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精霊の往く先  作者: 流留架
序章
11/23

序章-11.報告

 リズに乗って、暗闇を駆ける。


 靴のくるぶしに埋め込んだ光の魔導石は、足元をわずかに照らす。

 リズの周りにあるのは、この小さな灯りだけだ。


 街へ向かう街灯は淡く、道しるべ程度の役割しかない。

 見えるのは、間隔をあけて続くその光だけだった。


 リズの背中から伝わる感触に、もう違和感はない。

 足音は小さく、息遣いも聞こえない。

 地面のくぼみを避け、石を飛び越え、跳ねるように軽やかに駆ける。

 走ることを喜んでいるように、速度は上がる。


 不思議と、怖さはなかった。

 リズが走るなら大丈夫なのだろう。

 闇を縫って進む感覚は、驚くほど心地よい。

 この心地よさを、リズも感じているのだろうか。



 街に着き、門の前でリズから降りる。

 門の前に立つ衛兵の片方が、機敏な動きで近付いてくる。


「失礼、ご用向きをお伺いいたします」

「戻りが遅くなりました。この街に滞在している者です」


 衛兵の硬い視線が、レイランの頭から足先までを通る。

 腰の剣に目をやると、衛兵は顎を引き姿勢を正した。


「失礼しました、お通り下さい」


 レイランはリズを引いたまま、まだ明るさの残る市場通りへ急ぐ。

 開いている店はまばらで、青果を扱うような店は閉まっているようだ。


 通りの一番奥、広場へ続く道の角に、片づけ途中の果物店を見つけた。

 通りに背を向けて作業をしている店主に声をかける。


「失礼、ひとつ伺いたい」

「あいよ!」


 小気味良い返事で振り向いた店主は、いかにも人の良さそうな顔で笑う。


「風鈴果は扱っているだろうか?」

「今日はもうなくなっちまったが、明日の朝にはまた入るよ。今の時期は美味いよ!」

「そうか、では明日の朝に買いに来る」

「あいよ! いくつだい?」

「15……、いや、20個は頼めるか?」

「あいよ! 待ってるよっ!」


 あまりにも耳に残る店主の掛け声に、思わず笑ってしまう。

 こういうことに笑う自分に、少しの違和感と驚きがあった。



 街のはずれ、庭と厩がある2階建ての一軒家に、レイランたちは滞在している。

 リズを厩に連れて行こうとすると、こちらに気付いたバルドが背筋を伸ばした。

 普段は鎧を着ているその身体に、街着はとても窮屈そうだ。

 服の下の磨かれた筋肉が、線になって浮かび上がっている。


「お帰りなさいませ、お預かりしましょう」

「あぁ、すまない。頼む」


 リズの首を軽く叩くと、目を細めて蹄で地面を踏む。

 まだ走りたかったようだ。


「また明日な。今度は少し遠くまで行ってみよう」


 リズは小さく身震いをし、厩へと歩いて行く。

 レイランはリズを見送りながら、バルドに呼びかけた。


「バルド、リズにやる果実は何かあるか?」

森葡萄(もりぶどう)とリッカの実ならありますが」

「森葡萄を多めにやってくれ」

「……かしこまりました」



 扉を開けると、セラが深々とお辞儀をしていた。


「おかえりなさいませ」

「すまない、遅くなった。ユアン様は?」

「お部屋にいらっしゃいます」

「食事は?」

「戻られたら一緒にと」

「わかった、2階に用意してくれ」

「かしこまりました」


 セラに上着を預け、その足で2階へ向かう。

 階段を上がりながら、今日の何を話すべきかを考える。

 正直なところ、自分の中でまだ整理がついていない。


 ルティナのことを考えると、彼女の口から伝えてもらった方が良いこともある。

 むしろ、ほぼすべてがそうだろう。

 彼女の語り口だからこそ、伝わるものがあるように思う。


 情報は入れ過ぎない方がいい。

 だが、最低限知っておいてもらいたいこともある。


 ユアンを護るために伝えるべきこと。

 ルティナを守るために伏せるべきこと。

 その境界が、まだ自分の中で曖昧なままだ。


 今日ほど、自分が“足りていない”と思った日はない。

 判断ができないのは、理解するほどのものを持っていないからだ。


 自分がユアンと同列に並べようとしている人は、たった数時間、言葉を交わしただけの人だ。

 それだけの衝撃と救いがあったのだ。



 ユアンの待つ扉の前で緊張することなど、今まであっただろうか。

  扉を叩こうとする手が、固まって動かない。


 小さく息を吐き、扉を叩こうとした瞬間―― 目の前の扉が奥に開いた。

 自分より少し背の高い黄金色の髪の男は、不思議そうな顔でこちらを見ている。


「どうしたんだ?」


 琥珀の瞳に、レイランはすべてを見透かされたような気がした。

 この人なら、大丈夫だ。 何を話しても、話さなくても。


「いえ、遅くなり申し訳ありません。ただいま戻りました」

「おかえり、あまりに遅いから心配しそうになったよ」


 おそらく、もう気付かれている。

 それならば、自分の話したいこと、話せないこと、ありのまま伝えればいい。

 

 この人はこういう人だった。


 息を吐くように、小さく笑う。


 それを見たユアンは、穏やかな笑顔で迎え入れる。


「中で話そう。セラには外してもらう?」

「できれば」

「わかった」


 中に入ると、ユアンは窓際にある椅子に腰掛けた。


 窓の外は街の灯りが散らばり、賑やかな音が聞こえそうだ。

 リシアは思っていた以上に、人と物の多い街だった。


「座って話そう」

「失礼いたします」


 ユアンの向かいに腰を下ろし前を向くと、何とも言えない微妙な笑顔が向けられる。

 生ぬるい視線に耐えかねて、思わず口が開く。


「……何か?」


 興味津々といった顔のユアンは、からかうように笑う。


「たった1日でこうも雰囲気が変わると、さすがに驚くよ」

「変わりましたか?」

「変わってないと思う?」


 ユアンは口の両側を引き上げて、まっすぐにこちらを見ている。

 

