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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―静かに眠る山―
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蒼の季-21.実験

 ウィランの研究棟1階にある倉庫には、誰もいなかった。


 その部屋の棚には、見たこともない道具が、所狭しと並んでいる。


 使い方の想像できる魔道具。

 戦闘に用いられるであろう魔装具。

 魔素が込められた、色とりどりの魔導石。

 特殊な素材で作られた様々な形の魔封器や、魔法陣が刻まれた補助具。


 その数々は、ルティナの好奇心をくすぐるには充分だった。



「ルティナ殿、これはどうでしょう?」


 ミオルの声のする方へ向かう。

 いくつかの棚の向こう側、そこには透明な容器や板があった。

 大きな四角いものから、丸みのある小さなものまで。


 あまり光の入らない部屋の中で、透明な容器はひっそりと並んでいる。


「これは……不思議な素材ですね」


 手に取ってみると、ひんやりとした質感は手に吸い付くようだ。

 ガラスとは違う。


「軽くて丈夫です。確かこれは、魔法を刻むことができる素材だったはず」


 西の森でウィランが使っていた、透明な板を思い出した。

 スヴェルフの傷口から、陣を使って魔法の残滓を写し取ったときのものだ。


 ルティナは目を凝らしてみる。

 その板は驚くほど揺らぎがなく、安定している。


「とても良さそうです」



 ルティナは、大きさの違う容器をいくつか選んだ。

 すべて重ねてもとても軽く、これなら1人でも運べそうだ。


 持ち上げようとするのを、当たり前のようにミオルが手で制した。


「ぼくが運びますから、これだけお願いしても?」


 持っていた本をルティナに渡し、容器を抱えて歩いて行く。

 その背中が楽しそうに弾んで見えるのは、間違いではなさそうだ。



 廊下に出ると、絨毯に足音を吸わせながら走ってくる気配がした。

 着替えを済ませ、人前に出られる程度に身なりを調えたウィランだ。

 あまりにも乱れた様子をミオルに窘められ、しぶしぶ着替えに行ったのだ。


「良かった間に合った! ご一緒させてください」


 後ろに付いているジュードも、先ほどより身軽な装いになった。

 あの鎧では、もうそろそろ暑さも限界だろう。


「ぜひ、ウィラン様のご意見もうかがいたいです」


 ミオルの隣に並んだウィランは、好奇心が歩いているようだ。

 “植物の特性を変化させる”という言葉に、それはもう目を輝かせていた。


 もしかしたら――

 研究という意味で、これ以上ない2人が揃ってしまったかもしれない。


 ミオルとウィランの半歩後ろを歩きながら、ルティナの胸も小さく躍った。





「植物に治癒魔法……実にルティナ殿らしい発想です……」


 ウィランは手で口を覆い、机に置いたヒベニシダを見つめる。


 ミオルの作業室は、ウィランの戦場とは打って変わって静謐だった。

 整然と並ぶ本と、道具。

 必要なもの以外は何もなく、中央に机が置かれているだけだ。

 

 ヒベニシダを囲むように、4人がその周りに立っている。


 透明な器には治癒魔法の効果だけを見るため、魔導石の水を張った。

 一定で揺らぎがないというのは、検証にはもってこいだ。



「ひと口に治癒魔法と言っても、大きく分けて系統が3つあります。傷の修復、毒や痺れのような異物を消し去る、一時的に身体を活性化する回復。効果がありそうなのは、修復と回復でしょうか」

「そうですね」

「ただ、回復魔法というのは基本的に使いません。術者の負担が大きすぎるのと、受ける側も急激な活性化の揺り戻しで、後から疲労が戻ってくるので。そのため、回復は緊急時以外は薬を使います」


 ミオルは、手に収まる大きさの容器をいくつか取り出した。

 中には、色が少しずつ違う液体が詰められていた。

 淡いブルーから段階ごとに濃さが分かれている。


 回復の効果がある薬草は需要が高く、効果の高さによってたくさんの種類がある。

 その理由はこれなのかと納得した。


「回復薬が液体なら、それを植物に与えることもできそうです」


 ミオルは腕を捲りながら頷く。

 ゆるりとした上衣に隠れていた腕には、細い銀の腕輪が2本光っている。

 繊細な模様のそれは、彼の細い腕によく似合っていた。



「まずは修復からやってみましょう」


 ミオルは葉の1枚に半分ほど切り込みを入れた。



 左の指先を葉へ向けて、ゆっくりと息を吐いた。 


 瞬間――魔素が揺れた気配だけがあった。

 陣が浮かぶのを視る時間もなく、その気配は消える。



「植物にも、効果はあるようですね」


 ヒベニシダの葉は、何の痕跡もなく見事に元通りに見える。


「綺麗に修復されていますが……」


 ルティナが目を凝らすと、一直線に巡りが途切れていた。


 植物の巡りは、人や魔獣とは異なるものだ。

 人や魔獣のように、体内を巡る気素の川があるのではない。

 

