蒼の季 向夏-03.洞窟
入口を塞ぐように被さった枝を避けて、洞窟の中へと進む。
足元から上がる冷えた空気が首筋を抜ける。
洞窟の中は思ったよりもずっと涼しい。
靴底に伝わる削れた石の感触と、濡れた岩の匂い。
足音が洞窟の奥へと導くように響く。
目が慣れてくると、洞窟内は丁寧に整備されているのが分かる。
入口付近こそ自然のままだったが、奥へ進むほど地面は平らで歩きやすい。
壁には等間隔で魔導灯が掛けられ、歩くのに困らない明るさがある。
「綺麗ですね」
最初に口を開いたのはイアムだった。
その声は小さかったはずだが、余韻が洞窟の奥まで響く。
喋るのを躊躇してしまうほどだ。
「よく整備されているな。自然の洞窟に暮らしているのかと思ったが、丁寧に手が入っている……」
「人の気配も、想像以上に多いです。小さな町といっても良いくらいです」
フウはルティナの足元にぴたりと寄り添っている。
耳をしきりに動かしながら周囲に気を配っているが、今のところ変化は感じない。
整えられた階段を、壁伝いに降りていく。
壁で遮られた視界の奥へ進むと――そこは、橙の灯りに照らされた街だった。
ルティナは、眼下の光景に息を飲んだ。
レイランもイアムも言葉を失っている。
リシアと変わらない規模の街が、洞窟の奥にある。
幾重にも重なった魔導灯の光が、地下の街を包みこんでいる。
岩を砕く音が反響する中、微かに金属が焼ける匂いがする。
岩肌を削って造られた炉には、ひとつ残らず火がくべられ、火の粉が舞う。
火に照らされた鉱石が色とりどりの光を散らし、洞窟内を美しく彩っていた。
この火が、街にいのちの揺らぎを与えている。
美しい営みだ。
作業をするドワーフたちは、額に汗を滲ませる。
口ひげを蓄えた大人から、まだ身体の小さい子供まで、皆一様に槌を振り、石を見つめる。
「ヒト族か」
岩壁に振動を伝える低い声が響いた。
その声に、街のドワーフたちが一斉にこちらに目を向ける。
白いひげを蓄えた老年のドワーフが、ルティナの後ろにいた。
その瞳には、身体の奥が掴まれるような重みがあった。
気配を感じなかった。
いや、気配が洞窟に溶け込んでいるようなのだ。
老年のドワーフは、ひとりひとり確認するように瞳を動かす。
丸みのある輪郭に、丸い鼻。
顔に刻まれた目尻の笑い皺が深い。
頑固な職人を思わせる風貌だが、ルティナにはとても穏やかに映る。
フウに目を留め、彼は太い声で言う。
「リシェの知り合いか」
ドワーフはルティナに目を合わせた。
「勝手にお邪魔してしまい失礼いたしました。石飾師のリシェ……とは知り合いですが、彼女をご存じですか?」
「ドワーフの鉱石を気に入って使っている。そこの……スヴェルフか? あの石飾りはリシェだろう。使われている石は我らが掘ったものだ」
フウがドワーフの前に進み出た。
膝を折り、彼は厚みのある手でわしゃわしゃとフウを撫でる。
フウの頭が、その手に合わせて大げさに揺れる。
「こいつは珍しい。スヴェルフと……ヤクモか? まだ若いが、いい面構えだ」
フウは得意げに尾を振り、ドワーフに風を送る。
白いひげがなびくと、彼は目尻の皺を深くした。
とても、大きな人だ。
体からは、老年とは思えない豊富な気素と、密に詰まった魔素を感じる。
レイランはルティナの横で、姿勢を整えた。
「レイランと申します。……リシェとは知合いですが、彼女にここを聞いたわけではありません」
立ち上がると、背丈はレイランよりも少し高いくらいだ。
だが、質量がまるで違う。
腕や首もがっしりと太く、身体の厚みは倍以上ある。
重心が低く、足が地面から生えているかのような安定感だ。
「バドゥだ。……気にするな。隠された場所というわけでもない」
レイランの気持ちを汲んだ言葉だ。
バドゥはそれ以上何も言わず、街へ足を向ける。
「バドゥ様、お伺いしたいことがあるのです」
ルティナが声を掛けると、足を止めずに声だけを返す。
「用があるならついて来い。儂もやることがある」
