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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―山を巡る水―
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蒼の季-33.畑

 蒼の季15日。

 王都に来て二巡ふためぐりが過ぎようとしている。


 あれから3日が経ち、平原ではハーロウが芽吹いた。

 

 ハーロウはとても面白い植物で、地面を這うように伸びる。

 最初に出た芽は東側のサガラに向かって伸び、その芽から枝分かれするように新たな芽が現れ始めた。

 芽は徐々に別のサガラに向かい始め、ハーロウから外へと広がっていく。

 

 ここまでくれば、もう人の手は必要ないだろう。

 植物が自分の意思で、心地良い方へと進んでいくはずだ。


 ヨダが言った通り、植物は環境に馴染んで生き方を決める。

 例え始まりが人の願いだったとしても、これはこの世界の巡りのひとつとなる。


 植物が生きることを目指して育つ姿を、寄り添ってくれると考えて良いのだと。

 今は、そう思える。




 火床には、焼き立てのレイの香りが漂っている。

 セラがいつの間にか小さいかまどを準備して、火床に置いてくれたのだ。

 竈があると、作れる物が一気に増える。


 朝、平原に行く必要がなくなり、時間に余裕ができた。

 竈が嬉しくて、今日は朝からセラと一緒に、山ほどの焼き菓子を作っている。


 レイは、薄く伸ばした生地で様々な具材を包む焼き菓子だ。

 果実を煮た物、味を付けた肉や野菜、チーズだけでも美味しい。

 軽食にもおやつにもちょうど良い。


 今回は、王都でよく食べられる兎肉ラビと野菜を甘辛く炒めた物。

 旬のビワを甘く煮た物。

 生地を厚めにしてシンプルなチーズと蜂蜜だけの物。

 系統を変えて3種類を作った。

 これなら、誰でもどれかは好みのものが見つかるのではないか。



「失礼いたします。お迎えに上がりました!」


 離れの戸口から顔を出したのは、ロイだ。

 よく通る声が火床に響き、今日はいつも以上に元気がいい。


 ルティナは焼き上がったレイを包みながら、小さく声を返す。


 ロイは鼻をくんくんさせながら、興味津々で火床の側までやって来る。


「すごく……いい匂いですね」


 期待に満ちた瞳は、籠いっぱいに詰まったレイに釘づけだ。

 ルティナは焼き上がったばかりの、チーズと蜂蜜のレイを3つに切った。


「せっかくなので、味見をしましょう」


 ロイだけでなく、セラまで空気を弾ませる。

 まったく同じ反応の2人に、吹き出しそうになる。

 目の形までそっくりだ。


「チーズと蜂蜜だけのシンプルなものです。熱いので気をつけてくださいね」


 2人は薄い布で包んだレイを手に取り、そのまま口に運ぶ。


 アルデニアは、手で持って食べるということがあまり多くない。

 旅慣れている人は別だが、街の露店で売られている物も皿に乗せて出される。

 ましてや、貴族ともなれば普段は絶対にしないことだろう。


 アルデニアの人たちは、こういう森での食べ方にもすぐに馴染んでくれた。


 目尻を下げて頬張るロイは、なんとも幸せそうだ。

 セラはひと口食べては口を抑え、まだ恥ずかしさがあるようだ。


 ルティナもレイを口に運ぶ。

 溶けて柔らかくなったチーズの塩気と、蜂蜜の甘さが口いっぱいに広がる。

 この甘じょっぱさは、後を引くのだ。

 厚めの生地のお陰で、具材が少なくてもお腹には溜まりそうだ。


 これはレイランが好みそうだと、勝手に予想をする。


「美味しいです! この組み合わせは初めてです。チーズと蜂蜜……これはもう定番にするべきです」

「私もそう思います。手軽に食べられて、お腹にも溜まる。そして美味しいです」


 ロイとセラには気に入ってもらえたようだ。


「それは良かったです。……じゃあ、準備もできたので参りましょうか。ユアン様に届けてから、リュサールのお庭に向かいましょう」


 それぞれ1つずつ籠を持つと、王都には似合わない光景になった。

 ほのぼのした森の散歩のようで、なんだかそれが幸せだった。





 アベリスの家の前に、今日は人が集まっている。


 昨日から、本格的に貯水湖の準備が始まった。

 ヒベニシダの改良が終わる前に、周辺の整備を進めている。

 必要な資材を運び入れたり、山の麓の調査も兼ねているようだ。


 肩布やマントの色を見ると、臙脂と焦げ茶が入り混じっている。

 アベリスとグラナート、合同で作業を進めているようだ。



「ルティナ! 待たせてすまない」


 呼びに入ったセラと一緒に、軽やかな装いのユアンが飛び出してきた。

 白いシャツに、臙脂の肩布を右から掛けた姿はすっかり夏仕様だ。


「お忙しいところにお邪魔してしまって、申し訳ありません。これだけお渡ししたら、すぐに失礼します」


 持って来た籠には、3種類のレイを5つずつ詰めてある。

 多めに包んできて正解だったかもしれない。


「……これは? なんかすごく良い匂いがする」

「セラが竈を用意してくれたので、簡単に食べられるものを作ったのです。具材も3種類あるので、食べ比べてみてください。……全員分は足りないかもしれませんが……」


 ユアンの周りに黄金色が散った。

 食べ物にこういう反応は珍しい気がする。

 

