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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
第三章後編 蒼の季 向夏 ―地の音を聴く―
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蒼の季 向夏-02.魔素の色

 朝露が草原を潤している。

 降り続く雨の合間、雲に遮られない朝陽は久しぶりだ。


 いつもの裏門ではなく、今日は人々が行き交う西門へやってきた。

 王都西側に広がる平原の北には、農地や放牧地が広がる。

 平原からなだらかに山へと繋がる拓けた風景だ。

 草木はまだ乾ききらない水滴を抱えて、瑞々しく煌めいている。


 農地の先、さほど遠くない距離に丘陵地帯が見える。

 国が管理する農地と、人々が思い思いの作物を育てる農地に分けられており、その色分けに人の営みを感じる。



 フウが思いっきり身体を伸ばした。

 雨が続いて、そろそろ動きたい頃合いだろう。


 門までの付き添いでやって来たセラも、心なしか表情が柔らかい。

 雨上がりの朝、身体に浴びる太陽は格別の気持ち良さがある。


 急に決まったことにも関わらず、セラは昨日のうちにレスティアへの連絡を済ませ、予定に組み込んでくれた。

 レスティアへの報告を兼ねて、今日は王城に赴くそうだ。



「気持ちのいい朝だね。お嬢さんは、朝陽が似合うねぇ」


 笑顔を浮かべて歩いてきたショウは、いかにも畑仕事をしそうな格好だ。

 つばの広い帽子を被り、首には布を巻いている。

 大きな籠を背負い、腰には小さな籠と手袋を下げている。

 なんともいい雰囲気だ。


「おはようございます。素敵なお帽子ですね。手作りでしょうか?」

「そうかい? これは麦わら帽子っていうんだよ。うちの故郷じゃ夏の畑仕事に欠かせなくてね。お嬢さん用に、シノが昨日編んでくれたよ。被せてあげようか」


 ルティナと同じくらいの背丈のショウは、ちょいちょいっと手を振る。

 つられて頭を下げると、優しい藁の香りがした。

 ショウの帽子よりもつばが小さく、飾り紐がひと巻きしてある。

 顔に陽が当たらないだけで、思った以上に涼しい。


「わざわざ編んで下さったのですか?」

「うんうん、シノがね、お菓子のお礼にってさ。あれすごく美味しかったよ。今度作り方を教えてやってよ」

「ありがとうございます……大切に致します」


 この人の側は、ずっとほのぼのとしていられる。

 父よりも、もっと柔らかい。

 祖父……というのは、こんな感じかもしれないと、想像してしまう。


「ルティナ様、お待たせしました……」


 聞き慣れた声に振り向くと、そこにはレイランと文官らしい人が立っていた。

 顎までの緩く波打つ青藍の髪に、細い眼鏡をかけたその人からは、水の気配がする。

 静かで鋭い印象とは反して、魔素の巡りはとても穏やかだ。

 目が合うと、その人は微かに目を細め、観察するようにこちらを見る。

 笑顔とは言えない表情だが、不思議と棘は感じない。


「素敵な帽子ですね。よくお似合いです」


 この表情からは想像もできない言葉で話しかけられ、一瞬言葉を忘れた。

 独特の空気だ。


「……ちょうど今、いただいたのです。とても涼しいのですよ」

「とても可愛らしいです」


 流れるように人を褒める割には、表情はあまり変わらない。

 その温度差で、恥ずかしさよりも戸惑いが前に出る。


「ありがとうございます。……レイラン様、今日はどうされたのですか?」

「昨日、ミオル殿から連絡をもらいました。ルティナ様の調査に同行して欲しいとのことでした。水に関わることのようでしたので、リュサールも協力して下さるそうです」


 レイランの一歩後ろに立っていた彼は、浅くお辞儀をした。


「イアムと申します。私でお役に立てるか分かりませんが、ご一緒致します」

「わざわざありがとうございます。ルティナと申します。こちらは、案内して下さるショウさんです。香立というお店のご主人で、茶師もされています」


