蒼の季-24.報告会
この廊下を歩くのは、二度目だ。
一度目は不安の中、セラに付き添われ、絨毯だけを見つめて歩いた。
今は目の前にユアンとレイラン、後ろにセラがいる。
そして、この先の扉を開ければ、知っている顔が多い。
前を見る。
前回は見えていなかった廊下の景色が、今は自然と目に入った。
窓から射す柔らかな光と、滞りなく流れる風。
静かに整えられた空気。
ここは、こんなにも落ち着いた場所だったのか。
扉の前で、ユアンが振り返った。
それに合わせるように、レイランも身体をずらす。
2人の表情から、大丈夫だ、と聞こえてくるようだ。
ルティナは小さく笑みを返す。
もう、心配はしていない。
王都に来てから、人の優しさや、さりげない心遣いに触れ続けてきた。
アルデニア。
王都エルディラ。
そして、そこにいる人たちを。
ルティナは信頼していた。
扉が開かれると、中にはすでに人が集まっている。
正面の席はまだ空いていた。
向かって左奥にウィラン、右奥にはナーシャがいる。
ナーシャもこの集まりに来る人のようだ。
数日ぶりに目にするナーシャは、以前よりも顔色が良くなった。
深緑の髪は滑らかな艶を乗せ、美しく整えられている。
2人はこちらに気付くと、小さく微笑んでくれた。
その手前には、各家の者が座っている。
左側には、グラナートとリュサールが並び、右側がアベリスの席になるようだ。
エデュードとファムは、資料を見ながら確認を続けている。
目が合うと、2人の表情はぱっと明るくなった。
何か進展があったのかもしれない。
ミオルとロイは、相変わらずの柔らかな表情で迎えてくれる。
ロイはレイランと視線を合わせ、何かやり取りをしたように見える。
ユアンの隣、他よりも少し席が近付けてあるのは、気遣いだろうか。
この席を準備したのは誰なのだろう。
見知らぬ誰かに、ルティナは感謝をした。
席に座ろうとすると、正面左奥にある扉が開いた。
全員がおもむろに立ち上がり、そちらへと身体を向ける。
近付いてくる足音は静かで、でもどこか弾んでいるように感じる。
その音だけで、この場の空気が軽くなる。
これは意識しているのか、無意識なのか。
どちらにしても、アルヴィンという人はどこまでも空気を作る人だ。
正面の席に着いたアルヴィンからは、感情が溢れ出てしまっている。
そもそも隠す気がないのだろう。
楽しみで仕方がない、何がこの場で聞けるのか。
表情と空気から、期待と好奇心が渦を巻いている。
皆の表情が、それぞれで興味深い。
ウィランは素知らぬ顔で流し、ナーシャは一緒に楽しんでいる。
ウィランの手前の男性は、目を伏せ口元が結ばれたままだ。
ナーシャの隣、この中で誰よりも静かな女性は、少しの不安を滲ませている。
エデュードは机を見つめたまま、ファムはエデュードを見つめる。
ミオルは面倒くさそうな顔をして、ロイは少し緊張しているようだ。
ユアンから感じる空気は、楽しんでいる……だろうか。
後ろのレイランは、アルヴィンから意識を外そうとしている。
皆の意識が、アルヴィン中心に動くというのを肌で感じる。
これが、この国をまとめる人の、存在の大きさだろう。
「いいね、ここにこれだけ熱量があるのは久しぶりだ」
アルヴィンは机の上で手を組み、全員を撫でるように視線を回す。
思わず視線が絡んでしまい、それとなくそれを外す。
アルヴィンはそれすらも楽しそうだ。
「じゃあ、緩く始めよう。まずはエデュードとユアンからかな。貯水湖の件はどう進んだ?」
エデュードはユアンと目を合わせ、ひと呼吸おいてから話し始めた。
エデュードの説明は、要点がまとめられてとても分かりやすいものだった。
ラクサールの行動と、その理由づけ。
特性による地盤への影響と、それが原因で起こった問題の説明。
それを解決する手段として今進めていることまで。
要所でユアンの補足が入り、全体としてうまく伝わったのではないだろうか。
アルヴィンは目を輝かせ、ナーシャと目配せで会話していた。
ナーシャは、アルヴィンの感情の受け皿なのだ。
これが、この国のバランスが崩れない理由のひとつなのではないか。
