蒼の季-44.兆し
ルティナの隣は、そこだけ別の場所であるように静かだ。
身体の巡りが落ち着いている。
王都の陽は、思っていたよりも遥かに強く、身体には常に熱を感じる。
ここでだけはそれが和らいで、心地良さを感じずにはいられない。
この3人で歩くのは久しぶりだ。
隣にルティナがいて、斜め後ろにはレイランがいる。
森で過ごしたのが遠い昔に思える。
王都に戻ってからは、こうして一緒に過ごせる時間が少なくなった。
ルティナは王都に馴染み、ここの人たちとも打ち解けた。
新しい家族も増え、彼女の耳には王都の人である証が飾られている。
こうなるのは予想以上に早かった。
皆がルティナを信頼し、心から好いているのも伝わる。
ルティナという人を考えれば当然のことで、彼女も自然に受け入れている。
これはユアンが望んだことのはずだ。
どんどん大きくなる彼女を見ていると、嬉しさに混じる微かな寂しさが、心の奥でうずくのも事実だ。
器の小さな自分を笑いながら、それでも側に居たいのだ。
「ルティナ? 市場とは反対だけど、そっちに行くの?」
城下を出ると、大きな通り沿いに進むと中央市場へ繋がる。
その道から逸れようとする彼女が振り向くと、髪の隙間から耳飾りが光を返した。
儚い銀色の光は、彼女をより繊細に魅せる。
これは……目の毒だ。
「梅干しを売っているお店が、この裏の通りにあるのです。異国の方々のお店が集まっているようで、石飾りのお店もあると伺いました。とても素敵な雰囲気なのですよ」
「異国の店……ですか。それは楽しみです」
脇道を進んだ先は、ゆったりと時間が流れる不思議な場所だった。
4軒の店に囲まれた中央は小さな広場になっていて、そこが共有の休憩所のように椅子と机が置かれている。
ひっそりとした佇まいの店先には、見慣れない道具や独特の色合いの布が飾られ、アルデニアとの違いを感じる。
手前の店の前で、ルティナが立ち止まった。
「フウはここで待っていてね。入ってもいいか分からないから」
「フウって名前にしたの?」
直球過ぎる呼び名は、ルティナらしいと言えばそうかもしれない。
フウは気に入っているのか、彼女の言葉に応えるように尾を振った。
「正式な名付けはまだなのですが、呼び名がないと不便なので……仮の名で呼ばせてもらっているのです」
中に入ると、店内は洞窟のようだった。
世界中の石を集めたのではないかと思えるほど、色鮮やかな石が積まれている。
すでに装飾品として加工されているものは、アルデニアの意匠とは異なり、どれも自然の色が残る。
皮革や鎖、加工した石の台座に別の石が嵌められた珍しい作りの物もある。
そのひとつひとつに、存在感があるのだ。
石そのものに気配があり、意思があるように感じられる。
奥には加工するための様々な道具が置かれ、小さな竈は火が煌々としている。
灯りの少ない店を火の揺らぎが照らす。
火と石の波動が重なり、身体の芯に静かに響く。
「……いらっしゃい。受け取りかな?」
奥から現れた主人は、逞しい身体そのままの低い声で尋ねる。
よく陽に焼けた肌には、艶やかな汗が滲む。
さらりとした麻のシャツから伸びる腕は、鍛え上げられた筋が浮いている。
「いえ……見せていただくだけでも構いませんか?」
普通の人なら、気圧されてしまいそうな雰囲気の男だ。
ルティナにとっては、そう映っていないらしい。
「ああ、もちろんだ。手に取っても構わない。石には相性があるのでね」
ルティナの言葉に、主人の空気が緩んだ。
彼の方が驚いている。
むしろ、怖がられる方に慣れているんだろう。
「すごい数の石だな。アルデニアには無いものも多そうだ」
ユアンは、壁際に置かれた翡翠色の石を手に取ってみる。
石の芯が、強い何かを抱いているのが分かる。
人の手では決して生み出せない、自然にある力だ。
「風……」
思わず漏れた言葉に、主人の鋭い視線が向けられた。
何かを見定めようとする強い意思だ。
「兄さん、良い感度だ」
主人は口元だけで笑う。
「だが……こっちのほうが、合うんじゃないか?」
作業台から離れ、反対側の棚の上から淡い灰色の石を手に取った。
