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精霊の往く先  作者: 流留架
序章
8/23

序章-08.食事の作法

 レイランに支えられながら、長椅子に戻ってきた。


 身体は重く、頭がふわふわする。

 体力をすべて使い切って、完全にからっぽだ。

 目の前は揺れるし、吐き気もする。


 それでも、心はとても清々しかった。


「ルティナ様、本当に大丈夫ですか?」


 どうしたらいいのか分からないのだろう。

 心配しながら、焦って、困って、戸惑っている。

 取り乱した様子のレイランを見ると申し訳なくなる。


「ご心配なさらず、体力を使い切っただけです。少し休めば戻ります。本当に大丈夫ですから」

「何か出来ることがあれば、遠慮せず言ってください」


 さすがに少し気が引けるが、心配するレイランの様子に、素直に甘えさせて貰った。


「……お水を取ってきて頂けますか?入ってすぐの保冷棚にあるので。コップも2つ、近くにかかっていると思います」


 戸口の方に目をやって、より一層困った顔になっている。

 何かを言いかけて口をつぐみ、目を伏せて、また戸口を見る。


 くるくる変わる表情を見て、その様子が小動物のように思えてしまう。

 レイランの慌てる様子は、とても新鮮だ。


「家の中に入って頂くことになるので、大変申し訳ないのですが……」

「いえ……その、失礼でなければ、すぐに取ってきます」


 レイランは扉が閉まらないように留め、ガラス瓶と陶器のコップを手に戻ってくる。

 手渡されたコップの水を一気に飲み干すと、冷えた水が身体の中を通る道筋がくっきりと伝わる。

 喉がからからだったことに、今更気付いた。


 レイランも同じように、喉を鳴らしながら飲み干していた。


「はぁ、ありがとうございました。生き返りました」


 冷えた水のお陰で、少し落ち着いてきた。

 朝の採取から、息つく暇のない怒涛の流れで、食事も休憩も取らないまま施術をしたのだ。

 むしろ良くもったと思う。

 こんなに後先考えない行動を取る自分に、新鮮な驚きがある。

 今日は不思議な日だ。


「ルティナ様、申し訳ありませんでした。水を取りに行くまで、お食事の前に長々と付き合わせてしまっていたことに、まったく気付いておりませんでした……」

「お気になさらないで下さい。自分が思うよりも体力がなかっただけです」

「リズを思って、ご無理をなさったことくらいは分かります……」



 ルティナは、この先何があっても。

 今日のことで、自分とこの人を責めることはないだろう。


「レイラン様、リズの脚ですが……」


 ルティナは言いかけ、ふと思い立って少し考える。


「言いにくいことであれば、無理に話さなくても大丈夫です。何も見ていませんが、“勝手に”治ってしまうという不思議なこともあります」


 幸せそうに微笑む視線の先には、フェンとじゃれ合うリズがいた。


 リズはひたすらに静かな子だと思った。

 実際ここに来てからも、必要以上に動こうとしないし、感情の揺れも少なかった。

 フェンを見慣れているせいもあって、それに少しだけ違和感があった。

 もとの特性も、性格もある。でも、感情だってきっとあるのだ。

 

 少なくとも、今フェンと遊んでいるリズは楽しそうに見える。

 あれだけ完全に途切れていれば、敏感な子には苦痛でしかなかっただろう。

 自分の脚が、何か別のものに感じるほどの違和感だと思う。

 少なくとも人であれば、心が病んでしまってもおかしくない重度の症状だ。

 それを今まで耐えて来られたのは、レイランがいたからだと思う。



 ふと、リズがこちらに目を向け、静かに歩いてくる。

 まだ少しぎこちなさはあるが、今までよりも軽やかに足を運んでいる。


 リズはルティナの前で足を止め、コップを持ったままの左手を見つめている。

 深く考えず、コップを置いて、左手を差し出した。


 リズはその手に鼻先を乗せる。


 ――――。


「え……?」


 頭の中に直接、“理解”だけが流れ込んでくる。

 言葉ではない。音でもない。

 その感覚の意味が“感謝”なのだと、ただ分かってしまう。

 

