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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―静かに眠る山―
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蒼の季-18.知者

 離れに戻る前、アベリスの家の前でレイランを待つ。

 西の森で彼が出会ったドリアード、ヨダの話を聞くためだ。


 まだ朝の鐘が鳴ったばかりというのもあり、家にお邪魔するのは少し気が引ける。

 セラにレイランへの言伝を頼み、ルティナは外で待つことにした。


 アベリスの敷地は、四家の中で一番感じる気配の多い場所だ。

 それは不快なものではなく、活気があって動きの密度が高いという感覚だ。

 人それぞれの意思がはっきりとあると言った方が近いかもしれない。


 リュサールは全体が静かで、流れるように動いている。

 グラナートは重心が低く、結束が強固だ。

 アルデニアは軽やかで、幾重にも重なりながら広がる。


 アベリスは大きな器の中で、一人一人が個々に立っている。


 その家が受け継ぐ空気なのか、当主の色なのか。

 ルティナにとってはどれも理解がしやすく、自分の位置を決めやすくしてくれる。


 人の中にいると、自分の在り処が分からなくなることが多かったが、ここではそれが起こらない。

 王都に来て一巡経っても、早く帰りたいと思わないのはこれが理由だと思う。



「お待たせしました、行きましょう」


 急いだ様子で家から出てきたのは、レイランとユアンだ。

 セラがそう伝えてくれたのか、外に出る服装に整えている。


「おはようございます。お話だけ伺えれば良かったのですが……約束の時間までには戻ります」

「いや、俺たちも行きたいんだ。何か思いついたんだろ? 向かいながら聞かせてくれ」


 ユアンの臙脂のマントは、以前のものとは違っている。

 夏に向けて、薄手の生地に変わっているようだ。

 膝辺りまでの長めの丈、首元には大きめの留め具が合わせられている。

 動くたびに軽くなびき、とても優雅だ。

 レイランは同じ色の丈が短いマントで、肩で止めるように着ている。

 2人が並ぶととても映える。自然と目を引く姿だ。


「あとこれ、ルティナに用意したんだ……着にくかったら……ごめん」


 セラが持って出てきたのは、淡い灰色の羽織だ。

 後ろから肩に掛けられると、想像の数倍軽い。

 春先にルティナが羽織っていたショールのような形で、肩に美しい装飾の留め具が付いている。

 フードとしての余裕がある布が、背中側にたっぷりと流れる。

 着慣れた羽織の形は、ルティナの着る服にも馴染む。


 ユアンの配慮が込められた、ルティナ専用の形だろう。

 もしものときのために頭を隠しているのを、覚えていてくれたのだ。


「ルティナの装いは目を引くから、それがあれば少しは和らぐと思ったんだけど……どう、だろう?」

「……とても、嬉しいです」


 ルティナは髪を羽織の中へ束ねて入れ込み、留め具を左に回した。

 いつもと同じ、まったく違和感を感じないのは、作り手の腕がよいのだろうか。


 留め具には飾り水晶が嵌められている。

 そこから感じるユアンの気素は、包むように温かい。

 その感触は少し照れくさくて、気付かないふりをした。


 ユアンはその姿を見て、ほんの少し瞳を泳がせ、行こう、と言って歩き出す。

 レイランは厩へと走って行く。


 2人の心遣いと贈り物は、ルティナの大切な宝物になった。




 平原に吹き続ける風は、次に来る雨の季節に向けて、徐々に厚みを増している。

 この風が、雨を連れてくる湿った風へと変化するのだろう。


 平原を横切りながら、西の森で見つけたヒベニシダの話をした。

 その話に目を輝かせたのは、意外なことにユアンだった。


「シダってすごいんだなー。世代を跨がないってことは、その代だけで変化するってことだろ? 種みたいな明確な情報ではなくて、なんていうか、その意思だけを受け継いでいるみたいな変わり方だ」


