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精霊の往く先  作者: 流留架
序章
10/22

序章-10.魔獣の生態

 外の地面は陽に温められ、庭に出ると若草の匂いが上がっている。


 ひとしきり話し、どちらからともなく庭に足が向いた。

 相獣の好き度合いは、肩を並べるところだ。


 庭の長椅子に腰掛けて2頭を眺めていると、ルティナはひとつ、思い出した。

 リズのことで話したいことがあったのだ。


「レイラン様、ひとつ思い出したのですが……」


 思いっきり伸びをしていたレイランは、肩を回しながら戻ってくる。

 肩こりだろうか。肩回りは滑らかに動いているし、背中かもしれない。

 思わず()()しまいそうになり、自重する。

 これはもう職業病だ。


「リズのこと、というより、アッシュガゼルという魔獣についてなのですが……」


 これでもかというほど期待に満ちた目で見られると、なかなか喋りにくい。

 リズ好き、いや、アッシュガゼル好き、もしくは魔獣好きかもしれない。


「アッシュガゼルには特殊な能力はないと仰っていましたが、わたしにはいくつか感じることがあったので、ご意見を伺えればと思いまして……」

「それはまた、面白そうなお話ですね。是非聞かせてください」


 落ち着いた声とは裏腹に、興味津々といった顔だ。

 人には色んな一面があるものだな、とつくづく感じる一日だ。

 完璧で表情の読めない男性、穏やかで聡明な青年、誰かの為に感情を露わにし、魔獣の為に涙を見せる感受性豊かな優しい人、そして、今は好奇心旺盛な子供のように可愛らしい。

 すべて含めてこの人だと思うと、人とは本当に難解な生き物だと思う。


「まず最初に、気配を薄めるような能力がありそうだと思いました」

「気配を薄める……隠蔽魔法ようなものでしょうか」

「隠蔽とは少し違うかもしれません。隠すというより、気配を消すに近いと思います」

「気配を消す……」


 口の辺りに手をやり、眉間に寄せて、目が揺ら揺らと動く。

 王都でよく見かけるということは、それなりに理解されている魔獣だと思っていた。

 思ったよりも歴史の浅い種なのかもしれない。


 話し続けていいのか迷い、レイランの思考が巡り切るまで待つことにした。


「ルティナ様、実は今日不思議なことがあったのです」


 栗色の瞳はリズをするりと通り過ぎ、何かを思い出すように空へ向く。


「フェンと一緒に森の入口へ向かったとき……あ、そのときの話をしていませんでしたね。フェンはとても頼もしくて、かっこよかったですよ」

「フェンが何かしたのですか?」


 心がそわっとする。愛するフェンの武勇伝だ、ときめかないわけがない。

 今度は、自分の顔が子供のようになっていそうだ。


「風のような速度で駆け抜けました。エルドポニーはこんなに速く走るのかと驚きましたよ。鞍も手綱もなかったので振り落とされないか冷や冷やしましたが、驚くほど揺れも振動もなく、まるで地面を滑っているようでした」


 思い出しながら語るその顔は、恋する誰かを想うように、表情がほどけている。

 よほど気持ちが良かったのだろう。

 あのとき、フェンは力を使っていた。あれを見たのは2度目だ。

 

「あれをするのは滅多にないので、本能的に、急がなければいけないと思ったのでしょうね」

「あれをする……?本能……思った……」


 レイランは、きょとんとした顔をしている。


「ルティナ様、わたしはエルドポニーに馴染みがなく……あれがエルドポニーの駆け足ではないのですか?」

「いいえ、エルドポニーはあんなに速く走れませんよ?あれが普通だったら、荷運びや馬車ではなく、それこそ急ぎの伝達や騎士団の伝令なんかに使われたんじゃないでしょうか」