 湧き上がって溢れだす感情が、目の奥から込み上げて、粒になってこぼれ落ちる。

 ルティナは右手で胸を抑えた。

 名前の付けられない何かが、息苦しいくらいに溢れてくる。

 嬉しいのか、幸せなのか、喜びなのか。

 そのすべてを集めたものが、感動というものかもしれない。


 レイランは戸惑うようにこちらを見ている。


 おそらくこれは、ルティナの力ではない。それなら、レイランにも伝えられるはずだ。


 リズは同じように、レイランの手の甲に鼻先で触れる。

 その一瞬、リズの角が青白く光った。


「う、あ……」


 レイランは、止まったまま動かない。

 そして、目の端から一粒、涙がこぼれた。



 声にする言葉が見つからないまま、しばらく音だけを聞いていた。

 今日あったことを思い出すと、考えたいこと、試したいことが次々と並んでいく。

 これだけのことがあったのに、まだ半日しか経っていない。

 時間というのは、実は曖昧で希薄な存在なのではないか……

 整理がつかない頭は、ときどき意味のないことを考え始める。


 まだ、混乱している最中ということだ。


「レイラン様、お話を続けてもよろしいでしょうか?」

「……はい、大丈夫です。落ち着きました」


 おそらく、2人共大丈夫ではない。

 大丈夫ではないことを理解するところまで、やっとたどり着いたところだ。


「リズとレイラン様のこれからのことを考えると、リズの脚について、きちんとお伝えした方がいいと思っています。ですが、さきほどのわたしのお願いで、聞くことが負担になるようなら控えます。お願いを撤回出来ないことを、どうかご理解いただければ……」

「構いません。聞かせて下さい」


 迷いの欠片もなく、レイランは即答した。

 ルティナは少しうつむき、顔をあげる。


「ただ、少し説明に時間がかかりそうなので……失礼でなければ、食事をしながらでもよろしいでしょうか?簡単なものしかご用意できませんが」


 言葉にしてから、もしやと思い口をつぐんだ。

 レイランは庶民ではないだろう。

 初対面の人間、しかも手作りの食べ物を簡単に口に出来るとは考えにくい。


「あ、あの、もしご予定があるようでしたら、無理にとは言いません。この辺りには食事を出す店がありませんので、また日を改めてでも……。あ、でも、王都にお戻りになる日数に余裕がなければ……」

「いえ、予定などは特にありませんし、こちらには休暇としてきておりますので、王都に戻るのもまだ先です。そうではなく、そこまでお手間を取らせるのは申し訳なく……」

「作るのは1人分も2人分も手間は変わりませんが、その……わたしが普段食べるものなので、お口に合うかは……わかりません」

「ご迷惑でなければ、是非ご馳走になりたいです。実は腹の虫がうるさくて困っておりました」


 ルティナは小さく笑って、家の中へと案内した。



「準備しますので、こちらで少しお待ち下さい」


 レイランを蔓編みの長椅子へ案内する。

 火床で手を洗ってもらうのは気が引けて、製薬用の浄化水に浸した布を、軽く絞って手渡した。


 食事の準備を続けようとしたところで、外のフェンが騒ぎ始める。

 そろそろお腹が空く時間だ。


「申し訳ありません、うるさくしそうなので、先にご飯をあげてきます」


 外に行こうとすると、レイランが立ち上がって戸口の前に立つ。


「では、それはわたしにやらせてください。できれば……」

「もちろん、リズにもあげて下さい。フェンが騒いでいるところに、全て揃っていますので。リズの好物があればよいのですが」

「お心遣い感謝いたします。お任せください」


 うやうやしくお辞儀をする姿が、もうまったくかしこまって見えない。

 

 火床にある保冷棚から、作り置いてあるピクルスを小皿に盛り、細串を刺す。

 今の時期は、タケノメとナバ菜、丸ねぎが美味しい。

 今朝採ってきたタランの芽と茎ネギも、後で漬けておこう。


 窓の外に視線を向けると、フェンがレイランの後ろにぴたりと張り付き、無言の圧を出している。

 そばで待っているリズも、だいぶお腹が空いているのだろう。フェンよりもリズの方が落ち着かない様子だ。リズも案外食いしん坊かもしれない。

 2頭に急かされるレイランは大変そうだ。

 

