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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―静かに眠る山―
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蒼の季-15.地中

 王都の東側は、西とは違う空気だ。

 吹く風は静かだが、山を抜けながら木々を揺らし、山の低い唸りを響かせる。


 木々の中にいるのは同じはずなのに、森と山は随分と違う。

 森の風は漂うようにそよぎ、山の風は抜けるように吹き下ろす。

 山道で感じる向かい風は、一歩進むごとに力強く身体を押し返してくる。


 見上げる空は、切り取られたように細長い。

 両側から深緑が覆いかぶさり、空はその青さが際立っている。

 空が狭く感じるのは、不思議な感覚だ。


 こんなに木があるのに、この山は中庸より陽に寄っている。

 普通ではあまり考えられないことだ。

 それだけ今年は、陽に強く揺らいでいるのだろうか。


 ここの木々から何も受け取れないのは、この山を知らないからだ。

 いつかこの山にも、寄り添える自分になりたい。



「ルティナ殿、この山の雰囲気が気になりますか?」


 後ろを歩いているのは、エデュードだ。

 ジュードの兄だという彼は、グラナートの次の当主だそうだ。

 揺らがない安定感は、地の魔素の特徴だろう。

 厚みのある声は、少しの不安を和らげてくれた。


「そう……ですね。とても静かで風も抜けているのに、どこか不安定に感じます」

「やはり、鋭い感覚をお持ちです。ここは2年ほど前に山の在り方が変わったのです。危険はありませんので、あまりお気になさらず」


 自分でも意識していなかったが、不安が漏れていただろうか。


「あの、何かわたしから感じ取られた……のでしょうか」


 エデュードはその問いかけに目を伏せ、優しげに微笑んだ。


「私は少し特殊な感覚がありまして、人の身体の変化を感じることができるのです。鼓動、脈、筋肉の緊張など。ルティナ殿からそれを感じました」


 なるほど。すごい感覚だ。

 施術のときにその感覚があれば、霊素の動きを視るだけでなく、的確に調整ができるかもしれない。


 どのように感じるのだろう。


「それはとても羨ましいです」

「……羨ましいと言われたのは初めてです。だいたいの人が嫌がります」

「なぜですか?」

「人は、自分を読まれるのが怖いものです」

「なるほど……」


 分からなくもない。

 的確に解釈ができるのであれば、それは心を読んでいるのと変わらない。

 でも……

 それは自分にも言えることだ。

 知りたくなくても分かってしまうのは、苦しいことも多い。

 簡単に羨ましいなどと……言えることではない。


「失礼なことを申し上げました……」

「失礼な……ことですか」

「大変なことも多いと思います。それを羨ましいなどと……簡単に言ってしまいました」

「……同じような感覚をお持ちですか?」


 ルティナが視線で返すと、エデュードは頷くだけだった。



 昨日ラクサールの話を聞いた後、その場所に行きたいと頼んだ。


 今日は、ラクサールの様子を実際に見るため、東の貯水湖へ向かっている。

 王都を挟んで、西の森のちょうど反対側、山の中腹あたりだそうだ。

 直線距離では西の森とそう変わらないが、山道に入るために迂回して進む必要がある。

 初めての道に緊張していたフェンだが、アウリスの後ろにつくとすぐに落ち着いた。

 フェンにとって、アウリスはそういう存在らしい。

 アウリスの堂々とした空気は、そばにいる魔獣を安心させる。



「山の在り方が変わった……というのは……」


 エデュードに合わせて速度を落とすと、ファムが譲るように少し下がる。

 ルティナが軽く会釈すると、口角を上げたまま返してくれた。

 どことなく、ロイと似ている気がする。


「2年ほど前、急激な魔素濃度の変化で、山で暮らす魔獣が危険な状態になりました。狂暴化する者、耐えきれずに命を落とす者、大規模な魔獣の移動もありました。その後、貯水湖より下の山域から魔獣がいなくなりました」


