表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
第三章後編 蒼の季 向夏 ―地の音を聴く―
PR
88/115

蒼の季 向夏-06.理由

 夕方になると、王都の景色は見事な橙に染まる。

 建物の壁や道に白が多く、色を素直に受け入れる街並みは、時間帯や天気で様々な表情を見せる。

 夏が近付くにつれて、夕暮れ時の紅みが増している。


 リシェの店からの帰り道、市場にある看板の文字を追う。

 “ラウデン”という名をルティナは知らなかった。


「ルティナ様、あそこにある大きな店が……」


 セラが見ているのは、市場の中心にあるひと際大きく目立つ店だった。

 赤い看板に、金字でLauden(ラウデン)の文字が刻まれている。

 その隣に描かれている印には、ルティナも見覚えがあった。

 丸の中に菱形が収まり、中央にLの文字。

 荷箱や看板、至る所で目にする商印だ。


「あれが……」

「王都では大きな商家が2つあります。ラウデンはここ数十年で大きくなった新しい商家です」

「あの商印はリシアでもよく見かけました。大きなお店なのですね」

「……やり方は多少強引ですが、法に触れることまではしないと思っていました」


 セラにとっても、今回の件は予想外だったのかもしれない。


「その2軒先にある店が、アルデニアでかなり古い商家です」


 目をずらすと、趣のある佇まいの大きな店がある。

 店先にはラウデンの半分にも満たない看板が、専用に作られた椅子の上に置かれている。

 年季の入った一枚板に、Norva(ノルヴァ)の文字だけが彫られている。

 深緑をさらに濃くしたような色に、文字部分には掠れた銀が残っていた。

 

 その名は知っている。

 フェンの鞍や、エンの森の家で父が用意した竈も、確かノルヴァのものだ。

 あまり物を買わず、なんでも作ってしまう父だったが、自分では作れないものにはあの刻印が入っていた気がする。

 偏見ではないと思いたいが、それだけでなんとなく信用してしまうのが人の心だ。


「数は少ないですが、茶や薬草なども扱っています。薬草を扱うのは、王都ではノルヴァくらいだと思います」


 見比べると、受ける印象がかなり違う。

 ノルヴァが今回の件を起こしたと言われても、あまり想像できない。

 自分だったら、同じものならノルヴァで買おうと思ってしまう。

 商家にもそれぞれのやり方があるのだ。



「レイラン様はもうお戻りになったでしょうか。リシェから聞いたことだけ伝えておきたいのですが」


 市場から四家へ戻る途中に、レイランが向かった兵舎がある。

 調べているなら、早めに伝えてしまった方が良いかもしれない。


 ちょうど大通りから外れる手前だった。


 ――視線。


 肌に何かが刺さるような感触だ。

 よくある人の視線だと言えば、そうかもしれない。


「……このまま帰りましょう」


 セラの声色が変わっている。


 足元を歩くフウも、ルティナに身を寄せた。

 洞窟前で見せた本気の警戒ほどではないが、何かを感じているようだ。


「道を変えます」


 セラに言われるままに歩くと、その視線はしばらくして感じなくなった。

 つけられていると言うほどでもないのかもしれない。



 アベリスの敷地に戻って、ようやく肩の力が抜けた。

 じわりとした緊張が続くと、心も体も疲れる。


 レイランを呼びに行ったセラが戻って来ると、一緒にユアンも出てきた。

 2人から感じる空気がいつもより硬いのは、セラに事情を聞いたからだろうか。


「疲れている?」


 ユアンの瞳は、苛立っているように見える。

 それが自分に向けられている感情じゃないと分かっていても、寂しいと感じる。

 彼にはこういう表情でいて欲しくない。


「いえ……そうですね。今日は色々ありました」

「俺が一緒じゃないときに限って何か起こるんだから……」

「確かに……ユアン様はお守りのようですね……」

「相当効くだろうね」


 空気が和らいだ。

 ようやく、深く呼吸ができる気がした。


「ショウさんに土のことをお伝えして、リシェにも話を聞いてきました。言いにくかったのかもしれませんが、ザハルさんと一緒に色々と教えてくださいました」

「そうですか……リシェはなんと?」


 レイランは手に1枚の書類を持っている。


 聞いた話をそのまま伝えると、2人は驚かずに頷くだけだった。


「まぁ、予想通りだな」

「森の件も、確証は出ませんでしたが同じでしょう」


 ユアンとレイランにとっては、以前から頭にあった名前だったようだ。


「セラ、相手はどうだ?」

「どうということもありません。雇われているだけでしょう。指示も受けていないのではないでしょうか。……たまたま目に入ってしまって、目で追った程度。それを隠してもいないと考えると、警戒する必要もない相手です」


