表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―陽の街―
PR
65/70

蒼の季-29.灯

 着いたのは、都下の中心にある大きな治療院だった。

 東の治療院の3倍ほどはあるだろうか。


 真っ白な壁は、燦燦とした太陽を浴びて熱を纏っている。

 日陰のないその場所は、普通なら清廉な空気を連想する場所だ。


 今はそれが、とても危うい色に映る。

 ここにもやはり、人以外の気配がない。


 ルティナの背中を、震えが駆け上がった。

 自然の気配がないことに、言いえぬ怖さがある。


 入口の前で、霊核の巡りを強くする。

 自分が揺らがないことが、何よりも必要だ。



「ルティナ殿……」

「大丈夫です。急ぎましょう」


 ナヴァンの表情に、大きな迷いが見える。

 自分が不安にさせてしまっている。


 落ち着いて、顔をほどく。


「初めての場所に、少し緊張しているだけです」


 後ろから感じる視線は、じっとルティナを観察している。

 いくら平静を装っても、きっとミオルには見抜かれる。


 それならば、変に気を張ることに意味はないだろう。

 ただ、自分に集中すればいい。



「この部屋だ」


 入ってすぐの白い扉を開けると、まだ若い男性が横になっていた。

 部屋に入っても気付かないほど、深く眠っているようだ。


 体が大きく、がっしりとしている。

 この国の兵士……だろうか。


 かなり強く陽が巡っている。

 ナーシャほどではないが、期間が長いのかもしれない。

 身体もとても疲れているようだ。


「この状態になってから、どのくらい経っているか分かりますか?」


 ルティナは側に膝をつき、手に触れる。

 かなり体温が高い。


「起き上がるのが辛くなってから、10日になります」


 相当辛かっただろう。

 10日前なら、もう王都に来ていたのに。


「施術の前に、必ずお水を飲んでいただきたいです。終わったあとは、あまりすぐには動かない方が良いです。ひととき眠って目覚めたら、先ほどと同じレモリアを絞った水を飲むようにしてください」

