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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―静かに眠る山―
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蒼の季-16.山

 ラクサールの気配を辿りながら、巡りに沿って歩いて行く。

 貯水湖より北は、南側とは色が違う。


 南側の山域に多かったのは、太い幹から扇形に広がるように枝を伸ばすサヤキの木だった。

 太い根を深く伸ばし、その根は横方向にも網のように広がる。

 地上に見えている姿が、そのまま逆さになって地面に埋まっているような印象だ。

 表面がひび割れた樹皮はどこか武骨で、枝に蓄えられた豊かな葉は、風を受けて低い音を流し続けていた。

 秋には橙に色付く葉で、美しく染まった山の景色が思い浮かぶ。


 一方、北側には、ナブの木の白い幹が見え始めている。

 滑らかな幹は空にまっすぐと伸び、高い位置にこんもりと葉を付ける。

 白いまだらの幹は、山の景色に少しの冷感を与える。

 武骨なサヤキと違い、ナブはどこか女性的な気品がある。

 ナブの根はサヤキほど深くはないが、緻密に張られる根は圧倒的な保水力がある。

 多少の水を抱えても揺らがない、蓄えるための根だ。


 ルティナはこの山の在り方に納得せざるを得ない。


 木の分布、ラクサールがここに住む理由が、ちゃんと繋がっている。

 それが自然の美しさなのだろう。

 


