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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
―山を巡る水―
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蒼の季-37.根を張る

 執務室の窓から見えたのは、靄がかかった王都の景色だった。


 四家の敷地のすぐ外には、灰色の石造りの道が、白い壁の城下へ繋がる。

 統一感のある城下は整然として、規則正しく色が並ぶ。


 なだらかな傾斜を辿りながら視線を奥へと進めると、その先には都下が広がっている。

 都下の屋根は様々な色が散り、そのひとつひとつに暮らしが在るようだ。


 ここからの景色を眺め、ナヴァンは毎日何を思っていたのか。

 雨はまだ降り続いている。

 久しぶりの雨が、都下の熱と彼の心を癒してくれるようにと願ってしまう。



「失礼、待たせた」


 扉を開けたナヴァンの後ろには、ひと回り大きな身体が覗いている。

 ナヴァンに続いて入って来たその男性には、見覚えがある。


「先日、治療院で大変お世話になりました。セインです」


 治療院で最初に調律した兵士だ。

 顔色良くなった彼は、背筋をぴんと伸ばし引き締まった姿勢を取る。

 あれから5日ほどしか経っていないが、さすが日頃から鍛えている兵士だ。

 身体からは気力が漲り、その表情からも朗らかで明るい人柄が窺えた。


「お元気になられたのですね。見違えるようです」

「ルティナ殿のお陰です。どうにもならなかった不調がこの通りです。どうしても自分の口でお伝えしたく、ナヴァン様に無理をお願いいたしました。……心から感謝申し上げます」


 セインは、今まで目にしたアルデニアの敬礼とは違う所作を見せた。

 片足を一足分引き、右手を胸を当ててお辞儀をする。

 それは、姿勢を見せるというよりも、心を表す静かな礼だった。

 彼から届く感謝は、ルティナの心にじわっと染みる。


 それを心に置いて、アマヒトの礼を返す。


「元の身体に戻るようにしただけです。普段から鍛えていらっしゃると、回復も早いのですね。お顔を見せていただき安心いたしました」


 調律後、その経過を確認できることは少ない。

 回復した後に診せるという習慣がないのだ。


 わざわざ時間を取って会いに来てくれた気持ちが、何よりの報酬だ。


「セインは四家近衛に籍を置き、普段は王城にいる。今後、王城内では彼を案内役として付けたいと思うが、ルティナ殿はどうだろう? セラはもちろん一緒で構わない」


 先ほどのようなことが起こらないように、ということだ。

 むしろ、もっと目立つことになるのではないだろうか。


 セラに目をやると、彼女はそれを感じ取り口を開いた。


「ありがたいご配慮です。よろしくお願いいたします」


 意外な答えだったが、セラがその方が良いと思うならきっとそうなのだ。

 ルティナはそのまま受け入れることにした。


「セイン様、お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします」

「登城の際には、門でお待ちしております」


 セインは口元を緩め、軽く頷いて見せた。

 四家近衛と言われて身構えたが、この人は気持ちがいい人だ。

 これでレグイスと距離を取りやすくなるなら、願ってもない。



 セインが部屋から出て行くと、ナヴァンは中央の長椅子に腰掛けた。

 それに合わせて、ルティナは向かい側に座る。


「ルティナ殿、下でのことは申し訳なかった。レグイスも、セラとあなたの立場に関しては理解したはずだ」

「いえいえ、そんな! 厚意だというのは伝わりましたから」


 驚いて声が上擦る。

 ナヴァンに謝られるほどのことではない。


「……厚意……だけではないと思うが……まぁ、セインがつけば今後は大丈夫だろう。レグイスが無理を通せる相手ではないし、私からも言っておいた」

「お心遣い感謝いたします」


 ナヴァンとは、しっかり目が合うようになった。

 一度調整しただけだが、彼の身体は巡りが維持されている。

 心地良い状態を理解して、自分で合わせているように感じる。

 それが自然にできる人はとても珍しい。


「ナヴァン様のお身体も、大丈夫そうで安心いたしました」


 その言葉に、ナヴァンちらりと背後を見やった。

 控えていたディノが、にっと白い歯を見せる。


 ディノには特に何か言った覚えがない。

 自分で考えて巡りを調えるのは、知識がなければ無理な話だ。


「ディノ様が……何かされているのですか?」

「……ボクは自分が口に入れるものは、基本的に自分で作ります。ルティナ様の粥を食べた後にとても身体の調子が良いのを感じましたので、ロイに色々と教えて貰いながら試しています。それを、ナヴァン様にもお出ししています」