 ショウは帽子を取って丁寧にお辞儀をした。


「レイランです。畑に向かいながら、お話を伺ってもよろしいでしょうか」

「こんなに朝早くから、ありがとうございます。……じゃあ、ぼちぼち行きましょうか」


 挨拶を終えると、ショウは振り返り歩き出した。

 先頭で歩き出すショウの背中で、茶摘み籠が揺れる。

 本当なら、あの籠いっぱいの香立が見られるはずだったのだと思うと、仕方がないとはいえ寂しさはある。


 足元のフウに促されて、ルティナは後を追いかけた。




 見慣れない作物が植えられた畑を横目にしばらく進むと、丘へ入る細い道が見えた。

 縫うように続く道の両側には、低木の果樹や、膨らみ始めた豆、穂を揺らす麦が見える。

 どれも特に異常があるようには見えない。

 でも、なんだろう。

 平原の畑よりも、ここはやけに静かだ。

 こんなにもたくさんの作物が実りを迎えているのに、植物が眠っているようすら思える。



「うちの畑はここだよ」


 ショウが立ち止まった先には、見事に整えられた低木が並んでいた。

 茶の木を覆う若葉が朝陽を透かし、瑞々しい黄緑色が視界を埋める。


「美しいです……」

「はははっ、嬉しいねぇ。綺麗だろう? でもね、いつもはもっといい香りがするんだよ。お嬢さんにも見てもらいたかったなぁ」

「木が香るのですか?」

「うん、茶の香りとは違うんだけどね。その香りの中で茶を摘むのが楽しみなんだ。自由に調べていいよ。作業しているから、何かあったら声を掛けてね」


 茶の木の間をするすると抜けていくショウは、今何を思っているのか。

 変わらない笑顔が、胸に刺さる。



「ルティナ様、何か感じますか?」


 レイランは畑を眺めるように、目を横へと流した。


「見た範囲では、作物に異常は無いようでした。でも、畑全体が静かなのです。まるで眠っているように……」

「静か……ですか」

「ちょうど収穫時期の作物も多いようです。収穫の時期というのは、作物が目いっぱい力を放ち、生命力が旺盛になるもの。旬の野菜や果物に豊富な霊素が含まれるはずですが……全体的に薄い気がします」


 レイランは目を閉じて、集中し始めた。

 ルティナも額に意識を集めて、茶の木を視る。


 巡りが弱い……というより、全体的に霊素が少ない。

 若葉には陽が集まり、幹から根に向かって徐々に陰が強くなる。

 香立は中庸の茶葉。

 蒸して調える工程で中庸になるなら、生葉の状態では弱い陰だと思う。


 本来ならば木全体が陰になるのではないか。


「ルティナ様、土の魔素が濃いような気がするのですが……」


 目を閉じていたレイランが、しゃがんで土に触れる。

 確かに、言われてみればそうかもしれない。

 土もとても静かだ。


「土が……冷たい……」


 雨が降ったからという理由だけでは足りないほど、土の温度が低い。

 よく視ると、土の霊素もやけに少ない。

 中にいるはずの小さな命の気配も、あまり感じられない。


「本当ですね。気のせいかと思いましたが、気温も平原より低い気がします」

「……土の魔素が濃くなったせいで、霊素が薄くなったのだとしたら……」

「周りの畑も確認してきます」


 レイランが立ち上がると同時に、興味深そうに土を触っていたイアムが呟いた。


「畑の魔素というのは、“地”に近いわけではないのか……」

「え……?」


 イアムのその言葉は、魔素が見える人のものだった。


 地に近い魔素……

 確かに、魔素がうっすらと色付いているだろうか。


「イアム様には、畑の魔素がどのように見えていますか?」


 彼は半分ほど閉じていた目を開き、こちらに目を向ける。


「これが見える人がいるのですね。自分にしか見えないものだと思っていました。土に混じっている光の粒が魔素だとするなら、私の感覚では水に近い存在です」


 レイランも驚いている。

 リュサールの人は見えやすいというのは、やはり本当のようだ。


「私がはっきりと分かるのは、水に近い存在だけです。おそらく、属性それぞれであるのでしょうが、他は違いが曖昧にしか分かりません……なるほど、やはりこれは魔素なのですか」