「それは、たしかにそうですね……」

「エルドポニーは羽で浮力を生みますから、それを応用して、身体を浮かせるように走るのでないかと思います」

「浮かせるように走る……。エルドポニーには能力が複数あるということでしょうか?」


 投げかけられる質問に、少し不安になった。

 自分が魔獣の生態として理解していることが、アルデニアでは知られていないのかもしれない。

 話すことによるアルデニアへの影響、魔獣が人から受ける扱いが変わってしまわないか。

 色々なことが頭を巡る。


 父が頑なに人と距離を取り、隠れるように暮らしていたのは、こういう理由もあったのかもしれない。

 父がいかに深く広い知識を持っていたのかを、改めて痛感する。


「あの、何と言えばいいのか……」

「いえ、申し訳ありません。無理なく話せることだけで構いません」


 レイランはその様子を見て、何かを察し、引いてくれた。


 この人が相手でなかったら、自分は今どうなっているだろう。

 話していいのか、控えるべきなのかの線引きが全然分からない。

 レイラン相手にあまりそういうことをしたくはないが、少し言葉を考えるべきだ。


「フェンがとにかく急がなければと思って、本気を出したんだと思います。ただ、それをすることは滅多にありません。わたしも見たのは今回で2度目です」

「そんなに稀なことを……フェンには感謝せねばなりませんね」


 あのときのフェンの行動には、ルティナも驚いた。

 普段からは考えられないからこそ、不安に感じたのだ。

 

「森の入口でリズを探したのですが、全然見つからなかったのです。周囲を少し走りましたが、見当たらず。森に入ったのか、街に戻ったのか、と考えていたら、フェンがわたしを降ろしました」

「降ろす?」

「背中を揺らしたり、身震いをしたりして、意思表示していたように思います。そしてフェンは少しわたしから離れて、しばらくするとリズが出てきて」


 フェンはリズの気配に気付いていた。

 あのときフェンから流れ込んできた映像は、リズのものだろう。

 フェンはリズに気遣ったのかもしれない。


「でも、あまりにも近くから出てきたように思えます。なぜ気付かなかったのか不思議なほどでした。それが、気配を消す能力なのだとすれば、納得しかないです」

「ではやはり、そういう特性はあるのかもしませんね」


 確かめる方法を考えそうになって、我に返る。

 悪い癖だ。また脱線するところだった。

 検証の方法を考える前に、まずはアッシュガゼルの生態を把握するのが先だ。

 

「ルティナ様は、魔獣の専門家……ではないですよね?」

「……?薬草師です」

「それは、そうですね……」


 ため息交じりのつぶやきのあと、ルティナと虚空を交互に見る。

 困ったような顔も気になるが、今はとにかく、アッシュガゼルの話をしたい。

 うずうずするのを我慢して、レイランを見守る。


「レイラン様、あの、続けても?」

「もちろんです」

「次に、さっきのリズが見せてくれた伝達です。あの手に触れる瞬間に、リズの角が青白く光りました」

「角が……。それは、わたしには見えないものですね?」


 小さく頷きを返す。


「あれは意思を持ったリズの行動だと思います。あれが、リズの本気です」

「稀にしか見られない、本気……」

「そして、本気の能力が伝達だとするなら、通常時の基礎になる能力は、意図感応のようなものだと思います」


 押し黙ったまま、食い入る様にルティナを見つめる。


「わたしがリズの脚を治療しようとしたとき、レイラン様はリズを立たたせようとしていたと思います。でも、リズはレイラン様が立ち上がろうとした瞬間に行動していました。意思を汲み取るという行為の延長だとも考えられますが、その精度が非常に高く、ほとんど時間差がないものだと思います」


 レイランは動かない。


 知らないことを知るのが楽しい、少なくともレイランはそういう人だと思う。

 それなら、すべてを卓の上に並べて考える方が見えてきやすいものだ。

 情報や気付きを持っている側が止めるのは、勿体ないと思ってしまう。

 

「そして、それは察知能力に含まれるものではないかと思うのです。アッシュガゼルは危険察知の能力が高いとおっしゃいましたが、危険だけではなく察知する能力そのものが高いとすると、その中に人も含まれる。そこから少し膨らませて、リズの気配を消す能力と、毛色が灰色である理由を考えると、思い当たるのが夜行性、もしくは夜にある程度適応できる可能性が浮かびました」