 意思だけを引き継ぐ……。妙に納得する表現だ。

 確かに、ベニシダからヒベニシダへ変化し、ヒベニシダからミズベニシダに変化したと考える方が繋がっている気がする。

 このヒベニシダが過程として存在するなら……

 陰を求めて水場に適応し、水が流れる場所に合わせて根が発達し、その先の深い水でも生活できるようになった。


 種子植物だと、こういう段階的な変化を少ない世代で積み上げていくのは難しいかもしれない。

 その種としての個性が強くブレないが、その分変化も緩やかだ。

 種子植物は、種の中に強い情報が詰まっている。

 霊素の記憶も深く刻まれる分、歪みもまた残りやすい。


 胞子植物、種子植物、それぞれの特徴をもう一度考えてみても良いかもしれない。



 西の森へ近付くと、さっきよりも森が騒いでいる。

 この感じ、タヤの森でも感じたことがある。


 レイランは馬から降り、耳を澄ましながら歩いて行く。


 水場とは反対側に進むと、なぜか目を引く木が2本並んでいる。

 その木の前に立ち、手を置くと、レイランは静かになった。


 木の音が大きくなる。

 風は変わっていないのに、葉擦れが大きく聞こえる。


 瞬きのあと、その木の前に現れたのは、タオよりも少し年上のドリアードだ。

 目は閉じられ、腰辺りまでまっすぐと伸びる緑の髪は、水に濡れた葉のように艶めく。

 レイランと言葉を交わした彼は、こちらに向かってゆったりとお辞儀をした。

 タヤの森のしっとりとしたドリアードとは違う、陽を浴びた明るさを感じる。


「ようこそ、サンカの森へ。ヨダと申します」


 声は直接身体に響き、広がる。

 ルティナたちも静かに前へ進む。


「お目にかかれて光栄です、ルティナと申します」

「ユアンです」


 ヨダの表情は変わらないが、森に流れる空気が柔らかい。

 ここの木々たちは、ヨダをとても信頼している。

 そんな気がする。


「ユアン殿は、さらに光が強くなっていますね。身も心も安定されたようです」

「……お会いしたことが……ありましたか?」

「いいえ、ただ感じていただけです。あなたが幼い頃からずっと、我らはあなたを感じています」

「そう……ですか。ご挨拶が遅くなりました」


 目を伏せた瞬間だけ、眉が動いた気がした。


「コーレン殿のお嬢様、ですね。こうしてお話ができるとは……」

「父をご存じなのですね」

「もちろんです。あなただとは分かりませんでしたが、……その子から、コーレン殿の気配を感じて、繋がりました」


 ヨダが視線を向けたのは、フェンだった。

 父の霊素がフェンに宿ったと感じていたのは、やはり正しかったのだ。



「……いつの、ことですか?」

「そろそろ4季になります」

「そうですか。だから、王都にいらっしゃらなかったのですね」


 ヨダはうつむき、父に祈ってくれた。


 どのくらい、父と交流があったのだろう。

 タオたちよりも、もっと近い付き合いのように感じる。


「ルティナ殿、スヴェルフのこと、ありがとうございました。お見事でした」

「いえ、わたしは何もしておりません」

「彼らは、あなたでなければ近付くことを許さなかったでしょう。あなたたちが思っているよりもずっと、スヴェルフは大きな存在ですよ」


 ヨダは木に入り姿を消し、しばらくして戻って来た。

 その手には、焦げ跡が残った石が握られている。


「スヴェルフを貫いた火は、おそらく子供を狙ったものでした。その子供が守ろうとしていたのが、この石がある水場です。あれが岩に当たっていたら……面倒なことになっていたと思います」


 あの岩から染み出す水が、この森を潤し、この平原を支える森が存在している。

 水が……枯れてしまったということだろうか。


「この森の水は、細かい根のように張り巡らされた水脈から染み出します。スヴェルフが倒れたあの岩は、その要石かなめいし。破壊されると、もう水は巡らなくなったかもしれない。それを彼らは知っているのです。子供を守ろうとした親が、その火を受け止めた」

「スヴェルフが、森を守った……ということですか」


 ユアンの声は、震えている。


「スヴェルフは、アルデニアの象徴。それは、古い時代にこの地を守った存在から繋がっているからです。魔獣よりも高い知性と、影響力を持っています。この世界にも数が少ない、上位魔獣アルカです」