「想像以上の報告だね。解決の方法まで見え始めているじゃないか。しかも、これが上手くいけば、来年以降は僅かな調整だけで事足りるようになる……ということだろう?」
アルヴィンは声を抑えているつもりだろう。
だが、声のトーンは二段階ほど上がっている。
その報告を聞いていた面々も、納得してくれているようだ。
ルティナは安堵しつつ、ヒベニシダのことが頭を過る。
これはすべて、ヒベニシダの改良が上手くいった場合の話だ。
「兄上、まだ確証が持てない部分も多くありますので、植物の改良が上手く進まなかった場合の進め方も合わせて、エデュード殿と検討するつもりです」
「ああ、分かった。……ルティナ殿にうかがいたい。その改良は、どの程度成功するとお考えだろうか」
ユアンの周りの空気が揺らいだ。
アルヴィンは一瞬ユアンに視線をずらしたが、すぐさまルティナに戻す。
「……初めてのことですので、はっきりと申し上げられませんが……生き物というのは、一巡を目安に大きく変化することが多いものです。あと6日経つ前に、最初の変化が現れると予想しています。……これはわたしの感覚ではありますが、シダはとても素直です。胞子植物というのが関係しているのかもしれませんが、馴染んでくれるような気がしています。曖昧なお答えで申し訳ありませんが……」
こういう報告の場で、きちんと説明できないことはどれほど意味のないことか。
「いや、それは今まで長く植物と向き合ってきたからこその感覚だ。それを否定する根拠を、私は持っていない。ご協力に感謝する」
アルヴィンの言葉は、当たり前に届く。
ユアンの空気が和らいだのが、ルティナにとっては何よりの安心だ。
ユアンと目を合わせたエデュードも、小さく頷いてくれた。
「じゃあ、次の報告は6日後を目安にしておくとしよう。雨の季節まではあと20日ほどだ。期限のことは頭に置いてくれ」
隣で息を吐いたユアンが、こちらに笑いかけた。
どうやら、貯水湖の報告は無事に終えられたようだ。
「じゃあ次に、ナヴァンの報告を聞こう」
ナヴァンと呼ばれたのは、ウィランの手前に座っている男性だ。
座っている位置からして彼も王族、ユアンのすぐ上の兄にあたる人だろうか。
まだ話したことはないが、どちらかと言えば雰囲気はアルヴィンに似ている。
髪の色は重さのある深い灰緑。
空気はアルヴィンとは似つかず、とても堅実そうに見える。
後ろに控えている従者はもっとずっと軽やかで、淡い笑顔を崩さない。
面白い対比だ。
こういう主従の組み合わせは、この中にはない。
「翠の季から出始めた原因の分からない体調不良は、未だに改善が見られていません。王都の城下、都下、共に調べましたが、その多くは都下に集まっています。症状は、身体の火照り、倦怠感、食欲不振など軽いものがほとんどですが、中には起き上がれないほどの発熱、嘔吐、呼吸が浅く、激しい動悸などを訴える者もおります。幼い子供や年齢の高い者ほど、症状の悪化が顕著です」
ルティナは目を伏せる。
完全に、陽が障っている。
王都の街にはまだ出たことがなかった。
平原の陽の強さを考えれば、今年の陽への揺れは少し大きいのかもしれない。
陽はこれからどんどん強くなる。
今慣らしておかないと、辛さは増す一方だろう。
王都には、これに対処できる人が1人もいないのだろうか。
今まではどうしていたのだろう。
それほどに、今年の揺れが大きすぎるということなのか。
「城下にも以前は出ていただろう。それはもう落ち着いたのか?」
「……城下の方は、ほとんど落ち着いています。治ったというより、落ち着いたという感じですが」
城下よりも、都下に陽が溜まっている。
いや、人の密度の問題かもしれない。
貴族街のほうが建物も少なく風が抜ける。
景観として植物も植えられ、噴水などもあったはずだ。
霊素の陽と、気素の陽が相乗効果になっていると考えると、腑に落ちる。
症状の軽い人は、おそらく時間経過で馴染むだろう。
だが、症状が重い人は、下手をすれば柑の季が終わるまで苦しむことになる。
体力が持つか……
ルティナはユアンに視線を向ける。
ユアンもきっと気付いているはずだ。
おそらく、これをルティナに話さない判断をしたのはユアンではないだろう。
この問題に関わるということは、関わる人を選べなくなるということ。