「……この者は……」

「大丈夫です。巡りが戻れば、回復します」

「……よろしく、頼む」



 ナヴァンが声を掛けると、その人は目を覚ました。

 焦点が合わない目を必死に凝らし、驚いたように起き上がろうとした。


「無理をするな、これから治療してもらう。なるべく緊張せずに、楽にしている方が良いそうだ」

「ナヴァン様……」


 その人から流れ込んでくる感情が、胸に刺さる。

 苦しいはずなのに、心の中は申し訳なさでいっぱいだ。


 ルティナは、呼吸に力を込める。



「初めまして、ルティナと申します」

「セインです」

「なるべく楽になるように致します。お水を1杯飲んでいただけますか?」

「……はい」


 その人は、よく分からないという表情だが、受け入れてくれた。


「楽な体勢で構いません。横になるのと座っているのは、どちらが楽ですか?」

「今は座っている方が……」

「そうですか……では、できるだけ呼吸を深く、ゆっくりと。心を落ち着けて、呼吸することだけを気にかけて下さい。自分のみぞおちあたりに意識を置いて……」


 ルティナはディノに目を向ける。


「少し、眠気が来るかもしれません。……揺らいだら身体を支えていただけますか?」


 ディノは小さく頷いて、セインの後ろへ回り込んだ。


「セイン様、わたしの手を軽く握って下さい。そのままゆっくり呼吸をしましょう」



 セインの呼吸は、徐々に静かに、安定してきた。


 それに合わせて、ルティナも自分へと潜っていく。

 セインの身体には、太陽と同じ色の気素が、忙しなく巡り続けている。


 目を閉じて、暗い世界に自分を鎮める。

 浮かび上がる霊核から、下腹部に光を集める。


 暗闇に浮かぶ満月のように、白銀に光る律月ルオルを浮かべる。


 セインの気素は、かなり多い。

 受け止められるだけの深さが必要だ。


 身体を鎮めるにつれて、自分の手が冷えていくのが分かる。


 セインの呼吸に合わせて、右手から太陽の光を手繰り寄せる。

 自分の中へ入った光は、ルオルの中へと吸い込まれる。


 ルオルの引力に導かれるように、太陽の光は素直に入る。


 セインの身体が、頭から前に傾く。

 ディノがしっかりと支えてくれたようだ。


 そのまま深い眠りに入っている。

 よほど疲れていたのだ。

 これだけの早さで巡っていれば当然だ。


 右手から入る気素は、徐々に静かになっていく。

 安定して巡る分の気素を残して、太陽の光はルオルへと収まった。


 それを安定させて、小さく抑える。

 浮かんだルオルが落ち着くのを感じる。


 セインの巡りは落ち着いた。

 少し弱いのは、徐々に戻るだろう。

 彼の気素はとてもしなやかだった。

 きめ細かな布が揺蕩うように、リズムをつけて巡っていく。



 ルティナは巡りから手を離す。

 そのまま変わらず、彼自身へと戻ったようだ。



 目を開けると、目の奥に光が染み込んだ後、彼の顔が目に入った。

 張り詰めていた空気が、緩んでいる。

 身体の熱も、引いているようだ。



「このまま、横になってもらいましょう。目覚めたらお水を飲んでもらってください。あとは体力が戻るように過ごせば大丈夫です」  



 ルティナの気素は、3割ほど減っただろうか。

 この調律で3割なら、かなり抑えられているだろう。

 霊核が、少し深くなっているようだ。


「ありがとう……ございました。信じられない……身体が軽いです」


 眠っていたはずのセインは、目を覚ましていた。

 濁っていた瞳も、かなり戻ったように見える。


「良かったです。しばらくは無理をなさらず、ご自身の身体と相談しながらお過ごしください」


 静かに力強く頷き、そのまま眠りに落ちていった。



「ルティナ殿、感謝申し上げる」


 ナヴァンの目は、セインから離れない。

 身近な存在なのかもしれない。

 ナヴァンも苦しかったのだろう。

 見ていることしかできない辛さは、ルティナにも分かる。


「巡りは戻っていますが、身体の回復はこれからです。しばらくは安静にしてくださいませ」

「……伝えよう」



 ルティナは小さくため息を吐いた。

 大丈夫だ、まだ霊核に余裕がある。


 部屋から出ると、ミオルがルティナの手を取った。

 その顔は治癒師の顔だった。


「……冷えていますね」

「多少、わたしにも負荷があります」

「……無理はしていませんか?」


 後ろから、ナヴァンとディノがその様子を見ているのが分かる。


「まだ大丈夫です」

「……自分で限界は分かるのですか?」

「ある程度は把握しています」

「あとどのくらいですか?」


 相手による……としか言いようがない。

 その人の状態によるものなのだ。


「この程度であれば、そこまで心配はありません」

「答えになっていません」

「……相手の方の状態によるものです。診てみないと分かりません」


 ミオルの瞳は、今まで見た中で一番深かった。

 この瞳を逸らしたら、もう続けさせてもらえないのが分かる。


「……ぼくが無理だと判断したら止めます。反論は許しません」


 背中に冷たい雫が落ちるように、その声はルティナに響いた。

 ミオルには見えないはずだ。

 でも、何か感じるものがあるのだろう。

 彼の感覚は、それだけ鋭いのだ。


「ああ、それがいい。ミオル殿にお任せする」


 ナヴァンの声も、少し揺れているようだ。



「……ミオル様には、わたしがどう見えていますか?」


 瞬きをしないまま、その深いまなざしがルティナを離さない。


「……分かりません。でも……命を削っている、そんな怖さを感じました」


 この場の空気が、大きく歪んだ。

 3人の視線が、それぞれに重くなった。


「そうですか……それはありません。わたしがそれをしないことを、ミオル様は理解されているはずです」

「それは分かります。でも……嫌な感覚があるのです。何かが消えるような……」


 ミオルの感じる力は、とんでもなく強い。

 霊素は感じないはずなのに、消えるというのを捉えているのだ。


 ミオルにとっては不快なはずだ。

 霊素は命にとても近い存在。

 それが消えるのが、彼は何よりも嫌なはずだ。


「ミオル様、消えているのはわたしではありません。きちんとご説明できるまでわたしの言葉が進んだら、そのときに話を聞いて下さい」

「……分かりました。でも、無理だと思ったら止めます。これは身体の反応の問題です」


 ルティナの手を握ったまま、ミオルの手に力が入る。

 その手の冷たさは、彼の不安の現れだろうか。

 自分のことのように、心配してくれているのだ。


「ミオル様に見ていていただけるなら、わたしも安心して臨めます」


 自然に笑顔になった。

 ミオルの瞳は、すべてを見つめる人の瞳だ。


 この人に止められるならば、それは仕方がないと思った。

 自分が足りていないと、納得せざるを得ない。


 だから、このまま進められる。

 見ていてくれるなら、止められなければ大丈夫ということだ。




 4人の施術を終え、身体の気素はあと1人分あるかどうかだ。


 残る2人のうち1人は、調律が必要ない人だった。

 気素の巡りが滞り、身体が動かしにくくなっているだけだった。


 これなら、なんとかなるのではないか。



「ここが最後だ」


 ナヴァンが扉を開ける。


 目の前の景色が、大きく歪んだ。

 身体の奥が、これを拒絶しているのが分かる。


 おそるおそる中に入ると、そこにいたのはまだ小さな子供だ。

 ちょうど首の下、鎖骨のあたりに濃い霊素の瘤がある。

 

