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精霊の往く先  作者: 流留架
序章
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序章-06.時間の流れ

 リズの鞍は、フェンの鞍の隣に置いてもらった。

 この棚に鞍が2つ並んでいるのは不思議な光景だ。


 身軽になったリズは、何度か伸びをした。

 身体の動きはゆったりとして、立ち姿はしなやかで美しい。

 手入れされた明るい灰色の毛は、照らす光を柔らかく反射する。

 穏やかな目元はとろんとして、とても眠そうに見える。


 ルティナとレイランは、戸口の前の長椅子に腰掛けた。

 フェンに倣って陽なたぼっこをしてみると、なかなか気持ちが良い。


 リズはしばらく立ったままうろうろしていたが、陽射しの気持ちよさに負けたのか、フェンの様子が羨ましくなったのか、ついに寝ころんで昼寝を始めた。

 2頭が並んで眠る姿は、可愛いを通り越して幸せだ。


「リズが外出先で、地面に身体を着けるのを初めて見ました」

「気に入って頂けて良かったです」


 小さな笑い声に、フェンの耳がピクッと動く。


「さっきの話の続きになりますが……」

「聞きたいです」


 レイランの返事は早かった。

 ルティナは小さな微笑みで返す。


「レイラン様は、エルゼド大森林をどう思いますか?」

「どう……」


 思いもよらない質問に、考えを巡らせるように沈黙する。

 その様子に少し楽しくなったのは、心に閉まっておく。


「ルティナ様、楽しんでいらっしゃいますね?」

「いえ、そんなことは。質問は本当に話の続きです。ただ、考えている姿を見るのが楽しくなっているのは認めます」


 からかわれたお返しという、ほんの少しのいたずら心はしっかり見抜かれた。


「わたしもとても楽しいです。知らないことを知るのも、ルティナ様とお話をすることも」

「それは光栄です。森の話を、こんなに興味を持って聞いて頂けるとは思いませんでしたから」


 ぽんぽんと続く会話は楽しい。

 思考のテンポや意図の汲み合い、興味を持つ内容も、うまく噛み合うことは少ない。

 父と話さなくなってからは、こういうやりとりをしていなかった。

 会話に飢えていたのかもしれない。


「この話は、森だけの話ではないと思います。もの捉え方や世界の在り方の話だと思います」


 鼓動が跳ねた。

 反応しそうになるのを、なんとかごまかす。


 レイランに気付かれない事だけを願いながら会話を続ける。


「それは少し大げさではないでしょうか」

「例えば、作物が育ちやすい場所で農業を広めたり、今まで厄介だった魔獣と上手く付き合えるようになるかもしれない」

「それは確かに……、あるかもしれません」


 必死に鼓動を落ち着けながらも、レイランの言葉には納得してしまう。


「わたしだけがこの話を聞くのが、勿体ないとさえ思ってしまいます。研究者や騎士、わたしがお仕えしている方もご興味を持ちそうです。その方のご兄弟ならば、ひと晩でも話し続けそうですが……」

「……それは、ないと思います」


 無意識に出た言葉に、自分でさえ驚く。

 自分の不用意すぎる言葉選びに、呆れるほど後悔した。

 隣から向けられる視線に、ルティナは応えられなかった。


 話している相手がレイランなのは分かっていた。

 今まで理解されなかった相手ではない。

 完全な八つ当たりだ。

 そして、聞き返されたら逃げる言葉を、ルティナは持っていない。


 理解されないことに不満はないのだ。

 理解されなかったことを言葉にすることで、諦めが恨み言のように響くのが、どうしようもなく嫌なのだ。


 ほんの数秒の沈黙だったと思う。

 ルティナは自分の靴の輪郭を目でなぞりながら、必死に続けられる言葉を探す。


「でも――」

「さきほどの質問の答えですが……」


 ほぼ同時に口を開いた。

 レイランは微かに微笑んで、言葉を続ける。


「わたしはこの辺りに来たことがなかったので、先日初めて目にしました。もちろん名前は知っていましたし、巨大な森林だということも理解していました」


 ルティナは静かに頷く。


「実際に見た大森林は、なんというか、凄みを感じました。そこに存在感だけがあるというか、ただそこに在るだけなのに、近付こうと思えない……。なるほどそういうことですね」


 思考を巡らせて、ぴたりと繋がった時の充足感は堪らない。

 人が考えるのはこのためだと思う。

 レイランの瞳はただ、ルティナに向いている。


「あれが、生命の力だと、わたしは思っています。あのくらいの規模にならないと、人は感じられないのです。魔獣は人よりもずっと敏感なので、レイラン様がエルゼド大森林に感じた畏怖を、この森に感じたのだと思います。人が感じるよりもずっと深いところで」