ぶっきらぼうで飾らない言葉だが、拒絶するような態度ではない。
人を嫌っているというわけではなさそうだ。
「行きましょう」
レイランは頷き、ルティナの半歩前を歩き始めた。
街の中は、ルティナにとってはそわそわする場所だった。
リシェの店で感じたよりも強い石の気配を、そこかしこから感じる。
それは、人の視線や気配よりも、身体の芯に響く。
幼い頃に森で感じたような、なんとなく落ち着かない感覚だ。
作業をしているドワーフたちも、視線を向ける者は少ないが、こちらを気にしているのが分かる。
その中には、鋭く向けられる感情もあった。
商家との揉め事が原因なのか、理由のない無意識なのかは分からない。
それでも、不安はなかった。
バドゥが前を歩き、街の人たちに意思を示してくれている。
それが、この街にとっては大きなことなのだろう。
街の奥には、ひと際大きな炉があった。
小さな火種だけが残され、呼吸するように赤が瞬く。
炉の前の大きな椅子にどかっと座り、こちらに向き直った。
「で、何の用だ?」
バドゥは、炉の横に積まれた石を手に取り、念入りに確認しては選り分けていく。
その作業に興味を持ちそうになり、我に返る。
「お時間をいただきありがとうございます。わたしは薬草師をしております、ルティナと申します。ここには、水脈を追って辿り着きました。この付近の水場に、最近何か変わったことは起きていないでしょうか?」
目だけを一度こちらに向けたが、作業をする手は止めない。
フウはバドゥよりも、後ろの方を気にしているのか、ルティナの背中側に回った。
「水に何かあったか?」
驚きもせず、疑いもしない。
その言葉は、まるで分かっているような口ぶりに思えた。
「農地にある水場の湧き水が、何度か濁ったと聞きました。今は戻っているのですが……その水が……魔素を多量に含んでいたように思えるのです」
バドゥの手が止まった。
ルティナを見る目は、いっそう重みを増した。
「なぜそう思う?」
「土に、魔素が多く感じました。そのせいか、霊素が畑から減っているようでした」
「……お前さんは、それを感じるのか」
「……はい」
石を置き、バドゥはレイランの方を見た。
「儂らに……何か言いたいことがあって来たのではないのか」
「ここへは水脈を追って来ただけです。……何か人が来るようなことがあったのですか?」
「あんたは王都の騎士様だろう? 調べに来たんじゃないのか」
「確かにわたしは王都の騎士ですが、ここに街があることも今日知りました。少なくとも、今わたしたちが調べているのは水に関わることだけです」
2人は視線を合わせたまま、しばらく黙っていた。
お互いに胸の内を探るように、空気は重くなる。
張り詰めていく空気の中、何かを言おうにも言葉が見つからない。
「失礼、バドゥ殿が気にされているのは、王都の商家と諍いがあった件でしょうか」
ずっと黙っていたイアムが、重い空気に割って入った。
「その報告書を目にしましたが、私が確認した限りでは、商家に注意がなされた程度だったはずです。王都から騎士が派遣されるような問題にはなっておりません」
彼は空気など気にしない様子で、事実だけを淡々と話す。
「水脈を追って来たというのも事実です。私が水の気配を探りながらこの洞窟を見つけました。水脈はこの奥に続いているのを感じます」
イアムの視線は、大きな炉の左奥を向いている。
バドゥはイアムを見ていた目を伏せて、鼻から息を抜いた。
どうやら信じてくれたようだ。
「そうか……ここのところ、ここにヒトが来ると面倒な事が起こるばかりだった。あんたたちのことも同じ目で見ていた。勘ぐって悪かった」
「こちらこそ、失礼いたしました。何かあったのは聞いておりましたが、内容までは存じませんでした。面倒な事というのは……水に関係していることでしょうか?」
作業を再開したバドゥの元に、近くで心配そうに様子を見ていた子供が寄って来た。
ちらちらとこちらを気にしながら、バドゥと同じように作業に加わる。
10才くらいだろうか。