 それほど驚く様子もなく、淡々と話す。

 感情よりも思考が優先される、どこまでも冷静な人という印象だ。


「水に近い魔素……水の影響を受けた魔素が、畑にたくさんある……なぜでしょうか。単に魔素が濃いだけなら、土に含まれる魔素は地に影響を受けると思うのですが……」


 ルティナは土を手に取り集中する。

 言われてから意識してみると、確かに水を感じる。


「魔素が属性を持つことは無いのですか?」

「環境の影響を受けることはありますが、完全に属性に染まることはないと思います。例えば、火山地帯などに漂う魔素は、火に影響を受けてうっすらと色を持つことがあります。そういう場所では、火の魔法がとても強く発動出来たり、火の魔獣が扱う魔法も強くなったりするそうです」

「なるほど、あくまでも火に近い魔素であって、火属性の魔素にはならない。そう仮定するなら、ここの土は、水に近い魔素をたくさん含んでいる。という表現が正しいです」


 土に含まれてもなお、水に近い状態を維持しているということは、よほど魔素濃度が濃い状態で水の影響を受けたか、水の影響を受け続けた魔素かのどちらかだろう。


「ルティナ様、周りの畑の土も冷たく感じます。むしろこの茶畑よりも冷えているかもしれません」

「雨が原因なら平原の畑にも同じことが起こりそうですが、あちらでは感じませんでした。この付近の畑だけだとするなら、畑に撒かれた水を確認してみたいです。ショウさんが場所をご存じのはずです」

「分かりました、場所を確認してきます」


 レイランはショウの元へ走って行く。


 ずっと、イアムの視線はこちらから動かない。

 不快ではないのだが、気になるのは確かだ。


「あの……何か気になりますか?」

「……失礼、不躾な視線でしたね」

「いえ、……何か思うことがあれば伺いたいと思っただけです」


 イアムはルティナの瞳を見つめているようで、おそらく何も見えていない。

 頭の中で考え続けているのが伝わってくる。

 ウィランの激流のような思考ではなく、ひたすらに同じ速度で巡り続けている。


「私は浄化の魔法を使うので、魔素溜まりの浄化にも行くことがあります。そのときの跡に……なんとなく似ているなと思いまして」

「跡、ですか」

「これは今考えた仮説なので、正しいかは分かりません。その上の話として聞いて下さい。魔素だまりは、濃度が上がれば上がるほど環境の影響を受ける……もしくは周囲の環境を引き寄せる、と、私は思っています」

「引き寄せる……例えば、近くに水場があれば、魔素溜まりが水に近い魔素溜まりになる……ということでしょうか」

「おっしゃる通りです。魔素溜まりは中央の濃度が高く、外側が薄い。引き寄せる環境は外側から徐々に染みていく。その状態で浄化をすると、環境を吸った魔素――この場合は水ですが、水に近い魔素はその場所に残ってしまうことが多いのです。私は、属性の影響を受けた魔素は、物に定着しやすいのではないか……と今考えています」


 イアムの言うことが、何の疑問もなくルティナに入った。

 おそらく正しい。

 だから、自然の中に属性を感じる天然石があるのだ。


「水の影響を受けた魔素が、土に定着した……ありそうです。それほど濃度が濃かったなら、土の中に生き物にも影響があっておかしくありません。でも……それほどの濃い魔素が、どこからこの畑に来たのでしょうか……」


 これほどの広範囲だ。

 魔素溜まりだったら大ごとになっている。


「ルティナ様、場所がわかりました。2ヶ所あるそうなので、近い方から向かいましょう」


 イアムはまだ考えるのを止めず、じっとこちらに向いたままだ。

 その様子を、どこか嬉しそうに眺めたあと、レイランはイアムの肩を叩く。


 考えがまとまらなかったのか、イアムは空を仰いだ後、黙ったまま歩き始める。


「彼も頭に閉じ籠りますが、半分はこちらに残っているので大丈夫です」


 そう言われると、妙に納得してしまった。

 すごい表現だが、親しみを込めた言葉だというのが伝わった。

 




