蒼の季-46.宿す
「とても良い仕上がりです。もう大丈夫ですね」
顔をくしゃくしゃに綻ばせて、シルヴァンはゴヤで作った薬を眺める。
誰にでも飲みやすいように、粉末ではなく丸薬にしたいと言ったのは彼だ。
強い苦みを和らげるため、ゴヤの処理をひたすら試した。
皮を剥いたり、水や酒にさらしたり、ろくに休まずに続けていた。
心配で休むように言っても、気になって余計に疲れてしまうそうだ。
ルティナにもその気持ちはよく分かる。
出来上がった丸薬は、王都で使われる植物を加えて香りも抑えられていた。
これはもうシルヴァンの調薬だ。
「ルティナさんに助言をもらったのが大きかった。塩と砂糖とは……思いもよりませんでした」
「調理をするときの方法が役立ちました。でも、匂いが抑えられたのはシルヴァン様の経験ですね。わたしも良い学びになりました」
「いやぁ、夢中になってしまいましたよ。やはり薬草は面白いです」
治療院の調薬部屋は、森の家と同じ香りになっていた。
部屋の中は、王都の治療院とは思えないほどたくさんの植物が溢れている。
乾燥棚や保冷棚、保温棚まで置かれている。
さながら王都の植物研究所のようだった。
「ルティナさん、無理を承知で……一つ願っても良いでしょうか」
丸薬の乗った小皿を置き、シルヴァンは座り直した。
足元で伏せていたフウが体を起こし、一緒になってこちらを見上げる。
「ルティナさんは、リシアに戻られますよね。それがいつなのかは分からないが、わたしも着いて行ってはだめでしょうか。数年……いや、1年でも、もっと短くても構わない。きちんと学んで、ひとりでも患者と向き合えるようになりたいんだ」
膝の上で固く握られた手には関節が浮き上がり、見慣れた職人の手だと思った。
父の手に似ている。
植物の葉先や棘で、指先や甲には小さな切り傷が残っている。
学びたい欲求というのは、一度見つけてしまったら抑えるのは難しい。
今回の件で、その思いがより明確になっているのは、見ていても分かる。
「……父には、それを伝えたことはありませんでしたか?」
「一度だけ。そのときは、はぐらかされて終わりました。でも、真剣に言ったわけでありません。なんというか、コーレンに言うのは照れくさいというか……妙なプライドかもしれませんが」
年が近い友人のような関係だったのなら、言いにくいのも分かるような気がした。
それにあの父だ。
真剣に言ったところで受け入れなかっただろう。
「それに、コーレンはルティナさんほど丁寧ではないというか……そのまま覚えろ、見て覚えろ、感じろ。これがほとんどでしたので、理解できないのが当然なのだと、最初から思っていたのもあります。あのとき食い下がって教えを乞えば……何か変わっていたかもしれないと、今は思います」
「父らしいです」
父の気持ちも、ルティナには分かる。
ほんの最近まで、父と同じ考えだった。
シルヴァンが諦めていたように、自分たちも伝えることを諦めていたのだ。
ユアンとレイランに会って、理解してくれる人がいることを知った。
感じられない人に伝える方法を考えようと思えるのは、彼らとの出会いがあったからだ。
「わたしが伝えられることは、父より遥かに少ないと思います。それでも、よろしければ……」
「構いません。私にとっては途方もない知識です」
「我が家でお迎えするのは難しいですが、ちょうどリシアに大きな拠点を作ることになったそうですから、シルヴァン様が寝泊まりする場所などは確保できるでしょうか……」
シルヴァンは目を大きくして立ち上がる。
「そうなのですか!?」
「わたしも先日聞いただけなのですが……兵舎や執務棟、研究棟なども建てる予定だそうです。治療院も大きくすると言っていました」
「それは……、それならそちらに移動を願い出れば……いや、それだと治療院の仕事で薬草の勉強はできなくなるか……」
