序章-11.報告
リズに乗って、暗闇を駆ける。
靴のくるぶしに埋め込んだ光の魔導石は、足元をわずかに照らす。
リズの周りにあるのは、この小さな灯りだけだ。
街へ向かう街灯は淡く、道しるべ程度の役割しかない。
見えるのは、間隔をあけて続くその光だけだった。
リズの背中から伝わる感触に、もう違和感はない。
足音は小さく、息遣いも聞こえない。
地面のくぼみを避け、石を飛び越え、跳ねるように軽やかに駆ける。
走ることを喜んでいるように、速度は上がる。
不思議と、怖さはなかった。
リズが走るなら大丈夫なのだろう。
闇を縫って進む感覚は、驚くほど心地よい。
この心地よさを、リズも感じているのだろうか。
街に着き、門の前でリズから降りる。
門の前に立つ衛兵の片方が、機敏な動きで近付いてくる。
「失礼、ご用向きをお伺いいたします」
「戻りが遅くなりました。この街に滞在している者です」
衛兵の硬い視線が、レイランの頭から足先までを通る。
腰の剣に目をやると、衛兵は顎を引き姿勢を正した。
「失礼しました、お通り下さい」
レイランはリズを引いたまま、まだ明るさの残る市場通りへ急ぐ。
開いている店はまばらで、青果を扱うような店は閉まっているようだ。
通りの一番奥、広場へ続く道の角に、片づけ途中の果物店を見つけた。
通りに背を向けて作業をしている店主に声をかける。
「失礼、ひとつ伺いたい」
「あいよ!」
小気味良い返事で振り向いた店主は、いかにも人の良さそうな顔で笑う。
「風鈴果は扱っているだろうか?」
「今日はもうなくなっちまったが、明日の朝にはまた入るよ。今の時期は美味いよ!」
「そうか、では明日の朝に買いに来る」
「あいよ! いくつだい?」
「15……、いや、20個は頼めるか?」
「あいよ! 待ってるよっ!」
あまりにも耳に残る店主の掛け声に、思わず笑ってしまう。
こういうことに笑う自分に、少しの違和感と驚きがあった。
街のはずれ、庭と厩がある2階建ての一軒家に、レイランたちは滞在している。
リズを厩に連れて行こうとすると、こちらに気付いたバルドが背筋を伸ばした。
普段は鎧を着ているその身体に、街着はとても窮屈そうだ。
服の下の磨かれた筋肉が、線になって浮かび上がっている。
「お帰りなさいませ、お預かりしましょう」
「あぁ、すまない。頼む」
リズの首を軽く叩くと、目を細めて蹄で地面を踏む。
まだ走りたかったようだ。
「また明日な。今度は少し遠くまで行ってみよう」
リズは小さく身震いをし、厩へと歩いて行く。
レイランはリズを見送りながら、バルドに呼びかけた。
「バルド、リズにやる果実は何かあるか?」
「森葡萄とリッカの実ならありますが」
「森葡萄を多めにやってくれ」
「……かしこまりました」
扉を開けると、セラが深々とお辞儀をしていた。
「おかえりなさいませ」
「すまない、遅くなった。ユアン様は?」
「お部屋にいらっしゃいます」
「食事は?」
「戻られたら一緒にと」
「わかった、2階に用意してくれ」
「かしこまりました」
セラに上着を預け、その足で2階へ向かう。
階段を上がりながら、今日の何を話すべきかを考える。
正直なところ、自分の中でまだ整理がついていない。
ルティナのことを考えると、彼女の口から伝えてもらった方が良いこともある。
むしろ、ほぼすべてがそうだろう。
彼女の語り口だからこそ、伝わるものがあるように思う。
情報は入れ過ぎない方がいい。
だが、最低限知っておいてもらいたいこともある。
ユアンを護るために伝えるべきこと。
ルティナを守るために伏せるべきこと。
その境界が、まだ自分の中で曖昧なままだ。
今日ほど、自分が“足りていない”と思った日はない。
判断ができないのは、理解するほどのものを持っていないからだ。
