蒼の季-25.報告会 続
会議室にお茶が運ばれてきた。
今日はセラと数人の女性が、扉の外で待機していたようだ。
会議に参加している人たちは、それぞれに談笑しながらリラックスしている。
ユアンはエデュードと笑顔で話している。
彼も内心は、緊張していたのかもしれない。
「ルティナさん、ここにはもう慣れたみたいね」
声の主は、ナーシャだった。
綺麗に身なりを整えた彼女は、その落ち着きと空気も相まって、妃殿下と呼ぶにふさわしい品格を纏っている。
ルティナは立ち上がり、アマヒトの礼を取った。
「あら、お友達になったと思っていたのに、まだ遠かったみたいだわ」
いたずらっぽく笑う頬はほんのりと赤みが差し、空気を和らげる。
ナーシャはとても気持ちの良い人だ。
あまり親しい女性がいないルティナにとって、ナーシャは憧れに近い存在かもしれない。
「ご挨拶させてください。ユアンの姉の、レスティアと申します」
ナーシャの隣に立っているのは、とても静かな女性だ。
声は小鳥のさえずりのように慎ましく、それに華やかさも感じる。
「ご挨拶が遅くなり失礼いたしました、レスティア様」
レスティアはナーシャとはまた違う、どこか浮世離れした空気だ。
背は高いが、心配になるほど線が細い。
「レスティアは幼馴染みたいなものなのよ。こんな雰囲気だけど、怒ると一番怖いんだから」
まったく想像ができない。
いや、むしろそういうものかもしれない。
普段そう見えない人ほど、怒ったときの威圧感は際立つ。
「そんなこと……ルティナさんとお友達になれなくなったらナーシャのせいね」
「大丈夫よ、わたしもこれから仲良くなるの。レスティアも今度一緒にお話ししましょうよ。ルティナさんのお話は何を聞いても面白いわ」
「ご一緒させていただけますか?」
「わたしでよろしければ、いつでもお伺いいたします」
この3人で話す内容に見当もつかない。
でも、レスティアから感じる風は、小川のせせらぎに吹く、静かで音のない風だ。
ナーシャとは違った意味で、彼女も強い人だと分かる。
「今日は長くなりそうだから、ルティナさんも気を張らずにね。アルヴィンはとても張り切っているみたいだけど。……困ったら笑ってごまかしてくれたら、レスティアと一緒になんとかするから」
レスティアは笑顔のまま頷いた。
この2人は、そういう立ち位置でこの集まりにいるのかもしれない。
この2人の優しさは、ルティナにとって初めての感触だった。
真綿のように柔らかく、包み込むような温かさがある。
人はきっと、こういう柔らかさに惹かれるのかもしれない。
アルヴィンが戻って、席に着いた。
アルヴィンの表情は、相変わらず嬉しそうだが、好奇心が色濃くなっている。
先ほどまでの話は、きっとある程度予想通りに進んだものだったのかもしれない。
ここからの話は、彼にとってもあまり知らない話……ということだろうか。
「じゃあ、再開しよう。こんなに手が上がるとは思わなかったから、先の予定をキャンセルしてきたよ。存分に楽しもう」
全員から同じような空気が流れてくる。
少しの戸惑いと、諦め、そして……言いえぬ不安……だろうか。
「じゃあ、まずは……アベリスから聞こうか」
アルヴィンは、ユアンとレイランに視線を向ける。
ユアンたちは予想していたようだ。
「アベリスでは新しく、魔獣の生態を研究する部を立ち上げることにしました――」
ユアンとレイランは説明を始めた。
魔獣という生き物の基本的な生態、魔素と霊素への適応。
体内の印や、魔法について。
そして、それを研究することで、魔獣と共生する未来を考える。
その方法と記録の仕方、それが人と国へ与える影響。
ルティナが聞いていたよりももっと深く掘り下げた内容は、聞いているだけでわくわくするものだった。
その場にいる皆が、話を聞きながら何かを思い浮かべているのが分かる。
この国の人たちは、考え方が柔軟だ。
だからこそ、ルティナはこの国で過ごせていると思う。
「――ということです。しばらくの間、ルティナ殿にご協力いただき、なるべく早い段階で自分たちだけで運用できる状態に持っていきたいと思っております」
ユアンが話し終えると、アルヴィンはとても満足そうに頷いた。
「ルティナ殿は、それを了承して下さっているのかな?」
「はい、できる範囲でお役に立てればと思っております」
「そうか、楽しみだ。国としても協力は惜しまない。何かあればオルフェスに相談してくれ」
「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」
きっちりとしたお辞儀をして、ユアンは腰を下ろす。
その瞬間、小さく息が漏れたのが聞こえた。
ユアンに視線を送ると、彼も同時にこちらを向いた。
ほっとした様子に、思わず笑顔を返す。