 地中に潜っているラクサールは、周りの土と同化するように静かだ。

 身体の巡りもゆっくりとしていて、動物というより植物の眠りに近い。

 ラクサールが潜ったばかりの土は、適度な空気を含みふかふかだ。

 この土が、より山を豊かにするのかもしれない。




「ここですね」


 ファムが立ち止まった場所は、木が避けているように地面が広い。

 感覚を澄ますと、地下に魔素が流れている気配をうっすらと感じる。

 そこまで深い位置ではなさそうだ。


「ファム様は、魔素の流れが分かりますか?」


 目を閉じ、感覚を研ぐファムの体内は、群青の魔素が浮かび上がった。

 魔素が回転するように交錯し、徐々に速度が上がる。

 規則正しく並ぶ魔素とは違って躍動感がある。

 ファムの使う魔法は動きが強いものが多いのかもしれない。


「ラクサールが潜っている辺りよりも、少し深い位置でしょうか……そんなに強い流れではありませんが、感じます」

「水は……感じませんか?」


 ここに水が湧いてくれるなら、ラクサールの集まる場所としてとても安全だ。

 適度に陽が届き、周りのナブの木で地盤も守られる。

 貯水湖からもそこまで離れていない。

 ラクサールの移動距離としても無理がない範囲だと思う。


「今は水は感じませんが……水の気配を含んだ魔素、でしょうか」

「水の気配……」


 ルティナはヴェリッダの谷を思い出した。

 あそこに巡っていた魔素は、風に吹かれて自然の中で属性を得ていた。

 それなら、ここの魔素も巡りの中で水と結びつき、逆に水を引き込んでくれるかもしれない。


「ここは、過去に何度も水が湧き出していますし、可能性は高いのかもしれません。位置も距離も、ラクサールが問題なく来られると思います」


 地図を見ながら言うレイランは、ルティナの考えが分かっているようだ。


「じゃあ、少し様子を見てみるか。湧かなかったら、少し無理をして引いてくる選択肢もある」

「ここの土地は大丈夫だろうか。土砂崩れが起こっては大事だ」


 エデュードは地面に手を当てて、土の中を探っている。


 ルティナは、北側と南側の木の性質を説明する。



「なるほど……木の根の張り方にそんな違いがあるとは。山もまた、そうやって維持されるようになっているのだな……」

「ナブは広く緻密な根で土の水を抱え、サヤキは土に太い根を深く伸ばします。サヤキはその根を楔のようにして、山の麓を支えているのだと思います」

「楔……か」


 エデュードの声は小さかった。

 その言葉に、何か違う思いが含まれている気がしたのは……気のせいだろうか。

 彼の目は貯水湖を通り越したその先、南側に向けられている。


「なんとなく、方向性は見えたな。ルティナはまだここで確認したいことはある?」

「今のところは……少し考えたいです」

「じゃあ、一度王都に戻るか。まだ時間はあるし、じっくり知恵を絞ろう」



 太陽は真上を過ぎて、ちょうど昼時だ。

 今から戻れば、夕方にならずに王都に着ける。

 書庫で調べ物をするには充分な時間が取れそうだ。




 山道を下りながら感じる山の雰囲気は、来たときとまるで違う。


 落ち着かない静けさは、戻って来る魔獣を待っているように。

 妙に耳に残った葉の音は、痛みを越えて前に進む声に聞こえる。


 この山はちゃんと生きている。

 そこにはまだ表には出てこない、小さな意思があるのだと思う。


 この山の在り方をほんの少しだけ知り、距離が近くなったからだろうか。



 ルティナはフェンを止めた。


「申し訳ありません、少しだけよろしいでしょうか」


 前にいるユアンが振り返る。

 目を合わせると、ユアンはアウリスから降りて、ルティナに手を差し出した。


「あまり奥までは行かないでくれ、足元が少し分かりにくいんだ」

「はい」


 道から外れ、サヤキの茂る山へと入ってみる。


 静かだ。

 この山域には、ほとんど動く物の気配がない。


 心を沈め、感覚を広く集める。

 あるのは木々の気配と風、そのざわめきだけだ。

 虫や、芽吹く草もない。


 少し深く探る。

 霊素は穏やかに漂っている。むしろとてもバランスが良い場所だ。


 土にあまり色を感じない。

 一切の雑味がない、とても綺麗に整った土だ。

 ……綺麗すぎる気がする。

 そこには、土しか感じないのだ。

 土の中にいるはずの虫、在るはずの種、土の呼吸を感じない。


 足元の土に触れてみると、パラパラと手から滑り落ちる。

 山の土なのに、砂のように揃った美しい粒だった。



 ルティナはエデュードとファムの献身が、手に取るように分かった。

 彼らはひたすら、ここを綺麗に整えたのだ。


 土を深く混ぜ、魔素を均一にした。

 おそらく、魔獣の亡骸も多かったのだろう。

 そこに腐敗が溜まらないように、丁寧に浄化をした。


 そうだ。

 何もないのだ。

 整い過ぎた揺らぎのない空間。

 この南の山域は、一点の曇りもない、美しすぎる聖域だ。

 

 でも、そのお陰でこの山の植物はちゃんと死なずに生きている。


 少しだけ、生き物が入り込む余白と、心地よい揺らぎがあれば……

 これだけ環境が調っているのだから、僅かなきっかけがあれば、きっと一気に巡り始める。

 そして、今までよりも更に美しい景色がここに戻るはずだ。



「この山を、見てみたいです」


 口から漏れた言葉は、山の風に乗って消えた。

 この山の木々に、誰かの耳に、この思いは届くだろうか。




 昼の終わりに王都に着くと、リオンとリエラが待ち構えていた。


 一緒に行けないことをとても悔しそうに、朝の出発を見送ってくれた。

 2人に腕を掴まれ質問責めにされるのは、兄にとっては嬉しいものだろう。


 レイランはこちらに会釈をしながら、家の中に入って行った。


「ルティナ殿……もしお時間があれば、少し話をさせてもらえないだろうか。お忙しければまた別の日でも構わない」


 エデュードとファムは馬から降りて、真剣な面持ちだ。

 南側の山にいる間、彼らはずっと何かを言いたそうにしていた。


「ルティナ、どうする? こちらは明日からで構わない。少し準備を進めたいことも残っているから」

「もちろん、構いません。でしたら、セラ様をお呼びした方が良いですね?」

「そうだな、そうしてくれれば安心だ。俺が伝えてくるから、ルティナはここで待っていてくれ」


 ユアンはフェンを一緒に連れて、セラを呼びに走って行く。

 心配がなくなったせいか、以前のユアンに戻っているのが嬉しかった。


「感謝する、ルティナ殿。グラナートまではファムがご案内する。私は先に行って準備しておく」 


 とても固いお辞儀をして、エデュードは駆けて行った。

 彼の少し固く感じる接し方は、ルティナにとっては馴染んだものだ。

 受け答えがしやすいくらいだ。



「ファム様は、ロイ様と近い関係でいらっしゃいますか?」


 セラを待ちながら、馬を撫でているファムの背中に声を掛ける。

 群青の髪を揺らし振り返る彼の瞳は、やはり似ている。


「ミオル様とロイは従兄弟に当たりますね。リュサールは他家と違って、家の中に2つの筋があります。治癒魔法を主にするリュサールの中で、戦闘系統を扱う者がミュサーヌを名乗ります。分家というほどの区切りはなく、役割としての名でしょうか」

