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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
間章 ―風の音を宿す―
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蒼の季-42.山へ

 貯水湖より北、更に山を登るのは初めてだ。


 貯水湖に立ち寄って確認したヒユイベニシダは、順調に育っていた。

 葉先から感じる振動は、以前よりも強くなっている。


 湖の周りには、ラクサールの姿は見えない。


 新しく整えられた水場に日向ぼっこをするラクサールが集まり、見えるだけでも20頭はいるだろうか。


 近付きすぎないよう遠回りをして、山の上へと進む。


「これ……冷静に見るとちょっとすごい光景だよね」

「そうですね……遠目に見るとワニに見えますし。ちょっと怖いかもしれません」

「ワニ……それはちょっと、想像したくないね」


 目を合わせると、ユアンは肩をすくめて見せた。

 瞳はいつにも増して澄んだ琥珀色で、光の粒も舞っている。

 今日のユアンは上機嫌だ。


「ユアン様が楽しそうで良かったです」

「ん? そうかな」

「はい、久しぶりのお休みでしょう? ここのところお忙しそうでしたし、お誘いして良いかと迷っておりました」

「ははっ ルティナの誘いなら喜んで付き合うよ。いつも俺が声を掛けてばかりで、あまり誘ってもらったことないしね」



 ユアンは、ヒユイベニシダを植えた日以降、ずっと忙しそうに動いていた。

 畑作り、魔獣研究を兼ねたラクサールの観察、南の方では魔獣の討伐もあったようだった。


 すべての魔獣を討伐せずに終わらせるのは難しい。

 生態を理解して解決するには、それなりの時間と準備が必要だ。

 理解したからといって、いつもよい解決方法があるわけではない。

 それはルティナも分かっていることだ。

 

「……この山を、ちゃんと歩いてみたかったのです。問題を解決する目ではなく、ここにある自然として」

「うん、俺もそういう目で見たことがないことに気付いた。だからすごく楽しみなんだ」



 フェンとアウリスは貯水湖の兵士に預けた。

 それなりに足場が悪いところもあるらしく、のんびり歩くことにした。

 いつもなら不満げなフェンも、今日はアウリスと並んで見送ってくれた。

 


 麓よりも風が軽い。

 葉の位置が高く、見通しのよい北側は空が近い。

 風に揺れる木の葉は、サラサラと控えめな音で山を包む。

 ナブの白い幹は、この山を支える柱のように真っすぐ空へと伸びる。

 

 静かな場所だ。

 小鳥や小さな魔獣の気配はするものの、それは景色のような存在だった。

 静かでも、感覚を澄ますと生物の声がする。


 しばらく進むと、山を見下ろせる開けた斜面に出た。

 遮るものがないそこには、燦燦と太陽が降り注ぐ。

 眼下に広がる景色は、美しく色分けされている。

 麓に向かうごとに色が濃くなり、平原との境は線を引いたように黄緑に染まる。


 

「梅ってさ、あれは違う?」


 ユアンの指が差す方へ視線を向けると、岩場の縁に立つ小ぶりな木が目に入った。

 丸い鮮やかな黄色の実がいくつも実っている。


「あ、そうかも……」


 確かめに近付く足が速くなる。

 風に乗って、甘酸っぱい爽やかな香りが届く。

 近付いてみると、表面がさらっとした青い実と、艶々した黄色い実がある。


「ユアン様! 多分これが梅だと思います!」


 振り向いて声を上げると、ほわんとした笑顔を含み、ユアンが頷いた。


「上の方に黄色い実が多いね。青いのもあるみたいだけど」

「梅干しにするなら熟れた実だと思うのですが、青いものは果実酒になると思うんです」

「じゃあ、両方とも採っていく? 上の方は俺が――」


 ユアンが手を伸ばすと、一筋の風が木を揺らした。

 枝先が大きく揺れ、熟れた梅がぽとぽとと地面へ落ちた。

 地面に転がった梅は、風に押されるように一箇所に集まる。


 ――この風はあの子だ。


 2本先の梅の木、その木陰で、薄茶色の毛並みがふるりと揺れた。

 ふさふさの尾を揺らしながら、梅の木の間を駆ける。

 足音に合わせて、風が波打つ。

 その姿は遊んでいるように弾み、ユアンの前でぴたりと止まった。


「おお、お前か。この前はありがとな」


 ユアンが屈むと、その子は2本の尾をなびかせて応える。

 くりっとした目は淡く光ったままユアンを見つめる。


「梅が欲しいんだってさ、手伝ってくれるか?」


 ルティナに視線を移し、その子は短く声を上げた。

 風に馴染む鳴き声は、耳よりも肌に直接伝わる。


 大きく尾を振ると、先ほど集めてくれた梅の周りを風が一周した。

 早く拾えと言われているようで、ルティナは慌てて籠に取っていく。

 