 ディノの魔素は明るい翡翠色だ。

 ナヴァンと同じく風属性の魔素ならば、同じ食事で整っていくのも頷ける。


 ロイの願いが、徐々に浸透しているのを感じる。


「素晴らしいです。ナヴァン様も安心ですね」


 ほんの僅かだが、書類を見る目が何かを含んだ。

 ナヴァンとディノの信頼は、言葉にしない中にこそありそうだ。



「都下の様子はすでに落ち着いてきているそうだ。調薬も安定し始め、今後のために薬の保管も見据えられるとの報告が上がってきている」

「そうですか……あとは、ゴヤの薬も作っておいた方が良いと思います」

「魔導水から作る薬があってもか?」

「はい、少し意味合いが違います。それに……魔導水から作る薬は価格が高くなりませんか?」


 ナヴァンは間をおいてから頷いた。


「水分のある魔導水の薬は、効きが早く一気に効果が表れます。その分、薄れるのも早いのです。逆にゴヤから作る薬は、ゆっくりと効き身体に馴染んでいきます」

「なるほど、用途を分けるということか」

「時期が予想しやすい季節の障りはゴヤを主に使い、体質の改善にも繋げる。陽の溜まりなど、予測が出来ない緊急時には魔導水の薬を使うようにする。身体や治療費の負担を考えると……都下にはその方が良いと思います」


 ディノは後ろでメモを取りながら、ナヴァンと目を合わせる。

 

「レモリアの栽培も増やしましょう。市場の価格も、安価に抑えられるように調整します」

「そうだな、オルフェスに相談して農地を確保してくれ」


 この2人のやり取りはとても簡潔だ。

 要点だけしか話さないのに、意図は伝わっている。

 主従というよりは、良い相棒といった関係に思える。

 ユアンとレイランほど近くはないが、エデュードとファムほどの距離も感じない。

 ミオルとロイは、主従というより兄弟だし、ウィランとジュードはジュードが見張り役を兼ねている。


 ルティナにとって、この関係性は見ていて興味深いものだ。

 家の色、人柄、役割にあった関係性。

 同じ主従でありながら、その形はどれも違っている。

 この組み合わせは、誰が決めるのだろう。


 後から決めているというより、そういう関係で育っている気さえする。

 国を支える人たちが、同じ世代になるように計らう。

 そう考えると、これはもうアルデニアの文化だろう。

 アマヒトにはない、独特の考え方だ。


「ルティナ殿、都下について何か不安や気になることはあるか?」

「今のところ、もう思いつくことはありません。ゴヤの薬だけ、シルヴァン様に製法をお伝えします。まだ夏に向けて気温が上がっていきますので、注意しながら過ごしていただければ問題ないかと」