「……右手かな、出してみな」
ユアンの右手の中心に、その石を置く。
手に乗ると、さっきの石よりも更に強い力を感じる。
その感触は、じわりと手に染み込んで、石の力が腕に移るように馴染む。
初めての感覚に、思わず石を握りしめる。
「しっかり入るだろ」
今度はしっかりと、目も笑っている。
「驚いた、こんな感覚は初めてだ」
「ユアン様の腕が……魔素を纏っているように見えます」
「お嬢は見える方か。いい感覚だ」
主人は嬉しそうに白い歯を見せた。
「風……と、火……でしょうか」
レイランはユアンの腕に軽く触れて、目を閉じている。
「なんだあんたたち、揃いも揃って面白いじゃないか」
「これは……魔素、ですよね。でも、こんなに属性に近い状態で……しかも二つの属性が共存するなんて……」
ルティナは興味津々で石を眺める。
「石ってのは、蓄積するんだ。自然の在り方を全て理解するなんてのは無理だが、火に近い魔素と、風に近い魔素を受け続ける環境だったんだろう。あまり手に入る物ではないが、これを持てる人も少ない。きっとちょうどよくできてるんだろう」
主人が石を見つめる目には、その長い時間を思う敬意がある。
「これを持ったところで、魔法が使えるわけでも、未知の力が宿るわけでもない。だが、石は人を助ける。時には、身代わりに砕けることだってある。理屈じゃないんだよ。人同士の関係と同じだ」
「分かります。……この石は、俺にぴったりなんだ。寄り添うとかそういうのじゃなくて、このままで合っているんだ」
「……石は出会いなんだ。一生かかっても、そういう石に出会えないことだってある。こういう一点物の石は特に」
石も生きているということか。
木とはまた違う形で、長い時間を積み重ねて今に至る。
生きるとは……生き物とは何を指すのかが曖昧になってくる。
「父さん、この子は――」
不意に、少し低い澄んだ声がした。
入って来たその子は入口で足を止め、視線が3人を撫でた。
足元には、中を覗くように頭を低くしたフウが見える。
「おお、おかえり。早かったな」
主人は娘らしいその子の元へ、すたすたと歩いて行く。
その子の手を取り、そのままで言葉を交わしている。
年は自分たちよりも少し若いくらいだろうか。
淡い褐色の肌に、頭に薄いヴェールを掛けた異国の装いだ。
ヴェールの下には、緩く波打つこげ茶色の髪が艶めく。
その子には、人とは違う気配がある。
見た目は人と変わらないが、ユアンには分かってしまう。
おそらく、ルティナもレイランも気付くだろう。
「兄さん、こいつは……あんたたちの連れか?」
フウを眺めながら、主人は扉を大きく開いた。
「ああ、外で待たせていたんだが、中に入れても構わないだろうか?」
「その方がいいと、娘が……うちの娘のリシェだ」
リシェは小さく会釈をして、フウを中へ呼ぶ。
入ってきたフウは、ルティナの足元で尾を巻きつけるように一周した。
ちょっとした抗議にも思えるその様子が、やたらと可愛い。
主人とリシェは、手を握ったまま会話をしている。
別に悪いことではないのだが、少し違和感のある光景だ。
「うちの石飾りは、今ほとんどリシェが作ってる。何か欲しかったらこいつに言ってくれ」
手を放し、リシェは音もなく店の奥へ進む。
足音がしない。
セラのとは違う。
訓練によって身に着けた技術ではなく、そういう身体をしている。
ルティナが、歩いて行くリシェの手を取った。
「リシェさん、あなたにフウの首飾りを作っていただきたいです」
手を握ったまま、ルティナはゆっくりと話す。
握られた手を見つめ、リシェはルティナと目を合わせた。
「分かる……のね?」
「……はい。わたしも、少し特殊な体質なので」
「うん、それも、分かる」
2人の間に何かが通じて、それは繋がっている。
「お嬢、あんた……そうか、そういう人もいるんだな」
主人は重そうな靴で床を踏みながら、作業場の手前の丸椅子を持ち上げた。
置いてある机で、2人が向かい合えるように椅子を置く。
「リシェは生まれつき耳が悪い。だが、相手の身体に触れると会話することが出来る。身体に伝わる振動が、音として聞こえるらしい」
