蒼の季-09.夜更けまで
調理場には柔らかい香りが漂い始めていた。
隣で見ているミオルたちは、見慣れない料理に興味津々といった様子だ。
保冷庫の中には、様々な食材が綺麗に保管されていた。
野菜は鮮やかな夏の色になり、旬のものが揃っていた。
流通している食材は、季節を問わずに手に入ることも多く、日々の食事に取り入れやすい。
今後のことを考えるなら、そういう食材も使いたいところだ。
肉や魚も豊富に用意されていて、目移りしそうになる。
重くなく、淡白な味わいが好みだろう。
驚いたのは、調味料の数々だ。
ルティナの知らない香辛料や、ハーブが多い。
さすが王都だ。
匂いや味を確かめると、普段使っているハーブと近い種類のものもあった。
これなら問題なく仕上げられるだろう。
主の食材には、雛鳥と小ぶりの青魚を選んだ。
料理を始めると、調理場にいた人たちが手際よく進めてくれる。
人手が多いと進みが早い。
あっという間に仕上がってしまった。
豆類や穀物を使ったスープ。
魚は新鮮だったので、生のまま刻んで香味野菜と和えた。
雛鳥は香り付けのハーブと蒸して大きめに切り、軽く火を通した旬の野菜と合わせる。
すりおろした白根に生姜やネギを加えて、少し濃い目に味を調えたタレを添えた。
全体的にさっぱりと、味はシンプルに。
食前酒と後茶が用意できないのが残念だが、それは仕方ない。
「お待たせしました」
ルティナが仕上げた料理は、隣の部屋に運ばれた。
ミオル、ロイ、ルティナが席につくと、調理場にいた人たちは戻って行く。
調理場には味見できる程度しか残っていない気がする。
大人数になると、作る分量がよく分からなくなる。
あの人たちの分は足りるだろうか。
「とてもいい香りだ。こんなのは初めてです」
「本当ですね、香りだけでも満足してしまいそうです……」
「でしたらロイの分はいりませんね、調理場の者に食べさせてあげましょう」
「兄様……それは酷い」
ミオルは静かにスープから手を付けた。
パンよりも、穀物はこういうものの方が食べやすい気がした。
「……味は淡いのに、とても美味しいです。この適度な柔らかさが喉を通りやすい」
「このスープだけでも、穀物は充分に足りる量です。パンが重いと感じるときは、この方が水分が多いので、胃にも優しいと思います」
頷きながら、他のものも味わい始めた。
「この鳥が、とても美味しいです。食べ応えもあるのに後味は軽いですね。鳥はすこしパサパサするかと思ったら、しっとりしていて……」
ロイにはこれでも少し足りないかもしれない。
彼はミオルよりも動く人だと思う。
「添えてあるタレの量で、味の調節をして下さい。ロイ様は少し濃い目の方が、満足度が高いと思います」
「なるほど、好みに合わせて食べられるのですね」
ミオルはほとんどタレを付けずに食べている。
下味でつけた塩だけでも充分なのかもしれない。
「この魚は絶品ですね。魚を生で食べるのは初めてですが……こんなに美味しいとは思いませんでした」
「生では食べないのですか?」
「火を入れて調理しますね。焼いたり煮たりが多いでしょうか」
「そうですか……食べ慣れないのならご無理はなさらずに」
「いえいえ、美味しいことに驚いているだけです」
2人にはこの味で大丈夫のようだ。
王都なら魚も手に入りやすいと思うのだが、どうなのだろう。
海は遠いとしても、川や湖なら近くにあるはずだ。
もくもくと食べ進める様子は、食が細いとは感じない。
食べることよりも優先したいことが多いということかもしれない。
ルティナにもよく分かる感覚だ。
あっという間に皿は綺麗になった。
作ったものを残さず食べてもらうのは嬉しいものだ。
2人はとても満たされた顔をしている。
満腹感は幸せの証だ。
「兄様がこんなに召し上がったのを、初めて見たかもしれません……」
ロイは、ミオルと空いた皿を交互に見て、とても嬉しそうだ。
「とても美味しかった。これだけ食べても、胃は重くないです。むしろそれ以上に満足感が心地よい」
「分かります。腹だけではなく、身体全体がとても満たされているというか」
ミオルとロイが同時にこちらに視線を向ける。
「特別な調理方法……ではなかったですね」
「ルティナ様の、特殊な魔法……ではないですか?」
そんな魔法があるなら便利だな、と、ルティナは心の中で思った。
「特別なことは何もしておりませんよ。レシピをお伝えしますので、調理場の方に作ってもらってください」
ミオルからは、納得できなさがにじみ出ている。
その奥、窓の外はもうすっかり夜だ。
ユアンが離れに来ていたら……心配させてしまいそうだ。
フェンのご飯もあげていない。大丈夫だろうか。
「アベリスには先ほど……調理場に行く前に使いを出しておきました。ちゃんと伝わっていると思いますよ」
微笑むミオルは、やはりさすがのひと言だ。
ルティナの心配などお見通しなのだ。
その期待と好奇心が溢れる視線は、ウィランと同じだ。
圧を感じないのは人柄だろうか。
でも、逃げらないというのは同じだ。