 ほっとした表情を見せるナヴァンは、初めて笑顔を向けてくれた。

 笑うと、鋭い目元が優しくなる。


「ここまで整えば、我々だけでも大丈夫だろう。心から感謝している」

「お役に立てて嬉しく思います。わたしも学びになりました」


 座ったまま書類を置き、ナヴァンは姿勢を整えた。

 何かを言おうとする口元が、言葉を選ぶように何度も止まる。


「……この件では……ないのだが……」

「なんでしょう?」


 心を決めたように、手を膝の上に置く。


「王都の造りを、偏りが出にくいよう変えていきたい。その助言をいただくことは可能だろうか」


 偏りが出にくいように。

 以前少し話した、材質や緑化のことだろう。

 これに関しては些細な知識しか持ち合わせていない。

 何冊か本を読み、父に聞いた程度だ。


「わたしも、浅い知識しかありません……書庫で調べながらになってしまいますが……それでよろしければ……」

「もちろん、こちらでも調べていくつもりだ。ぜひご協力いただきたい。この件はディノに任せるので、必要なときにお時間をいただければありがたい」


 後ろのディノは爽やかな笑顔だ。


「ルティナ様、引き続きよろしくお願いいたします。レスティア様には、ボクからお伝えしておきますので」


 頭の端に、レスティアの顔が浮かぶ。

 彼女の心労がまたひとつ増えたかもしれないことは、気付かずにいよう。





 実務区画からアベリスへ帰る道すがら、ふと目に入った。

 王城の正門に掲げられた、風になびく大きな旗だ。


 そこには、四家の紋章が描かれている。

 四家敷地を映したように、紋章が東西南北へ配されている。


 同じ大きさの紋章が四つ。

 それを、風を象った輪が繋ぐ意匠だ。

 北に王家、南にアベリス、西にリュサール、東にグラナート。


 それは、王を戴くというよりも、共に並び立つ意思を示すかのようだ。


「あの旗は、国の在り方を示しています」


 足を止めたルティナに、セラが言う。


「アルデニアは、元は合議国家だったそうです。今は王政の形を取っていますが、国の在り方はその名残が色濃く残っています」

「だからこの旗が掲げられているのですね」

「はい。四家が並び立ち国を動かしていた。王家はその四家の一つ。今のアルデニア王家は、謂わばこの国をまとめる家です」


 納得した。

 王政というのがあまり似合わない国だと思っていた。

 王家も一人一人が役割を持ち、四家と同じように実務をこなす。

 風通しがよく、会議でのやり取りも上下をあまり感じない。


 この在り方が、アルデニアを柔軟で開かれた国にしている。


「珍しい成り立ちなのですね。それを聞くと、このアルデニアの雰囲気がとても理解できます」

「アルデ大陸の四国は、それぞれ違っています。ファムエンは王政の色が強いですし、ミシュカは信仰が根付いた教国、イグドラは民の評議によって国が動く共和国です。アルデニアが軽やかなのは、風の性質もありそうですが」

「……とても、良い国の在り方だと思います」


 アルデニアは良い国だと思う。

 少なくとも、自分が知っている他国とは違っている。


「この後はどうなさいますか? 雨はまだ続きそうですが」

「一度離れに戻って、ヒユイベニシダの植え方を考えようと思います」


 セラが差した傘に入り、王城を後にする。

 外の程よい湿気が肌を冷やす。

 雨によって、気温も下がってきたようだ。


 リュサールの建物を横目に、書庫の本を思いながら通り過ぎる。


 まずは、目の前のことからだ。

 ヒユイベニシダをどうやって水中で根付かせるか。

 その考えをまとめるのが先だ。


 足元で跳ねる水を眺め、考えを巡らせながら、ルティナは離れへの道を歩いた。





 光の薄い離れの中は、雨音だけが聞こえる。

 