五感の変換に近いことだろう。
だが、それと足音は別のことのように感じる。
「お嬢、リシェと話すなら座ってくれ。おれは奥に居るから」
「わかりました、ありがとうございます」
ルティナはフウを呼び、リシェと自分の間に座らせた。
小さな机で向き合う2人は、どこか似ている。
「この子……混ざってるよね」
「はい。はっきりとは分かりませんが、スヴェルフとヤクモではないかと思っています」
「うん、多分そう。風だけど、静かな風。夜風みたいだけど、鋭さもある」
「ヤクモを知っていますか?」
「少なくなったけど、山にいる。……この子、触ってもいい?」
「もちろんです」
リシェは、反対側の手をフウに差し出す。
フウは鼻先を付けたあと、身体をリシェの方に寄せた。
もう心を許している。
「不思議な子ですね」
レイランは隣で2人を眺めている。
レイランも何かを感じているようだが、言葉にするのが難しい。
リシェに感じる違和感の正体は、まだ掴みきれない。
だが、ルティナがこの子に頼みたいと思ったのは納得できる。
「この子、名前はなんていうの?」
「まだ名付けの前で、今はフウと呼んでいます」
「フウ……あはは、そのまんまだね」
「これが一番しっくり来てしまって……」
「いや、わかる。ごめん、変な意味じゃない」
リシェは閉じていた目を開いて、立ち上がった。
棚に無数に並んだ石の中から、いくつかを取って机に置く。
ユアンは机の反対に回って、膝を付いた。
そのすぐ後ろから、レイランも覗き込む。
「座る? 椅子持ってこようか?」
ユアンは首を振るだけにした。
声に出そうとしたが、勝手に彼女に触れるのはどうしても躊躇う。
「そう。……まず、この石。この子と音が近い。魔素が入っているわけではないから、この子の感覚に干渉することもないと思う」
「触れても良いですか?」
「うん」
ルティナは手に取って目を瞑る。
「風というより、流れる空気のように静かですね」
「……うん」
リシェの表情はあまり変わらないが、わずかに空気が弾んだのが分かる。
この2人には、言葉よりも通じる感覚があるのだろう。
「お兄さんたちも……触る?」
差し出された石を受け取ると、さっきの石とはまるで違う。
音よりも感触で静けさを感じる。
レイランに渡すと、驚いたように手の上で転がした。
「次にこれ。風に近い魔素が馴染んでる。合えば良いけど、この子はすごく強いから邪魔になるかも」
「そう……ですね。フウ、どう?」
フウはじっと見つめたあと、顔を逸らした。
どうやらお気に召さないらしい。
「だめか。じゃあ最後にこれ。……これ、不思議な石で、魔素を拒む石なんだけど……なんていうか、どちらかと言えばあなたに似ている」
リシェが出した石は、うっすらと青白い光を纏っている。
触れなくても分かる。
陰の霊素が馴染んだ石だ。
ルティナと顔を見合わせる。
「石に……留まることがあるのですね……」
「これが何かわかるんだね……普通はこういう音のする石って、勝手に入ったり抜けたりを繰り返す。魔素みたいに定着することは稀。でも、この石はずっとこれを持ち続ける」
霊素のことを知らなくても、それを音として理解している。
「あなたに似ているけど、この子にも感じるから……合うならこれがいいかも」
「見た目も美しいです」
微かに透ける乳白色の石は、柔らかな光を浮かべる。
ルティナがフウに差し出すと、鼻先を近付け、尾をぶんぶんと2度振った。
なぜか得意げなフウの顔が、妙に笑いを誘う。
「ふふっ 気に入ったようですね」
「じゃあ、これで作る。どんなのがいい? 素材は革紐とか鎖。首じゃなくて足首とかも多いよ」
「どうしましょう……」
「……足首、良さそう。首だとふわふわの毛に埋もれそう」
「じゃあ、足首にします。デザインはリシェさんにお任せします。この子に似合うものをお願いします」
「……わかった」
照れたように視線を落とす姿は、以前のルティナを思わせた。
リシェは、フウの足首周りを測りメモをした。
「あと、今日は連れてきていないのですが、エルドポニーにもひとつ作りたいのです」