 父の酒棚からフィトラを取り、半透明のグラスに注ぐ。

 ほのかに甘い果実酒をひとさじ加え、冷えた泡水でグラスを満たし、最後にミントの葉を1枚。

 食事の前の1杯に、父が好んでいた飲み方だ。

 作るのは久しぶりだが、手が覚えているのが嬉しい。 


 戻ってきたレイランの前に、ピクルスとグラスを並べると、微かに瞳が輝いた。

 さっきの2頭と同じ瞳に、吹きだしそうになるのをなんとか堪える。


「とりあえず先にこれだけ。召し上がりながらお待ちください」


 レイランがグラスを持ち上げるのを見届けて、ルティナは火床に戻る。

 作りかけで火から下ろした小鍋を温めながら、丸芋をすりおろす。

 

 作り置いてあった蒸し鳥のハーブ漬けは、ほどよい厚さに切って、ハーブ油で軽く焼き色を付けた。

 少し大きめの平皿に盛りつけ、残った油でたれを作る。

 たっぷりの茎ネギのみじん切り、塩コショウとほんの少しの蜂蜜を加え、余熱でゆっくり火を入れる。

 

 スープは、最後に丸芋のすりおろしを乗せて、煮立つ直前に火から下ろす。

 

 パンとスープ、新しいグラスを食卓に運び、レイランに声をかけた。


「お待たせしました。もう出来上がりますので、温かいうちにどうぞ」


 焼いた鳥にほどよく火が入ったたれを乗せ、最後にレモリアをぎゅっと絞った。

 陶器の皿から立ち上る香ばしいハーブの香りは、空腹に追い打ちをかける。


 運ぼうと振り返ると、レイランは手を付けずに座っている。


「どうか……されましたか?」


 やはり口に合わないのかと不安になったが、らんらんとした目を見ると、そうではなさそうだ。

 ルティナはレイランの前に皿を並べ、向かい側の席に着く。


「わたしだけ先に頂くわけにはいきません。正直、手を出しそうになりましたが……」

「どうぞ召し上がって下さい。お口に合うとよいのですが……」


 レイランはスープを口に運び、続けて、2口、3口と手が動く。

 どうやら、大丈夫そうだ。

 ルティナも食べ始める。

 優しい味のミルクスープは、丸芋のとろみで口当たりも良く、空腹をほどよく温めてくれる。

 簡単な昼食のつもりで用意したけれど、今の身体にはちょうど良い。


「初めての味と香りです。とても美味しい……」


 ミルクスープを見つめながら、呟くように言う。

 その顔は本当に幸せそうで、心底ほっとした。


「お口に合うか心配だったので、気に入って頂けたのなら良かったです。なかなか手を付けられないので、少し不安になってしまいました」

「先に手を付けるのは、さすがに失礼かと……」

「なるほど、そういうものなのですね……」


 考えてみると、父以外の人と向き合って食事をするのは初めてだ。

 今まで気にしたことがなかったが、この国の食事の作法はどういうものなのだろう。

 礼儀作法や言葉遣い、生活習慣は、すべて父から教わったものだ。

 父と一緒に街に行くようになって、自分の家との違いに驚いたこともある。

 何か失礼があったのなら、レイランに申し訳ない。


「街で暮らしたことがないので、何か失礼があったら言ってください。既にご不快な思いをさせていたら申し訳ありません」

「え、と、特にわたしは何も感じておりませんが……」

「それならば良いのですが。わたしの父は……、東方の出なので、作法や習慣がそちらに近いのだと思います。街から離れて暮らしておりますし、アルデニアの感覚とは違うことも多いかと。父以外の人と食事をするのも初めてのことなので、少し不安に思いました」