 机の上、水の中に浸るヒユイベニシダは、葉先に小さな泡を乗せている。

 微かに感じる振動で、その小さな泡は葉から離れて水面で弾ける。

 それはまるで水中で息を吐くように、規則正しいリズムだ。


 ルティナは机に伏せて、透明の器を眺める。

 小さな苗だった子は、今や倍近い大きさに育った。

 水に適応したとはいえ、その姿はシダの特徴そのままだ。


 左右対称に細かい葉が並び、葉先だけが赤紫に染まる。

 色は随分と深くなったが、それでもまだ若さを感じる緑だ。


 葉は伸びたが、根はまだどうしようかと迷っているようだ。

 容器には湖底の土を敷いてあるが、まだ根を張る様子はない。

 ゆらりと水に漂う根は、白く細いままだ。


 湖底の砂はサラサラとした灰色の砂だ。

 土や泥のような粘り気はなく、粘土のように細かくもない。

 この砂に根を張るだけでは、心許なく感じる。


 水中の植物は、土に根を張るものばかりではない。

 岩に張り付くもの。

 湖底にある木や石を抱えるように根を伸ばすもの。

 他の植物に絡みつくものもある。


 ヒユイベニシダは、何を選ぶだろうか。


 森で見たヒベニシダは湿った土に細い根を伸ばしていた。

 あの根だと、このサラサラの砂では支えられない気がする。 


 湖底の環境を見てみないと判断がつかないが――

 少なくとも、根付くまでの間は水中で固定する方法を考えたいところだ。



 以前、湧き水がある泉に植物を植えたことがある。

 あのとき父は、植物の周りを大きさの違う石で囲っていた。

 水場は浅かったし、静かな森の奥というのもあって特に問題も起きなかった。


 今回は水中、しかも付近にはラクサールがいる。

 あの大きな身体が近くを泳げば、水の中にもそれなりの流れができるだろう。

 もっと別の、しっかりと固定できる方法を見つけたい。

 出来れば、根付いた後にそのまま放置できるか、回収が楽なものが良い。



 ルティナは机に伏せたまま、腕に顔をうずめた。

 

 雨音は思考を巡らせる。

 心地よいリズムと共に、他の音を遮り霞ませる。


 思考は、頭の中で静かに回り始める。


 水中。

 砂、石、岩。

 植物。

 湧き水。

 流れ。

 ラクサール。

 湖岸。

 湖岸の植物――


 ラクサールがいる貯水湖の近くには、どんな植物があっただろう。

 確か、北側はナブの木が多かったのを覚えている。

 ナブと同じ場所に生息する植物……


「ルティナ?」


 突然の声に、身体が飛び起きる。


「うわっ」


 目の前にいたのは、手に持った籠を浮かせているユアンだった。

 頭の中に入り過ぎて、まったく気配に気付かなかった。


「申し訳ありません、驚いてしまって……」

「いや、寝ているのかと思って油断しただけだ」


 王城での報告を終えたのだろうか。

 肩布には細かい雨粒が玉のままで乗っている。


 持っていた籠を机の上に置き、ユアンはヒユイベニシダを反対側から眺める。

 姿勢を低くして肘を机に乗せると、透明の容器の背景が黄金色に染まった。


「何を考えていたの?」

「この子をどうやって湖底に植えようかと……」

「普通に植えても浮いてきちゃうもんな」


 石を重しにするとしても、水中だと流れが見えにくい。

 石が流れを遮ると、そこで砂の動き方も変わってしまいそうだ。


「あ、これを返そうと思って。今回のレイもとても美味しかった。ファムはチーズ入りに感動していたよ。エデュード殿は兎肉ラビ入りのやつばかり選んでた。レイランは甘いのを幸せそうに食べてたな」

「……ユアン様はどれがお好みでしたか?」

「俺も兎肉ラビが好きだった。けど、ほとんどエデュード殿に食べられた……」


 その目を伏せる仕草から見るに、文句を言いたかったけど言えなかったのが想像できた。

 あの中だとエデュードに優先権がありそうだ。


「また今度、次は兎肉ラビを多めに作りましょうね」

「ルティナの作る物は美味しいっていう噂は本当だったって、驚いていたよ」

「気に入っていただけて良かったです」


 籠を片付けようと立ち上がると、中にはいくつかの包みが入っていた。

 

「あ、そうだ。アンナが珍しい肉が手に入ったからどうぞって。アルデニアだとあまり手に入らないけど、イノシシっぽい見た目の魔獣の肉だって。煮込みにすることが多いって言ってたよ」

「ありがとうございます。煮込み料理……近いうちに作ってみましょうか」


 ルティナは保冷棚に肉をしまい、籠に敷いてあった布を取り出した。

 籠の底は、編み目が少し緩み始めている。

 長いこと使っているのか、目の隙間からは床が覗ける。


 籠……。

 ……隙間。



 頭の中で、何かが繋がった音がした。




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