ユアンの周りに、黄金色が舞った。
彼も、理解が得られたのが嬉しいのだ。
「それに関わることなので、私からもいいでしょうか?」
今度はエデュードが立ち上がった。
アルヴィンは、少し意外だったのか、一瞬止まったように見える。
「ああ、聞かせてくれ」
エデュードは、魔素噴出について語り始めた。
どうやらこれは、まだアルヴィンにも話されていないことだったようだ。
この話をしてから、ほんの数日しか経っていない。
貯水湖の件と並行して進めていたとなると、相当に忙しかったはずだ。
そこにいる全員の記憶に刻まれていることなのだろう。
皆がそれを思い出し、目を伏せている。
それによって、あの山に起こったこと、それに対して行った処置。
山の現状と回復方法。
ルティナが話した内容がきれいに整理されて、伝えられた。
更に、グラナートは今もまだ残っているアプラプトの傷跡を、回復させるように動きたいと思っているようだ。
アプラプトと呼ばれる規模のものは多くないと思うが、小さな魔素溜まりはそこそこの数が放置されている。
それを回復するとなると、かなりの大仕事だと思う。
アルデニアの中だけだとしても、数年……もしくはそれ以上の時間がかかるはずだ。
「エデュード、その話は……」
「ルティナ殿に教えていただいた内容と、記録として残してあったものを照らし合わせて、間違いないと確信しています。時間がなかったもので、事前にお話しできず申し訳ありません」
アプラプトの話をしたのは、エデュードとファムにだけだった。
アルヴィンも知らなかったということは、ここにいる全員が初めて聞いた話ということになる。
「いや、よく調べてくれた。それを知ることで、考えることができるようになった」
「まずは、現状の山の環境を元に戻す方法を模索し、その後各地に残っているものへの対処も進められたらと思っています」
「魔素溜まりを浄化するなら、浄化のできる治癒師も必要でしょう。計画を進める際にはお声がけ下さい」
ミオルが声を上げる。
「山を魔獣のいた環境に戻すなら、その過程も魔獣研究の記録として残しておきたいです」
ユアンも手を上げた。
「情報も集めないといけないね。各地への伝達はナヴァンに頼むよ」
アルヴィンの声に、ナヴァンは静かに頷いた。
「山の原状回復……は、目途があるのかな?」
「今、同じような環境の土地を調べ、そこからヒントを得ようとしております。まずは土を戻すのが先決だそうですので、ルティナ殿にご意見をいただきながら進めたいと思います」
「ルティナ殿は、ご存じなのかな?」
「はい、うかがっております。少し思い当たることもありますので、後ほどエデュード様にお伝えいたします」
「それなら、これは進めていこう。時間と人も必要だ。皆に協力を頼みたい」
全員が頷く。
長い期間をかけた、大きな動きだ。
でも、アルデニアにとっては良い方向に進む話だろう。
魔獣の問題の多くは、魔素が絡んだものであるのも事実だ。
自然の巡りのひとつ。
魔獣の生態研究も、魔素の濃度調整も、結局は同じところに繋がる。
「あと、魔獣繋がりで僕からもいいですか?」
ウィランが立ち上がった。
アルヴィンの返事を待たずに、ウィランは待ちきれない様子で話し始めた。
「魔獣の生態の話でもあった、魔獣の持つ“印”の解析を進めたところ、新たな魔法を構築するに至りました――」
ウィランは止めどなく語る。
魔獣の印とは何か。魔法陣との違い。
そして、自然界に起こる天然の緩い魔法について。
魔獣の持つ印は、人が考えるよりももっと根源に近く、自然の成り立ちに近いということ。
話しながら、表情からはどんどん喜びが溢れていくのが分かる。
ここにいる人たちは、これに慣れているのだろう。
内容には感心しつつも、このウィランの圧には全く動じない。
「じゃあ、ウィランとアベリスの魔獣研究は、連携しながら進めていくということでいいのかな?」
「そのつもりです……ただ、この印の解析には、ある程度はっきりと魔素の動きを把握する必要があります。僕もかなり分かるようになっていますが、ルティナ殿には及ばない。僕の技量が追い付くまで、しばらくご協力をお願いしたい」
「承知しました。必要であればお呼びください」
ウィランは心底嬉しそうに頷いた。
彼にはとてもお世話になっている。
これくらいはどうということもない。
「魔法のことが出ましたので、ぼくからもよろしいでしょうか?」
ミオルが静かに手を上げる。
アルヴィンとウィランが同時にミオルを見る。
一昨日の夜、食事をしながら話したことだろう。
「ああ、何か面白いことでもあったのかな?」
今日一番の楽しそうな表情をしているアルヴィンを見ると、ミオルという人がこの国で、いや、アルヴィンにどれだけ信頼されているかが伝わる。
