「できない前提では困ります」
「できるように、努めてみます」
ルティナは、できる限り良い笑顔で、にっこりと笑った。
食器を片付けながら、取り留めのない話をした。
レイランは手伝うと言ってくれたが、さすがにお願いできず、丁重にお断りした。
今日の食事はとても口に合ったようで、味や盛り付け、器や飲み物についてまで、丁寧に褒めてくれた。
料理も父に教わりながら、ルティナが手を加えていたので、アルデニアとは調理法や味付けが違うのかもしれない。
そんなに口に合ったのなら、また是非振舞いたい。
片付け終わり、お茶を用意する。
今日の甘味は、リンベリーのはちみつ漬けにする。
一口大の鮮やかな紅色の実は、程よい甘さと酸味で、作業の合間のおやつにも食べやすい。
1年中常備している、ルティナの好物だ。
集い間の長椅子に案内し、後茶を勧める。
「お茶をどうぞ。甘い物は召し上がれますか?父はあまり食べなかったのですが」
「あまり口にはしませんが、嫌いなわけではないので頂きたいです」
甘い物をそれほど好まないのなら、はちみつ漬けでは重すぎるかもしれない。
レイランにはリンベリーを干したものと、素焼きの木の実を用意した。
レイランの斜め向かいに腰を下ろす。
ゆったりとした長椅子に座るレイランは、美しく背筋を伸ばしている。
「美味い……」
こぼれた声は、程よく落ち着いている。
食事をして、たくさん話し、お互いに緊張がほどけた。
ルティナも、頭と心の整理を手伝ってもらったように思う。
色々とあり過ぎた今日、ようやく自分に戻ってこられた。
「レイラン様、どうぞ身体を緩めてください。その方がお茶も染みますから」
「お気遣いありがとうございます」
窓の外は、陽が少し動き、木々の影が伸び始める頃だ。
フェンとリズは並んで座っている。いつの間にか仲良くなったようだ。
毛色も雰囲気も対照的な2頭だが、うつらうつらする姿はそっくりだ。
「リズの脚のことをお話しするために、わたしのことを少しだけ聞いてください」
リズを見ていたレイランは、視線を整えて頷く。
この話をする自分を、父はどう思うだろうか。
父はもういない。何かあっても、自分で自分を守るしかない。
不安がない訳ではない。
でも、自分たちが考えるよりも、さほど気にされないかもしれない。
相手がどう思うかは、考えたところで分からないのだ。
ルティナは静かに話し始める。
「わたしは、生命の力を視ることができます」
「見る……」
「そして、それを扱うことができます」
レイランは黙ったまま、その瞳には、疑いも、戸惑いすら感じない。
そのままを受け取ってくれている。そう思える。
「それは濃度の差はありますが、どこにでもあります。そして、少し性質が異なりますが、生物の体内にも存在します。体内を流れる川のように、絶えず巡り続けています」
「わたしにも、ですか……?」
「もちろんです」
レイランは組み合わせていた両手を離し、見つめながら軽く握る。
「普通は、それを自身で感じることはありません。体を流れる血を感じられないのと同じように、そこに在ることを認識できないと思います」
言葉をひとつひとつ拾い上げるように、分からぬものを分からぬまま受け入れようとしてくれるこの人は、とても強く優しい人だ。
「在ることを認識できなくても、それが途切れたり、弱くなったり、偏ったりすると身体に不調が現れます。目に見えず、感じられなくても、それは確かに身体にあり、人が生きるということに密接に関係しています。むしろ生きることそのもののような存在だと言ってもいいかもしれません」
レイランはただ静かに、自分の手をみつめている。
「リズの脚は、その体内の川が完全に途切れていました。その川は、血管のように物質として存在するわけではないので、けがをしてすぐに途切れることはありません。治癒が間に合えば、また自然に元に戻ることも多いと思います。わたしは経過を見ていないので、確実なことは分かりかねますが……何らかの理由があって、完全に途切れてしまったのだと思います」
見つめていた手から視線を上げ、口を開く。
「それは、治癒魔法では治らないのですか?」
「治癒魔法は、身体の物質的な部分は修復できます。解毒も感染も、原因となるものが物質として存在します。ですが、わたしが扱うものは触れることができないもの、そこにあっても存在する次元が違うものなのです。治癒魔法では治せません」
