蒼の季-13.守り方
前を小走りで進むユアンは、いつになく取り乱している。
アルデニアの廊下はこんなにも長かっただろうか。
ユアンと2人、朝食を取っていた。
ルティナの帰りを待ちながら、ラクサールについて話していたところに、呼び出しの使いが来た。
アルヴィンからだ。
核の様子を見に行ったルティナに、何かあったようだ。
心配なのは同じだ。
だが、こんなに取り乱すユアンを見ると、逆に冷静になれる。
自分の役割はいつもと変わらない。
ユアンとルティナを守る、これだけだ。
「失礼します」
部屋にいたのは、予想もしない人たちだった。
アルヴィン、ウィラン、ミオル、ルティナ、そしてその従者だ。
「ああ、急に呼び出して悪かった。一緒に聞いてもらった方が良いと思った」
ルティナは少し疲れているだろうか。
こちらを見て、控えめにお辞儀をした。
「いえ、何かあったのですか?」
ユアンの声は普段通りに戻っている。
ルティナの様子を見て冷静になったのだろう。
「禁猟区で魔銃の使用があったそうだ」
「魔銃、ですか」
どうでもいいこととは思わないが、それでこの集まりはおおげさではないか。
「ああ、まずは座りなさい」
ユアンはルティナの隣に座った。
緊急というわけでもない、だが、どこか重い。
このよく分からない空気はなんだろうか。
「じゃあ……まずはロイから話を聞こうか」
アルヴィンの表情はいつもと変わらない。
どちらかと言えば、ウィランとミオルの空気が重い……だろうか。
「はい、今朝ルティナ様と西の森へ向かい、核に与える水を汲みに行ったところ、その水場に怪我をしたスヴェルフとその家族がおりました。ルティナ様と一緒にスヴェルフを確認したところ、改造魔銃による傷だと分かりました」
「スヴェルフは逃げなかったのか?」
「はい、怪我をした1頭は動けないようでしたが、他の2頭はそのままそこにおりました。そのうちの1頭はまだ小さな子供でした。……ルティナ様のご指示に従い、少しずつ慣らすように近付くと、彼らはあまり警戒をしていない様子でした。でも、なんというか、最後は……受け入れられたことが分かりました」
「なるほど、続けてくれ」
アルヴィンからは少し、嬉しさが漏れてしまっている。
「傷は、私の治癒魔法での完治は難しいものでした。ルティナ様が魔素の残滓が残っているとおっしゃったので、グライフェルを呼びウィラン様に連絡をし、一緒にミオル様にもお越しいただきました」
「魔素の残滓……が、生物から取れるのか?」
アルヴィンはウィランに目を向ける。
「初めて行いましたが、問題なく取れました。でも、いつも可能だとは思いません」
「それはどういうことだ?」
「……ルティナ殿、おそらくそうですよね?」
ウィランは手を膝の上で組み直し、頭の中は巡っているようだ。
「生物が生きている場合は、おそらく時間と共に分からなくなります。残っている側の体内に魔素がある場合は、それに馴染んでしまいます。魔素がない場合でも、生き物の身体には定着しません。生物がすでに事切れている場合は、残り続ける場合もあります。ただ……腐敗などが始まると消えてしまいますね」
「時間が勝負ということか」
「移した残滓は、綺麗に残せました。解析すれば色々分かることも多いと思います」
アルヴィンはロイに目を向ける。
「残滓を写した後に傷を治療し、3頭は無事に森に帰りました……とても、ルティナ様に感謝していたように見えました」
ロイは思い出しながら、少し遠い目になった。
「なるほど、分かった。……ルティナ殿、スヴェルフはアルデニアが大切にしている魔獣なのだ。アルデニア王家の紋は古くから狼が描かれていてね。スヴェルフの祖先ではないかと言われている。スヴェルフの風を守ってくれたことに感謝している。またあなたに助けられた」
「いえ、わたしは何も……治癒して下さったのはミオル様です。ただ、たまたまそばにいただけです」
ルティナはあまり表情を変えず、うつむいている。
話をするときは目を見て話す人だ。
おそらく、もっと……何かがあったのだ。