 レイランは言葉に詰まる。

 自分の中に変化があった自覚はある、でも、それをうまく言葉にできないのだ。


「……まだ、上手く説明できません」

「そうだろうね。でも、俺は少し嫉妬しているよ」

「嫉妬、ですか」

「ああ、その変化をレイランに与えた“誰か”にね」


 扉が叩かれ、セラが食事の用意が出来たことを伝えてくる。


「よし、じゃあ、食べながらゆっくり聞こうか」


 そう言って、部屋を移動しようとするユアンの背中は、いつになく楽しそうだった。



 ユアンに付いて部屋を出ると、セラが奥の扉の前で待っていた。

 完璧な角度で整えられた姿勢は微動だにせず、一縷の隙も無い。


 セラは、ユアンの身の回りの世話をするメイド兼護衛の1人だ。

 女性としては少し高い背、細身だがよく動くその身体は、人とは思えないしなやかな動きをする。

 戦っている姿は、さながら大きな猫のようだ。

 鍛錬となれば、何人もの精鋭を相手に次々と膝を付かせ、息を乱すこともない。

 戦い方の近いレイランはよく手合わせしてもらうが、なかなかに手ごわい。

 ユアンのそばを離れて行動できるのは、セラとバルドの存在あってこそだ。


「整っております」


 扉を開け中に入ると、2人分の皿が整然と並べられていた。

 等間隔に置かれたナイフとフォークは美しく磨かれ、光の筋に一切の乱れがない。

 その光景が、素直に嬉しい。

 なぜ今まで、これが当たり前だったのか。


「ありがとう、セラ。下がってくれていいよ。2人でゆっくり話がしたい」

「かしこまりました」


 向かい合わせで座り、ワインで乾杯をした。

 自分には白、ユアンには赤がそれぞれ用意されている。

 グラスから感じる香りと、喉を通る感触に、いつもよりも強い刺激を感じる。


「さて、まずは何を話してくれる?」


 ユアンの瞳からは、からかいの色が消えている。

 向こう側のユアンとの距離がやけに近く感じてしまうのは、まだ緊張が残っているせいだろうか。


 レイランは、今日のことを思い返してみる。

 なんとも不思議で、この身に起こっていなかったら信じがたいことばかりだ。


「ラシェル殿から伺った薬草師の家は、エンの森にありました」

「本当に見つかったのか、すごいな」

「リシアの街の者に尋ねたら、苦もなく」


 ユアンは、レッドディアの肉を切り分けながら頷いている。

 セラの用意した夕食は、給仕がなくても食べやすいように考えられていた。

 身の回りの世話をすべてこなし、護衛としても一流。あまりにも有能だ。

 セラには弱点のひとつでもあるのだろうか。


「それで、話せたのかな?」

「聞いていた薬草師本人は既に亡くなっており、代わりに、娘だという方がいらっしゃいました」

「いらっしゃいました……か。うん、続けてくれ」


 その顔は、楽しんでいるというより、嬉しそうに見える。

 ユアンの人を読み解く目は、信じられないほど鋭い。

 その心の奥を読まれる感覚は、温度の違いはあれど、ルティナにも感じたものだ。


 似ていると思った。

 正反対に見えるこの2人に同じような感情を持つのは、それが原因のような気がした。


 レイランにとって、ユアンは唯一の人だった。

 言葉にすれば怒られるだろうが、この人のためなら命など簡単に使うだろう。

 朗らかで温かく、どんなことも笑って受け止める寛容さ。

 人のために自分を投げ出そうとする優しさと強さを、心底護りたいと思った。


 方向の違いだ。やはり似ているのだ。

 

