蒼の季 向夏-02.魔素の色
朝露が草原を潤している。
降り続く雨の合間、雲に遮られない朝陽は久しぶりだ。
いつもの裏門ではなく、今日は人々が行き交う西門へやってきた。
王都西側に広がる平原の北には、農地や放牧地が広がる。
平原からなだらかに山へと繋がる拓けた風景だ。
草木はまだ乾ききらない水滴を抱えて、瑞々しく煌めいている。
農地の先、さほど遠くない距離に丘陵地帯が見える。
国が管理する農地と、人々が思い思いの作物を育てる農地に分けられており、その色分けに人の営みを感じる。
フウが思いっきり身体を伸ばした。
雨が続いて、そろそろ動きたい頃合いだろう。
門までの付き添いでやって来たセラも、心なしか表情が柔らかい。
雨上がりの朝、身体に浴びる太陽は格別の気持ち良さがある。
急に決まったことにも関わらず、セラは昨日のうちにレスティアへの連絡を済ませ、予定に組み込んでくれた。
レスティアへの報告を兼ねて、今日は王城に赴くそうだ。
「気持ちのいい朝だね。お嬢さんは、朝陽が似合うねぇ」
笑顔を浮かべて歩いてきたショウは、いかにも畑仕事をしそうな格好だ。
つばの広い帽子を被り、首には布を巻いている。
大きな籠を背負い、腰には小さな籠と手袋を下げている。
なんともいい雰囲気だ。
「おはようございます。素敵なお帽子ですね。手作りでしょうか?」
「そうかい? これは麦わら帽子っていうんだよ。うちの故郷じゃ夏の畑仕事に欠かせなくてね。お嬢さん用に、シノが昨日編んでくれたよ。被せてあげようか」
ルティナと同じくらいの背丈のショウは、ちょいちょいっと手を振る。
つられて頭を下げると、優しい藁の香りがした。
ショウの帽子よりもつばが小さく、飾り紐がひと巻きしてある。
顔に陽が当たらないだけで、思った以上に涼しい。
「わざわざ編んで下さったのですか?」
「うんうん、シノがね、お菓子のお礼にってさ。あれすごく美味しかったよ。今度作り方を教えてやってよ」
「ありがとうございます……大切に致します」
この人の側は、ずっとほのぼのとしていられる。
父よりも、もっと柔らかい。
祖父……というのは、こんな感じかもしれないと、想像してしまう。
「ルティナ様、お待たせしました……」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはレイランと文官らしい人が立っていた。
顎までの緩く波打つ青藍の髪に、細い眼鏡をかけたその人からは、水の気配がする。
静かで鋭い印象とは反して、魔素の巡りはとても穏やかだ。
目が合うと、その人は微かに目を細め、観察するようにこちらを見る。
笑顔とは言えない表情だが、不思議と棘は感じない。
「素敵な帽子ですね。よくお似合いです」
この表情からは想像もできない言葉で話しかけられ、一瞬言葉を忘れた。
独特の空気だ。
「……ちょうど今、いただいたのです。とても涼しいのですよ」
「とても可愛らしいです」
流れるように人を褒める割には、表情はあまり変わらない。
その温度差で、恥ずかしさよりも戸惑いが前に出る。
「ありがとうございます。……レイラン様、今日はどうされたのですか?」
「昨日、ミオル殿から連絡をもらいました。ルティナ様の調査に同行して欲しいとのことでした。水に関わることのようでしたので、リュサールも協力して下さるそうです」
レイランの一歩後ろに立っていた彼は、浅くお辞儀をした。
「イアムと申します。私でお役に立てるか分かりませんが、ご一緒致します」
「わざわざありがとうございます。ルティナと申します。こちらは、案内して下さるショウさんです。香立というお店のご主人で、茶師もされています」
ショウは帽子を取って丁寧にお辞儀をした。
「レイランです。畑に向かいながら、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「こんなに朝早くから、ありがとうございます。……じゃあ、ぼちぼち行きましょうか」
挨拶を終えると、ショウは振り返り歩き出した。
先頭で歩き出すショウの背中で、茶摘み籠が揺れる。