 魔素に敏感な魔獣が命を落とすほどの急激な変化――魔素噴出アプラプトだ。

 魔素噴出は火山の噴火に近い現象だ。

 長い時間をかけて地下に溜まった魔素が、限界を超えて一気に噴き出す。


 まだ2年しか経っていないのなら、山に魔獣の気配がないのも納得できる。

 山全体ではなく、限られた範囲であったのが救いだ。



 ルティナは、アウリスと並んで歩くリズの方を見る。

 確か、リズが脚を痛めたのも2年前だと聞いた。


「2年でこれだけ魔素が落ち着いているのは素晴らしいです。少なくとも植物がここにあり、山が生きているなら、もとに戻る可能性もあります」

「ルティナ殿は、その現象が何なのか分かるのですか」


 エデュードとファムは貫くような視線だ。

 引きつった表情には、そのときの重い記憶を感じる。


「地下に溜まった魔素の噴出……魔素噴出アプラプト、と呼ばれます」

「アプラプト……」

「抗えない自然現象です。これによって命が消えた森や山、数十年経っても未だに魔素が溢れている場所もあります。これだけ傷を残さず、こんな短期間で落ち着かせるのは……並大抵のことではなかったと思います」

「そうですか……」


 一瞬だけ眉を動かし、歯を噛みしめたエデュードは、山の奥を見つめた。


「この山が戻らないのは、自分の力が及ばなかったせいだと思っていました……」


 2人が、眉間を震わせながら山を眺めるのを見たら、それ以上何も言えなかった。

 きっとこの山を思い、ひたすら足を運んだのだ。

 魔素噴出はどうしようもない自然現象だ。

 受け入れ、対処するしかない。


 だがそれは、その場所に対する愛情がなければできないことだ。

 魔素への理解があっても、捨て置かれる場所は少なくない。


 ルティナはその思いと献身に、心からの敬意を贈った。




 山道の終わりは、真っ白な水面だった。

 一気に広がった空からは、陽射しが惜しみなく降り注ぐ。

 光は水面に吸い込まれ、溶け合うように白く輝く。

 風と時間が緩やかに流れる、山の陽だまりのような場所だ。


「ここは気持ちがいいですね。ラクサールもきっと同じで、集まって来るのも納得してしまいます」

「……なるほど、ラクサールも心地よいからここに集まる……のか」


 エデュードは顎を指でなぞりながら、独り言のようにつぶやいた。


 貯水湖の西の湖岸には、兵舎らしき建物と設備が並んでいる。

 地下水路と繋がっており、これで王都に水を送っているそうだ。


 湖の周囲は、北から東にかけての一部を除いて、灰色の石で囲われている。

 ラクサールが日光浴をしているのは、ちょうど北にある土の上だ。


 その付近の湖岸から水が湧き出しているのが分かる。

 清らかな水と陽射し、安らげる土が揃ったその場所は、ラクサールにとっては最高の昼寝場所ということだろう。



「あれだけのんびり日光浴をしていると、邪魔するのが申し訳なくなりますね……」


 見えているラクサールは、20頭ほどだろうか。

 見る限り、こちらを気にしている様子はまったくない。


「ラクサールに近付くのは危ないですか? もう少し近付かないと、よく分からないのですが……」

「こちらから手を出さなければ、よほどのことがない限りは動かないけど……数が多いからな……」


 4人は、互いに目を逸らしながら黙っている。

 ルティナは渾身の期待を込めて、ユアンをじっと見つめる。


「……じゃあ、ゆっくり進もう。俺の後ろから出ないこと」

「もちろんです」


 西の兵舎側から回り込むように、ラクサールのいる方へ進む。

 近付くごとに、ラクサールたちがこちらに意識を向け始めるのが分かる。

 でも、特に動く様子はない。


 ラクサールまで20歩ほどの距離まで来ると、魔素の動きや仕草が見て取れる。

 その付近の土の色は濃く、湿っているのが分かる。

 適度な湿り気がある場所を好むということかもしれない。


「ラクサールは、体表に近い部分の魔素が濃いですね。特に、お腹の下と背中に強い流れがあります。お腹が触れている土が盛り上がって見えるのは、触れている土を柔らかくしているのかもしれません」