ルティナの目の前を行ったり来たりしながら、独り言のように呟く。
頭が忙しくなると、身体も動いてしまうタイプだ。
「シルヴァン様は、ご家族はいらっしゃらないのですか……?」
ふと気になったことを聞いてみる。
王都とリシアでは環境が違い過ぎる。
ここに慣れていると、リシアは不便に感じることも多いだろう。
「子はおりません。……妻は、既に亡くなりました。看取ってくれたのがコーレンなのです」
「……そうでしたか。お辛いことを思い出させてしまいましたね」
「いやいや、そのときからの付き合いです。とても親身に診てくれていました。痛みを和らげて、とても安らかに送ることができました。感謝しています」
穏やかな声だ。
もう心の中で置き場所が定まっている。
「だから身軽なのです。リシアへは、仕事を辞めて行くつもりでした」
「……一度、掛け合ってみてはいかがでしょうか。ミオル様は薬草の研究に意欲的ですから、良い提案があるかもしれません」
「そうですね、ちょっと行ってきます!」
机に置いてあった紺の肩掛けを掴み、そのまま部屋から出て行ってしまった。
置いてけぼりだ。
父の背中を見たような余韻の中で、フウと目を合わせる。
「ふふっ」
フウが立ち上がり、扉へ向かおうとする。
結果はまた聞きにくればいい。
「帰ろうか。今日はリシェが届けに来てくれるよ」
フウの起こした風に乗って、ふわりと薬草の香りが届く。
森の家が懐かしくなった。
リシアでの生活も、賑やかになりそうだ。
離れに戻ると、フェンを連れたレイランとリシェの姿があった。
2人は手を取って何か話しているようだ。
遠目に見ると、それはとても絵になる光景だ。
レイランの緋色と、リシェの黄褐色の魔素が、繋いだ手の上で交じり合う。
この2人の静けさは、色が違う。
静かな灯火と、石に染みる静けさ。
どちらも、ルティナにとっては心地よいものだ。
「ルティナ」
なんとなく遠くから見入っていると、後ろから肩を叩かれた。
「いい空気だね」
「魔素の交じり合いが美しくて、見入ってしまいました」
「レイランが女性の前で普通なのって、すごく珍しいんだよ。女性が苦手なんだと思ってたけど……相手に寄るんだっていうのは新たな発見だ」
「そうなのですか? いつもとても丁寧に接していると思うのですが……」
「丁寧だよ、とても。苦手な相手って、そうなったりしない?」
「……なるかもしれません」
「だから、ルティナは俺が苦手なんだと思ってた」
「そんなこと! 思ったことありません」
からかうように笑い、ユアンは顔をそむけた。
「いや、今なら分かるよ。それがルティナの普通なんだって」
「……正直、最初のうちは……不安定な気素ばかりが気になって、気素の印象しか残っていません。ユアン様の容姿が綺麗なのに気付いたのも、王都に来る直前でしたから」
「……それは、酷いな」
「申し訳ありません……今は、ユアン様という人を……とても美しいと思っています」
ユアンは、今まで出会った誰よりも、美しい人だ。
「俺は、森で会う前から思っていたよ。エンの森で、ルティナの気配を感じたときから。ひと目見たときから、とても美しい人だって」
その言葉が、胸の奥で跳ねる。
飾り気もない、含みもない、本心からの言葉というのが分かるから、余計に意識してしまう。
嬉しいだけではない。
自分の存在ごと、包み込んでくれる言葉だ。
「ユアン様に言われると、変な恥ずかしさもありませんね。言葉のまま、受け取れます」
「……っ」
ユアンの黄金色が、眩しく舞い散った。
気素に照らされるように、顔が紅く熱を持っている。
喉の奥で、言おうとした言葉が詰まったまま、さらっと視線は外された。
どうやら照れているようで、くるくる変わる表情を見上げてしまう。
「……すまない、あまり見ないでくれ」
「照れていますか?」
「言わないでくれ」