「ルティナ殿、今日は午後からもご予定があるのでしょう? 一度戻って少し休まれた方が良いと思いますよ?」
ミオルは、アルヴィンに言っているように聞こえる。
「そうだな、朝早くから大変だっただろう。送らせるのでしばらく休んでくれ」
ルティナはちらっとユアンを見たが、そのまま立ち上がる。
扉の前で礼をする姿が、とても儚く見えた。
ルティナの気配が遠ざかるのを待ってから、アルヴィンは切り出した。
「ロイ、言ってないことがあるかな?」
ロイは少し沈黙した後、目を強く瞑って口を開いた。
「おそらくですが、あの傷がついた理由が……ショックだったのではないかと思います」
レイランは背中が冷えた。
スヴェルフは密猟したところで、そんなに高値がつく魔獣ではない。
禁猟区でしか見かけず、アルデニアの象徴という意味で収集したがる者もいるが、それはとても稀なことだ。
考えられるのはあとひとつくらいだ。
ルティナにとって、それは何よりも……
「それを言ったんですか」
ユアンの声が、圧が、部屋を揺らした。
「申し訳ありません! 言葉にする前に止めようとしたのに、あの瞳に見られたら……嘘が吐けませんでした」
ユアンの空気は、この部屋を圧し潰しそうに膨れ上がる。
レイランですら、首が締まっていくような圧迫感を感じる。
ジュードが反射的にロイの前に入った。
その顔は少し歪み、剣に手がかかりそうになっている。
ウィランとミオルは表情を変えずに、ただそこに座っている。
「ユアン、収めろ」
アルヴィンの低い声が、その空気を打ち消した。
ユアンは視線を落としたまま、我に返った。
「……すまない、ロイ、ジュード。……失礼しました、申し訳ありません」
「……いえ、私が浅慮でした」
ユアンは視線を動かさない。
膝の上に置かれた手は、強く握りしめられたままだ。
「ロイが言おうと言うまいと、彼女は気付いたでしょう」
ミオルが静かに口を開いた。
「彼女はスヴェルフを見送ったあと、冷静になって何かを感じ取り……取り乱していましたから」
「ルティナは……どうしていたのですか」
「……泣いていましたね。泣いていることにも気付いていないようでしたが。呼吸の仕方が分からなくなっていたようでしたので、落ち着かせました」
ユアンはいっそう手に力を込める。
腕が震え、壊れてしまいそうなほど強い力だ。
レイランもその気持ちは分かる。
彼女にはそういう……人の感情が、何よりも毒になる。
「ミオルから見て、彼女はどうだ?」
「どう、とは?」
「王都にいられると思うか?」
「どこにいても同じでしょう。彼女はどこにいても、同じように傷付く。誰かの傷みで同じように痛む、それはこの世界すべてにそうなのだと感じます」
ユアンはまだ視線を上げない。
上げられないのだ。
今、何かを自分の世界に入れたら、それごと壊してしまいそうに張り詰めている。
それに目をやって、ミオルは言葉を繋げた。
「ぼくは……まだここにいた方が良いと思います」
「なぜですか」
間髪入れずに言った声は、ぱんぱんに張った風船のようだ。
「彼女はようやく生き始めたところだと……思うからです」
「ここでなくても生きられます」
「ふむ……では、彼女が傷付かない場所があると思いますか?」
「少なくとも、ここよりは」
「同じだと思います、どこでも。彼女を傷付けないためには、この世界から出すしかない。この世界から遠ざけて、外側に置くしかないでしょうね。ぼくは、それが彼女の望んでいることだとは思いません」
ミオルの声は、淡々としている。表情もまったく変わらない。
アルヴィンは少し呆れたようにミオルを見た。
「ミオル、少し……お手柔らかに頼む」
「……ぼくは、彼女は守られなければ生きられない人だと思いません。確かに危うさは感じます。でもそれは、こういう危うさじゃない。ただ、とても無垢で、人よりも傷付く要素が多いだけだ。もっと直接的な、物理的な意味では守った方が良いと思いますよ、もちろん。……でも、精神的な部分は、ここにいる誰よりも成熟していると感じます」
ウィランが目を閉じたまま、顔を上に向ける。
「僕は、泣けて良かったのではないかと……思いました。いや、違うな、この人は泣くことができたのだな、と思いました」