 無表情に話すセラに、相変わらず感情はない。

 仕事に関して言えば、誰よりも徹底している人だ。


「それは、セラがそばにいる前提?」

「そうです」

「ルティナ、ひとりで出歩くのはしばらく控えてくれる?」

「はい……」


 自分が見られているのだろうか。

 そうではないような気もする。


「あの……わたし……でしょうか……?」

「どういうこと?」

「……視線の感じ方が……自分に向けられているときと違う気がするのです」


 ユアンとレイランは顔を見合わせた。


「わたしではなく……フウと一緒にいるわたし……のような気がします……」


 自分に向けられていれば、その感情まで読み取れる。

 でも、そこまでは感じなかった。

 こちらを見ている視線という方が合っている感覚だ。


 洞窟の前では、フウが警戒をして初めて気付いた。

 あの時も、もし自分に向けられていたらもっと早く感じたのではないか。


「フウは珍しいからな、それもあり得るかもしれない」


 2人は頷きながらフウを見た。

 昼間のフウを見たあとだと、フウがどうにかされる姿はまったく想像できない。


「どちらにしろ、一緒にいるのなら状況は変わりません。私が側にいれば問題ないでしょう」

「セラがそう判断するなら任せるよ」


 浅いお辞儀だけして、セラはフェンを迎えに厩へ向かう。

 彼女をかっこいいと思うのは、今日何度目だろう。


「ルティナもありがとう。この方向で調査を進めるよ。しばらくは鬱陶しいかもしれないけど……」

「大丈夫です。セラもフウもいますから」


 ユアンは微妙な表情で笑った。

 出歩かないで欲しいと言いたいのを我慢しているのだ。


 話を終えて、セラと一緒に離れへ戻る。

 背中に向けられたユアンの視線から、彼の心配をひしひしと感じた。





 空を覆う分厚い雲から、今にも雨が降り出しそうだ。

 朝になって、セラと共に平原の農地へ土を調べに向かう。

 午後にイアムと土について話し合うことになっている。

 その前にもう一度、土の違いを確認しておきたい。


 フェンに乗って出掛けるのは久しぶりだ。

 西門から出てしばらく進むと、広大な農地には光が溢れていた。

 陽を蓄えながら、雨を受けて一気に育つ姿が目に浮かぶ。



 ショウの畑に向かう脇道付近の畑は、麦が植えられている。

 土を確認すると、ここの土は魔素が薄い。

 作物が育つために、魔素は必要ないものだ。

 土の温度も保たれて、とても良い状態だ。


 例年より陽が強くても、作物に悪い影響が出るほどではないのだろう。

 むしろ平原の作物は、どれも逞しく育っているように見える。

 これからの雨がしっかり降れば、今年は豊作になりそうだ。


 立ち上がって周囲を見渡すと、畑の奥にこんもりとした緑が見える。

 洞窟の入口付近から、遠くに森が見えたのを思い出した。

 おそらくあそこだ。


 森には水の影響は出ていないだろうか。


「まだ時間も早いですし、あの森に行ってみても良いでしょうか?」

「お供いたします」



 フェンで駆けると、森まではすぐだった。

 サンカの森よりもかなり小さい。


 森はとても静かだった。

 動物の気配どころか、鳥の声すら聞こえない。

 ここにも水の影響が出たのかもしれない。


「水場を調べます」


 フェンを降りて森の奥へ入ろうとすると、フェンとフウが同時に止まった。

 セラは何も感じていないようだ。


「何でしょうか……」

「人の気配はありません」


 止まったまま、同じ方を見つめている。

 警戒……というのとは違う。

 フェンからは、今まで感じたことのない空気が漂っていた。


「……行ってみましょう」



 ゆっくりと歩き出すと、特に嫌がる様子もなくついてくる。

 こんなに静かな森などあるのだろうか。

 森には特に不穏な気配はしない。


 そこに在るはずのものがないだけだが、妙な違和感を覚える。

 フェンたちが見つめる方には、確かに何かの気配がある。 

 


 ――!