 植物には、気素ではなく霊素そのものが巡っている。

 植物の構造に沿って、糸のように細かい霊素の通り道がある。

 茎や幹はその筋を辿るように、葉は葉脈に沿って霊素が巡る。

 あまりにも細いその道は、傷ができた瞬間に途切れてしまうようだ。


「巡りは途切れています。おそらくこれは、植物の構造上の問題だと思います」


 巡りが途切れている以上、葉は徐々に枯れていく。

 でも逆に、植物の場合はそれが命取りにならない。

 1枚の葉が枯れ落ちても、そこ以外にはそれほど影響は出ないからだ。


 そう考えると、植物にとって一番影響があるのは、根だろう。

 根、それから、全体へと流れる支柱となる部分。

 ここが途切れなければ、きっと問題なく成長するということだ。


「ふむ、動物よりも繊細ということでしょうか」

「動物には気素が巡るための道があります。取り込んだ霊素を、自身の身体で気素に変えて巡らせている。でも、植物の場合は構造に沿って、霊素そのものが巡っているだけのようです。だから、構造が途切れると巡りも途切れる……」

「動物には変換する機能があって、植物にはそれがない。だから、専用の道が作られず、霊素そのものが巡る……ということですか?」


 ウィランは、葉を見つめたまま口だけを動かす。


「そうだと思います」

「それならば、また巡るようになるのではないでしょうか。構造に沿って巡るのなら、構造が戻ればまた自然に巡る……」


 確かに……、その通りかもしれない。

 ルティナはもう一度葉を視る。


 目を疑った。

 さっきは完全に途切れていた巡りが、すでに半分ほど戻っている。

 ものの数十秒だ。

 たったこれだけの時間でだ。


「……すごいです、本当に……もう半分ほど戻っています」

「植物は、動物よりも繊細で、動物よりも逞しい……ということですね」


 ミオルの言う通りだ。

 そして、ヨダの言った通りだと思う。

 植物は受動的な生き物。

 あるがままを受け入れて、その中で生きている。 


「動物よりも、自然をそのまま受け入れて生きている……と感じます」

「ルティナ殿のようですね」


 ミオルは、修復した葉を確かめるように指先で撫でる。



「じゃあ次に、回復ですが……回復薬から与えてみましょうか」

「それなら……、先に根を少し詰めます」


 ヒベニシダを持ち上げ、伸びた根をひと回り短く切る。

 植物は、根が一番分かりやすいはずだ。


「じゃあ、この水に少し強めの回復薬を加えてみます」


 ミオルは3つあるうちの真ん中の回復薬を、半分ほど加えた。


 しばらく見ていると、少しずつ根が伸び始める。

 そこからはあっという間だった。

 根が伸び、ヒベニシダの葉、新しい小さな葉もぐんぐん伸びる。

 ほどなくして、それは止まった。


 根は詰める前よりも伸び、葉もより大きく逞しくなった。

 すごい変化だ。


 ルティナは目を凝らす。


 ――。

 全身が冷えた。

 この成長を、ルティナは知っている。


 タヤの森で見た、スカスカの植物。

 身体だけ大きくなったような、中身の薄い植物に近い。

 外の成長に、内が追いつかないのだ。


「ウィラン様……この成長は……あれに似ています」


 机に両手を付いたまま、ウィランは視線を上げた。

 

「どういう状態ですか?」

「身体だけが大きくなって、中の霊素は薄まっています。とても希薄な生命に見えます」

「なるほど……回復魔法、もしくは回復薬を使って身体を成長させることができるが、霊素はそれに追いつかない……」


 胸の奥が、しくりと痛む。

 可哀想なことをしてしまった。


「ルティナ殿……この植物は、生命として破綻しているわけではないのですよね?」


 ミオルは、ヒベニシダの水を新しいものに取り替えながら、しげしげと見つめる。


「霊素に異常はありませんが、とても巡りが弱くなっています……」

「このまま少し様子をみましょう。生物というのは、順応する力を持っています。

回復薬は強い薬です。人ですら、揺り戻しでの脱力感があるのです。こんなに小さいのですから、負荷が出るのは自然でしょう。致命的な異変がないのなら、植物も時間が経てば馴染んでくるかもしれません」