本当なら、あの籠いっぱいの香立が見られるはずだったのだと思うと、仕方がないとはいえ寂しさはある。
足元のフウに促されて、ルティナは後を追いかけた。
見慣れない作物が植えられた畑を横目にしばらく進むと、丘へ入る細い道が見えた。
縫うように続く道の両側には、低木の果樹や、膨らみ始めた豆、穂を揺らす麦が見える。
どれも特に異常があるようには見えない。
でも、なんだろう。
平原の畑よりも、ここはやけに静かだ。
こんなにもたくさんの作物が実りを迎えているのに、植物が眠っているようすら思える。
「うちの畑はここだよ」
ショウが立ち止まった先には、見事に整えられた低木が並んでいた。
茶の木を覆う若葉が朝陽を透かし、瑞々しい黄緑色が視界を埋める。
「美しいです……」
「はははっ、嬉しいねぇ。綺麗だろう? でもね、いつもはもっといい香りがするんだよ。お嬢さんにも見てもらいたかったなぁ」
「木が香るのですか?」
「うん、茶の香りとは違うんだけどね。その香りの中で茶を摘むのが楽しみなんだ。自由に調べていいよ。作業しているから、何かあったら声を掛けてね」
茶の木の間をするすると抜けていくショウは、今何を思っているのか。
変わらない笑顔が、胸に刺さる。
「ルティナ様、何か感じますか?」
レイランは畑を眺めるように、目を横へと流した。
「見た範囲では、作物に異常は無いようでした。でも、畑全体が静かなのです。まるで眠っているように……」
「静か……ですか」
「ちょうど収穫時期の作物も多いようです。収穫の時期というのは、作物が目いっぱい力を放ち、生命力が旺盛になるもの。旬の野菜や果物に豊富な霊素が含まれるはずですが……全体的に薄い気がします」
レイランは目を閉じて、集中し始めた。
ルティナも額に意識を集めて、茶の木を視る。
巡りが弱い……というより、全体的に霊素が少ない。
若葉には陽が集まり、幹から根に向かって徐々に陰が強くなる。
香立は中庸の茶葉。
蒸して調える工程で中庸になるなら、生葉の状態では弱い陰だと思う。
本来ならば木全体が陰になるのではないか。
「ルティナ様、土の魔素が濃いような気がするのですが……」
目を閉じていたレイランが、しゃがんで土に触れる。
確かに、言われてみればそうかもしれない。
土もとても静かだ。
「土が……冷たい……」
雨が降ったからという理由だけでは足りないほど、土の温度が低い。
よく視ると、土の霊素もやけに少ない。
中にいるはずの小さな命の気配も、あまり感じられない。
「本当ですね。気のせいかと思いましたが、気温も平原より低い気がします」
「……土の魔素が濃くなったせいで、霊素が薄くなったのだとしたら……」
「周りの畑も確認してきます」
レイランが立ち上がると同時に、興味深そうに土を触っていたイアムが呟いた。
「畑の魔素というのは、“地”に近いわけではないのか……」
「え……?」
イアムのその言葉は、魔素が見える人のものだった。
地に近い魔素……
確かに、魔素がうっすらと色付いているだろうか。
「イアム様には、畑の魔素がどのように見えていますか?」
彼は半分ほど閉じていた目を開き、こちらに目を向ける。
「これが見える人がいるのですね。自分にしか見えないものだと思っていました。土に混じっている光の粒が魔素だとするなら、私の感覚では水に近い存在です」
レイランも驚いている。
リュサールの人は見えやすいというのは、やはり本当のようだ。
「私がはっきりと分かるのは、水に近い存在だけです。おそらく、属性それぞれであるのでしょうが、他は違いが曖昧にしか分かりません……なるほど、やはりこれは魔素なのですか」
それほど驚く様子もなく、淡々と話す。
感情よりも思考が優先される、どこまでも冷静な人という印象だ。
「水に近い魔素……水の影響を受けた魔素が、畑にたくさんある……なぜでしょうか。単に魔素が濃いだけなら、土に含まれる魔素は地に影響を受けると思うのですが……」
ルティナは土を手に取り集中する。
言われてから意識してみると、確かに水を感じる。
