蒼の季-28.収束
「ルティナ殿、いつから始められるだろう? こちらがあなたに合わせる」
治療院の周りには、ディノが集めたであろう人たちが集まっている。
鎧姿の兵士、青い布を肩から掛けた治癒師、レモリアが詰まった箱を抱えているのは、調理をする人だろうか。
「わたしは今からでも構いません。即効果があるものではなく、徐々に馴染ませていくものなので、早く始めるほど、早く収まります」
「では、早速始めよう。やり方と要点を教えていただければ、あとはこちらで引き継ぐ」
ナヴァンとミオルの表情も明るくなった。
「それから……作業をする方たちも、障りが出ている方と同じように過ごして下さい。外に長時間いることになると、身体は陽を溜め始めます。今症状がない方でも、同じようにすれば予防になります」
「分かった」
「ナヴァン様とミオル様もです。ロイ様とディノ様はよく動かれるので、特に注意して下さい」
4人の目はルティナに集まり、それぞれに表情を変えた。
自分のことは別として考え過ぎる人たちなのだ。
この人たちが倒れてしまったら、何も回らなくなってしまう。
広く、多くの人に広めなければならないことから始めよう。
王都にどれだけの人がいるのか、ルティナにはまだ想像ができていない。
まずは、これ以上増やさないことが大切だ。
「この湧き水は、そのまま飲めるものですか?」
「はい、飲用として問題がないものです」
「飲み始めの方には、このコップ1杯に、八切りにしたレモリアをひとつ絞って下さい。それを日に10杯が水分の目安です。よく動く方は15杯程度。喉が渇いたと感じる前に補給するように心がけて下さい」
「10杯?!」
ディノと、そばにいた作業担当の人は、目が飛び出しそうだ。
「1日にそのくらいは必要です。水分を摂って汗をかくことで、身体は熱を逃がします。火照りも収まりやすくなります。夕方頃からは、ほんの少し塩も足した方が良いでしょう。身体から塩分が抜けていきますから、塩気が欲しくなるはずです」
「分かりました。それまでに用意します」
作業を見届けて、ルティナはミオルの元へ向かう。
ミオルの治療院の中で、調薬の準備を進めてくれていた。
「ミオル様、身体の怠さを強く感じる方には、足を水に浸けていただきたいのです。桶にシズランを一束入れると熱と怠さが和らぎます」
「分かりました。時間はどのくらいでしょう?」
「手の指先が冷えてきたら、そこでやめて下さい。冷えすぎるとその後が辛くなります。その人の通常の体温まで下げられれば良いのです」
「……平温ですね。管理させます」
一度外に出て、次はナヴァンの元へ向かう。
ディノと話しながら、目は全体を動き続ける。
この人は、俯瞰ではなく細部を全て観察しているようだ。
「ナヴァン様、何人かで、ゴヤを薬にする準備をしていただきたいのです」
「どうすればいい?」
「実をもいで洗い、種を抜いてから薄切りに。それを乾燥させて下さい。生のままでも使いたいので、ある程度は残しておいていただきたいです」
「分かった」
「あと、あの植物は日除けにもなりますし、都下に植えると植物の陰としても役立つと思います。今後のために種も残しておきたいです」
「……伝えておく」
振り返ると、治療院の周りが一気に動き始めている。
近くの空き地には、簡易的な天幕が張られ始めている。
これからもっと増えるということだろう。
薬の準備を、なるべく早く進めた方が良さそうだ。
治療院の中に入り、2階の調薬部屋へと急ぐ。
シルヴァンが準備をしてくれていた。
机の上に並んだ道具は、父が好んだ配置がそのまま再現されている。
父はここでも、こうしていたのだ。
「まずは、どうやって使うのが良いか試してみましょうか。わたしもシズランは初めて使うので、ご意見があればおっしゃってください」
嬉しそうに頷き、彼は隣に腰を下ろした。
シルヴァンの手元には、小さな紙が数枚用意してある。
こうやってメモを取りながら、父と一緒に作業していたのだ。
ルティナは、初めての薬草にする簡単な検証を始める。
父が乾燥させたということは、乾燥で陰が定着するということだ。
植物によって、霊素の動き方が違う。
熱で飛んでしまうもの、熱を加えると広がるもの。
水に馴染むもの、湯に溶け出るもの。
手を加えること自体が好ましくないものもある。
そもそも薬草ではないのだから、薬効を抽出するような方法は必要ない。
霊素だけを逃さないように、人の身体に入れやすくすればいい。
陰ということは、熱は避けた方が良さそうだ。
馴染みやすいのは、水だろう。
「まずは水に馴染ませる方法を考えます。そのまま浸す、粉末にして溶かす、茶葉にできるならそれが良いですが、味も関係してきますから……やってみるしかありませんね」
「急須と湯呑を持ってきますね」
シルヴァンは陶器の湯沸かしを火にかけてから、下に降りていく。
ルティナは木製と陶器製の乳鉢で、それぞれシズランを粉末にする。