子供でも、身体はしっかりと重みがある。
こちらを向いた瞬間に目が合うと、びっくりしたように目を逸らす。
もう一度、おそるおそるこちらを見る。
ルティナが笑顔でその視線に応えると、おどおどした瞳が丸くなり、丸みのある頬がさらにまん丸になった。
可愛い……
その子の様子を感じてか、バドゥの空気もいくらか穏やかになった。
レイランの問いに答えないまま黙っているのは、何か思うことがあるのだろう。
「ドトム、地輪はまだあそこにいたか?」
「うん、ずっといるよ」
作業を続けるドトムは、分かりやすく表情を曇らせた。
「けがの具合はどうだ」
「もうだいぶいいと思う。でも、あそこから動きたくないみたいだった」
バドゥは再び手を止めた。
「レイラン……だったか。水場が見たいのなら好きにして構わん。だが、そこの水場で地輪という小さな魔獣が休んでいる。その邪魔はしないでくれ」
「……けがを……しているのですか?」
「ああ」
「それは……人が関わったことでしょうか」
「……」
言葉にはしないが、それが答えだった。
ルティナの喉の奥から、覚えのある息苦しさがじわじわと上がってくる。
「バドゥ爺さま……」
ドトムが服の裾を掴んで、何か言いたげにバドゥを見上げる。
服を掴む小さな手に目を落とし、彼は片方の眉を寄せた。
レイランがドトムの前で視線を合わせるように屈み、優しい声で話しかけた。
「ドトム、わたしはレイランだ。わたしと内緒話をしないか?」
服を掴んでいた手を放し、ドトムはレイランの瞳をじっと見つめた。
その瞳には、彼の意思が見えた。
この年頃なら、大体のことは理解している。
バドゥが話さない理由を察しても、彼なりの思いがあるのだろう。
「……チノワは、洞窟にいる猫みたいな魔獣なんだ。僕たちが世話してるわけじゃないけど、ずっと一緒に暮らしてる。チノワは僕たちよりもずっとこの洞窟を知っていて、大地に何かがあると知らせてくれたり、いい鉱石の在り処まで導いてくれたりする」
ドトムはうつむき、唇を震わせる。
「チノワは臆病ってわけじゃないけど、ヒトには近付かない。洞窟にヒトが入って来ても、いつもなら姿を見せないんだ。でも、あのときはヒトが来ても退かなかった。奥で採掘してたらチノワの声が聞こえて……あんなに威嚇するチノワを見たのは初めてだった。走ったけど間に合わなくて……そしたら、その中の銃を持ったヒトが、その銃でチノワを殴った」
冷静に話していたドトムから、感情が溢れ出た。
喉の奥が灼けそうだ。
ドトムの口惜しさと悲しさ、怒り、戸惑い、全部が一気に流れ込む。
「ドトムは何もされてないか?」
「……うん、爺さまがすぐに見つけてくれたから」
「そうか、怖かったな」
「僕は別に何ともない。痛かったのはチノワだ」
レイランの中に、感じたことのない激しい赤が視えた。
その赤はすぐに鎮まり、小さな種火のようにレイランの奥に眠った。
「この洞窟に、ヒトが来るのは構わん。ここにある上質な鉱石は大地の恵み。儂らはここで暮らしているだけで、この洞窟も、ここにある鉱石も、儂らの物ではない。だが、大地を壊す行いを……黙って見ているつもりはない」
バドゥは、ぽろぽろと涙を溢すドトムの頭に、大きな手を置いた。
「チノワは、ドワーフでは地守として伝わる魔獣だ。儂らはチノワほどでなくとも、大地の声を感じる。チノワがヒトを遠ざけようとした場所は、母層の近くだった……チノワはそれを守ろうとした」
チノワは、人よりももっと大きな巡りを感じている。
そこに触れると、大地に大きな影響が出ると本能で分かるのだ。
スヴェルフがサンカの森で要石を守ろうとしたように。
「大地の巡り……母層……」
“母層”という言葉を初めて聞いた。
森にある核や、中心になる大樹のようなものだろうか。
人にはそんなことは分からない。
理解する必要もない。
少なくとも、この洞窟にやって来た人にとってはどうでもいいことなのだ。