「なるほど……ファム様の魔素の巡りに躍動感があったのも頷けます。ロイ様もいつかは、ミュサーヌを名乗るということでしょうか……」


 彼の魔素も、治癒より戦闘向きな印象だ。


「ロイはミオル様のそばにいたがっているので、おそらくリュサールのまま過ごすのではないでしょうか。彼は治癒も使えますし、水魔法でも少し特殊な氷系を得意にしています」

「氷……水の魔法は幅が広いのですね」


 魔素とは、その人の本質を濃く表すのが分かる。

 ロイの魔素はファムよりも規則正しく、少し淡い色をしている。

 ファムはもっとうねるように動き、色が濃い。


「水は治癒と戦闘に大きく分類されて、その中でも人によって扱えるものが変わってきます。治癒魔法は身体に影響するものですが、治癒系統にも環境に影響するものがあります。浄化などがそうですね、魔素溜まりや魔獣の淀んだ魔素などを払います。私が扱えるのは浄化の方です」


 とても面白い。

 水の魔法にも陰陽があるとすると……つじつまが合う。

 外へ放出する水、内へ凝縮する氷。

 内側を癒す治癒と、外側を巡る浄化。


 そう考えると、すべての魔法系統もそうなのではないか。

 火や風、土も同じように陰陽があるのなら、得意不得意も明確にありそうだ。

 今、ウィランの意見を聞きたくなっているあたり、自分自身も彼に相当影響を受けているようだ。




 セラに付き添ってもらいエデュードの家に着くと、門の前にはすでに出迎えの兵士が立っていた。

 きびきびとした動き、引き締まった礼、家の中の空気も、グラナートの雰囲気が分かりやすく現れている。


 通されたのは、エデュードの執務室だろうか。

 絨毯や家具、布は深い茶でまとめられ、重厚で格式高い。


 さほど広さはなく、必要なものだけが置かれているのが彼の人柄を滲ませる。

 その空気は、とても落ち着くものだった。

 だからだろうか、あまり接したことがなくても緊張を感じない。


 中央の長椅子に案内され、後ろにセラが控えた。

 つい、隣に座って欲しいと思ってしまう。

 この感覚に慣れるのは時間がかかりそうだ。



「すまない、お待たせした」


 入って来たエデュードは、使い込まれた黒い綴り帖を携えている。

 低い卓を挟んだ反対側に腰を下ろし、それを脇に置いた。

 角が擦り切れるほど、何度も開かれ、書き込まれ、読み返されたのが伝わってくる。

 きっとこれは、彼の心と同じなのだと、ルティナは理解した。



 対面に座った彼は、視線を落としたまま言葉を詰まらせている。

 息を吸い、口を動かすそぶりを見せては、また息を吐く。

 言葉にならないのだ。

 積み上げた気持ちが多すぎて、言葉がどこにあるのか分からない。

 どこから話せばいいのかが分からない。


 その感覚は分かる気がした。



魔素噴出アプラプト、のことでしょうか?」


 顔の上半分が、歪んだまま固まった。

 エデュードの頭に浮かんだのは、ルティナが知らない光景だろう。


 アプラプトのあった森の調査をしたことはあるが、実際にその瞬間に居合わせたことはない。

 濃い魔素に侵食された山、苦しみ暴走する魔獣。

 耐性のない人はきっとその場で倒れてしまう。

 魔素が押し寄せる異様な圧、魔素が起こす感覚異常、大規模なスタンピード。


 過ぎ去ったあとの森でさえ、目を覆いたくなる有様だった。

 それはきっと、今も昨日のことのように刻まれている。



「ルティナ殿は、あの山を……どう感じましたか?」


 重い扉を開くように、ようやくエデュードの口から出たのは、絞り出したような低い声だった。

 

 さっき見たあの森を、肌に感じた感触を、再び思い出す。


「……美しすぎるほどに整えられた、聖域のようだと思いました」


 予想外の答えだったのか、2人の空気は止まっている。


「……聖域、ですか」

「すべてがとても均一で、一点の曇りもなく、揺らぎのない空間でした。あの山を守りたいという、あの場所を整えた人の献身が伝わってきました」


 エデュードは黒い綴り帖を卓の上にのせ、ゆっくりと開く。


「ルティナ殿、ファムを隣に掛けさせても良いだろうか」

「もちろんです」


 ファムに目で促すと、彼も同じ綴り帖を持って来て、隣に座った。


「グラナートは、この国の生活環境や土地環境を整え、国を支え守る役割を任されている。貯水湖の件も、周辺の山の環境を整えるのも、我らの役割の一つだ。……ルティナ殿、魔素噴出アプラプトについて……話せる範囲で構わない、教えていただきたい」