ルティナは静かに、だがはっきりと言い切った。
絶対に無理なのだ。
「リズ自身ではないわたしには想像しかできませんが、おそらくは自分の脚が、別の何かに置き換わったように感じていたと思います。感覚は鈍くなり、思うように動かせず、それがなぜなのか分からない。そんな状態だったのではないかと、思います」
「それを、治してくださったのですね」
「できる限り、元に戻すよう施術しました。川を作り直し、繋げ、もとの流れに戻るように。ただ、すぐに途切れることがないのと同じで、すぐに完全に元には戻りません。安定するまでひと月ほどかかるかと。これはお願いになりますが、できれば、週に1度……最初の内は出来るだけ頻度を高く診せて頂きたいのです。ある程度固まれば、あとは自然に戻っていくと思いますので……お手数なんですが……」
ルティナは声が小さくなる。
施術のあと、症状が改善すると、何度も施術を受けてくれる人はとても少ない。
途中でやめてしまって、中途半端になった患者も多くいる。
特に今回は脚だ。乱れが残ると悪化してしまうかもしれない。
「わかりました。毎日参ります」
「毎日……ではなくても、3日に1度ほどでも構いませんが……」
「いえ、心配ですし、休暇中ですので、特に予定もありません。あ、もしルティナ様にご予定があれば、その日は控えます」
レイランはあたりまえだと言わんばかりの表情だ。
だが、正直なところ、診せてもらえるならありがたい。
魔獣が相手の施術は、フェン以外ほとんど経験がない。
しかも、脚は動かさないようにすることも難しい上に、人のように言葉で伝えることもできない。
「では、お言葉に甘えて……わたしの学びのために、ご協力いただければ助かります」
「それは違います。こちらが診て下さいとお願いする立場です。ルティナ様にはそういう部分をご理解頂く必要がありそうなので、これからはきちんと申し上げます」
前に踏み出しそうな勢いのレイランに、腰をずらしてしまう。
緊張がほぐれたせいか、慣れたせいなのか、押しが強くなってきている気がする。
「それから、報酬もきちんとお支払いするつもりです。きっちりと、ご提示ください」
「それは結構です。魔獣を相手に報酬を求めるつもりはありませんし、リズに頼まれたわけではありませんので」
「なにをおっしゃっているのか分かりません。わたしがリズの飼い主です。わたしがリズの代わりにお支払いするのは当然のことです」
「いえ、レイラン様にも頼まれた覚えはありませんので、結構です」
穏やかなで柔和な雰囲気とは裏腹に、レイランは頑固なのかもしれない。
絶対に譲らない線が、自分の中にあるのだ。
だからと言って、それをそのまま受け取れるわけではない。
ルティナは落としどころを考え、ふと思いついた。
「レイラン様、実はこれからしばらく、リズに飲んでもらいたい薬があります。体内の巡りを活性化し、調えるものです。わたしは薬草師ですから、報酬はお薬代として頂戴したいと思います」
良い落としどころではないだろうか。
何も受け取らないというのは、きっとあちらも収まらないだろう。
形だけでも受け取れば――
「ルティナ様、薬代も、もちろんお支払い致します。良い具合に理由をつけられた、と、顔に書いてありますよ」
しっかり見透かされてしまった……。
実際、自分の施術が魔獣にとってどうなのかは不安だ。
人とは違う反応が出る可能性もゼロではない。
それを確認させてもらえるだけでも、ありがたいことなのだ。
とはいえ、これを伝えても、納得してはもらえないだろう。
「では、リズの脚が完全に回復した時に、成功報酬として受け取るというのではいかがでしょうか」
「……その際には、必ず受け取って頂けるのですね?」
「それは、もちろんです……」
「先にご提示頂いても?」
レイランは本当に手ごわい相手だ、と。ルティナは心の中で苦笑いをする。
「レイラン様はリシアの街にご滞在でしょうか?」
「そうです、王都に戻るまでは滞在するつもりです」
「では、市場で風鈴果という果物を10個ほど、お願いできますか?あれは森では採れないのですが、フェンの好物なのです」
「は?」
「あれをあげる時のフェンがとても可愛くて、ちょうどこれからが旬なので、食べさせてあげたいのです」
しばらく止まって、ため息をつきながら、承知しましたと静かに言ったレイランの顔には、“もう何を言っても無駄だ”と書いてあるように思えた。