 外から包まれる温かさと、内に灯る温かさ。

 受け止める大きさと、受け入れる深さ。


 自分の中で、何かが繋がったような気がした。



「その方は、薬草師の仕事を引き継ぎ、定期的にリシアに訪れ、引き継いだ患者を診たり薬を渡したりしていると」

「レイランから見て、どうだった?」

「どう……」


 どうだったか。これがどうしても言葉にできそうにない。

 人を見る目は、ユアンほどではなくてもそこそこあるつもりだ。

 そして、大きく外れることもないと思う。

 それでも、今日のすべてを以てしても、ルティナという人の輪郭すら捉えられていない気がした。


「その方は、とても聡明で思慮深く、薬草師としての知識はもちろん、人の身体や心、物事や世界に対する考え方がとても深い方でした」

「ぶはっ」


 ユアンの口元に近付けたコップから、見事に水が吹きあがった。

 横を向くのが間に合ったお陰で、セラの料理は無事のようだ。

 手の甲で口を抑え、苦しそうに笑いながら咳き込んでいる。


 レイランは立ち上がり、すぐにこぼれた水を拭う。

 赤ワインでなかったことに感謝した。


「すまない、ちょっと予想外過ぎて止められなかった」


 ユアンは、もういいよ、と言うように手で制した。


「……なにがでしょう?」

「聞き方が悪かったね。俺は、その人が診てくれそうか?って意味で聞いたんだけど」


 その言葉に、逃げ出したくなるほどの恥ずかしさが噴き出した。


 ユアンは、まだ肩を揺らしている。

 目を伏せたまま、淡々と言葉を繋いだ。


「ユアン様に確認をせず、事後報告となってしまったことをお許し下さい。既にその旨を伝え、快く了承を頂いております」

「わかった。気にしなくていい、ご苦労だったね。ありがとう、レイラン」


 やっと落ち着いたユアンは、穏やかな表情でこちらを見た。

 軽く頭を下げ、目の前の料理に手を付ける。

 料理は既に、少し冷え始めていた。


「じゃあ、報告はここまで。ここからは兄弟として話をしようか」


 らんらんと輝いたユアンの視線に、気付かないふりをする。

 レイランは黙ったまま、レッドディアを口に運ぶ。

 口に入れたその肉は、ほどよい肉汁と香辛料の香りで良い味だった。

 普通に美味いが、なぜだか少し違和感を覚える。


 ルティナの家で出された食事は、信じられないほど美味しかった。

 普通の食材で作られた素朴な料理が、今まで口にしたどんな料理よりも美味く、満たされた。

 あそこはとても……、不思議な場所だ。


「それにしても、随分と高い評価だったね。俺がレイランからその評価を貰えるとは到底思えないよ。今日は何をしてたんだ?」

「昼前に家を見つけ、リズを助けてもらい、庭で座り込んで世界の話をし、リズが治り、食事をご馳走になり、食事の作法の話をし、魔獣について教えて貰い、採取した薬草の仕分けを手伝い、お茶を頂き、帰ってきました」


 ユアンはきょとんとしている。

 片方の眉だけが斜めになり、首を傾げた。


「うん、全然分からない……」

「わたしも、よく分かっていないんです」

「じゃあ、もっと分かりやすいことからにしよう。年はいくつくらい?」

「見た目、で言うなら、わたしとそんなに変わらないと思います」

「中身は違うってことか?」