 その言葉はとても重く、込められた思いを推し量るには充分だった。


「2年前、アプラプトの対応に当たったのは、アルヴィン、ミオル、ウィラン、我らだった。ナヴァンやユアン、ロイたちは、前線に立つにはまだ若く、レイランなど成人したばかりだったはずだ」


 綴り帖を捲りながら当時を語る声は、しっかりとしているのに、消えそうなほど儚く響く。


「魔素によって魔鳥が使えず、若い者たちが連絡役として走り回っていたとき……シルリーズが怪我をして、あの山に取り残されてしまった。魔獣や環境が落ち着き、人がなんとか近寄れるようになるまでは一巡ほどかかった。レイランは気丈に振舞っていたが、不安と焦りで擦り切れてしまいそうだったよ」


 リズの脚は、その時の怪我が原因だったのだ。

 レイランの少し度が過ぎる愛情も、これを聞くと納得してしまう。

 リズの恐怖や不安を、誰よりも思ったはずだ。


「その後、あの山を今の状態に整えたのが、私とファムだ。1年ほどかかったが、魔素は安定し、木々も残せた。見た目は以前と変わらない状態になっているが……どうしても、あの山を正面から見ることができない。それがなぜなのか、自分にもわからないのだ」


 両手で顔を抑える姿は、普段のどっしりと落ち着いた様子からは想像できなかった。

 この出来事が、深く刺さる棘のように、今も彼を傷付け続けているのだ。


 ルティナは胸を抑えた。

 エンの森を傷付けられたときの、深く刻まれた焦燥感を思い出す。

 分かる。

 大切なものを助けられなかったと思う気持ちも、それを悔いたところで何も変わらないと分かっていても、その思いを止められない。

 


「エデュード様、わたしも自身が体験したことは多くありません。知識として知っているだけのこともありますが……お話いたします」

「感謝申し上げる」


 エデュードはペンを取り、聞く準備を整えた。



「この世界には目に見えない無数の巡りがあるというのは、お分かりになりますか?」

「なんとなくは知っていたが、今日貯水湖のラクサールを見て理解したと思う」

「あれは地下に限ったことではなく、平原、海、空、どこにでもあります。強いもの、弱いもの、一定ではなく抑揚があり、季節や時間によって変化しながら巡り続けています。その巡りは、魔素と霊素どちらにもあります。魔素は物質、霊素は概念的なもの。存在する次元が異なるものですが、この世界の中でこの二つは緩い補完関係にあります」

「補完関係……」

「魔素が薄くなれば霊素がそこを埋め、霊素が薄くなれば魔素が流れ込む。しっかりとした区切りはありませんが、そのように動くことでバランスを取っているのだと思います。……自然の中で起こるこの巡りにおいては、急激な変化というものはそこまで起こりません。時間の経過でいつの間にか均衡は保たれ、人がそれを感じ取ることはあまりないかもしれません」

「今、西の森付近で行っていることも、それが関係しているのですか?」


 ファムは、ペンを走らせながらこちらを見る。


「今年は少し陽が強く出ているようで、平原に降りた霊素が、風に乗って動き続ける魔素に動かされ、溜まったようです」

「その風の動きも、ある種の巡りということですね」

「風の動きは季節によって方向が変わるものなので、その時期に短期間現れる巡り、でしょうか。こういう小さな巡りと、世界全体に及ぶ、数千年に渡って変わらない普遍の巡りがあります。大規模な魔素噴出は、そちらの巡りで起こると言われています」

 

 エデュードは綴り帖を捲りながら、何かを探している。


「巡りは大きいものほど、深いところにあります。空ならば遥か上空、海ならば深海、大地ならば地下の奥深く。魔素噴出は大地がある所でしか起こりません。霊素は概念ですが、魔素は物質です。空のような開けた場所では、濃くなることはあっても詰まることはない。逃げ場があるからです。地中にはその逃げ場がありません。地震や噴火、地盤に大きな変化が起こり、大きな巡りの道が妨げられ、そこに極限まで溜まった魔素が爆発するように吹き出す現象。それが、魔素噴出アプラプトだと言われています」