「最初に言っておきますが、これも、ルティナ殿との何気ない会話から生まれたものです。おそらく、新しい魔法の理論になっていくことだと思います。ある程度の解明が進むまでは、他言無用の方がよろしいかと思います」
今度は、ウィランの瞳がギラっと光る。
その視線を受け流し、ロイに話を振った。
「ロイ、説明を」
「はい、ご説明いたします」
ロイは、先日話した魔法陣の回転の話を始めた。
「私はルティナ殿に言われるまで、まったく自覚しておりませんでした。でも確かに、それを意識すると陣の回転には法則があるようです。回転の方向、速度、それに伴って発動する魔法にも変化があります。さらには、これは個人の技量による部分も大きいようですが、その陣の回る速度をある程度制御できることも分かりました」
ロイの説明に、レイランも加わる。
「わたしも、言われるまではまったく気にしておりませんでしたが、内容を聞いて実践してみると、確かに変化があります。ルティナ様は、それを魔法の陰陽ではないかと推測されているようです」
昨日一日かけて、レイランと2人で相当な検証を積み上げたようだ。
ウィランから溢れているこの圧に、誰ひとり動じないのはさすがとしか言いようがない。
「わたしが扱うのは火の魔法ですが、通常の発火を伴う魔法は陣が左に回ります。ですが、以前ウィラン様に構築していただいた、発火しない凝縮した熱だけを起こす魔法の場合、陣は右に回ります」
「私の水魔法は左に、氷魔法は右に回ります」
「ぼくの人に行う治癒は右に、場の浄化は左に回るようです」
アルヴィンとウィランの顔は、ここまで似ていただろうか。
2人並んでいると、兄弟だというのがありありと分かる。
「ルティナ様のお話では、基本的に、陰は右に、陽は左に回るそうです。今お話しした陣の回転は、その陰と陽の法則にすべてきれいに収まります」
ロイは話の進め方がとても上手いのだと、今日理解した。
人の理解が進む道筋を作るのに長けている。
「そして、何より興味深かったのは、回転の速度です。強い魔法ほど速く回るというものではありません。意識をしなければ、魔法の種類に関わらず、人それぞれ同じ速度で回ります。そして、意識をして回転の速度を上げると、その魔法の密度が上がります。氷はより純度が上がり、水はより圧縮されます。同じ魔法の中で、強弱が作れるようになる。しかも、構築する陣は同じなので、自身の魔素の消費は変わりません」
――会議室に、風が吹き抜けた。
アルヴィンが立ち上がり、その反動で椅子が後ろに倒れる。
アルヴィンは指先で小さな小さな渦を作った。
それは外へと広がる風を起こす。
ルティナが目を凝らすと、陣は左方向に回っている。
反対の手でも同じような渦を作る。
それは内側に集まり下へ抜ける渦だ。
右方向に回っている。
両手の小さい渦を維持しながら、アルヴィンは子供のようにナーシャを見た。
「すごいな! これは面白い」
「もともとあなたの風は左によく回るのは、外向きの渦だったからかしら」
「そうかもしれない、ナーシャは右に回っていたもんな」
「ルティナさん、それも何か関係があるのかしら?」
この場の上がった熱を下げるように、ナーシャはゆっくりと言葉を繋ぐ。
「人の体内の巡りは、人によって方向が違います。個人差が大きいもので、言い切ることはできませんが、男性は左回り、女性は右回りの方が多いように思います。意識せずに魔法を発動すると、自分の体内の巡りが影響するのかもしれません」
「ということは、それが得手不得手にも繋がるわよね?」
「おそらく、あると思います」
今度は、ウィランが立ち上がって同じように魔法を発動する。
「ルティナ殿、僕の巡りは右回りではないですか?」
「おっしゃる通りです」
ウィランはその陣を維持したまま、高速に回転させ始めた。
それはみるみる速度を上げ、そこに凝縮した小さな竜巻を作った。
ナヴァンとエデュードが、目の前の書類を慌てて手で押さえる。
浮き上がる直前で間に合ったのは、さすがの反射神経だろう。
「なんというか……体内の巡りは、ある程度その人の在り方にも影響していると思います。ウィラン様は思考が内側に向く傾向にある方かと存じますので、右回りなのも頷けるというか……」
「では、ぼくも右ですか?」
ミオルは静かな声だが、若干浮いている。
「そうですね、ミオル様も右ですね。治癒魔法がお得意なのもそのためではないでしょうか」
「ふむ、じゃあ浄化の方を念入りに練習しましょう」
なるほど、そういう風に捉えるのか。
その場にいる全員が各々席を立ち、会議室は魔法演習場のようになってしまった。
「ルティナ、俺は……違うよな?」
ユアンが不思議そうに言った。
「わたしとユアン様は、霊核が起点になりますから、一方向の巡りではないのです。霊核を中心に、右、左、内側、外側と多数の巡りがあります」
