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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
間章 ―風の音を宿す―
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蒼の季-43.居場所

 朝の鐘が響く頃にやって来たセラは、フェンの隣にいる子に目を丸くしていた。

 戸口の前で足を止めて、こちらに視線を向けた。


「ルティナ様……厩の住人が増えているようですが」

「はい、今日からうちの子になったようです」

「そうですか……名前はなんと?」

「……名付けがまだでした」


 セラに言われるまで、気にも留めていなかった。

 ひとりで名付けをするのは大変だ。


 響名、真名。

 魔獣であれば魂名までは付けないことが多い。


 フェンの時は父と一緒に、共に歩む名を迎えた。

 ささやかでも、宿し名の儀であの子を迎えたい。

 


「セラ、少し聞きたいのですが……」


 火床で背を向けていたセラが振り返る。

 手には、籠に入れたままになっていた梅を持っている。

 彼女にとっても、梅は魅力的なものだろう。


「アルデニアでは、魔獣と共に街を歩くことはどう見えますか? 店や家の中には、一緒に入れないでしょうか」

「あまり見かけませんが、制御ができるのであれば特に問題はありません。魔獣に目印を付ける規則があり、店によっては連れて入ることも出来ます。店ごとの判断に任されていますね」


 思った以上に、アルデニアでは魔獣が生活に馴染んでいるらしい。


「さすがに、王城には無理でしょうか……」

「大丈夫ではないかと。王城にも、連絡用や荷運びをする魔獣が出入りしていますし、王家で飼育している魔獣もおります。グライフェルやレパも、普通に王城の中を動き回っていますし」


 それなら、ルティナの行動範囲を考えると問題はなさそうだ。


「……むしろ、都下よりも城下の方が面倒かもしれません」


 セラの声が沈み、自然に厩の方へと目をやる。


「城下にいる貴族の中には、珍しい魔獣を愛でたがる者も一定数おります。魔獣を飼育する場合、それを申請する必要がありますのである程度は抑止が効いておりますが……見る限り、あまり見かけない姿と雰囲気ですし。目を付けられると、少々鬱陶しいと思います」


 喉の奥から何かが上がってきて、それを押しとどめた。

 どこにでも、そういう人はいるものだ。


「では……、なるべく早く目印を用意して、申請をしたほうが良さそうですね」

「……アルヴィン様に相談して、王家の紋章を貰ってしまうのもひとつの手です。それであれば、誰も手出しできませんから」


 ルティナは床に目を落とした。

 出来れば、権力で守るという形は取りたくない。

 それをしてしまうと、これから先もずっとそうなってしまう気がする。

 あの子はここを選んでくれたのだ。

 

「……どちらにせよ、ユアン様が申請はすぐに済ませるでしょうから、アルヴィン様は興味津々で会いたがると思います」


 嬉々とするアルヴィンの顔は、簡単に想像できてしまった。

 どちらにしろ、王城に連れて行くのであれば会ってもらうことになる。

 スヴェルフはアルデニアが大切にしているとも言っていたし、先に会ってもらう方が良いかもしれない。


「アルヴィン様に謁見するには……どうしたら良いでしょう?」

「執務室に押しかければ良いのではないでしょうか」

「さすがにそれは……」

「アルヴィン様の場合、そうでもしないと捉まらないからなのですが。オルフェス様に一報入れておけば確実かと存じます」


 忙しすぎるということか、それとも自由に動き回っているという意味だろうか。

 

