蒼の季-14.知恵
朝食を食べながら、こんな気分でも美味しいのだな……と思う。
立ち上がる湯気は、ミルクと穀物の優しい匂いだ。
王都は穀物の種類が豊富で、知らない食感や風味が楽しめる。
色んな穀物を使って作るミルク粥が、最近の朝食のお気に入りだった。
お腹が満たされると、身体が落ち着き、心も安定してくる。
森で感じたあの感情を、ようやく自分の中から出すことができた。
流れ込んでくるスヴェルフの痛みや恐怖は、もちろん苦しかった。
今までもずっとそうだった。
入ってくる感情によって涙が溢れるのを、少し遠くで眺めているような。
誰かの代わりに流しているような、そんな感覚だったのかもしれない。
あのとき、ミオルの手を背中に感じながら流し続けた涙は、自分のものだという実感があった。
感情の揺れが、外からの影響ではなく、自分の中で生まれた。
あれだけ泣いたあと、残ったのはすっきりした清々しさだった。
流れた、ではなく、流した。
きっと、泣きたかったのだ。
ルティナは思い立って、残っていたミルク粥を小鍋に移して包む。
リンベリーのはちみつ漬け、安眠の香、鎮静作用のある茶葉を籠に詰めて、リュサールの家へ向かう。
家の前に来て、誰に渡せばいいのか分からないことに気付いた。
いつもロイかミオルと出入りしていたせいで、入っていいのかも分からない。
さすがに、勝手に出入りするのは気が引ける。
今度改めてちゃんと約束をしてから来よう。
「ルティナ様?」
後ろからの聞き慣れた声に振り返ると、ロイだった。
駆け寄って来る彼には、いつもの素直な明るさが戻っている。
森での様子がずっと気になっていた。
「ロイ様、もうお話は終わったのですね。お会いできて良かったです」
「はい、つい今です。皆これから戻ると思います」
「これを、ミオル様とロイ様に」
籠の布を取って中身を見せると、ぱっと笑顔が開く。
「ミルク粥は、ミオル様のお休み前でも重くならないと思います。はちみつ漬けは甘いので、起きてから召し上がるとすっきりと起きられるかと……」
「ちょっと待ってください、ミオル様ももういらっしゃいますから。本人に直接お渡しください。とても喜ぶと思いますので」
話しているうちに、ユアンと共に歩いてくるミオルの姿が見えた。
こちらに気付くと向きを変え、ゆったりと歩いてくる。
もう限界だろう、足が地面から浮いているように感じる。
「お休みになれましたか? 顔色は戻ったようですね」
いつものミオルだが、身体に染みるような声ではない。
護魔の指輪から森での治癒まで、無理を重ねさせてしまった。
「はい、すっかり戻りました。ご心配おかけいたしました」
「何もしていませんよ。……それより、何かありましたか?」
持って来た籠を差し出すと、ミオルは中を覗く。
「小鍋はミルク粥です。温めてお休みの前に召し上がって下さい。最近わたしが気に入っているもので、お休みの前でも重くならないと思います。はちみつ漬けは、お目覚めのときに口に入れると頭が冴えます。香は直接火を点けて焚くもので、煙が多めに上がるので、足元か少し離れた場所で焚くと良いです。疲れていても深く眠れます。あと、こちらは茶葉ですが、鎮静の効果があります。飲むのではなく、湯で煮出して布に含ませ、眠る際に目に当てておくとすっきりすると思います」
「これは……至れり尽くせりですね……」
目を丸くしながら、でも嬉しそうだろうか。
ミオルは感情をあまり表に出す方ではないが、少し分かるようになってきた。
「茶葉ということは、飲んでもよいのですか?」
「もちろん構いませんが、お休みの前には控えた方が良いですね。朝の目覚めにはよろしいかと思います」
「なるほど……そのあたりに関しても、今度ゆっくり聞かせて下さい。わざわざありがとうございます。ありがたく、いただきます」
「ロイ様も、はちみつ漬けはわたしの好物です。ぜひ召し上がって下さい」
ロイは何度も頷き、ミオルを支えながら家へと入って行った。
2人の背中を見送りながら、心の中で感謝を送った。
「ミオル殿たちとも打ち解けたようだね」
ユアンも元に戻っているようだ。