自分がユアンと同列に並べようとしている人は、たった数時間、言葉を交わしただけの人だ。
それだけの衝撃と救いがあったのだ。
ユアンの待つ扉の前で緊張することなど、今まであっただろうか。
扉を叩こうとする手が、固まって動かない。
小さく息を吐き、扉を叩こうとした瞬間―― 目の前の扉が奥に開いた。
自分より少し背の高い黄金色の髪の男は、不思議そうな顔でこちらを見ている。
「どうしたんだ?」
琥珀の瞳に、レイランはすべてを見透かされたような気がした。
この人なら、大丈夫だ。 何を話しても、話さなくても。
「いえ、遅くなり申し訳ありません。ただいま戻りました」
「おかえり、あまりに遅いから心配しそうになったよ」
おそらく、もう気付かれている。
それならば、自分の話したいこと、話せないこと、ありのまま伝えればいい。
この人はこういう人だった。
息を吐くように、小さく笑う。
それを見たユアンは、穏やかな笑顔で迎え入れる。
「中で話そう。セラには外してもらう?」
「できれば」
「わかった」
中に入ると、ユアンは窓際にある椅子に腰掛けた。
窓の外は街の灯りが散らばり、賑やかな音が聞こえそうだ。
リシアは思っていた以上に、人と物の多い街だった。
「座って話そう」
「失礼いたします」
ユアンの向かいに腰を下ろし前を向くと、何とも言えない微妙な笑顔が向けられる。
生ぬるい視線に耐えかねて、思わず口が開く。
「……何か?」
興味津々といった顔のユアンは、からかうように笑う。
「たった1日でこうも雰囲気が変わると、さすがに驚くよ」
「変わりましたか?」
「変わってないと思う?」
ユアンは口の両側を引き上げて、まっすぐにこちらを見ている。
レイランは言葉に詰まる。
自分の中に変化があった自覚はある、でも、それをうまく言葉にできないのだ。
「……まだ、上手く説明できません」
「そうだろうね。でも、俺は少し嫉妬しているよ」
「嫉妬、ですか」
「ああ、その変化をレイランに与えた“誰か”にね」
扉が叩かれ、セラが食事の用意が出来たことを伝えてくる。
「よし、じゃあ、食べながらゆっくり聞こうか」
そう言って、部屋を移動しようとするユアンの背中は、いつになく楽しそうだった。
ユアンに付いて部屋を出ると、セラが奥の扉の前で待っていた。
完璧な角度で整えられた姿勢は微動だにせず、一縷の隙も無い。
セラは、ユアンの身の回りの世話をするメイド兼護衛の1人だ。
女性としては少し高い背、細身だがよく動くその身体は、人とは思えないしなやかな動きをする。
戦っている姿は、さながら大きな猫のようだ。
鍛錬となれば、何人もの精鋭を相手に次々と膝を付かせ、息を乱すこともない。
戦い方の近いレイランはよく手合わせしてもらうが、なかなかに手ごわい。
ユアンのそばを離れて行動できるのは、セラとバルドの存在あってこそだ。
「整っております」
扉を開け中に入ると、2人分の皿が整然と並べられていた。
等間隔に置かれたナイフとフォークは美しく磨かれ、光の筋に一切の乱れがない。
その光景が、素直に嬉しい。
なぜ今まで、これが当たり前だったのか。
「ありがとう、セラ。下がってくれていいよ。2人でゆっくり話がしたい」
「かしこまりました」
向かい合わせで座り、ワインで乾杯をした。
自分には白、ユアンには赤がそれぞれ用意されている。
グラスから感じる香りと、喉を通る感触に、いつもよりも強い刺激を感じる。
「さて、まずは何を話してくれる?」
ユアンの瞳からは、からかいの色が消えている。
向こう側のユアンとの距離がやけに近く感じてしまうのは、まだ緊張が残っているせいだろうか。
レイランは、今日のことを思い返してみる。
なんとも不思議で、この身に起こっていなかったら信じがたいことばかりだ。