乾燥状態がとても良いせいか、葉はほろほろとすんなり細かくなっていく。
霊素の動きを確認すると、どちらも問題なくそこに留まっている。
鼻に近付けて香りの確認をすると、木製の方が香りが立つようだ。
ほんのりと香る干し草のような甘みを感じる。
これなら、薬として問題なく飲める程度だ。
次に、葉を全部水に浸すもの、葉に水を染み込ませる程度のものを準備する。
戻って来たシルヴァンは、お茶を淹れ始めた。
手際はさすがのものだ。
普段からよくやっているのが伝わる。
「どうぞ」
「ありがとうございます。慣れていらっしゃいますね」
「茶は妙薬……と、耳にタコができるほど言われてきましたから」
シルヴァンは笑うと目がなくなる。
それがとても親しみやすく、ほっとするのだ。
これも大事な要素だと思う。
特に、治癒師は不調の人と接することがほとんどだ。
相手の心が近くなるほど、効果も高くなるのではないかと思う。
「味は……ほとんどしませんね」
シズランのお茶は……、味もそうだが霊素が散ってしまっている。
薬効がないのだから、これでは意味がなくなってしまう。
やはり熱は無理そうだった。
「お茶はだめそうですね。効果がなくなっています」
「粉末はどうですか?」
「こちらはこのまま使えそうです。粉だと飲みにくければ、練って丸薬にしても良いかもしれません。薬油で練ってみましょう」
シルヴァンは、粉にした2種類のシズランで丸薬を作り始める。
それを横目に、先ほど水に浸した分を確認する。
そちらは見事に霊素が移っていた。
シズランには霊素が定着しにくいのかもしれない。
水の方が馴染みが良いのなら、使い分けも考えられる。
粉末や丸薬は保存がきくが、身体に入っても効果はゆっくりだ。
水に移すのなら、その方が身体には早く馴染む。
でも、霊素が残っていられるのはほんのひとときで、作り置きが難しい。
もう片方、水を含ませただけのシズランを視ると――
陰の霊素が、集まってきていた。
とても珍しい動きだ。
あまり見たことがない。
陽の土地で生きるために、必要な陰を集めようとするのだろうか。
でも、手を加えていないシズランには、そういう動きはまったく見られない。
かなり限定的なのかもしれない。
偶然の発見。
薬草師をやっていて一番面白い瞬間だ。
「シルヴァン様、これは……ちょっと面白いことが起きました」
「どうしましたか?」
「乾燥させたあと水を含ませると、効果が高くなるようです」
「……そんなこともあるのですね」
「あまり起こりません。普通は水を与えると、時間が経過すると薄れていきます」
父にはどこまで見えていたのだろうか。
これも想定していたのだとすれば……もしかすると……
「シルヴァン様、冷やした水はありませんか? できれば魔導石の水が良いです」
「回復薬を作るときの水ならありますよ。回復薬はそれで作りますから」
「じゃあ、それを使わせてください」
ルティナは、父の思考を追いかける。
きっと、父は保存することを考えるはずだ。
これだけ水で霊素が増え、それが水に馴染むのなら……
水のまま保存しようと考える。
薬草師には無理でも、治癒師ならきっとできる。
ここは王都だ。
たくさんの治癒師がいる。
「何か、思いついたのですね?」
シルヴァンと、ミオルとロイも一緒だ。
「あなたが魔導石の水を欲しがるということは、そういうことでしょう?」
ミオルは、何か楽しそうな匂いを嗅ぎつけた顔だ。
「試してみないと何とも言えませんが……もしかしたら、薬として保管できるようにできるかもしれません」
まだ、頭の中でそう考えているだけだ。
でも不思議な確信があった。
この感覚をどういえば伝わるだろう。
分からないけれど、分かるのだ。
「まずこのシズランは、乾燥させたあとに水を含ませると、陰を集めることがわかりました。そして、その陰はとても水に馴染みやすい。どちらかと言えば、シズラン側に定着しにくいと言った方が良いかもしれません」
「ふむ」
「でも……ロイ様、冷やしていない魔導石の水を、シズランに含ませてもらえますか?」
「分かりました」
ロイは腰に付けていた魔導石から、シズランに水をかける。
しばらく待っても、シズランに変化はない。
やはりそうだ。
普通の温度では、魔導石の水には反応してくれない。
「清水だとこれで陰が集まります。でも、魔導石の水では変化がありません」
「冷やしてあれば、動く……ということですか?」
今度は、シルヴァンが持っている冷えた水をかけた。
霊素が動く。
しかも、ずっとよく動く。
陰の性質が加われば動くと思って間違いない。
魔導石の水に霊素は含まれない。水でも、その陰がとても薄いのだ。
でも、冷やせばそれが陰として働く。
清水で作ったのでは、保管出来ても数日。
魔導石の水ならば、ずっと置いておけるはずだ。
「回復薬が魔導石の水で作られるなら、保存できるということですよね?」
「そうですね、数年は問題なく保管できるはずです……ですが……」
ミオルが少し難しい顔をする。