「初めて……ですか」


 ルティナは頷く。

 慌てたような、照れたような、何とも言えない表情のレイランは、しばらく止まっている。

 そして、思い直したように口を開く。


「ここはルティナ様の家なのですから、気になさる必要はありません。むしろわたしが教えて頂きたいです。ルティナ様のお話は、すべて新鮮で興味深いものばかりですから」

「そう、ですか……」


 正直なところ、何が同じで何が違うのかもよく分からない。

 先ほどのレイランの様子だと、どうやら食事の作法は違うらしい。


「食事の作法……は違うのかも知れません。作法というほど堅苦しいものではありませんが」

「是非聞かせてください」

「我が家では、“アラ・ノト”と呼ばれる食事の作法というか、考え方があります」

「アラ・ノト……不思議な響きの言葉ですね」


 ルティナは、ハーブ鳥を勧めながら続ける。


「アラ・ノトは“巡りの卓”という意味で、食前酒から始まり、後茶で終わる流れを表す言葉です。食事を作る者が、最初に食前酒と季節の小鉢を用意します。待つ者は、それをつまみながら食事を待ちます。食前酒と小鉢は、その後の食事を楽しむために、味覚を調える意味合いもあります」

「先ほど出して頂いたものですね。確かに、口がすっきりしました」

「待つ者は、食事の声がかかるまでそれをゆっくり楽しみます。早く食べ終わり過ぎては相手を急かすことになり、遅すぎては口に合わないという意思表示になると。逆もまたしかりで、作る者も、急かさず、待たせ過ぎず、頃合いをみる。呼吸を合わせると言いますか、ちょうどよく食べ終わり、ちょうどよくお出しできるように、と教えられました」

「呼吸を合わせる……」


 空になったグラスを、ルティナは新しいものに取り替える。

 フィトラを清水で割って、レモリアの果汁をしぼったものだ。


「作る者は、出来上がったものから順に食卓に運びます。作りたてを味わって頂くのが一番美味しいですから。待つ者は温かいうちに手を付けます。作る者が一番美味しい状態で運んできたものを、その心遣いに感謝し、その時に味わう。すべての料理が運び終わったら、作る者も食卓に付き、共に食事を楽しみます。先に食べ始めた側は、食べ終わりが相手と合うように調整します」

「……」


「食事を終えたら、待つ者が作る者にお茶を淹れます。温かいお茶と一緒に、季節の果物やささやかな甘味を添えて、労いの思いを込めて後茶を返す。それを一緒に頂きながら、美味しい食事を用意してくれた者へ、美味しく食べてくれた者へ、互いに感謝し、食事の余韻を味わうのです」


 喋り終えて前をみると、レイランは出した食事をきれいに食べてくれていた。

 よほどお腹が空いていたのだろう。

 作ったものを残さず食べてもらえるのは、嬉しいものだ。


「やはり、アルデニアとは違いますか?」


 レイランは食卓を見つめている。

 

「違う、というよりも……。今のお話は、作法というよりも在り方というか。食事の、人としての在り方に近いお話のように感じて。少し、考えさせられます」

「アルデニアではどのように食事をなさるのですか?」

「わたしたちが作法と呼ぶものは、正しい所作や立ち振る舞いを求めるものです。言葉遣い、立ち方、礼の角度、食器の扱いやグラスの持ち方などを子供の頃から教えられます。心遣いや考え方というより、形や見え方を重視するといいますか……正直、そこまで深く考えておりませんでした。むしろ、堅苦しくて面倒だとすら思うこともありました」


 レイランの言わんとすることは、なんとなく伝わった。

 そして、それを恥ずかしいと思っていることも。


「……美しい所作や振る舞いは、身につけるのに多くの時間と努力が必要なものなので、それそのものが相手への敬意と心遣いの現れだと思います。作法というのは広い意味で使われる言葉ですが、アルデニアの作法もとても美しいと思います」

「美しい、ですか」


 その言葉の意味を考えるように、小さく息をつく。


「わたしたちは、心を伝える為の行いと考えますが、アルデニアは、行動で心を示すのだと感じました。結局は同じことではないですか?」


 レイランは黙ったまま、少し眩しそうな目でこちらを見ている。


「ルティナ様は、本当に美しい方です」


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