「なるほどね……」
「ユアン様も、また訓練を致しますか?」
「いいのか?」
「もちろんです、わたしもご一緒させていただきたいです」
ぱっと明るくなった瞳が揺れる。
ユアンの黄金色が弾けるのは、嬉しいときのようだ。
ひとしきり、満足するまで試したのだろうか。
いつの間にか全員が席に着いた。
「これで、陰陽の概念がこの世界に深く関わりがあるというのは、ご理解いただけたと思います。その陰陽のバランスは人の身体にも強い影響があります。先ほどの体調不良の件もそうですが、要は身体のバランスが陽に傾いたことによって起こっている。それを自発的に整える身近な方法が、日々の食事だそうです。完全に食事だけで制御するのは難しくても、ある程度は緩和することができるものだと、ぼく自身も体感で理解しています」
ミオルは、以前話した食事の説明をしてくれた。
人それぞれ、自分の心地よいバランスがあること。
それを自覚することで、より身体が整い生きやすくなること。
「それを、新しい食文化、ひいては食物学として後世に残す研究を、リュサールで始めることに致しました」
ミオルの言葉に続いて、レイランとユアンも言葉を繋げた。
「それはわたしも実感しています。ルティナ様とリシアで過ごしている間、身体の調子がとても良くなりました」
「ああ、俺もそのお陰で今も身体が楽になっている」
アルヴィンは小さく頷いた。
「ナーシャを見ていれば分かる。ルティナ殿に助言を受けてから、だいぶ過ごしやすくなったようだ」
ナーシャもルティナに笑いかける。
「ロイが中心に動く予定です。まだルティナ殿の食事を食べたことのない方は、一度お願いした方が良いですね。食事の価値観が変わります」
全員の視線がミオルに集まった。
それをミオルが言うから、逆に説得力があるように思える。
「それは……やはりルティナ殿に協力してもらう方向……だよな?」
「ええ、そこは了承をいただいています」
ルティナは小さく頷く。
「要するにだ、ここから先は、ルティナ殿の取り合いになるということだな」
ルティナはぎょっとした。
考えてみると、今日出た話のすべてに少しずつ絡んでいるのは事実だ。
どれを優先するべきかを判断するのは、自分だけでは難しいだろう。
ユアンはそういうのには向かない。
ルティナを優先し過ぎるからだ。
全員の空気が、少し気まずくなっている。
誰よりも、ルティナ自身が気まずい。
深く考えず、安請け合いしてしまったせいかもしれない。
「兄様、よろしいですか?」
レスティアが小さく声を掛けた。
「どうした?」
「ルティナ様がよろしければ、わたくしが彼女の補助をさせていただければと思います。皆に頼まれて、彼女自身が断ることは難しいでしょう。このままの仕事量をひとりにさせるのは少し酷です。ユアンもその点を管理するのは向きません。兄様とウィランも……判断基準が曖昧ですし、ナヴァンはそもそも忙し過ぎます。わたくしであれば、無理を通される心配もありません。わたくしが適任かと存じます」
「そうね、とてもいいと思うわ」
全員の空気が、一気に鎮まった。
これが、王族直系で唯一の女性ということだろう。
「ということだが、ルティナ殿はどうだろう?」
「……とても心強いご配慮です」
レスティアとナーシャは、2人揃って笑ってくれた。
姉が2人できたような、そんな心強さだ。
「レスティアの方は大丈夫なのか?」
「わたくしは夏の祭儀までは特に込み入ったことはございません。このままでは、ルティナ様がリシアへ逃げ帰ってしまいますよ。ここにいる全員が、あまりにも無配慮です。ルティナ様がこういう状態になることなど、考えれば分かることです」
そんなことは……ない、と思うが。
レスティアは、やはり強い人だった。
「今日話題に上がった、魔獣研究、印の研究、食文化の研究、都下の治療、アプラプト、魔法の陰陽研究。すべてにルティナ様が関わっています。これらの件に関しては、例外なくわたくしに一報を入れて下さい。無理のないように調整いたします」
長く続いた会議の最後に、一番静かだったレスティアがすべてを決めた。
静かで淡々とした圧というのは、何よりも強いものだ。
「……そういうことだ。……皆、今後はそのように動いてくれ」
気圧され気味のアルヴィンは、苦笑いを隠し切れない。
ひとしきりの沈黙のあと、アルヴィンは笑顔に戻った。
「これからのアルデニアが楽しみだ」
はるか遠くを見つめるその瞳は、未来のアルデニアを思っているはずだ。
―響きが集う場所― 巡了
お読みいただきありがとうございます。
noteに、このエピソードにまつわる物語が置いてあります。
短編 EP.レスティア
ぜひ、そちらも合わせてお楽しみください。