「では、オルフェス様にお会いしたい旨を伝えていただけますか?」

「かしこまりました。本日で構いませんか?」


 ルティナが頷くと、セラは懐から小さな笛を取り出した。

 人には聞こえない笛の音は、アルデニアの連絡用魔鳥を呼ぶ音だ。


 ひとときも経たないうちに、窓に小さな小鳥が降り立った。

 翼の先が美しい空色に染まり、茶色の羽色によく映える。

 掌に乗るほどの小鳥は、王都内を飛び回るアルゥダという魔鳥だ。

 長い距離は飛べないが、王城関係の個人的なやり取りはアルゥダが担っている。

 この鳥のさえずりは、王都に来てから常に聞こえる日常の音だ。


 アルゥダの足首にも、小さな筒が付けられた足輪が嵌められている。

 足輪に留められた金色のモチーフには、狼を象った王家の紋が入っている。

 こういうモチーフなら、フェンの鞍にも付けられる。

 白いふわふわの毛に映える天然石でも可愛いかもしれない。


「セラは、魔獣に付ける印を作ってくれそうなお店をご存じありませんか?」

「何軒か心当たりがありますが……香立様のお隣が石飾りのお店だと仰っていましたし、ルティナ様はそこの方が好みのものが見つかるかもしれません」

「……王都の装飾品は高そうですし、今の私の持ち合わせで足りるでしょうか」


 セラは驚いたように動きを止めた。

 ひととき黙った後、何か考えをまとめたように話を続ける。


「……ご存じないのですね。それも合わせて、アルヴィン様からご説明を受けられた方がよろしいでしょう」

「……そう、ですか。あまりご迷惑はおかけしたくないので、自分で買えるほどのもので充分ですが……」


 セラの眉が一瞬震えた。

 何かを言いかけ、結局その言葉は飲み込んでしまった。


「……後ほど、アルヴィン様とお話をした後に、その店に行ってみましょう」


 厩の方から、会話を聞いていたように、あの子の鳴き声が響いた。




 王城のオルフェスからの返事は、思ったよりずっと早く戻って来た。

 どうやら、ユアンからも面会の打診があり、時間を合わせてくれたようだ。


 返事を待ちながら、水に浸しておいた青い梅で簡単なジャムを作った。

 甘酸っぱいジャムは、割って飲んでも、パンに乗せてもいい。

 使い勝手は、森で採れる果実と変わらない。

 これなら、森の果実で梅干しのようなものを作るのもありだ。


 ナーシャへのお土産に、小さな瓶に詰めて持って行くことにした。



「ちゃんとしたのを作るまでは、これを付けてくれる?」


 外を一緒に歩くために、ルティナの髪飾りと同じ組み紐を選んだ。

 鼻先に差し出すと、匂いを確かめ、尾を揺らしてひと鳴きした。

 耳を後ろに倒して待つ顔は、屈託のない笑顔だ。

 ルティナしか人が周りにいないと、この子はとても甘えん坊になる。

 

「ルティナ様、そろそろ参りましょう」


 戸口の方からセラが顔を出すと、ぴんと耳を起こしてすました顔に戻った。

 これを、可愛い以外に表す言葉があるだろうか。

 プライドなのか、人によって見せる姿を選んでいるのか。

 どちらにせよ、その信頼に胸が熱くなった。


「呼び名がないと不便だから、しばらくはフウって呼ばせて欲しい。これから一緒に王城に行くから、しばらく側にいてね」


 フウの首に手を当てて、その意思を渡す。

 分かっていると言わんばかりに、尾を大きく振った。



 フェンをアベリスの厩へ預けて、そのまま王城の敷地へ入る。

 門の前には、既にセインが待っていてくれた。

 その目を見て、察した。

 口を結び、目を輝かせるセインは、風鈴果を前にしたフェンのそれだ。

 どうやらフウは、彼の心を射止めたようだ。

 


「お待ちしておりました! ご案内致します」


 セインはこちらに背を向け歩き出す。

 王城の中でも、やはり周りから見られている。


 フウは耳を細かく動かしながら、あちこちの音を確認している。

 警戒というよりの観察だ。

 野生で暮らしていたのなら、感じることのない数の気配だ。


 フウがこちらを向き、軽く尻尾で足を撫でた。

 