目を閉じたまま横を向くユアンに、いたずら心が沸く。
ユアンにはいつも敵わない。
たまにこういう姿を見ると、やたらと嬉しくなってしまう。
「ふふっ 行きましょう」
足取りが弾んでいるのを、フウが不思議そうに眺めていた。
「レイラン様、フェンを連れて来てくださってありがとうございました」
「いえ、ちょうどリシェを門で見かけたので、一緒に参りました」
レイランとリシェは、手を取ったままだ。
「ルティナ、時間がかかってごめん。出来上がったのを見て欲しい」
リシェは、布の袋を2つ取り出した。
丁寧に包まれた袋を受け取ると、流れ出る微かな振動が身体に響く。
「見なくても分かります。リシェ、ありがとうございました。あなたに頼んで良かったです」
触れた手から、リシェの感情が伝わる。
手からは、言葉よりも多くのことが通じてしまう。
受け取るということは、同じだけ伝わってしまうのだ。
ありのまま、剝き出しの感情のやり取りに近い。
知りたくないことも、隠したいことも伝わってしまう。
これをするリシェは、とても強い人だと思う。
「俺も、見せてもらっても良いかな?」
ユアンが、ルティナの手に重ね、リシェに尋ねる。
「うん。ユアン様にも、レイランにも見て欲しい」
ルティナの手から、2人は1つずつ袋を取った。
リシェは少し不安そうにしている。
そのくらい、2人の感覚を信頼している。
「これは多分、フウのかな。いい音……夜の草原みたいだ」
「こちらがフェンのですね。フェンが纏う、透明な風のようです」
リシェの空気が落ち着いた。
彼女の感情はあまり表に出てこない。
心の奥で微かに動く。
「この石、対のような感じ。フウの方が静か、フェンの方は響く。並べるとちょうど音が消える。フウとフェンって、一緒にいるとすごく静かだから……なんかいいかなって思って選んだ」
「リシェの感覚はさすがです。フェンは陽、フウは陰が強いので、一緒にいると居心地がいいのだと思います」
理屈ではなく、音としてそれを捉えている。
リシェの身体には、人ではないものの血が入っているようだった。
巡りを見ると分かってしまう。
それを置いても、リシェの感覚は鋭いものだ。
「装飾も美しいです……大切にします」
「でもね……逆にした方がいいかもって思った。フウに陽の石、フェンに陰の石。その方が、音が濁らない」
「……なるほど」
「石は嵌め変えるだけだからすぐ取り替えられるけど……どうする?」
「本人たちに決めてもらいましょう」
ルティナは2つを両手に持って、フウとフェンの前に代わる代わる差し出した。
ひとしきり見つめたあと、リシェの言った通り、自分とは逆の石を気に入ったようだった。
「リシェの言った通りですね」
「じゃあ、すぐに取り替える」
リシェは器用に両方の石を外し、あっという間に付け替えてくれた。
2つを持って近付けると、淡い振動がふっと消える。
陰の石と、陽の石。
霊素がこの石に宿り、留まっている。
「リシェ、これからフウの宿し名をしようと思うのですが、見届けてもらえませんか」
「宿し名……名付けってこと?」
「はい、わたしの故郷では、名とは宿るものと考えます。名は音として響き、響きがその者に宿り、共に生きる。共に生きる名に祝福を与える、ささやかな儀式のようなものです」
「素敵な考え。一緒にいてもいいなら、見届けたい」
ユアンとレイランを見ると、彼らも小さく頷いた。
「名送りのとき以来だ」
「そうです。儀式と言えるようなものでもありませんが……」
「ぜひ、ご一緒させてください」
フウを呼ぶと、分かっているようにルティナの前に座った。
リシェはルティナの後ろに立ち、肩に手を乗せる。
フェンもルティナの隣に付き、寄り添うように身を寄せた。
儀式の始まりを告げるように、フウの尾が風を巡らせる。
太陽が降り、風が包む。
ルティナは、胸の前で指先を合わせる。
