序章-05.薬草師の仕事
ルティナは小さく息を吸い、静かに吐いた。
「レイラン様とリズは、この辺りに来るのは初めてですか?」
「初めてです。王都からこれほど離れたことはありません」
「王都の近くで、とても自然の濃い場所に、リズと行ったことなどはありませんか?」
「自然の濃い場所、ですか」
「はい。あまり人の手が入っていないような手つかずの場所……例えば、標高の高い山、火山、雪原や砂漠などのような」
少し考えるように目を伏せて、首を振った。
「記憶している限りでは、ないと思います。リズは王都の周辺しか知りません。初めての遠出に張り切っていたくらいです」
「リズはこの森に入るのを嫌がったのではありませんか?」
驚きと、少しの好奇心。それを抑えようとする自制心。
表情が読めなかった最初とは、まるで別人だ。
手に取るようにわかってしまうのは、ルティナだからではないだろう。
こちらの方が彼らしいと思うのは、レイランに失礼だろうか。
「そうです。リシアに着いた頃から少し落ち着きがなくなり、リシアを出てからは酷く緊張しているようでした。そして、森に入ろうとしたら一歩も動かなくなりました」
リズを見る目には、申し訳なさと情けなさが入り混じっている。
「こんなことは初めてでした。どんなことがあっても、わたしの指示に従わないことはありませんでしたので。それで、仕方なくそこで待たせて、わたしだけで」
レイランの手は握られ、関節が白く浮き上がっていた。
伝わってくる胸の苦しさを悟られないように、ルティナは声を整えた。
「この辺りの森は、生命の力が強いのです」
「いのちの力、ですか……」
「生命を芽吹かせ育む力……と言えば近いでしょうか。この辺りの森は、植物が強く大きく育ちます。栄養価も薬効も高くなるのです」
「……なんとなくは解ります。東の森の薬草は効果が高いとも聞いたことがあります」
ルティナは穏やかに微笑み、森の方に目を向ける。
「父がこの森に住み始めたのは、その為だと聞いています。たくさんある森の中でも、この森は特に豊かな森です。例えば……、レイラン様は、ホノシズクをご存じですか?」
「もちろんです。解毒薬として何度も使ったことがあります」
「あれは普通に出回っているものは8センチほどですが、この森では12センチにもなります」
「そんなに違うのですか!」
レイランは大きく目を見開き、その瞳を輝かせている。
自分の大切なものに興味を持ってもらえるのは、素直に嬉しい。
今までにない反応に、くすっと声が漏れた。
「すみません、あまりにも良い反応をなさったので驚いてしまいました。この話にこんなに興味を持つ方は珍しいので」
「いえ、大変興味深いです。1.5倍というのはすごい差だと思いまして」
その答えに、今度はルティナが目を丸くした。
普通はただの偶然と思うか、疑うかのどちらかだ。
1.5倍という違いを、すごい差だと感じる人もほとんどいないのだ。
でも、この話をそのまま信じている。
「大きさだけではなく、薬効も高くなります。少ない量で効いたり、強い毒素に効果が出る場合もあります。なんというか、そのものが本来持つ特性が、より濃く現れるのです」
「なるほど。それが、生命の力というものなのですね」
「……そう、です」
「どうかされましたか?」
不思議そうな顔でこちらを見るレイランの瞳は、どこまでも澄んでいる。
なんの疑いもなく、流すわけでもなく。
この話を受け入れてくれる人がいることに、ルティナは心底驚いていた。
薬草師の仕事は、その大半が目に見えないことだ。
治癒師の使う治癒魔法のように、目の前で傷が癒えるわけではない。
医師のように、明確な原因と治療法を提示できるわけでもない。
薬草師の施術や薬の効果は、緩やかなものなのだ。
薬が効かない、変化がない、そんな言葉を投げられるのは日常茶飯事だ。
父について施術に行くようになって、そういう場面を何度も目にしてきた。
質の悪い人には、詐欺師呼ばわりされることもあった。
人は、直接自分に関係がないことに興味を示さない。必要がないからだ。
そして、見えないことは理解できないし、理解できないことは受け入れられない。
誰が悪いわけでもない。ごく当たり前のことだ。
薬草師として、ルティナは絶対に嘘を言わない。
だが、全てを説明するわけでもなかった。
人が受け取れる範囲のことを、受け取れる言葉でだけ話す。
ルティナと父がたどり着いた結論は、少しだけ寂しいものだった。
「いえ、なんでもありません」
我に返り、ルティナは笑顔で返す。
「生命の力は、自然界のどこにでもあるものですが、この森は少し強いのです。人にとってはほんの僅かな違いでしかありませんが」
「わたしは違いに気付きませんでした」
「いえ、気付かなかったのではありません。気付く必要がないのです」
レイランは黙ったままだ。
「この森に入った時、少し暖かいと感じませんでしたか?」
「そういえば……、ここも心地よいと感じる温度です」
「森は陽射しが届きにくいので、本来なら少し温度が下がるはずです。ですがこの森は外よりも僅かに温度が高い。人がそれを気にせずにいられるのは、その少しの温度変化が、自分に害がないと解るからだと思います」
「……」
「野生の生き物は、人よりもそういう違いに敏感です。人にとっては、たかが4センチの違いですが、小さな植物にとっては膨大な変化です。この森にはその変化が起こるだけの力があり、植物、動物、魔獣など、敏感な生き物にとっては大きな違和感なのだと思います」
「その、生命の力というのは、感知できる生き物にとって不快なものなのでしょうか」
その問いに、少し考える。
フェンとリズの方を見ると、いつの間にか2頭の距離が近くなっている。
相変わらず寝ころんだままのフェンの近くで、リズは立ったまま首を下げてじっとしている。
フェンは首をぺったりと地面に付け、太陽を浴びながらぬくぬくと気持ちよさそうだ。
あの様子を見る限り、この森が不快だという感覚はないだろう。
レイランはその視線を追うと、目の端を少し下げた。
「お話の途中に申し訳ありません。先に鞍を外してやっても良いでしょうか?」
「……もちろんです!」
レイランはリズの方へ走っていく。
湧き出す気持ちの整理がつかないまま、その背中を見送る。
ルティナの瞳から、理由のわからない涙がこぼれた。