「ははっ ルティナに指示するなんて、大物だな」

「……ユアン様、手伝ってください」

「はいはい」


 落ちた梅を拾うと、それだけで籠がいっぱいになってしまった。

 その子は次の木に視線を向けているようで、ルティナは慌てて視線を遮る。


「籠がいっぱいになってしまったので、今はもう充分です。助かりました」


 その子はじっとルティナを見つめ、物足りなそうに尾をぶんぶん振っている。

 ルティナの周りをぐるぐる回り、じゃれつくように尾で撫でる。


「まだやる気だな。一度籠を取り替えに戻って、フェンとアウリスも連れて来るか。ここまでなら来られそうだよ」


 正直、梅はたくさん採っておきたい。

 せっかく会えたこの子とも、もう少し一緒に過ごしたい。


「よろしいですか?」

「ああ、こいつが気になるんだろ? せっかく会えたし、付いて来る気満々みたいだよ」


 この子は、ユアンとルティナの間を行き来しながら、上機嫌でここにいる。

 自然にここに馴染んで、こちらの意図を汲んでくれている。

 曖昧に空気だけで理解し合う感覚が、幼い頃のフェンみたいだ。


「この子は、ひとり……ですよね」

「……そうだろうね。スヴェルフは家族で行動するし、ヤクモも群れで生活するはずだ」

「人に飼われていた可能性は……」

「無いと思う。ルティナは感じないかもしれないけど、野生の魔獣ってそんなに人に心を許さないし、人もそれは同じだ」

「そう……ですか」

「こいつは今すごく楽しそうだし、様子を見てみよう」


 ユアンが籠を持って、こちらを振り返る。

 追いついて歩き始めると、その子は当たり前に前を歩き始めた。


「ね、来る気満々だよ。気に入られたね」

「わたし、でしょうか……?」

「こいつはきっと分かってた。先に俺の所に来たのは、俺の方が警戒していると思ったからだ」

「気付いていたのですか?」

「うん、梅の木を見つけるちょっと前から、視線は感じたよ」


 全然気づいていなかった。

 気配が受け取りにくくなっているのだとしたら、それは怖い。

 不安が滲む前に、ユアンは言葉を続ける。


「ルティナは変わってないと思うよ。こいつ、ちゃんと気配を消している。でも、ちょっと陰を感じるんだ。だから俺の感覚に引っかかりやすいんだと思う」


 この子が纏う陰は、確かに外との境界を薄めている。

 野生で、しかもひとりで生きているとしたら、そうしなければ危険だったのだ。


 目の前に揺れる尾が、風を読むようになびく。

 こちらの気配を辿りながら、同じ間隔を保って歩く。


 この子とは、長い付き合いになる。

 そんな予感がした。




 貯水湖に戻る途中、ラクサールのいる水場の辺りで、その子は立ち位置を変えた。

 それを見て、ユアンと顔を見合わせる。


 その子は、ルティナたちとラクサールの間に身を置いた。

 攻撃をする気はない。

 でも、備えている気配は感じられた。


 その子にとって、ルティナたちは守る対象のようだった。


「参ったな、自分の方が強いと判断してるんだな」

「……スヴェルフの血を引いているなら、それも納得してしまいますね」

「スヴェルフの血は感じるね。……ヤクモってどんな魔獣なのか、余計に気になってきたよ」


 まだ若いが、風を自在に操っている。

 その子にとって、それは尾を振ることと大差ないようにも見える。

 スヴェルフは上位魔獣アルカ、その力は自然災害と変わらない影響を与えるそうだ。

 その力を宿しているのなら、この子の力を想像するのも難しい。




 籠2つ分の梅を集め、のんびりと歩いた。

 その子は行きたい方向を感じ取って、安全な道を案内する。


 真っ赤な山苺、木の実、キノコ。

 ルティナが足を止めると、周りの警戒をしながら守るように風を回す。

 フェンたちを気にしてか、遠回りで平坦な場所を選んでいる。


 賢い子だ。

 これはもう人の思考に近いのではないか。

 だからこそ、胸が痛む。


「ひとりでも、生きられるのが分かるな」

「……本当ですね。でも、孤独を感じないわけではありません……」

「そうだな」


 この子も、すべてを受け入れて生きているのか。

 自然の中で生きるとはそういうことだと分かっていても、孤独とは何かを失うよりも苦しいものだと思ってしまう。


 山の巡りが回復しても、きっとこの子の仲間はいない。


 混血が単体でいるのは――おそらくそういうことだ。



 山をひとしきり歩き、そろそろ陽が傾き始める頃だった。

 麓へと続く道が目に入ると、その子は立ち止まった。



「一緒に来てもいいぞ。お前に王都は窮屈かもしれないけど」


 ユアンの言葉を、この子はきっと理解している。

 こちらをじっと見つめる瞳からは、感情が読み取れなかった。


 フェンが振り向き、その子の元へ行く。

 鼻先を合わせて、その子に何かを伝えたのかもしれない。


 その子は大きく尾を振り、こちらに静かな風を送った。

 ルティナを包んだその風が吹き抜けると、気配を消すようにそこから走り去った。


 一緒にいたいと、心の中で願ったのが伝わったかは分からない。

 山の上から、遠吠えの感触が肌を撫でる。


「あいつに任せよう」