 宙を見つめるレイランは、しばらく口を閉じたままだ。

 長椅子に座り、ただ何もせずにぼーっとするひとときは、この上なく贅沢な時間だ。


 リズは器用に足を折りたたみ、首を背中に回して目を閉じている。

 きちんとした寝姿は、眠っていても凛々しさを感じる。

 隣にいるフェンは、相変わらず地面にぺたりと張り付いている。

 『伏せ』と『大の字』ほどの差だ。

 

 これだけ落ち着いて眠れているのなら、もう大丈夫かもしれない。

 

「レイラン様、リズの様子を見てあげて下さいませんか?もしかしたらもう慣れたかもしれません」

「ああ……、わかりました」

「どうかされましたか?」

「いえ、いや……、今日あったことや、聞かせて頂いたお話について、色々と考えておりました」

「まだいらしてから、1刻も経っていませんよ?」

「わたしとしては、半日は経っているような気がしています」


 立ち上がり、リズの方へ進む。

 2、3歩進むと、リズは目を開けた。

 ルティナも立ち上がり、静かについて行く。


「リズ、そのままでいいよ」


 リズの隣に膝を付き、軽く首を撫でる。

 穏やかな表情に、怯えの色は見えない。

 もともと賢く、強い子なんだろう。


「もう、大丈夫そうですね」

「とても落ち着いています。普段よりも安定しているくらいです」


 レイランは少し複雑な表情で振り向く。

 言いたいことはなんとなく分かる。


「わたしは魔獣ではありませんので、想像することしか出来ませんが。この森の力は、植物を強く逞しく育てるものなので、生き物にとって悪いものではないと思うんです。得体の知れない空気に怯えただけで、怖いものではないと理解してしまえば、ここはとても心地よい場所なのかもしれません」

「ここの居心地の良さは、人の身でもわかりますから。リズやフェンにとっては極上の揺りかごなのでしょうね」

「そうであるなら嬉しい限りです」


 2人の明るい笑い声に、2頭の耳が同時に動いた。



 ひとしきり笑うと、レイランは立ち上がりこちらを向く。


「ルティナ様、やはりわたしは、今日のお話をわたしだけが知っているのは勿体ないと思ってしまいます。さきほどのお話を聞いて、理解しないことの方が難しいように思います。わたしでも色々な可能性を考えてしまうのです。専門的な知識のある者なら、もっとたくさんのことを考えるはずです。」


 レイランの目は真剣だ。本心そのままの言葉だというのも解る。

 それでも、難しいと思ってしまう。


「レイラン様が、真剣にそう思って下さっていることは伝わります。理解して下さる方もいるんだと、とても嬉しく思います。でも、理解する、しない、の前の段階なのです」

「前の段階というのは……」

「レイラン様がこの話を理解して下さったのは、リズを連れてこの森に来て、リズの異変を肌で感じ、リズの為に知りたいと思った。だから、わたしの話を時間をかけて聞いて、理解をしたんです」

「……」

「理解しようと思うきっかけがなければ、人は興味のないことに耳を傾けません。聞こうとしない人に話を聞いてもらうほど、難しいことはないのです。そして、わたしはそれを望みません」

「……悔しい、いえ、とても悲しいです」


 ルティナは小さく頷く。


「……レイラン様は、東の薬草は効果が高いと知っていらっしゃいましたよね?」

「はい」

「でも、東まで薬草を取りに来る人はいません」


 ルティナは、下を向くことしか出来なかった。

 レイランから滲んでいる悲しさと怒りが流れ込んでくる。

 その中に憐みが含まれていないことに、ルティナは感謝した。

 喉の奥で止まりそうな声を絞り出す。


「……わたしが子供の頃、この森のホノシズクは大きいものでも9センチほどでした。自然の時間はとてもゆっくりで、人の感覚とはかけ離れ過ぎています。12センチになるまでには20年近い時間が必要でした。その時間の中で、少し効果の高い薬草が、人にとって普通の薬草になりました。自然界の変化は、人が感じられるほど劇的なものは少ないのです」


 自分の声を聴きながら、ふと、父の言葉を思い出した。


「人はすぐに、忘れてしまう」


 声になるかならないかの、小さな声だったと思う。

 レイランに聞こえたのかは分からなかった。


 不意に腕をつつかれて、我に返る。

 フェンはさっきと同じように、ルティナの肩に顎を乗せ、じっとしている。


「フェンはルティナ様の騎士ですね」


 確かにそうかもしれない。

 少し甘えん坊で、食いしん坊で、過保護な保護者兼騎士だろうか。


「ルティナ様、ありがとうございました。お言葉を受け取りました。それでもわたしは、聞いてくれると思う人に、今日の話をしたいと思っております」

「構いません、わたしから話したことですから」

「そして、わたし自身ももっと聞きたいと思っています。リズのことがなかった時のことはもう仮定できませんが、今の気持ちとしてお伝えしたく思います」

「……ありがとうございます」


 レイランの笑顔が眩しすぎて、ルティナは目を細めた。



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