 それはすでに淀んでいる。

 ――壊素だ。


 こんなに小さな、霊核も持たない子供に……。


「なんで……この子は、いつから?」

「ここに来たのは最近だが、辛くなってからは二巡ほどだと言っていた」

「ひとり……なのですか?」

「……兄弟がいる」


 親はいない……ということだろう。

 辛いのを我慢して耐えていたのだろうか。


 まだ身体は小さい、気素の量もそんなに多くはない。

 普通の障りなら問題なかった。


 でも、壊素となると話は別だ。

 濃度がまったく違う。


 量だけ減らして別の日にするとしても……

 場所が悪すぎる。

 首に届いたら呼吸ができなくなる。


 やるしかない。

 もし足りなかったら……


 父の調律が目の裏に浮かび上がった。

 反転した壊素は、逆流して一気に広がる。


 そうなったら助からない。



 ルティナは心を落ち着けて、冷静に身体を視る。

 瘤は小さく、一箇所だけ。

 溜まりがあるわけではない。

 瘤だけなら、ぎりぎりやり切れる。


「ナヴァン様、お手数ですが……ユアン様を呼んでいただけませんか」



 きっと、この空気でもう察しがついている。

 感情を抑える余裕はなかった。

 

 そして、止められてもやめない。

 今の状態ならやれると思ったからだ。


「……ディノ、探して連れて来い」

「待ってください」


 ミオルが声を上げた。


「ユアンがいれば、絶対に大丈夫なのですか?」


 温度のない声に、説明できない感情が滲んでいる。

 彼のこの感情が、ルティナには分からなかった。

 でもそれが、とても思ってくれているのは伝わる。


「……分かりません。でも、ユアン様はその対処をご存じです」


 この言葉で、ミオルには伝わっただろうか。


「……分かりました。ディノ、行ってください」


 今までで一番の速さで、ディノは駆け出して行った。

 その足音はほとんど聞こえない。

 彼の風はそうやって使うのだと、なぜか冷静に聞いている。 


 こういう感覚も、時折あるものだ。

 限界が近付くと研ぎ澄まされて、感覚がどんどん尖っていくように。

 心はどんどん静かになって、身体もそれに合わせて鎮まる。

 今なら、はるか遠くまで、すべてを感じられそうだ。

 



 感覚の中に、ユアンが現れた。

 彼の太陽は、いつもルティナを照らしてくれるのだ。


 走って来る足音で、張り詰めた空気がほどけていく。

 足音が2つ、……3つだ。

 レイランも一緒に来てくれたのだろう。


 駆け込んできたユアンは、息が上がっている。

 息を乱しているのは珍しい。

 どれだけ走っても乱れないと思っていた。


「ルティナ、どうし……」


 ユアンの眉が、眉間に寄る。

 ゆっくりと歩を進め、ルティナの横に屈んだ。


「壊素……か」

「はい」

「なんで……」

「分かりません……二巡前からだそうです。もしかしたら、平原の溜まりに触れたのかもしれません」

「そうか」


 後ろに立つレイランの表情は、変わらない。


「ルティナ、相当……減っているみたいだけど」

「4人ほど……調律しました」


 レイランの空気が僅かに変わった。

 彼にとって、調律は危ないもののままだ。


「やれる……? ぎりぎりか」

「足りるとは思っています。でも、わたしは……」

「でもやりたいんだろ?」

「……よろしいのですか?」

「だめって言ったらやめてくれるの?」

「……やり切りたいです」


 ユアンは眉を斜めにしたまま笑う。


「じゃあ、ルティナの手が離れたら……でいいかな?」

「はい。少しの間で大丈夫です。ほんの少しでもあれば、あとは回復しますので」

「そんな薄情に見えてるの? 目が覚めるまでは付いているよ」

「……目が覚めるまで、少し時間がかかると思います」

「戻ってくるまで、ちゃんと待ってるから」


 ユアンだって、心配している。

 こんなに心配をかけても、やりたいのだ。


「ルティナ様、何か用意しておくものはありますか?」


 レイランは変わらない。

 それに安心する。


「大丈夫です。この子には、しっかり水分と食事を……お願いします」


 ナヴァンとミオルが、扉の向こうから小さく頷いている。



 ルティナは深いところまで、自分を感じた。

 目が覚めるとき、どこにいるだろう。


 ユアンの瞳は、ますます美しい黄金色だ。

 その色を、しっかりと目に刻む。

 この色を追いかければ、きっと戻って来られる。



 目の前の小さな手を、しっかりと握る。


 深く息を吸い、空っぽになるまで息を吐ききる。

 自分の中心を確認して、目を閉じる。



 暗い世界に潜っていく感覚だけが、意識の端に残っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