さっきは隣にいても心配になるほど揺れていた。
「水の魔素は陰がありますから、わたしと体質が近いようで……食べ物の好みが似ているのです。それで食に興味を持たれたようでした」
「そうか、ルティナのご飯は美味しいからな」
「ユアン様とレイラン様は食べることがお好きですしね」
「それはそうだ。……行こうか、少し話を聞いて欲しい」
何かふっきれたような、そんな顔だ。
王都に来てから、どこかユアンは迷っているようだった。
ユアンからはあまり感じたことのない、心がここにないような、触れたら崩れてしまいそうな不安定さだった。
レイランもそれを気にしてか、ずっとそばを離れないようにしていた。
ユアンでも迷うのだ。
それならば一緒に迷おう。
ユアンがそうしてくれると言ったように。
アベリスの家に入るのは初めてだった。
通されたのは、6人掛けの卓が中央に置かれた部屋だ。
卓の上には地図と何かの資料が積まれ、紙には細かいメモや走り書きがある。
何かについて話し合っていたのだろうか。
「ルティナ、まず俺からの提案だ。出来れば受け入れて欲しい。王都にいる間、ルティナが動くときはセラに付いてもらいたいと思っている。アベリスの敷地内と、俺たちが一緒にいるときは今のままで構わないが、出来ればそれ以外のときは常に一緒にいて欲しい」
「セラ様、ですか」
それは護衛として……という意味だろうか。
今のままだとどこへ行くにも、心配させてしまうかもと躊躇するのは確かだ。
セラならむしろ安心で嬉しい。
「わたしは大変嬉しいのですが、ユアン様とセラ様は……それでよろしいのでしょうか?」
「嬉しい……のか?」
「はい、どこへ行くにも分からない場所ですし、その度に心配させてしまうのも心苦しく思っていました。セラ様であれば、ユアン様も安心して下さるでしょう?」
ユアンは目を閉じて、驚いたような困ったような、なんとも言えない表情をした。
「そうか、俺はそういうのはルティナが逆に気を遣ってしまうかと思っていたんだが……俺が心配するのを気にしていたのか。気が回らなくてすまない」
「いえ、そんな。セラ様はとても優しい方ですので、そばにいて下さるならとても心強いです」
扉が開き、お茶を持って来たのはセラだった。
王都に来てからは、何度も離れに来てくれていた。
とても気遣ってくれていたのだ。
「セラ、よろしく頼むよ」
「お任せください」
相変わらず完璧なお辞儀をしているが、ほんの少しだけ空気が柔らかい。
「セラは常にアベリスの屋敷にいる。2人で合わせて行動して欲しい」
「お気遣い感謝いたします。……セラ様も、ありがとうございます」
セラは扉の前で、こちらに目を合わせてくれた。
そろそろ街に行きたいと思っていたのが、とても楽しみになった。
セラが淹れてくれた紅茶は、甘い花の香りがする。
口に入れると、ほんのり蜂蜜が足してある。
完全に、好みを把握されているようだ。
セラが出ていくと、レイランも席に付いた。
その奥、端の席2つに、白紙の紙とペンがそれぞれ用意されている。
「ご相談したい件について、お話をさせて下さい」
レイランはユアンの隣に座って、空気を整えた。
「アベリスで魔獣の生態を研究することに致しました。討伐しか選択肢がない場合を除いて、できる限りどちらにも無理のないように。魔獣を理解し、共生を実現する方法を探していきたいと思っています。人と魔獣を同じ視点で捉えられるようになるのが今の目標です」
思ってもみなかった言葉に、しばらく声が出なかった。
ただ魔獣が好きで、観察が楽しくて、理解したいだけだった。
それを、本格的に研究するというのだ。
しかも、レイランがだ。
魔獣の生態を人が知ることで、それが良くない方向に進むことを考えたりもした。
ルティナには、これ以上信頼できる人なんていない。
「……素晴らしいです」
笑顔にしかなれない。
それ以外、この嬉しさを伝える方法が分からない。
「ですが、まだ正直なところ、我々だけでは進めるのは難しい。魔素の動きは見えるようになりましたが、基本的な考え方や観察するときの視点など、学びたいことがたくさんあります。無理のない範囲で、ご協力いただければと思っております」