「夜行性……あるかもしれません」

「なにか思い当たることがありますか?」

「夜にリズを走らせることはありませんが、あまり夜に眠らないのです。それに、夜食べることも多い」


 ルティナは鳥肌が立った。


 夜に食べるというなら、間違いなく夜に高い適性を持つはずだ。

 ひとつひとつが組み上がっていくのが楽しくて仕方がない。


「リズは、月と馴染む身体をしています。昼にも行動できるが、夜の方が動きやすいかもしれません。あと、夜行性なら夜目が効くはずです。確認はしやすいかもしれません。性格的にも戦闘に不向きなのなら、身を守る、逃げる、身を隠す、ということが必要になります。そのために、夜行性、俊敏さ、気配を消し、察知する。美しく繋がります」


 あまりにも美しい生態だと、ルティナは深く感動する。

 高揚しているのがありありと分かる。


 ルティナは研究が好きだ。

 その対象が、植物と魔獣、自然界に偏っているのは、ルティナの血と育った環境だろう。


「わたしは、リズのことを、何も理解していなかったのですね」


 レイランの声は、沈むように低く落ちる。

 その声に乗った落胆と悲愴は深く、とても重く、今にも崩れてしまいそうに思えた。

 彼なら自分を責めても仕方がないが、それはまったく違う。


「レイラン様、それは違います」


 ルティナは立ち上がって、レイランの前に回る。


「生態はその種を知るための大切な要素ではありますが、すべてではありません。リズは野生ではありません。人と共に生きる子です。生き物は環境に順応して生きるのです」

「……」

「種を理解することは、リズを理解することに役立つかもしれませんが、種を理解しても、リズを理解したことにはなりません。個性があります。好きな食べ物、好きな遊び、好きな人、積み上げた時間や信頼はこのことで否定されません」


 ルティナは座っているレイランの前で、姿勢を低くする。


「理解は相互にあります、そして、理解は深めるものです。間違いなく、あなたは世界で一番、リズの大切な人です」


 レイランは、うつむいたまま動かない。


 

 声をかけようとして、口つぐんだ。

 ルティナはゆっくりその場を離れ、庭を歩く。

 フェンはひとしきり眠って、元気になったようだ。

 フェンを撫でている視界の端で、リズが立ち上がったのが見えた。


 フェンと一緒に庭を歩き、森の音を聞く。

 風もなく、しんという音が聞こえそうに、今日の森は静かだ。



 