 低い木が並ぶ先、ちょうど陰になったところに、その姿はあった。


 身体から何かが抜け落ちた。

 心が……真っ黒に塗り潰されていく気がした。


 知っている感覚が、喉の奥を締めそうになるのを、なんとか抑える。


 そこにあったのは、2つの亡骸だった。

 小さな黒い兎だ。

 身体を貫いているのは、見覚えのある傷跡だ。


 頭の奥が急激に冷えていくのを、他人事のように感じる。

 今、この胸にある感情を表せる言葉を知らない。



「セラ……ここは禁猟区ではないのでしょうか」


 自分の声が、やけに落ち着いている。

 誰か別の人が喋っているように、遠くから耳に入ってくる。


「……禁猟区です。王都があるこの平原はすべて」

「この子……王都で見かけたことがある気がするのですが」

「……レパです。野生だと思われますが」


 ようやく足が動いた。

 レパの身体を視ると、はっきりと魔素が残っている。

 この森に動物の気配がなかったのは、まだ時間が経っていないからだろう。

 雨が降る前で良かった。

 

 フウが、離れた所に横たわるレパを、そっと咥えて隣に寝かせた。

 フェンから漂っていた空気は、愁いだったのかもしれない。


「これは、罪になるのでしょうか」

「禁猟区ですから」

「この子たちを連れて帰るのは、問題がありますか?」

「いえ」


 フェンの鞍に下げてある革袋から、採取に使う布を取り出し、小さなレパを包んだ。

 採取籠に入れてあった土の入った瓶を革袋に移して、籠にレパを寝かせる。

 ルティナは空き瓶を取り出し、血が染み込んだ土を丁寧に取り除いた。


 血の匂いが消えれば、この森にいた動物たちも戻って来るはずだ。

 雨はきっと、その手助けをしてくれる。



 見上げると、空はどんどん暗くなっている。

 そうかからずに降り始める。


「帰りましょう」


 ルティナは、籠を大切に抱えたまま、フェンに跨った。

 フェンは静かに歩く。


 フェンもフウも優しい子だ。

 気遣ってくれていた。

 魔獣にとって、死とはどう映るのだろう。

 少なくとも、この子たちはそれを理解しているように見えた。

 悼んでいると感じたのは、都合よく考え過ぎだろうか。


 セラも言葉にはしないが、とても心を砕いているのが伝わった。


「せめて、安らかに土に還してあげたい」


 心で思ったことが、言葉として音になった。

 音は響く。

 響きが魂を宿し、この世界に届いて欲しいと願った。




 王都の門へ入る頃に、雨が降り出した。

 レパを濡らさないように、籠の上にマントを被せながら離れへ戻った。


 本降りになる前に戻れて良かった。

 魔素の残滓は、雨に濡れると流れてしまう。


「ウィラン様はお忙しいでしょうか……魔素の残滓を写すのは誰にでもできることなのですか?」

「あまり多くは無いはずです。ウィラン様に連絡すれば、ご本人が忙しくても誰かを寄越してくれると思います」

「わたしがお伺いする方が早いと思うので、連絡だけ入れてもらえますか?」


 セラは、火床で湯を沸かす準備を始めている。


「……休まれてからの方がよろしいのではありませんか?」

「午後にはリュサールへ行くことになっていますので、先に済ませておきたいのです。時間が経つとどんどん薄れてしまいますから」


 彼女の言いたいことは、目を見れば充分に伝わってくる。

 正直、自分でも驚いている。

 頭はずっと、冷静だ。

 心には、まだ……何もない。


 何もないうちに、この子たちを休ませてあげたい。


「……かしこまりました」


 セラはアルゥダを呼び、小さなメモを入れて飛ばした。

 連絡用の魔鳥は、雨も気にせずに飛び回る。


「セラ、お水を1杯いただけますか?」

「お茶をお淹れしますが……」

「いえ……お茶は……終わってからゆっくり頂きます」


 冷えた水を飲み干し、窓の外を見る。

 アルゥダが戻るのを待ちながら聞く雨音は、いつもより大きく感じる。

 雨音は、頭を整理するのにちょうどいいリズムだ。

 この音を聞いているうちは……きっと大丈夫だ。



 ウィランからの返事を受け取り、セラと一緒に研究棟へ向かった。

 入口でジュードが待っていてくれた。