「ラシェル殿から伺った薬草師の家は、エンの森にありました」
「本当に見つかったのか、すごいな」
「リシアの街の者に尋ねたら、苦もなく」
ユアンは、レッドディアの肉を切り分けながら頷いている。
セラの用意した夕食は、給仕がなくても食べやすいように考えられていた。
身の回りの世話をすべてこなし、護衛としても一流。あまりにも有能だ。
セラには弱点のひとつでもあるのだろうか。
「それで、話せたのかな?」
「聞いていた薬草師本人は既に亡くなっており、代わりに、娘だという方がいらっしゃいました」
「いらっしゃいました……か。うん、続けてくれ」
その顔は、楽しんでいるというより、嬉しそうに見える。
ユアンの人を読み解く目は、信じられないほど鋭い。
その心の奥を読まれる感覚は、温度の違いはあれど、ルティナにも感じたものだ。
似ていると思った。
正反対に見えるこの2人に同じような感情を持つのは、それが原因のような気がした。
レイランにとって、ユアンは唯一の人だった。
言葉にすれば怒られるだろうが、この人のためなら命など簡単に使うだろう。
朗らかで温かく、どんなことも笑って受け止める寛容さ。
人のために自分を投げ出そうとする優しさと強さを、心底護りたいと思った。
方向の違いだ。やはり似ているのだ。
外から包まれる温かさと、内に灯る温かさ。
受け止める大きさと、受け入れる深さ。
自分の中で、何かが繋がったような気がした。
「その方は、薬草師の仕事を引き継ぎ、定期的にリシアに訪れ、引き継いだ患者を診たり薬を渡したりしていると」
「レイランから見て、どうだった?」
「どう……」
どうだったか。これがどうしても言葉にできそうにない。
人を見る目は、ユアンほどではなくてもそこそこあるつもりだ。
そして、大きく外れることもないと思う。
それでも、今日のすべてを以てしても、ルティナという人の輪郭すら捉えられていない気がした。
「その方は、とても聡明で思慮深く、薬草師としての知識はもちろん、人の身体や心、物事や世界に対する考え方がとても深い方でした」
「ぶはっ」
ユアンの口元に近付けたコップから、見事に水が吹きあがった。
横を向くのが間に合ったお陰で、セラの料理は無事のようだ。
手の甲で口を抑え、苦しそうに笑いながら咳き込んでいる。
レイランは立ち上がり、すぐにこぼれた水を拭う。
赤ワインでなかったことに感謝した。
「すまない、ちょっと予想外過ぎて止められなかった」
ユアンは、もういいよ、と言うように手で制した。
「……なにがでしょう?」
「聞き方が悪かったね。俺は、その人が診てくれそうか?って意味で聞いたんだけど」
その言葉に、逃げ出したくなるほどの恥ずかしさが噴き出した。
ユアンは、まだ肩を揺らしている。
目を伏せたまま、淡々と言葉を繋いだ。
「ユアン様に確認をせず、事後報告となってしまったことをお許し下さい。既にその旨を伝え、快く了承を頂いております」
「わかった。気にしなくていい、ご苦労だったね。ありがとう、レイラン」
やっと落ち着いたユアンは、穏やかな表情でこちらを見た。
軽く頭を下げ、目の前の料理に手を付ける。
料理は既に、少し冷え始めていた。
「じゃあ、報告はここまで。ここからは兄弟として話をしようか」
らんらんと輝いたユアンの視線に、気付かないふりをする。
レイランは黙ったまま、レッドディアを口に運ぶ。
口に入れたその肉は、ほどよい肉汁と香辛料の香りで良い味だった。
普通に美味いが、なぜだか少し違和感を覚える。
ルティナの家で出された食事は、信じられないほど美味しかった。
普通の食材で作られた素朴な料理が、今まで口にしたどんな料理よりも美味く、満たされた。
あそこはとても……、不思議な場所だ。
「それにしても、随分と高い評価だったね。俺がレイランからその評価を貰えるとは到底思えないよ。今日は何をしてたんだ?」