「ありがとう存じます……そうですね、その人が心地よいと感じるバランス……は考えております」
皿が下げられ、運ばれてきたのは冷やされた果実水だった。
調理場の人たちもさすがの気配りだ。
食後の口直しがないのを、これで補ってくれている。
「陰陽のお話は致しましたが、ミオル様もロイ様も水の魔素をお持ちです。魔素は霊素ではありませんので、直接の陰陽ではありませんが、性質としての陰陽は持っています。陽から陰へ、火、風、土、水と並びます。水は四つの属性の中でも特に陰が強いものです。それを程よく中庸に寄せるように食材を選び、調理法も考える……といったことでしょうか」
「では、ぼくの場合は陽に寄せた方が良いということでしょうか?」
「そこがとても難しいところなのですが……食は好みがあります。体質に合ったものが必ず好きということもありません。人は中庸の生物ですが、その人が心地よいと感じるバランスが、必ず中庸というわけでもありません」
ミオルもロイも、瞬きするのを忘れるほど真剣に聞いている。
治癒に関わるリュサール家は、人の身体について責任があるのだろう。
「例えば……ミオル様とロイ様は水の魔素ですが、ロイ様は治癒以外の魔法をお使いになるのではないですか?」
ロイは目を見開いて首を捻る。
「なぜ……お分かりになるのでしょう。確かに、治癒も多少使いますが、水や氷などの戦闘用の魔法を使います」
「魔素の色が少し濃く、身体の巡りもミオル様よりも速いです。身体を使う方面の方だと思いました。そういう方であれば、もっと陽の強い食事の方が身体は動くかもしれません。その方が巡りが活発なります。逆に、ミオル様のしんとした身体には、それだと騒がしく感じてしまうと思います。必ずしも中庸に寄せることが正しいわけではなく、その人それぞれ、自分が心地よいバランスを知って、そこに合わせていくのが良いと思っています」
ミオルは深く息を吐いた。
ロイは自分の右手を見つめている。
「奥が深い、ものですね。……これは学ぶべき内容……食文化、食物学……でしょうか。もしかして、薬草も同じように身体に作用するものですか?」
誰かが前にも、同じようなことを言っていた気がする。
「薬草は、食事よりも直接的に働くものが多いですね。陰陽の概念と、植物の薬効を合わせて考えます」
「ふむ、だとすると、そちらの方が明確に提示できるか……」
「ルティナ様、少し気になったのですが……持っている魔素は人それぞれ違うということは、バランスをとるための食材や調理法も変わるということでしょうか?」
ロイは、ミオルよりも現実を捉えるようだ。
「そうですね、ユアン様やレイラン様はとても陽が強く出ておられますが、レイラン様はとても身体を動かす方なので、活力が沸くような陽の食べ物を好まれます。ですが、心地よいのは中庸で、とても甘い物も食べますね。甘味は陰の強いものが多いのです。ユアン様は常に、陰のものを好まれますが、やはり身体をよく動かすので、肉類を陰に寄せる調理法でご用意するととても合うようでした」
上を向いて何かを考えているロイは、そのまま口を開いた。
「兄様……四家の調理担当それぞれに……覚えさせた方が良いのではないですか? 今日の兄様を見ていて、食はとても心を砕くべきことだと思いました。すべてを一気に理解するのは難しくても、己の家に関わることだけなら……難しいでしょうか」
話しながら声が少し小さくなる。
今までの考え方、やり方、それぞれ根付いているものがある。
簡単なことではないだろう。
「理想だとは思うが、いきなりは難しいかもしれないね。でも、ロイはその方が良いと思うのでしょう? それはなぜですか?」
ミオルの話し方は常に理知的だが、弟に対してはとても優しい。
その人の考えを尊重し、導く。
そういう接し方だ。
「理想を言えば、これを全ての人が理解して欲しいと思います。ですが、四家は魔素の多さが抜きん出ています。受ける影響も大きいですし、実感も得やすいのではないかと思うのです。それを進める間に知識と経験を蓄えて、学問とまではいかなくても、アルデニアで伝わりやすい考え方までたどり着ければ……徐々に広げることは可能ではないかと……」
「ふむ、確かにそうだね。いきなりは無理でも、積み上げて伝えていけば、いつかはそれが当たり前になるかもしれない」
ロイは、願いを込めた眼差しでミオルを見つめる。
それほど近くで、ミオルを心配し続けていたのかもしれない。
「……では、家から始めてみようか。新しい文化か、学問か……食を文化に、薬草を学問にするのが妥当かもしれない。まあ、それは続いた先にあることだ、まずは3人でやってみましょうか」
「はい! ありがとうございます」
ロイの周りの空気が躍る。
感情で魔素が揺れるのを初めて見たかもしれない。
「と、言うことなんですが……ルティナ殿はどのくらいお時間がありそうでしょうか?」
3人……とは、そういうことか。
とても答えにくい問いだ。
そもそもいつまで王都にいるかも決まっていない。