 ジュードに案内された部屋で、ウィランは準備を整えていた。


 誰も、あまり言葉を発しない。

 気遣ってくれているのが、やけに痛かった。


 レパの小さな身体に陣が浮かび上がる。

 傷口にある魔素の残滓はまだ新しく、きれいに透明な板に写された。


「かなり綺麗な状態で写せました。必ず……役立てます」


 ウィランはレパに、真新しい布を掛けてくれた。


「急なお願いなのに、ありがとうございました」


 レパを籠に戻そうと身体に触れると、さっきよりも冷えているのを感じた。


 手が止まる。

 身体の芯で、強く脈が打った。

 深く呼吸することを意識しながら、籠を抱えた。


 まだ大丈夫だ。


「では、わたしはこれで失礼いたします」


 声もいつも通りだ。

 見えない所で、ジュードが頭を下げるのを感じた。



 研究棟を出ると、雨はいっそう強くなっていた。

 もう、雨に濡れても構わない。


 雨を避けるために、王城を抜けるのが嫌だった。

 誰にも会いたくない。

 見知らぬ人の気配すら嫌だ。


 マントのフードを頭に被せて、そのまま外に出る。

 空から無数に落ちる雨粒が肩で跳ねる。

 後ろで、セラが慌てているのが分かったが、立ち止まれなかった。


 手に、さっきの冷たいレパの感触だけが残っている。

 抱えた籠に雨が落ちる。

 真新しい白い布が雨を弾いて、玉になって滑り落ちる。

 それだけを見ながら、歩いた。


 足元で寄り添うフウの薄茶色が、視界の端に入った。


 自分の世界に、何も入れないようにしていることに気付いた。

 ウィランの顔も、ジュードの顔も、まったく覚えていない。

 覚えているのはレパの姿と魔法陣だけだ。


 白い布が水を含み始める頃、前を向くとアベリスの門が見えた。

 もう、意識しなくてもここに戻って来られるようになっている。



 雨に濡れた緑の芝を踏みながら、離れへと歩く。

 靴が芝に埋まると、地面からじわっと水が染み出す。


 午後からリュサールへ行くのに、こんなにずぶ濡れでどうするというのか。

 冷静を装ったところで、結局頭は回っていないのだ。

 それすら、どうでもよくなっている。


 レパはどこに埋めてあげればいいだろう。

 あの森は嫌だ。

 フウと会ったヒユイの山なら、静かに眠れるのではないか。

 今から行ってしまおうか……。



「ルティナ」


 目に入ったのは、ブーツのつま先だった。


 雨の音よりも近くで、その声が聞こえた。

 それが誰だか分かっても、顔が上げられない。


「俺が一緒じゃないときに限って、何か起こるんだから……」


 さっきも聞いた言葉だ。

 何か言おうにも、言葉が何も浮かばない。


 ユアンは、籠を抱いたままのルティナの手を、ゆっくりと籠から剥がしていく。

 どれだけ力が入っていたのか。

 籠を抱えていた手は、自分では離せないほど固まっていた。


 ユアンの手が温かい。


 両方の手を籠から剥がして、ユアンは籠を離れの戸口の中へ置いた。

 固まったルティナの手を両手で包む。

 ユアンの手は、黄金色に光を纏っている。


 その光を見てしまったら、もうダメなのに。

 空っぽの心に、溢れ出してしまう。


 せっかく耐えていたのに。

 もう止まらない。


 呼吸が浅くなるのを感じる。

 涙が流れないことが苦しい。


 いくら考えても、理解できないのだ。

 あんなことをする理由も、それをする人も。

 あの場に残っていた感情が、もっと激しいものであったら良かったのに。

 残っていたのは、ただひと欠片の不快感だけだった。


 強張った身体が震え出す。


 手を包んでいたユアンの手が、身体を引き寄せた。


 自分の身体が、どれだけ強く震えていたかが分かる。

 彼の全身から、ルティナを包む黄金色が舞い散った。


 いつもなら美しいと感じるこの光景も、温かさも。

 とても遠くに感じる。



 ユアンの胸に顔をうずめたまま。

 真っ暗な中に舞う黄金色だけを、雨音を聞きながら、ただ見つめていた――。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