「実は今日、朝を食べ損ねたんだ。エデュードたちもちょうど来る頃だから、一緒に食べてから向かうよ」

「……手に持って食べるようなものなので……お口に合うと良いのですが……」


 エデュードとファムが、こういうものを食べている所を想像できない。

 それを言ったらミオルもそうだが……

 ミオルは食事というより、興味が勝っている気もする。



 そんな話をしていると、ユアンが手を上げた。

 門の方からレイランと連れ立って歩いてくるのは、ちょうど噂をしていた2人だ。


「ルティナ様、いらしていたのですか」


 レイランが走りながら目を向けているのは、紛れもなく籠だ。

 食べ物には目ざといのが彼らしい。


「ちょっとしたおやつを……届けに来ました。手軽に食べられるものですので、もしよろしければ召し上がって下さい」


 レイランの顔が分かりやすく綻ぶ。

 本当に食べることが好きなのだろう。


 後ろにいるエデュードとファムは、興味がありそうだが視線を向けないようにしている。

 そういう部分も、グラナートの雰囲気が現れている。


「たくさんありますから、エデュード様もファム様もぜひ……お口に合うかは分かりませんが……」


 エデュードの雰囲気が、ふわっと浮いた……ような気がする。

 どちらかと言えば、ファムの方が表情が読めない。


「ルティナ様の作るものは、どれもとても美味しいです。ファムの好きなチーズ入りのレイも、すごく美味しかったですよ」


 一緒にいたロイが、後ろから声を掛けた。

 そう言えばこの2人は従兄弟だったはずだ。


「チーズ……が入っているのですか……」

「ルティナ殿の作るものを食べた方がいいと、ミオルも言っていたな。ありがたくいただきます」


 感想を聞きたいが、あまり長居するのも申し訳ない。

 ミオルも待たせてしまっている。


「では、わたしは畑を作りを進めてきます。皆さま、お気をつけて」 

「ありがとう。戻ったら離れに行くよ。うちの畑のことも考えよう」


 ユアンは光の粒を散らしながら、籠を持ち上げて嬉しそうに笑った。





 リュサールの裏庭には、すでにミオルとウィランが待っていた。

 太陽がよく注ぎ、風通しも良い場所だ。


 こんなにきれいな場所に、畑を作って良いのか……少し心配になる。



「お待ちしておりましたよ」


 ミオルは、いつもより華やかに笑った。

 畑づくりが楽しみだったようで、空気もぱっと明るい。

 ヒベニシダの実験で植物の生態に触れて、とても興味を持ったようだ。


「遅くなって申し訳ありません。こんな場所に畑を作って良いのですか? もっと小さな場所でも……敷地の端でも充分育ちますが……」

「良いのです、徐々に広くしていく予定でおりますので」


 広く……。

 見える限り、相当な広さがある。

 ルティナの家にも畑があるが、ほんの数十歩で端に着く程度の広さだ。

 それでも、茶葉やハーブ類を植えるだけならば充分に足りる。


 ミオルは父と同じタイプかもしれない。

 良く言えば熱心、悪く言えば……凝り性だろうか。


 この場所が全部畑になったら、王都に暮らす人全員分のお茶を作れそうだ。

 そう思って、ルティナははっとした。


 そうだ、きっとそのつもりだ。

 陰陽の調整を、薬だけでなく日常のお茶で調える。

 その未来を、ミオルは見ているのだ。