「冷やしておく……というのが、少々難しいかもしれません。薬として王都で運用するなら、それなりの量が安定して必要です。それだけの水を冷やす設備が……治療院すべてに置くとなるとかなり大掛かりになりますね」
「なる……ほど……」
冷やすことが難しいとは思わなかった。
確かに、大量の水を一気に冷やすとなると、それなりの場所が必要だ。
「回復薬を作るときは、冷やさないのですか?」
「そのまま使いますね、温度はあまり関係しませんから」
「氷魔法で冷やすというのはどうでしょう? 作るときに直接冷やせば問題ないのでは?」
「氷の術者は多くありません。毎回ロイが出向くわけにいかないでしょう」
その通りだ。
誰かがいなければ出来ないのなら、それは無いのと同じだ。
「冷やす……陰……水……右……回復薬を作るのも……魔法……ですか?」
ミオルを見ると、目が合った。
その瞳で、同じことを考えたのが分かる。
ミオルは、シズランを近くの薬陶器に入れ魔導石の水を注ぐ。
器のちょうど真ん中あたりに、淡い水色の陣が浮かび始める。
それはあっという間に組み上がり、立ち上がる光を放つ。
光は澄みきって、水のように透明だった。
ゆっくりと陣が右に動く。
徐々に速度を上げ、高速で回り始める。
僅かに冷えた空気が流れてきた。
薬陶器の中に、魔素とは違う光が集まる。
それは白銀の粉のようで、吸い込まれるように水へ入っていく。
ミオルが陣を解くと、そこには陰の霊素を多く含む、白銀に光る水があった。
「素晴らしいです」
その光景は、魔素と霊素の共鳴だ。
絶対に交わらないその2つが、水を介して1つになった。
どこからか降りてきた理解と共に、涙が溢れたのは言うまでもない。
こんなことが起こるのか。
こんな神秘が。
「……これは、あなた想いですよ」
薬陶器をルティナに差し出した手は、わずかに震えている。
ミオルもきっと、苦しんでいる人を救いたかったはずだ。
白銀の水を受け取ると――
ミオルの手が、ルティナの髪をそっと撫でた。
「この陣を扱える治癒師を集めましょう。シルヴァン殿はできますね?」
「もちろんです。本職ですから」
揺れる視界の向こうで、ミオルとシルヴァンの背中が遠ざかる。
ロイは、ルティナのそばに寄り添ったままだ。
調薬部屋の空気は心地よく冷えている。
それは美しい余韻として、ルティナの髪と身体を包んでいた。
しばらくの間、言葉も交わさずにただ立っていた。
ロイは何も言わずに、ルティナの涙が止まるのを待ってくれているようだ。
「……ロイ様、もう、大丈夫ですので」
「ルティナ様がどこかへ行かれるなら、お供しますよ。ひとりにしたら、私が兄様に叱られます」
「そういう……ものですか」
「今はセラがいませんからね」
そうだった。
すっかり忘れていた。
「ミオル様についていなくても……大丈夫なのですか?」
「ははっ、ルティナ様には、兄様はどう見えているのでしょうか。あの人は私なんかよりも、ずっと大丈夫な人です。強さの質が違いますが、兄様に手が届く人はほとんどいないと思います」
「あまり想像できません……」
「兄様は手を出しませんが、相手に手を出させません。……誰も近付けないと思います」
結界……のようなもの……だろうか。
この護魔の指輪にも、かなり強い護りを感じる。
そういうのに長けている人なのかもしれない。
「では、下に参りましょう。お手伝いできることがあるかもしれません」
ロイの瑞々しい空気は、乾きを癒してくれる。
この人も水の家に在る人。
癒すという意味を、考えさせられる。
下に降りると、すでにミオルの周りには人が集まり始めている。
ここからの調薬はシルヴァンが引き継ぐようだ。
薬を作ることに関して、シルヴァンはとても適性があるように感じた。
あの陣を見て、まったく動じていなかった。
きっと彼にもできるのだろう。
「何かお手伝いすることはありますか?」
「ルティナさん、ありがとう。ここからは任せてくれ。出来上がったものを確認だけしてもらえれば助かる」
「わかりました。わたしは魔法が使えませんので……お任せします」
「大丈夫だ。重々知っている」
シルヴァンは覇気が戻ったようだ。
出来ることがない手持ち無沙汰よりも、やれる忙しさの方が心地いい。
彼のそういう部分も、父と重なるようだ。
「ルティナ殿、手が空いているか?」
硬い声に、身体が反応する。
ナヴァンの表情で、その声の意味を理解した。
「はい」
ルティナは自分の身体を確認する。
大丈夫だ。
6人なら、きっとやり切れる。
「重症のものの中に、呼吸が弱くなっている者がいる……」
「参ります」
心を静かな水面のように。
視線が揺れないように。
「ぼくもご一緒します」
見慣れた穏やかなミオルは、いつも見守ってくれる人だ。
ロイも、付き添ってくれる。
不安は消えないが、立っていられる。
調律ができるのは、自分しかいないのだ。
ここからはただ、ひとりひとりに、心を向けていけばいいだけだ。