アルヴィンか、ミオルか、その2人の考えかもしれない。
自分は、そこまでして守られる存在ではない。
ルティナは薬草師だ。
これに対処する術を知っている、数少ない人だろう。
セラの言葉が浮かんだ。
こういうときのために、セラが言ってくれたことのような気がする。
不特定多数の人に関わるときに、ルティナを守るため。
ある程度の立場を相手に意識させる方が、ルティナを守りやすくなるのだろう。
ナヴァンの視線が、初めてルティナに向いた。
その瞳は濁りがない、そして温度も変わらない。
それが逆に心地よかった。
「ルティナ殿、我々にはこれに対処する術がないのだと、改めて理解した。もし何か心当たりがあるのならば、助言をいただけないだろうか」
とても落ち着いた、真摯な言葉だった。
過度な期待もなければ、へりくだった懇願でもない。
ただ、目の前の事実を言葉にしている。
「お話を聞く限り、今年の少し強い揺らぎが、身体に障っているように思います。わたしは初めて王都に参りましたので、例年との差が分からないのですが……今年の方が気温が高く、陽射しが強いということはありませんか?」
ナヴァンは資料に目を落とす。
何枚か捲りながら、その上を目が滑っていく。
「確かにそのようです。気温にして3度ほど。陽射し……は、はっきりとは分かりませんが、雨は少ないように思います。……ディノ、気候の資料を集めて来てくれ」
後ろに控えていた男性が、ひらりと振り返り走って行く。
足音が軽い。
身体の大きさとの噛み合わなさに、少し驚いてしまう。
「わたしは平原に出ることが多いのですが、普段森で過ごしている身からすると、まだ蒼の季だというのに、陽の強さは柑の季の初めを思わせるほどです。異常というほどのものではなく、自然の中で当たり前に起こる季節の揺らぎです。それが少し強く、今年は陽に傾いているのを感じます」
ミオルの視線が、自分に向いたのが分かった。
そうだ、きっとあれも……、これに関係しているのだと思う。
だが、まだそれは置いておくべきだろう。
「リシアの付近でも、毎年季節の変わり目に同じような症状が出る人がいます。身体の弱い人、子供、お年を召した方には強く現れます。王都でもおそらく、ここまで多くはなくとも、多少はあったのではないでしょうか」
ルティナはふと思った。
父が、今年は王都に来ていないのだ。
今まで明るみに出なかったのは……父が事前に対処していたからではないか。
「それは、ナーシャの不調とは違うものだろうか?」
アルヴィンの疑問は、当然のものだ。
症状としては似通っている。
でも、似ているようでまったくの別物だ。
「元を辿れば、原因は陽の霊素。人に現れる症状も似通っています。ですが、これはまったくの別物です。ナーシャ様の不調の原因は、“霊素の溜まり”に触れたことによるもの。それが、お身体の状態によってさらに強くなっていました。それは、自然界でごく稀に起こるものなので、一度対処してしまえば心配はありません」
むしろ、そちらの方が圧倒的に対処は楽なのだ。
この土地を人に置き換えて言うなら、怪我と持病くらいの差がある。
「ですが、今話しに出ている不調は、陽の霊素が継続的に人に影響を与えることで、徐々に進んだ不調です。“霊素の溜まり”が、偶然が重なった一時的な異常とするなら、街で起こっているのは……この土地の環境が影響する慢性的なもの。季節が巡るごとに、毎年起こる可能性があります」
その場の空気が、しんと静まった。
言い方が悪かっただろうか。
自分の言葉を思い出すと、急に胸がひゅっと縮む。
王都の環境が悪いからこうなった、という意味に聞こえるではないか。
「ちゃんと理由が……あるのですね」
ナヴァンから初めて感情が見えた。
その瞳は、見えなかった何かを映すようにルティナを捉えている。
扉が開いて、ディノが戻って来た。
両手に紙の束を抱えて、軽やかにナヴァンの元へ走る。
「……雨も、今年は極端に少ないようです。蒼の季に入ってからは一度も降っていませんね。翠の季から見ても、とても少ないようです」
あっという間に現実に戻った。
この切り替えの早さに、ルティナが戸惑ってしまう。