三つの角が出来るように整えた手の中を、空から降りた風が抜ける。
その風を受け、目を閉じ、深く呼吸をした。
身体の中で、霊素が光を宿す。
「その音を聴き、その名を識り、巡る幾年共に在る響きを迎える。
魂に乞う、素を映す魂名、
“静かなる風を編む者”なり。
音となり響き、素に宿れ。
その者の名。
響く真名、フウファリーゼ」
名を呼ぶと、フウの周りに風が巡る。
瞳が淡い光を放ち、魔素が色付き、纏う霊素が吸い込まれたように見えた。
「音が……重なって、溶けた」
リシェは目を閉じたままだ。
言葉を紡ぐ間、彼女が響きを追いかけて、感覚を研いでいくのが分かった。
リシェには霊素の音が聞こえたのかもしれない。
「ルティナの音が、フウに溶けた。音が溶けて、ひとつの音になるの、初めて聞いた」
彼女の言葉を聞いて、ようやく響きが宿るという意味を理解した。
アマヒトが音を大切にする、その本質に触れた気がした。
「リシェが聞いてくれて……アマヒトの心が分かった気がします」
ルティナには、霊素の音は分からない。
代わりに聞いてくれたリシェには、美しく響いたようだ。
「フウの魔素が……濃くなったように思いました」
レイランの目に映るのは魔素だ。
「霊素も今までよりも馴染んだね。包まれていたのが、纏っているように見える」
ユアンの言っていることはよく分かる。
宿し名も、名送りも、アマヒトに伝わる古い習わしだ。
どちらかと言えば、相手を想う心を表す、精神的なものだと思っていた。
知らないだけで、古い時代には儀式として執り行うものだったのかもしれない。
「アマヒトの文化も、もっと学びたいと思ってしまいます。もっと……深い意味があるものかもしれません」
「……フェンの音が、浮いたまま……」
リシェが小さく呟いた。
「フェンの?」
「うん、フェンにはこれをやってないの?」
「いえ……迎えたときに……」
――霊素だ。
フェンの纏う霊素は、父が還ったときに宿ったものだ。
「フェンの霊素は、父から宿ったもの……宿し名のときにはなかったからでしょうか」
「よく……わからないけど。ルティナの音とフウの音は近い。でも……フェンは、ユアン様の音の方が近い」
陰陽に音色があるなら、それはきっとその通りだ。
ユアンを見ると、困ったように頷いた。
彼には、それが分かるのだ。
「ユアン様、フェンの真名を……呼んでいただけますか?」
「あの言葉は……俺には分からないよ?」
「そうですよね……」
アマヒトの独特の言葉を覚えてもらうのも大変だ。
でも、音が溶け合って宿るのなら、相性のようなものがある気がする。
自分がやって良いものだろうか。
「音が溶けるのは、最後の名前のとき。……名前だけ呼んでもだめかな」
リシェの感覚は、音だけを拾っている。
もしそうなら、やってみたい。
「名前だけで良いなら構わないけど……俺でいいの?」
「ユアン様に、呼んでいただきたいです」
フェンの真名をユアンに伝える。
ユアンはフェンの前まで進み、小さく息を吐いた。
目を閉じると、彼の霊素が身体を巡るのが視えた。
「――フェイリーン」
声が振動となって広がる。
フェンの翼から、温かな風が吹き上がった。
ふわふわの毛が風で膨らみ、フェンの身体が光を抱いた。
印を使って走るときと同じ光は、消え入るように内側へ沈む。
フェンは身体を揺らし、小さくいなないた。
フェンの胸に顔をうずめると、いつもの干し草の香りがする。
父の霊素が宿り、ユアンの声でフェンに溶ける。
その不思議な巡りは、ルティナの過去と未来のようだと思った。
「リシェ、ユアン様、レイラン様。名を迎えられました。ありがとうございました」
3人の空気が、心地良い。
ここにいてくれるこの人たちに、父に、フェンとフウに――
心から溢れ出る感謝を、風に乗せて送った。
蒼の季 初夏 ―終―