「もちろんです。わたしができることであれば」
魔獣が好きなことは伝わってきていた。
リズだけでなく、接する魔獣たちに向ける目が優しかった。
それは興味になり、理解したいという願いになった。
いつからか、それに敬意すら滲むようになったことに気付いたのはいつだっただろう。
そんな人が魔獣に向き合うなら、きっと良い方向に進んでくれるはずだ。
「実は、アベリスとグラナートで毎年行っている調査で、問題が起きています。例年通りであれば討伐になるところですが、これも何か方法があるのではないかと……ルティナ様にご相談したく」
昨日の外出は、きっとこのことだったのだ。
帰りが遅かったのは、予想外の何かが起こったからということだろう。
「いつでも、可能な限りご協力いたします」
「ありがとうございます。今後のことも考えて、一緒に話を聞かせたい者がおります。今はまだこの場に居させるだけで構いません。いつかのために、学ばせたいのです」
「レイラン様のご判断で構いません。わたしはただ話をするだけですので」
レイランは扉へ向かって声を掛けた。
入って来たのは……まだ少し若い2人だった。
「ご挨拶させていただきます、ルティナ様。レイランの弟、リオンと申します」
「やっとお目にかかれました、妹のリエラと申します」
そう言って顔を上げた2人は、とても良く似た空気をしている。
リオンはレイランに似た切れ長の目、リエラは人懐こそうな丸い二重の目だ。
赤みの強い褐色の髪色は、夕陽を浴びたときのレイランと重なった。
栗色の瞳は大きく開かれ、期待と好奇心で溢れている。
兄と一緒に動けるのが嬉しいのだろう。
全身からわくわくが溢れてしまっているのが、なんとも可愛らしい。
「こちらこそ、ご挨拶できて嬉しく思います。ルティナと申します」
「可愛いだろ? まだ16だ」
ユアンは2人が可愛くて仕方がないという顔だ。
「成人までにたくさん学び、18になったら兄上と一緒に動けるようになりたいのです。よろしくお願いします、ルティナ様」
リオンはどうやら、レイランに強い憧れがあるようだ。
考えて行動するタイプだろう。
微笑みながら黙っているリエラは控えめだが、ずっと周りを見ている。
とてもバランスが良い2人かもしれない。
「アルデニアでは18で成人なのですね」
「ルティナ様の国では違うのですか?」
リオンはしっかりと言葉を使う。
まっすぐに目を見て話す姿は、とても頼もしく感じる。
「わたしの故郷では、16で成人します。もう立派な大人の年齢だと思います」
2人の顔が、ふわっと明るくなる。
大人だと認められるのが嬉しい年頃だ。
「リオンとリエラは奥の席に座って、発言を制限する気はないけど、話を聞いて流れを止めないように注意してくれ。この件は少し急ぎなんだ」
「はい、ユアン様」
「分かりました」
リオンとリエラは端の席に座ると、ユアンが説明をしてくれた。
ラクサール。
よく知らない魔獣だ。
トカゲ型の鱗魔獣で土に潜って生活するなら、おそらく変温。
適性は魔素、属性は土。
視力よりも他の知覚が優れていそうだ。
水場を求めるのは、水の確保と体温調節だろうか。
トカゲは種類によってかなり特性が異なる。
陸棲、半水棲、地中棲……
「ルティナ、できるだけ……言葉にしてもらえると助かる……んだが。独り言のようなものでも構わない。聞いているだけで知識になることも多いから」
「も、申し訳ありません……」
また頭の中だけで考えてしまっていた。
どちらにしろ、一度見てみないと分からないことが多い。
「見てみないことには何とも言えませんが、まず基本的な特徴として思い浮かぶことから……」
ルティナは、トカゲと聞いて考えていたことを話す。
2人は知らないことが多かったようだった。
「変温……という特徴を持つ生物が存在するのですね。ということは、冬はほぼ動かないということでしょうか」
レイランは走り書きのようにメモを取りながら、自分の頭を整理していく。