 フェンの身体に寄り掛かって、ぼんやりと木々を眺めていた。


「あ……」


 ルティナは唐突に思い出した。

 今朝採ってきた採取物が……まだ放置しっぱなしだ。


 急に頭が冷え、現実に引き戻される。

 陽が落ちるまで、もうそんなに時間がない。

 採取袋のある戸口の方を振り返ると、長椅子に腰掛けたレイランにリズが寄り添っている。


 あの2人は大丈夫だろう。



 採取袋を覗き込み、急ぎの物を確認する。

 こんな日に限って、明日に回せるものがほとんどない。


 水見苔は最優先、樹液はそのあと。

 チラン草とアオノネを乾燥棚へ。

 竜の目は保温棚、ホノシズクは新芽は乾燥棚で球根は保冷棚。


 頭と手を忙しく動かしていると、後ろから声をかけられた。


「ルティナ様、大丈夫ですか?」


 斜め上から覗き込むようにこちらを見るレイランは、まだ表情が硬い。

 慌てた様子を見て、心配してくれたのだろう。

 心底申し訳なく思いつつ、でもそれどころではなかった。


「大丈夫です、今朝採取したものをまだ片付けていなかっただけなので、お気になさらず」


 保管庫に運び入れようと布にくるむと、手を差し出された。


「お手伝いします、出来ることがあれば……ですが」


 目元で柔らかく笑う彼は、無理をしていないだろうか。


「あの、でも……」

「何かしている方が落ち着くのです」


 その気持ちもよく分かる。

 本音を言えばとてもありがたい申し出だ。


「では……、ここにあるものを保管庫に運び入れたいので、お願いします」

「お任せください」


 採取物の袋を2つ、食材の詰まった籠、採取用具の鞄まで、ひょいと持ち上げた。

 ルティナが持っているのは、水見苔の包みだけだ。


 呆気にとられて見ていると、『こちらですか?』とだけ言い、スタスタと歩いて行く。

 慌てて追いかけて扉を開ける。

 中央にある机の上に置いてもらい、中身を出して並べる。

 これは……、なかなかやりがいがありそうな量だ。



 レイランに手伝って貰い、なんとかすべての作業を終えたのは、外が夕焼けに染まる頃だった。

 手先が器用なのか、一度やって見せるとすぐに覚え、黙々と作業をしてくれた。

 こんなことをお願いして良いのかと、作業中に何度か声をかけたが、案外性に合っているらしい。

 1人でやっていたら確実に夜までかかる量だったので、とても助かった。

 

「ありがとうございました、大変助かりました」


 家の中に戻り、温かいお茶を用意して、ひと息ついて貰うことにした。


「いえ、とても楽しかったです。保管庫にあった植物や道具も、大変興味深かったです」


 レイランはひと口お茶を含むと、不思議そうに湯呑をみた。


「先ほどのものとは違う香りがします」

「よくお分かりになりますね。先ほどの後茶はカンロウ茶と言いまして、消化を助けて巡りをよくするお茶です。今お出ししたのは、新芽を摘んで頂いたホノシズクのお茶で、疲労を和らげる効果があります」


 ホノシズクの新芽で淹れるお茶は、ほのかに甘い香りが立つ。

 管理が難しいが、1年寝かせると円くなり美味しくなるのだ。


「色々な効果のお茶があるのですね……」

「父がよく、“茶は妙薬”と言っておりました。効果も様々で、体調に合わせて飲み続けると、身体の調子を崩しにくくなるのです。我が家には季節にもよりますが、約20種類ほどの茶葉があるんです」


 レイランは目を丸くした。

 香りを確かめ、もうひと口と口をつける。


「このお茶、とても好きです。香りも後味も優しいです」

「それは良かったです。これはミルクで出しても美味しいんです。機会があればお出しますね」


 穏やかな表情に戻っているのを見て、ルティナはほっとした。


 アッシュガゼルのことを話したのは、単に自分の探求心を満たしたかっただけなのではないか。

 レイランを苦しめない他の方法はなかったのか。

 知って欲しかったのは事実だ。でもその裏に、“自分のため”はなかったと言い切れるだろうか。


 保管庫での作業中、ずっと頭の中でこのことを考え続けていた。

 伝えて謝罪するなど、それこそ自分勝手だ。

 

 これは、自分で抱えて問い続けるしかない、小さな自分の欠片のようなものだ。



「ルティナ様、今度、お茶の淹れ方を教えて頂けませんか?」


 レイランの瞳はまっすぐで、もう揺れは感じない。


「もちろんです。おすすめの茶葉も用意しておきますね」


 ふんわりと笑うレイランの髪は、夕陽に照らされて一層美しい。

 目を伏せ、ひと呼吸おいてから、レイランは口を開く。


「今日、ルティナ様に会って、わたしの世界が円くなりました。前だけしか見えていなかった世界に、上も、下も、後ろもあると。そして――見えないものもまた、確かに世界なのだと。一日中、休む間もなく、衝撃ばかりでした。あなたに出会えたことに、感謝しかありません」

「それはわたしも同じです」


 心からそう思った。

 出会わなかったら知らなかったこと、気付けなかったことばかりだ。


「わたしは今日、薬草師を探しに来ました。ですが、正直なところ、まったく期待していませんでした。王都の治癒師でも治せないものを、薬草師が治せるはずがないと」


 レイランは視線をあげ、前を見る。

 その瞳は、吸い込まれそうに澄んでいた。


「しかし、待っていた薬草師は、聡明で思慮深く、人の身体と心の痛みを分かって下さる、信じられないほど美しい方でした。今日の日をあなたと過ごし、あなたを知った今、わたしは何が何でも、あなたに診て頂きたいと思っています」 


 ルティナは背筋が伸びた。

 向けられる信頼を、受け止められる自分でありたい。

 ここに立てるのは、もう自分だけなのだ。


「その信頼を心に置き、お応えできるよう尽くさせて頂きます」


 ルティナは静かに、その瞳を見つめ返した。


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