「ここは自然の湧き水がそのまま使われている水場ですね」


 小さな囲いの中で水が静かに湧き出している。

 水路は平原には回らずに、そのまま川に繋がっている。


「見る限り普通の湧き水ですね……霊素も魔素も、特に濃さは感じません」


 自然の湧き水ということは、浅い位置に水脈が通っているはずだ。

 感覚を澄ましても、地下に魔素の流れは感じない。

 地脈に沿った水脈の可能性も考えたが、それもなさそうだ。


「ここの水が、最近何度か濁ったことがあるそうです。ショウさんは気になって、別の水場の水を使ったそうなのですが……」

「水が濁るということは、ここに繋がっている水脈に何かあったのかもしれませんね」

「地脈があるなら、追えるかと思ったのですが……それも感じませんね……」


 ある程度の魔素濃度があれば感じられるが、普通の水脈では分からない。


「分かりますよ。ここに繋がる水脈を辿りますか?」


 イアムは、さも簡単そうに言う。


「分かり……ますか?」

「はい。水の気配だけは、人よりも強く感じられるようです。水というより、水に僅かに混じる魔素を感じているのだと思いますが」


 体内の魔素に近いものは感じやすい。

 魔素と霊素はここが違う部分だ。

 ルティナは陽の霊素のほうがはっきりと感じられる。


「それはわたしにも分かる感覚です。火の気配は、他のものよりも強く感じますから」

「なるほど……では、辿ってみましょうか。一度ではなく数回あったのなら、偶然ではないと思います」



 イアムは、その水場から北東へと歩き始めた。

 丘陵地帯の畑を抜けてしばらく進むと、平原を区切る山の麓が近付いてくる。


 今までとは雰囲気が違う。

 

 緑が一面を塗る畑と草原だったのが、岩肌が目立つ薄茶色が増えた。

 ずっと先を見ると、山頂にカルデラ湖のある山が見える。


 ヨダが住む、木々が生い茂る山とは対照的だ。

 平坦だった地面は、崖のような段差が所々に見られ、高い木が点々と空へ伸びる。

 平原を巡り続ける風は、崖に止められて多方向へと散る。

 ここから先は、岩が目立つ山の領域だ。



 何も言わずに歩いていたイアムが、足を止める。

 そこには、見落としてしまいそうな洞窟の入口があった。

 

「この奥に繋がっているようです。進みますか?」


 中はとても暗く、入口からでは中の様子を確認することができない。

 音の響き具合からすると、かなり深そうな洞窟だ。


「ここは確か……」


 レイランが何かに気付いたようだ。

 思い当たることがあるのか、中に入るのを躊躇っているように見える。


「どうかしましたか?」

「……この付近には、地窟族ドワーフが暮らす小さな集落があるそうなのですが、おそらくここではないかと……」


 ドワーフは、人とも交流がある、鉱石と共に生きる種族だ。

 地下に繋がる洞窟に暮らし、鉱石を掘って加工することを生業にする。

 その技術力は素晴らしく、人とは違う感覚を持っているそうだ。


「人が入ってはいけない決まりがあるのですか?」

「いえ、特にそのようなことはありません。人が近付くことはありませんが、ドワーフは王都に出入りすることも多い種族ですから。ただ……」

「ただ……?」


 レイランは言いにくそうに目を伏せる。


「交流があると言っても、そこまで友好的な関係というわけではありません。ドワーフの鉱石を王都で買い取っているというだけの繋がりで……最近は、何度か商家と揉め事があったという報告を受けています」

「揉め事……ですか」


 種族が違うと、価値観や生き方に違いがある。

 理由がなければ、関わらないという方が多いだろう。


「詳しいことは分かりませんが、あまり良い印象を持たれていない可能性もあります」


 ルティナには分かり過ぎることだ。

 つい最近まで、自分がそうであったからだ。

 だからこそ、大丈夫だとも思える。


「……きっと、何かすれ違いがあったのではないでしょうか。わたしは、理解さえあれば対話ができると思います……行ってみましょう。話をして、それでも難しければ別の方法を探します。それに……」


 足元のフウを見ると、洞窟の中をしきりに気にしている。

 その様子が、警戒というよりも好奇心なのだ。


「フウが行きたそうにしています。危険があれば、きっと入ろうとしないと思うんです」


 レイランは腰に付けていた魔導石を取り、明かりを灯した。


「ドワーフの暮らしも、どんなものか見てみたいですね」


 洞窟の中を照らしながら、楽しそうに振り返る。



「理解さえあれば……対話ができる……」


 目を伏せたまま、イアムはルティナの言葉を独り言のように反復した。

 しばらくして視線を上げる。


 今日初めて、彼の空気が変わった。

 切れ長の目元がほんの僅か、優し気に下がったような気がした。




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