「それが、ラクサールの基本特性ということでしょうか?」

「おそらくそうです。土に潜るのであれば、あの体を土に沈ませる必要があります。足が発達しているようには見えないので、強い力で掘り進めるというより、土をやわらかくして沈み込む……とする方が納得できます」

「なるほど……」


 レイランは、メモを取りながらラクサールを観察している。


「背中にある濃い流れは、身を護るために土を纏い硬化するためだと思います。一度防御態勢を取るとなかなか厄介です。体表が硬い鉱石のようになります」

「そちらが、印を使う能力かもしれませんね」


 ルティナは目の前にある小石を拾い、湖の方に投げてみる。

 反応した数頭がそこに目を向け、周囲を探っている。


 静かに立ち上がって、大げさに伸びをする。

 それに反応する個体はいない。


 そのまま足を少し地面に擦る。

 すると、一番手前にいる個体だけがこちらに顔を向けた。


「視力はよくなさそうですね。ほとんど見えていないかもしれません。音と地面に伝わる振動は感じているようです。振動は触覚として捉えていると思います」

「では音や振動が出なければ、無駄に警戒させることもなさそうですね」


 ラクサールは動きが機敏なようには見えない。

 のんびり、どっしりと動き、とても落ち着いて見える。

 身体に対して脚は控えめで、逆に尾はとても逞しい。

 泳ぎは得意かもしれない。


「ルティナ、地中にいるラクサールは日陰の方に多いようだけど……これは土の温度の問題だろうか」


 気配を探ってみると、確かに地中にいるラクサールは、陽の当たる湖岸から離れた日陰にいる。

 足元の土を触ってみると、ぬるま湯ほどの温かさだ。

 少し離れた木の根元の土は、ひんやりとしている。


「そうかもしれません。日陰の土の中で休み、陽射しの下で体温を上げる。これを繰り返しているのかもしれません」

「この、ラクサールが潜っている場所ってさ、湧き水が出た位置に沿ってないか?」


 なるほど。

 地中の巡りに沿って水が湧くなら、そこには魔素の通り道がすでにあるはずだ。

 魔獣にとって、適度な魔素は心地よいものだ。

 それに沿って休むというのはとても理にかなっている。



「……魔獣とは、魔獣の行動とは、彼らにとって意味のあるものなのですね」


 黙ったままだったエデュードが、地面に手を当てながら口を開いた。

 それは腹の奥から出た、何かを理解した声だった。


「地中のラクサールの位置は気配で分かります。私とファムで、どのあたりまでいるか確認してきましょう」


 ユアンから地図を受け取ると、エデュードは木が茂る北へと歩いて行く。


「理解してくれたみたいだ」

「理解せざるを得ませんからね、目の前で見てしまうと」


 ユアンとレイランは嬉しそうにその姿を見送っていた。

 



 太陽が高くなってくると、首にじりじりと熱を感じる。

 地面を触ってみると、先ほどよりも温度が上がり、かなり温かい。

 ラクサールには少し暑いのではないだろうか。


 湖岸で休んでいるラクサールは、少しずつ木陰の方へ移動する個体もいる。

 その中の1頭が、のそのそと貯水湖の方へ歩き出した。

 そのまま水の中へ身を滑らせ、岸に近いところを泳ぎ始めた。

 逞しい尾を左右に振り、地上での動きとはまるで違う。

 水の中が本当の棲み処であるように自在に動く。

 水から突き出た背びれが、飛沫を光らせながら進む。


 その背びれが見えなくなってからしばらく経つ。

 いつ……水から上がって来るのだろう。


「ユアン様、ラクサールが水から上がって来ないのですが……見に行ってもよいでしょうか」

「え? ああ、一緒に行くよ」


 湖岸に近付いて確認すると、湖の中は静かだった。

 澄んだ水の下は、湖底がうっすらと見える。


 いない……?