「100年生きていると言われても納得してしまいそうです」


 ユアンは、“分からない”を更に上塗りされたような顔だ。

 はぐらかしている訳ではない。

 どこから話せば繋がるのかがわからないのだ。


「うーん、その人は誰と暮らしてるんだ?」

「森にある家で、1人で暮らしています」

「危なくないのか?」

「特に周りに気配は感じませんでしたが、あ、騎士のようなエルドポニーがいました」

「“騎士のようなエルドポニー”の意味が分からないんだけど?」

「ははっ。でも本当にそうなのです。彼女のそばで常に周りに気を配って、姿が見えないほど離れると、常に耳をそちらに向けていました」

「エルドポニー、だよな?」

「そのエルドポニーに、わたしは今日、リズを助けられました」


 レイランはその時のことを思い出しながら、つぶさに語った。

 リズの怯えと、その理由として教えられたこと。

 フェンとルティナの信頼関係や、その温かさも。



「……レイランの戸惑いが、わかるような気がしてきたよ」

「わたしたちの知らないことを、深く理解しているのです。そして、話を聞くとちゃんと理解してしまう」

「そうだね、リズの反応と、その理由と。矛盾を探す方が難しい」

「こういうことが、今日あの方と一緒に過ごす間、ずっと続いたのです」


 今日が夢だったと言われれば、そのまま納得してしまう気さえする。

 明日あの場所に行って、家がなかったとしたら、その方が現実味があるかもしれない。


「それで、リズの脚を治してもらったのか」

「……脚は治りました。森からの帰り、すごい速度で走っていました」

「……口止めでもされたのか?」

「されていません。願われただけです」


 ユアンは、困った弟を見るように、目を細めて笑う。

 その瞳はとても優しく、温かかった。


「その願いを叶えたいんだね」

「信頼に応えたいと思います」

「惚れたな」

「……惚れた……?」

「違うのか?」

「思いもしませんでした」

「好みじゃないってことか?」

「容姿で言うなら、とても美しい方です」

「ふーん?」

「でも何というか、頭では女性だと認識していますが、女性として接していなかったというか、そういう感情をもつ方ではないというか。こんなに美しい人が、この世界にいるのかと……この人のように在りたいとは思いましたが」

「しっかり惚れているじゃないか。その人に、心を奪われてしまったんだろう?」

「そういう意味では、ユアン様と同じくらいには心酔しているかもしれません」


 ルティナに対して、欠片もそういう感情が生まれていないことに、自分でも驚く。

 今まで出会った女性とは比べようもない。

 庶民とは思えない、糸を引くような美しい所作に、丁寧で聞き心地の良い喋り方。

 心も容姿も美しい彼女に、想いを抱かない方が不自然な気もする。


 でも、それすらも納得してしまう。



「わたしは今日、2度、涙を流しました。そして、2度ともその方に救われました」


 ユアンは驚いた様子で軽く目を閉じ、後ろの背もたれに身体を預けた。


「レイランの変化にも納得だ。その出会いに、心から感謝するよ」


 ユアンの言葉を、レイランは誇らしく思った。

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