「魔素が属性を持つことは無いのですか?」
「環境の影響を受けることはありますが、完全に属性に染まることはないと思います。例えば、火山地帯などに漂う魔素は、火に影響を受けてうっすらと色を持つことがあります。そういう場所では、火の魔法がとても強く発動出来たり、火の魔獣が扱う魔法も強くなったりするそうです」
「なるほど、あくまでも火に近い魔素であって、火属性の魔素にはならない。そう仮定するなら、ここの土は、水に近い魔素をたくさん含んでいる。という表現が正しいです」
土に含まれてもなお、水に近い状態を維持しているということは、よほど魔素濃度が濃い状態で水の影響を受けたか、水の影響を受け続けた魔素かのどちらかだろう。
「ルティナ様、周りの畑の土も冷たく感じます。むしろこの茶畑よりも冷えているかもしれません」
「雨が原因なら平原の畑にも同じことが起こりそうですが、あちらでは感じませんでした。この付近の畑だけだとするなら、畑に撒かれた水を確認してみたいです。ショウさんが場所をご存じのはずです」
「分かりました、場所を確認してきます」
レイランはショウの元へ走って行く。
ずっと、イアムの視線はこちらから動かない。
不快ではないのだが、気になるのは確かだ。
「あの……何か気になりますか?」
「……失礼、不躾な視線でしたね」
「いえ、……何か思うことがあれば伺いたいと思っただけです」
イアムはルティナの瞳を見つめているようで、おそらく何も見えていない。
頭の中で考え続けているのが伝わってくる。
ウィランの激流のような思考ではなく、ひたすらに同じ速度で巡り続けている。
「私は浄化の魔法を使うので、魔素溜まりの浄化にも行くことがあります。そのときの跡に……なんとなく似ているなと思いまして」
「跡、ですか」
「これは今考えた仮説なので、正しいかは分かりません。その上の話として聞いて下さい。魔素だまりは、濃度が上がれば上がるほど環境の影響を受ける……もしくは周囲の環境を引き寄せる、と、私は思っています」
「引き寄せる……例えば、近くに水場があれば、魔素溜まりが水に近い魔素溜まりになる……ということでしょうか」
「おっしゃる通りです。魔素溜まりは中央の濃度が高く、外側が薄い。引き寄せる環境は外側から徐々に染みていく。その状態で浄化をすると、環境を吸った魔素――この場合は水ですが、水に近い魔素はその場所に残ってしまうことが多いのです。私は、属性の影響を受けた魔素は、物に定着しやすいのではないか……と今考えています」
イアムの言うことが、何の疑問もなくルティナに入った。
おそらく正しい。
だから、自然の中に属性を感じる天然石があるのだ。
「水の影響を受けた魔素が、土に定着した……ありそうです。それほど濃度が濃かったなら、土の中に生き物にも影響があっておかしくありません。でも……それほどの濃い魔素が、どこからこの畑に来たのでしょうか……」
これほどの広範囲だ。
魔素溜まりだったら大ごとになっている。
「ルティナ様、場所がわかりました。2ヶ所あるそうなので、近い方から向かいましょう」
イアムはまだ考えるのを止めず、じっとこちらに向いたままだ。
その様子を、どこか嬉しそうに眺めたあと、レイランはイアムの肩を叩く。
考えがまとまらなかったのか、イアムは空を仰いだ後、黙ったまま歩き始める。
「彼も頭に閉じ籠りますが、半分はこちらに残っているので大丈夫です」
そう言われると、妙に納得してしまった。
すごい表現だが、親しみを込めた言葉だというのが伝わった。
「ここは自然の湧き水がそのまま使われている水場ですね」
小さな囲いの中で水が静かに湧き出している。
水路は平原には回らずに、そのまま川に繋がっている。
「見る限り普通の湧き水ですね……霊素も魔素も、特に濃さは感じません」
自然の湧き水ということは、浅い位置に水脈が通っているはずだ。
感覚を澄ましても、地下に魔素の流れは感じない。
地脈に沿った水脈の可能性も考えたが、それもなさそうだ。
「ここの水が、最近何度か濁ったことがあるそうです。ショウさんは気になって、別の水場の水を使ったそうなのですが……」