 ラクサールはどこに行ったのだろう。

 どこか出口があるのだろうか。


「この湖には水路や出口がありますか?」

「いや、ラクサールが通り抜けられるようなものはない。水を送り出す水路には格子があるし……」

「ではどこに……」


 ルティナは湖を覗きながら、湖岸を歩く。

 警戒されるかと心配だったが、ラクサールたちは変わらずのんびり過ごしている。


 注意深く見ると、湖の中の壁沿いにうっすらと水が濁っている場所がある。

 近くに行くと、そこから小さな泡がこぽこぽと湧いている。


「ここから、土に潜ったようですね……」


 そこは湧き水のすぐ近くにある、石で囲っていない土の壁だった。


「……ちょっとまずいかもな。こうやって別の場所から水が湧くのかもしれない」

「この湧き水も、地下の巡りの出口なのでしょうね。だからこの場所をラクサールが好むのだと思います」


 ここが一番大きな出口になっているのは間違いないはずだ。

 ラクサールが地中に潜ったり、水の中からその流れに刺激を与えることで、地下の巡りに変化が起きてしまう。


「今の気温になってラクサールが水に入ったなら……夏に向かって気温が上がると、水に入る個体が増えそうですね。そうなると……」

「貯水湖の水量に影響が出るかもしれないな」



 ラクサールはこの付近にどのくらいいるのだろう。

 数によっては、ここから遠ざけてもあまり意味がないかもしれない。


 貯水湖があることで、この場所は木が少ない抜けた空間になっている。

 木があり、根が土地を支える場所と違って、ラクサールが土を柔らかくし、水が回り過ぎると地盤が緩むかもしれない。


 土の温度が上がったことで水場を求めたのなら、もっと涼しい場所に水場があれば良いのだろうか。


 積極的に水に入る個体は今のところいない。

 泳ぎたくて集まったというわけではないなら、大切なのは温度と湿り気。

 そして、魔素があれば好ましい……ということかもしれない。



 戻って来たエデュードの手にある地図には、ラクサールの位置が分かりやすく描かれている。

 それは、見事に水が湧き出た記録と重なっている。

 北から東へと回り込む流れだ。


「ここまで見事に重なると、ラクサールの位置だけで巡りが見えている気がするな」

「ああ、自分で地図に描きながら、不安になったくらいです」


 ラクサールの数は、思ったよりも多くない。

 かなりの数が、もう貯水湖付近に集まっているということだ。


「全部で……40はいないか?」

「そうですね、それでも例年の倍はいそうですが」

「……もしかしたら、毎年このくらいいたのではないでしょうか……」


 レイランは山の方を眺めながら首を捻る。


「今年は気温が上がるのが急だったせいで、一気に表に出てきただけ……とは考えられませんか? いつもは気温が上がり切る前に雨の季節が来ます。そうすれば、土の温度は下がって過ごしやすくなり、わざわざ土から出てくる必要がない……とか」


 確かにそうとも考えられる。

 雨が降るなら、湿り気は充分だ。


「なるほど。それなら、増えすぎたせいで土に影響が出過ぎるという心配はなくなるかもしれない」

「雨の季節のあとに、ラクサールがここに出てくることはなかったのですか?」

「ありはしましたが多くはありませんね。まあ、先に討伐している個体分減っているというのはあると思いますが」


 討伐しない分、例年より数が多いというのは変わらないということか。

 ラクサールの特性を考えると、数が増えれば、その分だけ地中への影響も大きくなる。


「ここに、濃い魔素を感じました」


 ファムが地図に描かれた大きな丸印を指した。

 貯水湖の北東、その付近にはラクサールが他の場所よりも多く集まっている。


「地中から滲むように魔素が出てきています。もしかしたら、ここに水が湧くのではないかと思いました」


 ファムは魔素が見える人のようだ。

 リュサールの血は見えやすいと言っていたが、ファムもそうなのかもしれない。



「ここに、行ってみてもいいでしょうか?」

「何か思いついた?」


 ユアンにはお見通しらしい。

 4人は誰が何を言うわけでもなく、そこへ向かって歩き出した。


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