「昼前に家を見つけ、リズを助けてもらい、庭で座り込んで世界の話をし、リズが治り、食事をご馳走になり、食事の作法の話をし、魔獣について教えて貰い、採取した薬草の仕分けを手伝い、お茶を頂き、帰ってきました」
ユアンはきょとんとしている。
片方の眉だけが斜めになり、首を傾げた。
「うん、全然分からない……」
「わたしも、よく分かっていないんです」
「じゃあ、もっと分かりやすいことからにしよう。年はいくつくらい?」
「見た目、で言うなら、わたしとそんなに変わらないと思います」
「中身は違うってことか?」
「100年生きていると言われても納得してしまいそうです」
ユアンは、“分からない”を更に上塗りされたような顔だ。
はぐらかしている訳ではない。
どこから話せば繋がるのかがわからないのだ。
「うーん、その人は誰と暮らしてるんだ?」
「森にある家で、1人で暮らしています」
「危なくないのか?」
「特に周りに気配は感じませんでしたが、あ、騎士のようなエルドポニーがいました」
「“騎士のようなエルドポニー”の意味が分からないんだけど?」
「ははっ。でも本当にそうなのです。彼女のそばで常に周りに気を配って、姿が見えないほど離れると、常に耳をそちらに向けていました」
「エルドポニー、だよな?」
「そのエルドポニーに、わたしは今日、リズを助けられました」
レイランはその時のことを思い出しながら、つぶさに語った。
リズの怯えと、その理由として教えられたこと。
フェンとルティナの信頼関係や、その温かさも。
「……レイランの戸惑いが、わかるような気がしてきたよ」
「わたしたちの知らないことを、深く理解しているのです。そして、話を聞くとちゃんと理解してしまう」
「そうだね、リズの反応と、その理由と。矛盾を探す方が難しい」
「こういうことが、今日あの方と一緒に過ごす間、ずっと続いたのです」
今日が夢だったと言われれば、そのまま納得してしまう気さえする。
明日あの場所に行って、家がなかったとしたら、その方が現実味があるかもしれない。
「それで、リズの脚を治してもらったのか」
「……脚は治りました。森からの帰り、すごい速度で走っていました」
「……口止めでもされたのか?」
「されていません。願われただけです」
ユアンは、困った弟を見るように、目を細めて笑う。
その瞳はとても優しく、温かかった。
「その願いを叶えたいんだね」
「信頼に応えたいと思います」
「惚れたな」
「……惚れた……?」
「違うのか?」
「思いもしませんでした」
「好みじゃないってことか?」
「容姿で言うなら、とても美しい方です」
「ふーん?」
「でも何というか、頭では女性だと認識していますが、女性として接していなかったというか、そういう感情をもつ方ではないというか。こんなに美しい人が、この世界にいるのかと……この人のように在りたいとは思いましたが」
「しっかり惚れているじゃないか。その人に、心を奪われてしまったんだろう?」
「そういう意味では、ユアン様と同じくらいには心酔しているかもしれません」
ルティナに対して、欠片もそういう感情が生まれていないことに、自分でも驚く。
今まで出会った女性とは比べようもない。
庶民とは思えない、糸を引くような美しい所作に、丁寧で聞き心地の良い喋り方。
心も容姿も美しい彼女に、想いを抱かない方が不自然な気もする。
でも、それすらも納得してしまう。
「わたしは今日、2度、涙を流しました。そして、2度ともその方に救われました」
ユアンは驚いた様子で軽く目を閉じ、後ろの背もたれに身体を預けた。
「レイランの変化にも納得だ。その出会いに、心から感謝するよ」
ユアンの言葉を、レイランは誇らしく思った。