 大丈夫だ。そう言われた気がする。

 こちらの心配なんてお見通しだ。


 ルティナは自分にため息を吐いた。

 この心配癖も、そろそろ何とかしたいものだ。



 執務室には、ユアンとレイランがいた。

 こちらを向いているアルヴィンの目は真剣で、何かの話をしている。


 ルティナがお辞儀をすると、アルヴィンは表情を崩し、分かりやすく心を躍らせた。

 その目が見ているのは、間違いなくフウだ。


 後ろを振り向いたユアンは、目を大きくした。

 ルティナが来ることは聞かされていなかったようだ。


「ルティナ、どうしたんだ?」


 勢いよく立ち上がったユアンの奥から、アルヴィンが声を上げる。


「ルティナ殿、待っていたよ。……その子がユアンが言っていたスヴェルフとヤクモの子か」


 半分腰を浮かせて前のめりになった彼からは、言い得ぬ圧が漏れ出している。

 フウは、向けられる熱視線にたじろぐ気配はない。

 ただ淡々とアルヴィンを観察している。


 不意に、フウは尾を振りぬいた。

 尾から放たれた一筋の風はアルヴィンの元へ届き、肩にかかる白緑の髪が美しくなびいた。


 アルヴィンは風を頬に受け、嬉しそうに微笑んだ。

 言葉はなくとも風が繋いでいる。

 

 間を開けずに、ルティナとフウの間をすり抜けた風が執務室へ散った。

 何かしたようには見えなかった。

 魔素がほのかに光っただけだ。

 でも、それは確かに彼の風だったと思う。

 

 アルヴィンは、こういう光景が似合う人だ。



 立ったままのユアンの隣へ進む。

 フウはルティナの隣にぴたりと身体を寄せているが、警戒はしていない。


「ああ、ユアンには言ってなかったか。魔獣の申請をしたいと言うので、ついでに連れて来てもらったんだよ」

「……申請ならさっき済ませてきたよ。すまない、きっと兄上がこいつに会いたかっただけだ……」


 ユアンは呆れたように、横目でアルヴィンを見る。

 こういう表情を誰かに向けるのを初めて見た。

 どちらかと言えば、レイランから向けられている側だ。

 それが逆に幼く見えて微笑ましい。


「スヴェルフの混血なんて、今まで確認されたことがない。しかも、人と一緒に行動するなど考えられないことだ。是非とも会っておきたいじゃないか」


 アルヴィンは背もたれに身体を預け、言い放つ。

 彼にとっては、好奇心がすべてなのだ。


「たしかに、執務室に呼びつける必要はありませんね」


 静かに進み出たオルフェスが、書類と小物が乗った台を置いた。


「それだけじゃない。渡したいものと、説明しておきたいこともある。ユアンも一緒に聞いておいてくれ」


 ユアンは察したように、姿勢を正した。



「ルティナ殿、あなたには王都に来てから様々なことに協力してもらっている。ユアンやナーシャの治療、都下の病への対応。魔法や魔獣についての知識だけでなく、我らが持ち得なかった世界との向き合い方まで。今だけでなく、これから先続いていくこの国にとって、あなたは多大な貢献をしてくれている。この国を纏める者として、心から感謝申し上げる。言葉のままに受け取っていただけると嬉しい」


 アルヴィンは目の前で深く頭を下げた。


 思いもよらない突然の言葉に背筋が伸びる。

 知っていることを伝え、出来ることをしただけだ。

 そう言おうとして、言葉を止めた。


 アルヴィンの真摯な瞳は、まっすぐにルティナに向けられている。

 オルフェスも、ユアンも、レイランも、皆がそれに倣って頭を下げている。


 流れ込んでくる感謝は、嘘偽りのない真っ白な感情で、あまりにも強い。

 これを受け取らないのは、失礼でしかないと、そう思うほどに。


「……お役に立てているのなら、とても嬉しく思います。わたしの言葉をこんなにも信じていただける人がいることを知りました。……わたしの方こそ、皆さまに感謝しております」


 ルティナもまた、心からの感謝を返す。

 

「ここまでの貢献を、ただ受け取るだけで終わらせることはできない。謝礼など受け取るつもりがないことは、あなたと接してきて分かっているつもりだ。だが、そうはいかないことをご理解いただきたい」


 差し出されたのは、銀で作られた装飾品のようだ。

 小さなチャームが添えられ、紋様が刻まれている。


「何にするか悩んだのだが、ユアンに相談して耳飾りの形にした。付けられたチャームは印章と鍵を兼ねている。我々が付けている指輪と同じ役割のものだ。耳飾りはナーシャが、印章の紋はレスティアがデザインしてくれた。気に入ってもらえると良いのだが……」