「それなら……少しずつ種類を増やしていきたいですね。ものによって採れる時期も陰陽の強さも変わりますから、選べると良いかもしれません」


 ミオルは静かに頷き、種を見せてくれた。

 台の上には、いくつもの袋が用意されている。


「ぼくはまだ選べませんでしたので、比較的育てやすいものをと頼みました。魔鳥が一度に持って飛ぶには限度がありますので、今はこれだけですが……数日後にまた別の種が届く予定です」

「すごいです……これはどこから?」

「アルデニアの街や、他国にいる知り合いの伝手を辿りました。ファムエン、ミシュカ、イグドラとは良い関係が続いています。こういうのはナーシャの得意分野ですね。彼女が他国とのやり取りを丁寧に続けています」


 アルデ大陸には四つの国がある。

 そのすべてに協力を得られるなら、ありとあらゆる植物が手に入るだろう。

 ルティナも知らない、星の数ほどの植物がその先にある。


 そう思うと、胸が膨らむ。


「わたしが分かるものでは……カモミーユ、シトロネ……。これはジルハ……茶葉ではなく料理に使う香草ですね。これは香辛料になる実をつける植物ですが、気温が高く、乾燥した土地で育ちます。あと2つはわたしも知らないものです……」

「簡単な説明も添えてくれていますね」


 そこに書かれている説明を読んでみる。

 

 ひとつは、カノンという植物で、生のまま茶葉として使うようだ。

 生のままで淹れる茶葉は珍しい。

 かなり青臭くなることが多いが、それが少ないのかもしれない。


 もうひとつはダウリという花の種で、蕾を摘んで花茶にするもの。

 これは日陰で育てると書いてある。


 全部で6種類。

 さすがに管理が難しいだろうか。


 同じ環境で育てられるものばかりではない。

 

「最初は地植えで、同じ環境で育てられるものを選びましょう。カモミーユとシトロネは、太陽がよく当たるこの場所で育てられそうです。ダウリとカノンは日陰が好ましいようなので、別の場所を探しましょう」

「それならば、日陰を作っておきましょう。直射日光が当たらなければよいのでしょうか……?」

「そうですね……日陰で風通しがよく、水はけがよい場所なら……」


 それを聞いていたウィランが、魔導石を取り出した。

 そこには、4色の魔導石がきれいに並んでいる。


「ある程度環境は作れます。室内にしてしまえば温度も湿度も管理しやすいです。外でも風の巡りを整えることは可能です」


 なるほど、小さな部屋のように囲ってしまえば、中だけを調整できる。

 ウィランとミオルは、この畑での栽培に本気なのだ。


 だが……、すべてが魔導石頼りになるのは、きっと良い方向へは進まない。

 そこに揺らぎがないからだ。

 補助的に魔法を使い、足りないものを補うくらいが望ましいと思う。


「自然の揺らぎがある状態で環境を調えた方が、植物本来の育ち方になると思うのです。まずは日陰だけを作り、できれば雨を通すようにしたいです」

「なるほど、魔導石の水には霊素がないのでしたね……わかりました」

「霊素もそうなのですが、一番は……揺らぎと相性です。この畑の植物は、水辺で育つ種類ではありません。湧き水よりも空から降る雨の方が馴染むと思います。ただ、今年は雨が少ないようなので、足りない分は魔導石で補う方向で進めるのはいかがでしょう?」