「羽毛や毛皮を持たず、鱗や硬い皮膚で覆われた生物、水棲の生物はだいたい変温だと思います。トカゲ、ヘビ、カエル、魚類などでしょうか。トカゲやヘビなどは、冬になるとだいたい冬眠しますね。生きるのに必要な食物の量も少ないようで、長期間動かずにいることも可能なのだと思います」
「なるほど……」
「ユアン様、貯水湖付近に偏りは感じましたか?」
窓の外に視線を向けて考えていたユアンは、思い出すように話す。
「特にそういうのはなかったんだよな。季節の進みが早いというのはあるかもしれない。例年より陽射しも強く、気温も高い。偏りというよりも、そっちの影響なんじゃないかと思う」
霊素や魔素によるものではないなら、単純に環境の変化だ。
「トカゲ類は種類が多いのではっきりとは言えませんが、地中での体温調節ができなくなった、地中の水分が足りなくなった、地中で食事ができない……など、地中から出て水場を求める理由があるのだと思います。陽射しが強ければ、充分に考えられることです」
「ラクサールが、水を妨げないでいてくれればそれでいいんだ。特に暴れるわけでもないし、近付かなければじっとしていることの方が多いくらいだ」
「水に入ることもありませんか?」
「入る時もある……が、いつもはすぐに討伐になるから、夏の間どう過ごすのかはあまり分からない。今の時期であれば泳いでいるのは見かけないかな。全身浸かるというよりも身体が湿る程度だと思う」
陸棲に近い半水棲かもしれない。
深い水に潜るなら、水の中に入らないようにする対策も必要になる。
「その湧き水が出るところは、ラクサールが留まりやすい地形なのでしょうか?」
「というより、他の場所がほぼ石で作られているからではないだろうか。土がある場所が、水の湧く位置の近くになっている……」
なるほど。
石では地中に潜ることができない。
「去年はラクサールの地中への影響か、少し離れた場所から水が湧き出してしまってね。地盤が緩んで崩れるのではないかと心配したのだ」
違う場所……
「その湧いた水の方に、ラクサールは移動しませんでしたか?」
「……していましたね。去年はあまり数が多くありませんでしたが、そこにも集まっていました」
ラクサールが過ごしやすい水場を作るとしたら。
都合よくそんな場所に水が湧いてくれることがあるだろうか。
地中に……道……
ルティナはタヤの森のことを思い出した。
ニオが言っていた、地中の道だ。
「今までの、湧き出した別の場所について、記録は残っていませんか?」
「別の、場所……地中にある巡り、か」
ユアンは立ち上がる。
その顔は、ひらめきで希望が見えた顔だ。
「地中にそういう流れ、巡りがすでに存在するのなら、水もその流れに乗りやすいと思うんです。風と魔素が上手く巡っていたように……もし、毎回同じような場所で湧き出しているなら、その付近につながる流れがあるのかもしれません」
レイランは勢いよく立ち上がった。
「ちょっと資料を取りに行ってきます」
出て行こうとすると、リオンとリエラが同時に動く。
「兄様、わたしたちが取ってきます」
「兄上はこちらで続けて下さい」
何もわからない状態から聞いていたはずなのに、理解が早い子達だ。
とても賢く、兄を助けたいと願っている。
ずっと真剣に耳を傾けていた。
その姿を見送るレイランは、扉を見つめて止まったままだ。
彼らを誇らしく思っているだろうか。
「戻りました」
戻って来た2人は、たくさんの資料を抱えていた。
そこには、5年分の天候や気温の記録のほか、貯水量、討伐した時期やその個体数まで、細かく記されている。
「とても詳細な記録ですね」
「グラナートの記録係に感謝です」
資料を調べると、湧き出した場所は様々でばらつきがあった。
それを地図に書き込んでみる。
ばらばらに見えた湧き場所は、何かに沿うように繋がっているようだ。
点々と湧いた水は、不規則なように見えてちゃんと理由があったのだ。
地中を流れる川のように、目には見えない地中の道がある。
そう思えた。
「これなら、何か方法があるかもしれませんね」
ラクサールを討伐せずに、これから先ずっと、共に暮らせるように。
レイランの目はその未来を想像するように、手にある地図を見つめていた。