 その瞳を見ると、ルティナを慰めるための言葉ではないことが分かる。

 回復薬がどういう効果を植物に与えているのか、ルティナにはあまりイメージができていない。

 心がこれを拒否しているのも……自覚している。


 ミオルがそう言うのなら、そうかもしれない。



「霊素そのものが巡っている……のなら、回復薬を与えた後に、霊素もしっかり与えれば……安定するのではないか……?」


 それは……いや、あり得る。


 ルティナはヒベニシダを引き寄せて、もう一度確認する。

 中の霊素は、陰に寄っている。

 これなら与えても大丈夫だろう。


 成長を促すなら、陽の方が好ましい。

 でも、バランスを取るという意味でなら、陰でも問題ないはずだ。



 ルティナはできるだけ、自分の気素を鎮める。

 右手から取り込んだままの霊素を送る。

 左手の指先から水へ、ヒベニシダが水を取り込む呼吸に合わせていく。


 植物の呼吸は静かだ。

 感覚を頼りに、うまく巡ってくれるよう霊素を送り出す。




 しばらく続けると、ヒベニシダは安定していた。

 頼りなく薄かった生命が、しっかりと満たされて巡り始めた。

 少し陰に寄ってしまったが、時間が経てばヒベニシダの好むバランスに落ち着くだろう。


「安定しました……これなら、きっと時間が経てば元の状態に戻ると思います」


 深いため息が漏れた。


 植物は在り方が柔軟だ。

 柔軟だから、あらゆる方向に変化していく。


 それは無理矢理変えてしまうこともできるということ。

 人の都合で歪ませることも、人に協力してもらうこともできる。


 向き合い方……と解釈していいものだろうか。

 そこにちゃんと、植物の在り方を考えられるかどうか。


 これもきっと、ひとつの正しさでは測れないことなのだ。

 だからこそ、ちゃんと理解して納得したい。



「植物は、生きることに率直なのですね」


 ミオルは置いてあった椅子に腰を落とした。

 安堵したように、強張っていた目元から力が抜ける。


「そして、反応がとても分かりやすい。霊素は見えないが、安定したというのは分かる」


 ウィランは興味深そうにヒベニシダを眺める。

 ジュードはずっと黙っていたが、何かをずっと見ている気がする。


「ジュード様、何か気になりますか?」


 ルティナはじっと黙っているジュードが気になった。

 突然声を掛けられたジュードは、気まずそうに目を泳がせた。


「いえ、植物というのは……魔素に適性を持たないのかと……」



 魔素……確かにほとんど感じた記憶がない。

 植物は霊素そのものを内側で巡らせている。

 先占の法則だと考えるなら、魔素には影響を受けないということだろうか。


 そもそも、植物は霊素に適応しているというわけでもない。

 ただ、霊素を身体に含ませているだけ。

 動物のように、固有の気素にしていない。


 だったら、魔素もそのまま体内を巡らせるだけ。

 無属性の魔素を持った植物になる。



「環境に合わせて、種を変えていくのが……植物……でしょうか」


 全員の視線が、ルティナに集まった。


「ルティナ殿、もう少し頭の中を詳しく言葉にしてくれますか?」


 ミオルの穏やかな声は、ルティナの頭を静かに巡らせる。


「すべての植物がそうかは分かりませんが、ヒベニシダに関しては霊素を固有のものとしていません。動物は、霊素を身体に取り込むと、固有の気素として体内に巡らせます。でも、植物は世界にあるままの霊素を、体内に含んでいるだけです。そう考えると、植物は霊素に適応しているわけではない。それなら、魔素を取り込んでも、世界にあるままの無属性の魔素を含むだけなのではないかと思うのです」


 そうだ、その場所の環境に適応する。


「動物は、環境に適応しますが、その種を変えることはありません。でも植物は、環境によって特性や構造までも変え、別の種に変化する。だから、圧倒的に動物よりも種類が多い。動物が個として閉じる生命なら、植物は環境へ開いた生命。植物に陰陽が強く現れ、魔素に適応していないと感じるのは、無属性の魔素のまま含んでいるから……」


 言葉が自分に返ってきても、それに違和感を感じない。

 ちゃんと言葉にして、自分でも納得できている。


 繋がった。

 自分の中で、植物というもののひとつの在り方が。


「なるほど、実に分かりやすい。何かに、ではなく、その場の環境に適応するということか」

「実に柔軟で逞しい。すべてを受け入れる受容の生物ですね」

「採れる土地によって作物の風味や味が異なるのも、納得です……」



 人が寄り添えば、植物も寄り添ってくれる。

 魔獣も、環境も――

 もしかしたら、世界すべてに言えることかもしれない。



 寄り添えば、世界は応える。



 あのときユアンが言ったことの意味が、ようやく自分の中に落ちた気がする。

 ユアンは感覚で、これを理解していた。


 今、無性にユアンと話がしたい。

 ようやく理解ができたと、彼に伝えたいと思った。


 彼はいつだって、この世界を信頼している。


 受け入れることと、信じること。

 それはきっと同じ巡りの中で繋がっている。



「美しい在り方です」



 ルティナの口からこぼれた言葉は、作業室の中に溶けた。

 その中央で、ヒベニシダの小さな葉が揺れていた。


 彼らと共有できたこの感情を、ルティナは忘れないように心に刻む。





      ―静かに眠る山― 巡了




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