 銀の流線が幾重にも交わる意匠は、息を飲む美しさだ。

 吊り下げられたチャームには、三日月と芽吹きを連想する紋が刻まれている。


 ルティナには過ぎた贈り物だ。

 手に取ると、込められた感情がしんしんと心に響く。


 頬が熱を持ち、紅く染まっていくのを感じる。

 胸が鳴るのは、この想いが嬉しいのだ。



 手の上で小さく震える耳飾りを、ユアンがそっと手に取った。

 ルティナの髪をかき上げ耳に掛けると、反応するように右耳に熱が宿る。

 軽い、だが、その想いは何よりも重かった。

 これを受け取って、立っていられる自分になれているだろうか。


 足元で、フウが尾を振った。

 その風はゆらりと流れ、ルティナの髪を浮かせる。

 耳飾りが風に揺れると、しゃらしゃらと音が鳴る。

 その音は、ルティナだけが聞こえる、夜空から降る月光の音色だった。



「とてもよく似合っているよ」


 ユアンの柔らかな眼差しには、黄金色の粒が舞う。


「ああ、想像以上だ」

「髪色にもぴったりでいらっしゃる」

「ルティナ様らしい耳飾りです」


 口々に褒められると、どんどん身体が熱くなってくる。

 うつむきたくなる自分を奮い立たせて前を向く。


「ありがとうございます。大切に致します……」


 アルヴィンの美しい緑の瞳は、どんなものでも受け入れてしまいそうに深かった。

 この人にはこれからずっと、勝てそうにないなと思う。



 彼は満足そうに頷いた後、一緒に置いてあった書類を差し出した。


「あとは、報酬の話だ。薬の製法や調合の仕様書なども、治療院で扱う物に関しては作成者を登録する規則になっている。その登録によって、都度謝礼が発生する。知識共有や研究協力、治療や遠征などの実務も、国から報酬が支払われる。今までの分は、すでにルティナ殿の名前で王家で管理されているので、必要であれば自由に使える。その際にはお渡しした印章が身分証明の代わりになる」


 言葉が出ない。

 セラが言っていたのはこのことだ。


「先に言っておくが、これはこの国の規則に則って決められた額が支払われる仕組みだ。拒否することは出来ないと理解してくれ」


 差し出された書類を見て、心臓が止まるかと思った。

 見たこともない数字が並んでいる。


 隣のユアンに助けを求める視線を送ると、口元を抑えて笑いを飲み込んでいる。


「言っても受け取らないと思ったから、勝手に貯めることにしたんだ。別に使わなくてもいいし、研究費用とかさ、本とかさ、欲しいものが出来たときに使えばいいんじゃないか? まあ、大きな書庫くらい買えちゃいそうだけどね」


 笑いごとではない。

 それが冗談ではない金額がここに記されているのだ。


「さすがにこれは……金額が多過ぎると思うのですが」

「そんなことはない。価値を決めるのは我々の方だ。ウィランなど、これではまったく釣り合わないと散々ごねていたぞ」


 アルヴィンも高らかに笑っている。


「ルティナは何も欲しがらないもんなぁ。何かないの? 欲しい物」

「……この子とフェンのしるしを作ってあげたいです」


 4人の視線が集まり、少しの沈黙のあと、笑い声が4つ重なった。


「自分の物じゃないのがルティナらしいな。いいじゃないか、早速作りに行こう」


 ユアンが立ち上がると、寝転んでいたフウも起き上がる。

 渡された書類をまとめるセラの横顔にも、笑顔の余韻があった。



 執務室から出ようとするユアンの足取りは軽い。


「ユアン、先ほどの話だが……考えておいてくれ。返事は後日聞くよ」

「はい」


 後ろから投げられた言葉に振り返ったユアンは、何かが吹っ切れた顔だ。

 それを見たアルヴィンは、柔らかい笑みを浮かべている。



 ユアンはただ嬉しそうで、纏う黄金色はいつも以上に眩しかった。



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