「雨も、陽を落ち着けるのに重要です。こればかりはどうしようもないことですので、偏りが強く出たのも頷けます。揺らぎそのものは異常ではありません。身体に強く出たとしても、すぐ命に関わるものでもありません。今からでも身体が馴染むようにすれば、長くとも二巡ほどで身体の不調は感じなくなるはずです」
「その……馴染ませる、というのは、王都でも可能なことでしょうか」
「むしろ、ここで暮らす人なら、ここで慣らさねば効果はありません。治癒と大きく違うのは、その部分だと思います。不調の原因を取り除くのではなく、不調が起こりにくくする、人の身体を巡りに合わせていくのが、薬草師の考え方です」
また、静かになった。
話の流れが掴めていないディノは、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「植物……のようですね」
ミオルがぽつりとつぶやいた。
正しくその通りだと、ルティナも改めて思う。
「植物も魔獣だって、生物はみんなそうだ。環境に合わせて変化している。人だってできないことはないはずだ」
ユアンが空を見つめて言う。
自然の中で生きるとは、きっとずっとその繰り返しなのだと思う。
「……なぜ、城下の者は落ち着いたのでしょうか」
資料をずっと眺めていたナヴァンは、目の前の事実を追いかける。
この人の頭は、もしかしたらウィランよりも効率的かもしれない。
「先ほどわたしも考えましたが、城下は都下よりも空間に余白がある構造ではありませんか?」
「余白……そうですね、道も広いし建物も余裕を持って建てられています」
「それぞれに庭があり、景観としての植物や噴水もある……」
「そうです」
「植物も、水も、陰の強いものです。王都の陽をある程度受け止めてくれる。そして、空間に余白があると風も流れて動きます。城下の方が陽が留まりにくい構造なのだと思います。そのお陰で、人に与える影響が軽く、症状が戻りやすい……」
ナヴァンが深く息を吐いた。
納得すると、それが分かりやすく現れるところは、ウィランと似ている。
「あとは……都下の密度……などもあるかもしれません。風が流れにくく、植物が少ない。人の密度が高く、人が持つ陽も合わさって更に陽が強くなる。……あとは、材質……もあるかもしれません」
「材質……というのは?」
声を出したのは、エデュードだった。
「これは土地の風土などもあると思いますが、木造の家は風も通りやすく、木材が陰のものなので陽を留めにくい。逆に、レンガなどは陽の素材で熱を溜めやすいので、寒い土地には良いそうです」
「レンガは熱を溜めるのですか?」
「知識として知っている程度ですが、レンガは蓄熱、石は断熱、木材は吸湿と通気……と学びました」
「……なるほど」
エデュードとファムは、何か思い当たることがあるようだ。
「城下は石造り、都下はレンガ造りが多かったと記憶しています……」
なるほど……
むしろ以前は、そうやって王都全体を中庸にしようとした可能性もある。
500年前、この土地が中庸だったのなら、きっとそれで良かったはずだ。
「話が広がってしまったね。なかなか興味深い話だけど、一度整理しよう。ルティナ殿、都下の者たちの症状改善に、協力をお願いしても良いのだろうか」
アルヴィンの声で、場が元に戻った。
「もちろんです。持って来た薬草で足りない場合、少しお時間をいただくかもしれませんが……」
「こちらで用意できるものはできる限り揃えさせる。ナヴァンと話をして、進めてもらえるだろうか?」
「承知いたしました」
「ルティナ殿、感謝申し上げる。後ほどお伺いさせていただきます」
ナヴァンの空気が、ほんの少しだけ和らいだ気がする。
後ろに控えているディノは、顔を大きく緩めた笑顔だ。
きっと心の中で手を振っている。
「さて、じゃあ後は……何か報告がある者がいれば……」
アルヴィンのその言葉に、その場にいるほぼ全員が手を上げた。
上げていないのは――
ナヴァンと、ナーシャだけだ。
「う、そうか。……じゃあ、一度休憩を挟もう。まだまだ、時間がかかりそうだ」
アルヴィンは満足そうに、ナーシャに視線を向ける。
彼女は、うんうんと2度頷き、小さく微笑んだ。