 綴り帖の中の記録を見ながら、エデュードが口を開く。


「それが起こったと思われる場所に、知らない鉱物や、山にない土があったのは……そういうことか」

「地面に裂け目やひび割れなどが残ることは多いです。かなり深い位置で起こったのかもしれません」

「それは、予測できるものではないのだろうか」

「難しいと思います。2年前に起こった大規模なものは、数百年に一度起こるかどうかの災害です。人が感知できるような深さではないと思います」

「では、もっと小さなもの。例えば、少し魔素の濃度が上がったり、魔素溜まりができるような小規模のものは、低層でも起こり得るだろうか」

「起こります。実際目にしたこともあります。魔素溜まりは、徐々にできるものと、突然現れるものがあります。後者はその可能性が高いと思います」



 2人は手を止め、ひとしきり何かを考えていた。

 その表情は、先ほどまでとは打って変わって、思考している。


 原因も対処も分からない、未知のものと突然向き合わされるのは苦痛を伴う。

 これで正しいのか、向かっている方向が間違っていたらと、問い続けながら進まなければならない。

 それは長引けば長引くほど、心がすり減っていくものだ。


 心を折らず、この現象と向き合い続けられる人が、一体どれだけいるか。

 それが難しいから、今も戻っていない場所がたくさんあるのだ。



「ルティナ殿があの山に立ったとき……違っていたら申し訳ないが、とても嬉しそうに見えたのだ。我らがあの山を見る目とは、まるで違った。それは……なぜだろう」


 そんなに分かりやすい顔をしていたのかと、とても恥ずかしくなった。

 間違ってはいない、実際そうだった。


「嬉しかった……というか、先を想像してしまった……のだと思います」

「先を……? あの場所にまだ何かできることがあるのでしょうか?」


 早口になったエデュードの声は、もう消えそうな声ではない。

 力が戻った、腹の底から出した声だ。


「これは、わたしの解釈なので、必ずしも正しいとは思いませんが……自然界は、綺麗すぎない方が上手く巡ると思うのです」

「綺麗すぎる……」


 目を閉じて、あの山を思い出してみる。


「エデュード様は土を混ぜて、均一に整えた。ファム様は淀みをなくし、綺麗に浄化した。それによって、あの山の木々は生き残ることができた。それは間違いありません。わたしが感じる限り、あの場所の木々には霊素の乱れも傷もありませんでした」


 どこまでも整った土、一切の乱れがない空気。

 でもそれは、ルティナにとっては少し不自然に感じるものだ。


「このまま見守ったとしても、長い時が経てばいずれ前の状態に戻っていくと思います。自然の変化はとてもゆっくりです。……例えば、少し湿り気の強いところにはキノコが生え、乾いた場所には木の実を付ける木が育ちます。少しの変化があることで、色んな植物がそこに暮らせる。それによって、それを好む虫、鳥が集まる。鳥が鳴けば、その音を追うように別の魔獣も寄って来る。それが、生き物が暮らしやすい揺らぎ、その場所にしかない自然の呼吸なのではないかと思うのです」

「我らがあまりにも、整え過ぎたせいで……生き物が選ぶ隙間を、なくしてしまったというわけですね……」


 目を伏せて、肩を落とす2人には、純粋な山への思いがある。

 それはちゃんと伝わっていると思いたい。


「いえ、あの時はそうするしかなかったと思います。そうでなければサヤキは残らなかった。あの山は今とても綺麗に整えられて、準備ができている状態だと思いました。以前はあって、今なくなっているのは自然界に当たり前にある揺らぎ。あとは、生き物の気配……だと思います。わたしが以前、森の巡りを戻すことを学んだとき、父は小さいものから元に戻すと言っていました」

「小さいもの、それこそ虫などでしょうか?」

「土の中にいる、目に見えないほど小さな生物たちです。それによって、土は呼吸し、その土の呼吸が植物を育てます。それをどこからかあの山に戻せば、一気に巡りが戻るのではないかと……できれば、元の環境に近い場所であるのが好ましいです」


 2人の目は生き返ったようだ。

 あの山が元の姿に戻るのを、一緒に見たいと思う。


「分かりました、少し考えてみます。あの山にあった植物、住んでいた魔獣が移動した場所にも、何か手がかりがあるかもしれません」


 ファムは綴り帖を勢いよく閉じて立ち上がった。


「ルティナ殿、ありがとうございました。ようやく、先が見えた気がします。我々だけでは考えが及ばないことが多くありそうです……またご相談させていただきたい」

「はい、いつでもお声がけ下さい」


 エデュードの瞳が、彼らしい意志の強い光を宿した。


 今までで一番、大きく溢れるような笑顔だった。

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