その言葉に、レイランははっとする。
「わたしも、そう思います。自分の感情で……という意味ですよね?」
「そうだ。彼女はよく涙を流すし、彼女と接すると相手もそうなるんだ。……でも彼女の涙は、誰かの喜びや苦しさ、世界の美しさや痛み、彼女の外にあるものによってでしか起こらないのだと思っていた」
「……そうだと思います」
「これが必ずしも良いかどうかは僕には分からないけれど、なんというか……これが人、ではないだろうか……」
ウィランの言いたいことが、とてもよく分かる。
ミオルも頷く。
「傷付くということばかりに話が向いていますが、彼女はそれと同じくらい感動することができる。それこそ、朝陽が綺麗だ、人が嬉しそうだ、美味しいものを食べた……そういう、流してしまいがちな日常を、ひとつひとつ大切にしている。だからよく涙を流すし、相手もそれで涙を流すんだと思います」
アルヴィンはずっと、ユアンを見つめている。
その目はユアンの何を見ているのか、レイランにはよく分からない。
「どこにいても傷付くし、どこにいても感動するなら、それを癒したいと思う人がいて、それを共に分かち合える人がいる場所の方が……今の彼女にとっては良いと思います。少なくとも、彼女を守りたいと思う人間がこれだけいる中で、何かできる人がいるとは思えません。この包囲網を搔い潜るなんて、ぼくには無理ですね。むしろここが一番、この世界で安全なのでは?」
アルヴィンは吹き出した。
「間違いないな」
「あとはこちらが、どれだけ寄り添えるかじゃないですか。こちらが、それを見守る覚悟ができるかどうかだ。そして、本人は気付いてませんが、彼女は人から好かれるんですよ。悪意を向けられるより、好意を向けられることを気を付けた方が良いと思いますね。物理的な危険や、直接彼女に向けられる人からの感情は、ぼくらが払えば良いだけです。でも、彼女がこの世界と向き合い、傷むことから守ろうとするのは、彼女に対する侮辱だと思います。彼女はごく普通の、とても無垢で、感じやすい、ただの女性ですよ」
いつの間にか、ミオルは穏やかに笑っている。
レイランは今まで見た中で、一番優しい顔だと思った。
「わたしも、ルティナ様のことが大好きですね」
レイランは笑いながら言う。
このくらいの温度感が、きっとちょうどいいのだ。
「私も、とても、好きです」
ロイの目の端に、涙が零れた。
アルヴィンはもう大丈夫だと判断したようだ。
少し楽しそうな顔で周りを見回す。
「ああ、そうだ、みんなに聞いてみたいんだが……ルティナ殿は、いくつに見える?」
そう言えば聞いたことがない。
見た目で言うなら……18歳くらいだろうか。
だが中身はまったくそんな年ではない。
「容姿で言うなら……20歳は超えていないだろうな……」
「自分は、17、18くらいだと勝手に思っていました」
ウィランとジュードが顔を見合わせながら答えた。
「え、16歳くらいだと思っていました。なんて大人びているんだと……」
ロイにはもっと若く見えているらしい。
「ユアンとレイランはどう思う?」
「俺は……最初は少し年下くらいだと思っていましたが……知れば知るほど分からなくなっています」
「見た目は18、中身は100歳、でしょうか」
レイランは、出会った日からずっとそう思っている。
「ミオルは?」
「ふむ……23、24じゃないですか? 言葉遣いや所作、ものの捉え方……まあ、知識に関しては深淵ですが、可愛らしさも残っていますし」
アルヴィンは満足そうに、全員の答えを聞き、笑う。
「なるほどな。うんうん、まあ、知りたいなら本人に聞いてくれ。私とオルフェスはもう聞いてしまったからね」
どんなフリだったのだ。
自分が楽しみたかっただけではないか。
だが、最後にユアンが普通に会話ができるようになっていた。
レイランは、それに何よりも安心した。
「それにしても……ルティナ殿に渡した護魔の陣はすごかったですね。さすがミオルだと思いました」
ウィランもいつも通りの、好奇心の塊に戻った。