「鞍は乗せてないの?」
「乗せていますが、この子と一緒に作ってあげたくて」
「……そう。石を付けるなら一度会ってみたい」
「分かりました、今度連れてきます」
「うん、待ってる」
完全に打ち解けている。
心か、感覚か。
どこか深いところで、感じるものがあるのかもしれない。
これだけ自然体のルティナも珍しい。
気を遣っている様子もなく、遠慮も感じない。
対等に話をする相手も、ルティナの周りにはいない。
リシェの持っている空気がそうさせているのか、それだけ2人の空気が似ているのか。
「それから……火のお兄さん。……ちょっといいかな?」
呼びかけられたレイランは驚き、リシェの方に向き直る。
差し出された手を取るのを、一瞬躊躇ったのが見えた。
その気持ちはよく分かる。
初対面の女性の手に触れる機会など、そうそうない。
「お兄さんの首飾りに付いている石……火柘榴っていうんだけどね。良い石だし、とても合っている。でも、ちょっと疲れているみたい。たまに休ませてあげるといいと思う」
「疲れる……」
「石って、丁寧に扱えばずっと助けになってくれる。でも、人と同じで疲れてくる。石の力が弱くなったの感じない?」
「以前に比べたら、確かにそう思う」
「……それが分かるなら安心。それを感じたら、何日か休ませてあげて」
「休ませる……というのは、使わない日を作ればいいのか?」
「……それが難しければ……この石なら、塩を入れた清水に一晩浸けたり、朝陽を浴びさせるのもいい。陽射しを長く当てるのはだめ。あとは、お香にくぐらせるのもいいよ」
レイランとここまで普通に話をする女性を、ルティナ以外で見たことがない。
そもそも、レイランが普通に接することが稀だ。
素っ気ないという意味ではなく、過剰なまでに丁寧に接する。
一切の隙は見せないし、必要以上の言葉は使わない。
絶対に踏み込ませない線を、最初から引いている。
彼女は、線を引かれたままでも気にしないのか。
いや、相手が線を引こうと思わないのかもしれない。
無理に近付くこともしないし、相手の望む距離を分かっている気もする。
「お香……は、どんなものですか?」
ルティナがリシェに手を重ねて尋ねる。
「うちではセージをよく使うけど、浄化や休息に近い作用があればいいと思う。煙そのものが、石にはあうみたい。石が喜ぶお香を探すのもいい」
「石が喜ぶ……ですか。やる気が出てきました」
張り切るルティナを眺めながら、リシェはレイランの手を取った。
「お香……なければ1回分渡そうか」
「いいのか?」
「あの人も用意してくれそうだけど、早くやりたいでしょ?」
「……ありがとう」
「取って来る」
裏から戻って来ると、リシェの後ろには主人がいた。
「お嬢、決まったみたいだな」
「はい、とても良いものが出来そうでわくわくしております」
「兄さんは……あの石どうする?」
迷っていた。
正直、かなり惹かれているが……
感じる違和感がないわけではなかった。
「父さん……この人は待った方がいい」
レイランにお香を渡しながら、リシェが振り返る。
「待つ?」
「この人、多分まだ変わっている途中。今はあの石が合うけど、落ち着くまで待って選んだ方がいい」
リシェはユアンの前に立って、手を出した。
その手を取ると、彼女の身体は人とは思えないほど静かだった。
「あなたも、あの女の人と似てる。違う音がする」
「ユアンだ」
「あの石、今のあなたにはぴったり。でも、半年後には……もしかしたら砕けてしまうかもしれない」
「……じゃあ、落ち着いたときに改めて選んでくれるか?」
「うん、そのときは任せて」
「ご主人、この子の言葉を信じるよ。そのときに、また必ず来る」
主人は満足げに頷いた。
「ザハルだ。また見に来てくれ。兄さんの変化も楽しみにしとくよ」
ザハルが差し出した手を握ると、その手は厚く硬い職人の手だった。
石と向き合い、作業に打ち込む姿が思い浮かぶ。
その手から伝わるのは、迷いのない彼の意思だった。
揺らぐことのない“ザハル”を感じる。
今のユアンには、その在り方が深く響いた。