 ミオルとウィランは、ルティナを見つめたまま考えている。

 焦点が合っていない瞳から、頭の中が高速で巡っているのが伝わる。


「環境とは……そこまで考えるのですね……」


 ミオルは唸るようなため息を吐いた。


「単なる温度と湿度ではなく、その植物が自然の中でどうあるか……」

「……だが、正直そこまで考えると、人の手によって作る理由がなくなってくる気がする。もちろん、可能な限りやる方が良い。でも、すべては整えるのは……難しいと思う」


 ウィランの言っていることはもっともだ。

 農業とは、人が進めやすいように効率を考えて行われる。

 そういうものも必要だ。

 すべてを採取だけで賄うのは無理だし、必要な量も集まらないだろう。


「すべてを自然のままにはできません。でも、それで良いのだと思います。自然のままでなくとも、陰陽がなくなるわけでも、違う植物になるわけでもありません。この場所で育つカモミーユになる、というだけです。……植物の情報は種に宿るもの。この場所で育て、この場所に適応した植物が徐々に馴染み、より霊素を取り込むようになるかもしれません。植物は環境によって変化するもの……ですから」


 それもバランスだと思う。

 何ができて、何ができないのか。

 どこまで人の手を入れて、自然の巡りを残すのか。

 その具合を上手く見極めれば、良い方向に進んでいくと思う。



「あとは、土ですね……魔導石の土は……足さない方が良いでしょうか」


 庭の土を視てみると、作物を育てるには物足りない。

 当たり前だ、ここは庭なのだから。


「普通は……どうするものなのですか?」

「一般的なのは、土魔法で土を耕し水肥を与える。必要であれば腐葉土を足し、それを毎年調整するようです」


 畑として既に運用しているなら、それでも上手くいきそうだ。

 ようは土が生きているかどうかだ。


「最初は、農業に使われる土と、魔導石の土、それに腐葉土を足して始めてみましょう。植える植物も根付きがよいものなので、大丈夫だと思います。土も徐々に育っていくものですし、様子を見ながらが良いと思います」

「農業用に新しく組んだ陣があります。熱と空気を緩く与え続けるようなものなのですが……」


 熱と空気。

 良いかもしれない。

 発酵が上手く進みそうだ。


「とても良いと思います。腐葉土を元にして、魔導石の土と枯葉を足し、水肥を与えれば、発酵が進んで土が育ちそうです。一気に土が増やせるかもしれませんね」


 ウィランは一気に、やる気が出たようだ。

 彼もきっと色々と学びながら検証を続けている最中なのだ。


「……楽しいものですね。分からないというのは、実に刺激的だ」


 ミオルが庭を見渡しながら笑う。

 その通りだ。

 だから研究は面白い。


 ひとつの分野だけを突き詰めていくと、先がどんどん細くなっていく。

 ひたすら追いかけるのも一つの楽しさだ。

 ルティナはどちらかと言えばそのタイプだと思う。


 だが、父は違った。

 色んなことに興味を持ち、広く浅く、いつの間にかとてつもなく深く掘っていた。

 それはアマヒトが持つ長い時間のせいもあるだろう。

 でも、本質は好奇心だった。


 そして、別のことに目を向けると、不思議と元の研究が進むことがある。


 意味のなさそうなことが、ふとしたときに繋がり、まったく関係のないことで答えに導いてくれたりするのだ。


 それも、巡りの一つなのかもしれない。


 ミオルやウィランほどになると、新しい発見も少なくなってくるだろう。


 久しぶりに感じる、新しい刺激なのかもしれない。



 台の上にある、6つの種が目に入った。

 この種の先には、知らない土地や植物があり、想像もできない巡りの在り方があるだろう。

 知らない特性の植物、知らない薬効を持つ薬草、魔獣もきっとたくさんいる。



 ルティナも今、好奇心と期待が、胸に溢れ出したところだ。




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