「え、と……王都にいる間は特に何もすることがないのですが、いつまで滞在するかは決めていないのです。もともと、ナーシャ様の身体を診るという目的で参りましたので、実はもう予定していたことは終えています……」
「戻らなければならないご予定があるのですか?」
「特には……ただ、家が心配なことと、その季節にしか採取できない薬草などは気になっています。初夏のものは諦めましたが、夏のものは多く必要なものがありますので……」
「そうですか……じゃあ、最初の期限は蒼の季の終わり辺りだと思って良いでしょうか?」
「あの、分かりません。ユアン様のご予定などもあるでしょうし、ひとりで森に帰るのは難しいと思うので……」
ミオルは目を伏せて考えている。
「では、その確認はこちらでしておきましょう。ユアンと、アルヴィンにも通しておきます。存分に協力してもらわねば進められませんので。あ、もちろん、ルティナ殿のことは最大限尊重します。長年住んだ場所に帰りたいのは当然ですし、ぼくたちがそちらに伺えば良いだけですから」
なんだろう、とてもとても、大きな話になってしまっている気がする。
大丈夫だろうか。
簡単に返事をして良いことではない気がする。
「え、と……」
「何か心配がありますか? 大きなことのように感じるかもしれませんが、ルティナ殿の日常を言葉にしていただければ良いだけです。今日のように、思っていること、気にかけていること、少しの知識、考え方。それが、ぼくたちにとっては新しい文化であるというだけです。ご負担になるようなら無理は致しません」
ロイは表情を変えないようにしてくれている。
でも、魔素が感情を語ってしまっている。
彼はやりたいのだ。
「……王都にいる間に、なるべくたくさんお伝えできるように致します」
素直な魔素が、また躍った。
それを見るミオルから、柔らかい空気が広がった。
食事を終え、書庫に戻って来た。
ロイは先ほどと同じく、書庫の別の部屋で待機するようだ。
本を置いた席には、椅子にはひざ掛けが用意されていた。
それはとても柔らかく、落ち着く肌触りだった。
「ロイの気持ちを汲んでくださって、ありがとうございました」
ミオルは席に座ると、読みかけの本を開いた。
「素直ですが、あそこまで主張をするのは珍しいので……少し、肩を持ちたくなりました。よほど心に響いたのだと思います」
「理解してもらえただけで……わたしにとっては、それがただ、特別で嬉しいことなのです」
「嬉しい、ですか」
「霊素、陰陽、巡り。どれも目に見えないものなので……人には、とても伝わりにくいのです。あそこまで真剣に聞いて下さる姿は……嬉しいです」
ミオルは本に目を落とし、それ以上は何も言わなかった。
読みかけていた1冊を読み終える頃には、月が高くなっていた。
ルティナは目を疑った。
いったいいつまでここにいるつもりなのか。
隣のミオルは変わらず本を読み続けている。
明日は、朝に採取に出掛け、午後には種を植えに行くことになっている。
さすがにもう時間が遅い。
「ミオル様、集中し過ぎて、こんなに遅くなってしまいました。申し訳ありません」
「え、ああ、本当ですね。……本はどうしましょうか。持ち出しは出来ないのですが……明日もいらっしゃいますか?」
「明日は、午後に山の麓に行くことになっていまして、どのくらいかかるか分からないのです」
「ああ、今日アルヴィンが準備していた……とても面白そうな試みだと思っていました。ルティナ殿が行かれるのですね……それなら、ご一緒してもよろしいでしょうか。ナーシャの体調に関わったものなら、見えなくても行ってみたい」
熱心な人だ。
とても忙しい人だと思うのだが……、良いのだろうか。
「わたしは構いませんが……」
「護衛を付けると言われたのでは? ぼくとロイが行けば問題ないでしょう。ついでにあのあたりの森に行ってみるのも面白い。普段とは違う森に、新しい発見があるかもしれません」
それは大いに期待していることだ。
エンの森やタヤの森とは違う、ここにしかない植物があると思っている。
「実は楽しみにしているのです。朝、採取に出掛けるのは、ユアン様に許していただけました」
「ははっ、思った以上に行動的なのですね。朝……は、とても早い時間ですか?」
「森は朝がとても気持ち良いので、陽が昇る頃に行くつもりです」
「ふむ……じゃあ、その頃に北側の城壁出口に参ります。ぼくも連れて行って下さい」
好奇心、だろうか。
それとも心配されているのだろうか。
「薬草に……ご興味があるのですか?」
「……ええ、そうかもしれません。学問になるのなら、知識として知りたいです」
「……わかりました。あまりご無理されませんように。寝ずに来られたら帰って頂きますので、しっかり休んでからお越しください」
「それは……肝に銘じます」
分かったと言わないミオルに、少しの不安を覚えたが……
森に採取に出るのは、とても久しぶりだ。
今はそのことが、ただただ楽しみで、嬉しかった。