 走り去る姿を見て、ふと湧いた寂しさはユアンに伝わってしまった。

 フェンも山を見つめたままだ。


「これは、わたしのわがままですね」

「願うことは自由だよ。それが届くかはまだ分からないけどね」


 願うことは自由。

 あの子にとって、それを感じるのは辛いことではないか。


 願うなら……。

 自分を満たす願いよりも、あの子の幸せを願おう。


 またきっと会える。

 それは願いではなく、不思議な確信として胸に残った。






 朝の空気に、湿り気を感じる日が多くなった。

 本格的な雨の季節は、すぐそこまで来ているようだ。


 窓の外は、太陽を隠れ薄暗い。

 空を覆う雲は日に日に厚くなっている。


 今日は梅の処理を終わらせてしまおう。 

 2、3日中に仕込んで、雨の終わる頃に仕上げ干しをしたい。


 身体を起こすと、いつもとは違う気配を近くに感じる。

 これは……、いや、まさか。


 逸る気持ちを抑え、心を落ち着けながら身支度を整える。



 戸口を出て、フェンのいる厩を見ると――

 そこには、フェンと並んで寝転んでいるあの子がいた。

 さも当たり前に。

 ずっとそうしていたように。


 ルティナの気配を感じて、フェンが首を起こす。

 その子は、前足に顎を乗せたまま、耳だけをこちらに向けている。


 あまりにも。

 あまりにも普通すぎやしないだろうか。


 せめて、来たよ、くらいの主張はして欲しいものだ。


「だったら……昨日一緒に帰ってくれば良かったのに」


 思わず漏れた不満に、フェンの耳がぴくっと反応する。

 その子はようやく首を上げて、耳が何かを捉えている。

 中庭から、ユアンが走って来るのが分かる。

 ユアンには反応して、こちらには反応がないのも……なんだか悔しい。



「やっぱりお前か。来たんだな」


 ユアンの息遣いが、ルティナの真後ろで声になった。

 驚いている様子もなく、ただ納得している。


 その子は寝転んだまま、尾をふわりと振るだけだ。

 この子にとって、ここに来ることは特別なことではなかったかのように。


「なんか普通に馴染んでるね。いつからいたんだろう?」

「フェンと一緒に寝ていたみたいなので、夜に来たのだと思います。まったく気づきませんでしたが……」

「こいつが本気で気配を消したら、きっと追うのは難しいんじゃないかな?」


 その子は小さく声を出し、静かに立ち上がった。

 ゆっくりと進み、ルティナの足元で尾を巻きつけて座った。

 ふさふさの感触が気持ち良すぎて、それだけで身体がきゅっとする。


 膝を付いてその子に手を回すと、思った以上に大きく逞しい。

 毛並みからは、山の風と同じ匂いがした。

 尾をふわふわと揺らし、どうやら嬉しそうにしている。

 昨日までは、あまり触れてはいけない気がしたのに、今は身体を預けてくれる。

 

「こいつ、これからどうするんだろうな。一緒にここにいるなら、首輪みたいな目印を付ける決まりなんだけど」

「この子、割ときままな感じですし……縛り付けるのは良くないかもしれません」

「そうかな? 準備して来たんじゃない?」


 その子は、何か言いたげな目をしている。

 ルティナは目を閉じ、その子の首に手を当てる。

 フェンにするときと同じように、自分の意思を渡すことができる気がした。


 その子は、ルティナの左手に鼻先を付けた。

 人が言葉を返すのと変わらない、この子の意思だった。


「……ここに、いてくれるみたいです」

「心強さは一番かもしれないね」


 その子はフェンの横に戻った。

 2頭が並ぶ姿は、ルティナにとってくすぐったい感覚だ。


「……家族が増えたみたいな……そんな気がします」

「こいつがいれば、もうどこに行くのも安心かもしれない。フェンを連れていけないところでも、こいつなら一緒に動けそうだし」

「……しばらくは、どうするのか様子を見てみます」


 気持ちよさそうに目を閉じるその子は、耳だけをこちらに向けている。

 人の街で過ごすことに、負担はないのだろうか。


「ルティナが思うよりも、魔獣の行動は率直だと思うよ。一緒にいたい、心地いい、守りたい。簡単に心を許さないけど、信じた相手を裏切ることもないように思う。ルティナがこいつのことが気になったみたいに、こいつもルティナに感じることがあったんじゃないかな」


 そうかもしれない。

 ひと目見て、この子が自分の側にいるのを想像した。


 それは自分の願いなのだと思っていた。

 もしかしたら、互いに何か通じるものがあったのかもしれない。


「ユアン様も、この子に何か感じていませんでしたか?」

「俺は、不思議なくらい自然に受け入れてたかも。きっとこれから一緒に過ごすんだろうなって。だから、こうなったのも納得しかないよ」



 不思議な子だ。

 この子には言葉にできない安心感がある。

 そして、ただただ可愛いのだ。


 今は、ここに来てくれたことを素直に喜ぼう。

 

 フェンに身体を預けながら、2本の尾を大きく揺らす。

 山と同じ匂いの風が足元を撫でる感触は、包み込むように温かかった。




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