「水が濁るということは、ここに繋がっている水脈に何かあったのかもしれませんね」
「地脈があるなら、追えるかと思ったのですが……それも感じませんね……」
ある程度の魔素濃度があれば感じられるが、普通の水脈では分からない。
「分かりますよ。ここに繋がる水脈を辿りますか?」
イアムは、さも簡単そうに言う。
「分かり……ますか?」
「はい。水の気配だけは、人よりも強く感じられるようです。水というより、水に僅かに混じる魔素を感じているのだと思いますが」
体内の魔素に近いものは感じやすい。
魔素と霊素はここが違う部分だ。
ルティナは陽の霊素のほうがはっきりと感じられる。
「それはわたしにも分かる感覚です。火の気配は、他のものよりも強く感じますから」
「なるほど……では、辿ってみましょうか。一度ではなく数回あったのなら、偶然ではないと思います」
イアムは、その水場から北東へと歩き始めた。
丘陵地帯の畑を抜けてしばらく進むと、平原を区切る山の麓が近付いてくる。
今までとは雰囲気が違う。
緑が一面を塗る畑と草原だったのが、岩肌が目立つ薄茶色が増えた。
ずっと先を見ると、山頂にカルデラ湖のある山が見える。
ヨダが住む、木々が生い茂る山とは対照的だ。
平坦だった地面は、崖のような段差が所々に見られ、高い木が点々と空へ伸びる。
平原を巡り続ける風は、崖に止められて多方向へと散る。
ここから先は、岩が目立つ山の領域だ。
何も言わずに歩いていたイアムが、足を止める。
そこには、見落としてしまいそうな洞窟の入口があった。
「この奥に繋がっているようです。進みますか?」
中はとても暗く、入口からでは中の様子を確認することができない。
音の響き具合からすると、かなり深そうな洞窟だ。
「ここは確か……」
レイランが何かに気付いたようだ。
思い当たることがあるのか、中に入るのを躊躇っているように見える。
「どうかしましたか?」
「……この付近には、地窟族が暮らす小さな集落があるそうなのですが、おそらくここではないかと……」
ドワーフは、人とも交流がある、鉱石と共に生きる種族だ。
地下に繋がる洞窟に暮らし、鉱石を掘って加工することを生業にする。
その技術力は素晴らしく、人とは違う感覚を持っているそうだ。
「人が入ってはいけない決まりがあるのですか?」
「いえ、特にそのようなことはありません。人が近付くことはありませんが、ドワーフは王都に出入りすることも多い種族ですから。ただ……」
「ただ……?」
レイランは言いにくそうに目を伏せる。
「交流があると言っても、そこまで友好的な関係というわけではありません。ドワーフの鉱石を王都で買い取っているというだけの繋がりで……最近は、何度か商家と揉め事があったという報告を受けています」
「揉め事……ですか」
種族が違うと、価値観や生き方に違いがある。
理由がなければ、関わらないという方が多いだろう。
「詳しいことは分かりませんが、あまり良い印象を持たれていない可能性もあります」
ルティナには分かり過ぎることだ。
つい最近まで、自分がそうであったからだ。
だからこそ、大丈夫だとも思える。
「……きっと、何かすれ違いがあったのではないでしょうか。わたしは、理解さえあれば対話ができると思います……行ってみましょう。話をして、それでも難しければ別の方法を探します。それに……」
足元のフウを見ると、洞窟の中をしきりに気にしている。
その様子が、警戒というよりも好奇心なのだ。
「フウが行きたそうにしています。危険があれば、きっと入ろうとしないと思うんです」
レイランは腰に付けていた魔導石を取り、明かりを灯した。
「ドワーフの暮らしも、どんなものか見てみたいですね」
洞窟の中を照らしながら、楽しそうに振り返る。
「理解さえあれば……対話ができる……」
目を伏せたまま、イアムはルティナの言葉を独り言のように反復した。
しばらくして視線を上げる。
今日初めて、彼の空気が変わった。
切れ長の目元がほんの僅か、優し気に下がったような気がした。