「レイラン、ここで起こったことは、ヒトにとっては大したことではないだろう。魔獣が傷付き、子供が泣いただけ。これをお前さんに話して、聞いて、何が変わる? 少なくとも儂は、あのヒトらに悪意を感じなかった。儂らのように考えないだけ、それを責めるつもりもない。どうにもならんのだ」
バドゥの心を感じた。
同じだった。
以前の父や自分と。
責めるつもりはない。
相手が理解できないことを受け入れている。
その気持ちは痛いほどよく分かる。
きっと、何度も話して、その度に行き違ってきたのだ。
「おっしゃることも分かります。自分も、以前なら理解しようとも思えなかったでしょう。ですが今は、理解したいと思える分だけ……ほんの僅かですが、この世界を知りました。解決するとお約束はできません。ですが……バドゥ殿、一度この件を預からせてください」
レイランの言葉は、まっすぐで真摯だった。
何を解決とすれば良いのかも分からない。
これは価値観の違い、種族の感覚の差だ。
バドゥはドトムに目をやった。
ルティナにも伝わる、ドトムはレイランを信じられると思ったはずだ。
「……水が濁ったのは、ヒトが母層近くの水脈を傷付けたからだ。母層は大地の巡りの基礎。水脈や魔脈、霊脈もその近くにあることが多い。水に魔素が流れ込んだのなら、魔脈にも触れたのかもしれん」
「爺さま……」
バドゥは優しく目を細めた。
こんなにも穏やかな表情をする人なのだ。
人に対する嫌悪と、バドゥにへの感謝が、身体の中で渦を巻いている。
「ドトム、水場とあの場所に案内してやるといい」
「わかった!」
頬を赤く染めて、ドトムはバドゥの足に抱きついた。
満面の笑みを浮かべる目の端は、涙の跡があった。
「ドトム、全部を人任せにするな。チノワを守りたいのも、大地を守りたいのも、みな儂らの思いだ。それを助けてもらうのなら、儂らも彼らを助けとならねばならん」
「はい! でもきっと大丈夫だよ! この人、すごく綺麗だもの」
レイランを信じ、無邪気な笑顔を見せる子供を見たのは2人目だ。
子供から見ると、彼には無条件で信じられる何かがあるのかもしれない。
「お前さん、ヒトではないな」
はしゃぐドトムを横目に見て、バドゥは声を小さくした。
「はい、わたしは……」
「言わんでいい。むやみに口にするな」
「……ありがとうございます」
「儂らには霊素は分からん。だが、チノワはそれを感じる」
「チノワが……」
「今は魔獣と呼ばれているが、ドワーフの言い伝えでは……古い時代に、地輪は霊獣と呼ばれていたそうだ」
霊獣……
言われて、はっとする。
魔獣が魔素に適性を持った獣なら、霊素に適性を持った獣は霊獣だ。
「儂らには到底できないが、地の巡りを調整しているのではないかと思うこともある」
「巡りを……。先ほどおっしゃっていた、魔脈と霊脈というのは、地脈のようなものでしょうか?」
「ヒトは地下の巡りをまとめて地脈と呼ぶが、儂らは分けて呼ぶ。鉱石に与える影響も、役割も違う。魔素の巡りを魔脈、霊素の巡りを霊脈。儂らが何も感じない場所で地輪が示したのが、あの石飾りの石だ」
霊素が馴染んだ石……
リシェは霊素の音を感じているが、ドワーフには分からない。
それを探し当てたのが地輪ということか。
「お前さんにしか見えない世界があるんだろう。レイランがドトムを思ってくれたことも分かる。だが、無理はしてくれるな」
人と関わる中で、バドゥにとって人は理解し合えない存在なのだろう。
レイランの意思は汲んでくれたが、期待は持てていないのかもしれない。
「……わたしも、ずっと同じでした。人と関わらず、森で静かに暮らしていました。でも、彼らと出会って……人の中にも理解をしようとする、分からぬものを受け入れてくれる人がいることを知りました。お約束はできませんが、何か……心に残せるものを見つけたいと思います」
バドゥは何も答えない。
期待を言葉にしたくないのだ。
長い時間をかけて積み上がった、彼にしか分からない思いがある。
きっと、それは父と同じだ。
だからこそ。
ほんの欠片でもいい。
バドゥの心に届くものを見つけたいと願った。