 上位魔獣という存在すら知らない。


 スヴェルフは、その誰かに対処することができたのではないか。

 それをしなかったのは……。


「ルティナ殿、上位魔獣となると与える影響が大きいのです。力を振るうときにはそれなりの意味がある。それは彼らの選択であり、憂うべきことではありません」


 だからこそ。

 だからこそだ。

 それを知っていなければ、その行動の意味を理解できないままになってしまう。


 あの“無”は、諦めではなかったのだ。

 最初から知っていた。

 彼らにとっては、それはただ過ぎていくこと。


「そして、彼らはあなたを受け入れ、まだ生きることを選んだ。それも、彼らの選択です」

「……はい」


 ヨダが笑うと、森が喜ぶ。

 その音は森を越え、遠くまで届く山鳴りへと変わる。

 木々は、繋がっている。


 ユアンとレイランは、今どんな思いで森を見ているだろう。

 ここは、彼らが生きてきた場所だ。


「ヨダ殿、その石を……譲っていただけませんか」


 ユアンの目を見たあと、ヨダは石を差し出した。


「あなたが気にされることではありませんよ」

「……知って、覚えておきたいのです」


 頷きとも思える小さな息をこぼし、ヨダはルティナへ身体を向けた。



「さて、ルティナ殿。我らに相談があると聞きましたが」

「わたしではまだ考えが及びません。知恵をお借りできたらと参りました」



 ルティナは、ラクサールのことから、ヒベニシダとミズベニシダのことまでを丁寧に説明した。

 頷き、時折考える仕草をしながら、ヨダは静かに聞いてくれた。



「なるほど、なかなか面白い考え方です。……ルティナ殿の考え方はとても独特ですね。確かにそう考えると辻褄の合うことが多い」


 ヨダの声は温まり、心なしか楽しそうに見える。


「我々は、植物の命の在り方を見る。コーレン殿は、それを踏まえた上で森全体をひとつの命として見ていた。あなたは、植物がなぜそう在ろうとするのか、植物の意思を考え、世界との繋がりを探している。そのように思いました」


 植物の意思を考える……意識したこともなかった。

 ただ、なぜこう変化したのか、を考えていたつもりだった。


 ヨダの言葉は、ルティナの中にひとつの新しい種を植えた。

 そう捉えてもらったことが、とても嬉しかったのかもしれない。


「ヨダ様、ミズベニシダが自生している場所をご存じありませんか? もしくは、それに近い種でも構いません」

「あれはこの辺りでは少し難しいですね。とても限定的な環境でのみ見られる変化です。深さがある清廉な陰の水場、豊富な陽の光が降り、水温が高めの場所でないと育ちません」


 やはりそうだ。

 南の湿原でもだめだろう。

 運河では清廉な水という条件が合わない。


「似たような種が山の上の水場にありますが、それは陽の強い水で育つ、陽調のシダです。葉先の霊素揺れの効果も逆で、生き物を呼ぶような意味合いが強い」


 ヒベニシダで試してみるしかないか。

 まだ無理だと決まったわけではないのだから、植えてみたら何か分かるかもしれない。


「ルティナ殿、これは可能性の話で、上手くいくかは分かりませんが……」

「どんなことでも、うかがいたいです」


 ヨダは一度消え、一株のヒベニシダを採って来た。

 それはまだ幼い苗のように小さく、葉の色も淡いままだ。


「ミズベニシダは、強い陰に適応した亜種です。まだ幼いこの子に、陰を与え続ければ……もしかしたらミズベニシダのような変化をするかもしれません」


 霊素を与えることで変化を促す。

 あるかもしれない。

 でも、それはこの命にとって良いことだとは思えない。


 ヨダは少し喋る速度を落として、静かに言葉を続けた。


「ルティナ殿、あなたの心は清廉な水よりも澄んでいるようだ。でも、あなたが思うよりもずっと自然とは厳しいものです。それは悪意でもなんでもない、自然の巡りの中で当たり前にあることです。植物は望んでその形になるばかりではなく、生きるためにそうせざるを得なかった変化だってあります。むしろその方が多いのではないだろうか。動物と違い、植物は受動的な生物です」


 その言葉は、心に積み重なるように積もる。


「あなたは植物の意思を思う。彼らが変化するもしないも、それは意思だ。自然で起こる環境の変化は仕方がないことで、人が与える変化がそうではないとは……それがあなたの優しさであることは分かる。だが、植物にだって伝わる思いはある。植物がそう変化するなら、それはあなたに寄り添いたいという意思だ。森の木々がそうであるように」


 ヨダの言葉には、熱を感じない。

 ただ長く生きた末に思うこととして、伝えてくれている。

 ルティナのためではない言葉のように言うお陰で、素直に受け入れられる。

 ヨダにはもう、自分が透けて見えているのだ。


「あなたにはもう少し……自分と世界を信じる強さを、持って欲しいものだ」


 呆れるようなその言葉は、心に温かく響く。


 どこまでも優しい教えだ。

 タヤにも同じことを言われたのに……

 積み重ねた時間とは、深く自分に根付いているものだ。

 自分に呆れてしまう。


「ユアン殿、あなたなら分かるはずだ。ルティナ殿をしっかり導いて下さい」


 ユアンは地面を踏みなおし、小さく頭を下げる。


「レイラン殿は、道を整えてあげたらいい。彼女はひとりでも歩けるが、まだこの苗木のようだ。倒れても起き上がれる道を……この2人には見えにくいこともある」


 苗木を受け取ったレイランは、柔らかな笑顔で頷いた。


「そうだ、ルティナ殿。落ち着いたら、土と水の彼らと一緒においで下さい。彼らにもお礼と……伝えたいことがあります。その子の変化もそのときに、教えてください」


 振り返り、木の中へ消えた。

 そのあとには、山の香りだけが余韻として残る。

 山に住むドリアードは、斜面に根付く木のように逞しい。


 ルティナは深く、お辞儀をした。



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