「ああ、さすがにちょっと苦労しましたが……でもあれは、彼女にしか意味のないものだと思いますね」
「……36回。9種を少しずつずらしながら4回重ねた護魔の陣。報告書を見たとき目を疑ったよ。毒、麻痺、眠り、薬、無、火、水、風、土に対する、ほぼ抜けのない護魔の陣だった。……隠蔽がなかったですね」
「隠蔽が彼女の感覚に強く影響するようでしたので……彼女自身がもともと気配を薄めるようなことをしているせいかもしれません。そこは本人に任せることにしました」
「それは……私のものよりもすごいじゃないか……」
アルヴィンは苦笑いだ。
「途中から楽しくなってしまったのはありますね」
「左手にしていたのはミオルの提案か?」
おそらくそれは全員が思った。
聞きにくいことをさらりと言葉にするのは、図々しいからなのか、単に面白がっているだけなのか。
「いえ、一応アルデニアの文化は伝えましたよ。でも、彼女の身体の性質の問題で、その方が良いということでした。むしろ、それがぼくにとって不都合にならないかと心配されましたね。そういうところには気が回るのに……他の部分が抜けているというかなんというか」
「本当ですね、それをお伝えしても自分のことは意に介していないようでしたし」
ミオルとロイは思い出しながら笑う。
その姿が想像できてしまうのだから、ルティナの価値観は常に変わらないのだろう。
「あの陣を見て、思ったのです。やり方を考えれば、1人で複合魔法を使える可能性がある」
ウィランが目を輝かせる。
「属性を複数使うということか?」
今度はアルヴィンが同じ目になった。
ここの兄弟たちは、好奇心というものに歯止めがないらしい。
「はい、要は自分にない属性をどうやって付与するか。陣は描けるのですから、属性を体内ではない所から持ってくればいい。今色々試したいことが浮かんでいます。しばらくは、魔獣の印と複合魔法、あとは農業に生かせる魔法の開発。やることがあり過ぎて目が回りそうですが、楽しすぎますね」
確かに。
今まで複合魔法が1人でできなかったのは、自分の体内に魔素があり、固有の属性を持っているという概念がなかったからだ。
「なるほどな……あ、あと、自然物に対する魔法使用の規制は、正式に施行することに決まった。ユアン、ルティナ殿に伝えてくれ。これからは国で罰する準備ができたと」
「そうですか! わかりました」
さすがだ、こんなに早く決まるとは思っていなかった。
これで、彼女の痛みが少しでも減るのなら嬉しいことだ。
「兄上、ルティナが王都にいる間、セラを付けようと思います」
「セラか……本人は納得しているのか? お前から離れるのを了承するとは思えないが……」
「いえ、むしろ喜んでいるように見えました。セラはルティナを好んでいますし、セラなら彼女も安心だと思います」
「そうか、納得しているなら問題ない」
これが、ユアンの最初の守り方だろう。
今までは、これも彼女に気にさせるからと、よしとしなかった。
「あと、そろそろ彼女を呼んで、先日の話の続きをしたいと思っている。ミオルはもう充分理解をしているようだし、レスティアもナヴァンも整ったようだった。貯水湖のラクサールについての進捗報告と合わせて集めようと思っている。それで構わないか?」
「分かりました。それも伝えておきます」
ユアンはもう腹に落としたようだ。
いつもの、いや、前よりも安定したかもしれない。
ウィランとミオルは、我々よりもずっと客観的に彼女を見ている。
いや、ミオルはそれとは少し違うような気もするが……
「では、今日はこんなところかな。ご苦労だった。ウィランは解析が進んだら報告を、ユアンとレイランは貯水湖の件を進めてくれ。……ミオルは寝ろ。以上だ」
皆が一斉に立ち上がり、部屋を出ていく。
あれだけ殺伐としていたのに、もう全員がいつも通りだ。
この関係が崩れないのは、アルヴィンがまとめているからだ。
今、この国にいられることは幸福だ。
きっとそれは、ルティナにとっても同じだと思っている。
ユアンとミオルが並んで談笑している後ろを歩きながら、ふと思い浮かんだことを胸の奥へとしまい込んだ。
―平原に吹く風― 巡了




