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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―平原に吹く風―
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蒼の季-08.夕方

「気に入っていただけましたか?」


 立ったまま見入っていたことに、声を掛けられて気付いた。


「とても美しいです。水が生きているようだと、思ってしまいました」

「それは嬉しい。水は風と違ってあまり融通が利きませんので、なかなか動いてくれないのです」

「あれは……立体的な魔法陣のようですね……」


 息を止めた後、ミオルは堪らないといったように吹き出した。


「ルティナ殿は本当に面白いですね。あれの本質をたったひと目で理解するとは」

「では、そうなのですか?」

「緩い魔法ですが……少しの安らぎというか、癒しの効果があります」


 だからなのか、と納得する。

 水が生きている、水が意思を持っているように見えた。


「あれはミオル様が……?」

「そうです。時間がかかりましたが、繰り返すうちにそう動くようになりました」

「ミオル様の意思が、映し出されているのですね」


 優しく人を思う、そんな空気が溢れている。

 魔素がそれに寄り添ったのだろう。


「面白い表現をしますね……」

「魔素とは、意思を映し出す鏡であり、意思を形にする源である、と思います。人の心と魔素が共鳴し、それを外の世界に映し出し形作る。ウィラン様がリシアにいらしたときに、魔素とは何か、という話で盛り上がりまして……」


 そうだ。

 ウィランと話をして、自分の中にその言葉で落ちた。

 あれは、ミオルの意思に魔素が応えたものだ。


「……美しい、定義です。そのお話で、今、腑に落ちました」

「何がでしょう?」

「ウィランはリシアから戻ってから、変わったのです。目に映るものとの向き合い方が、明らかに変わりました。以前から熱心でしたが、頭だけで完結するのではなく、心も加わるようになりました。それはきっとあなたからの影響だ」

「そうでしょうか。もともととても真摯な方でしたが……」

「ははっ。でも、その影響があなたからだと分かっていたのなら、アルヴィンが無条件であなたを信じたのも頷けます」


 とても褒められている、ということのようだ。

 

 ミオルはルティナに、日陰にある長椅子を勧めた。

 長椅子には、本を置くための小さな台が備え付けてある。

 ミオルの手には3冊の本と、渡したままのルティナの荷物があった。


「失礼致しました、荷物を持っていただいたままでした」

「ああ、そうでした。忘れていました」


 それを丁寧に手渡して、ルティナが座るのを待っているようだ。

 女性をとても丁寧に扱う人なのが伝わってきて、少し照れてしまう。



 ミオルは持って来た本を置き、上から黒い布を掛けた。

 そのために用意された布だということに、リュサールの心が見える。


「これで安心して外で本が読めるのですね」

「ははっ、これを喜んだ人は初めてです」


 ミオルはずっと笑っている。

 笑うと、人はとても幼く見えるというのは本当だ。

 

 持って来てくれた本を見ると、それは年代物であるのに美しい状態だった。

 アルデニアの礼節について書かれている本。

 服装の歴史。言葉や言い回しの変化、意味。

 どれもとても面白そうだ。

 読み始めたら、今日は寝られなくなる予感がする。


「どれも面白そうです……なんで時間は過ぎるのでしょうか……」

「そうですね。止まってくれたら、それこそ無限に本が読めますね」

「ついでに身体の時間も止まってくれたら、眠気も空腹も感じなくなって便利です」

「眠気はいりませんが、空腹は感じたいですね。美味しいものは活力です」

「おっしゃる通りです」


 そこからは、しばらく静かな読書の時間だった。

 途中、お茶を用意して持って来てくれたのは、ミオルの後ろに付いていた従者の方だろう。

 ミオルと短く会話をして、そのまま書庫へと戻って行った。


 アルデニアでは、高位の人には必ず従者が付くものだというのも理解した。

 レイランに付いていないのは、彼がそれを望んでいないからだろうか。


 ひとしきり読んで視線を上げると、太陽はだいぶ傾いている。

 そろそろ陽の色が変わって来る頃合いだ。


 隣のミオルを見ると、しんとして集中しているようだ。

 時間は大丈夫かと気になったが、そのまま読み続けることにした。

 これだけゆっくり本に向かうのは久しぶりで、自分はとことん知識というものが好きなのだと思う。



 レイランが言った通り、アルデニアは言葉にする、言葉に思いを乗せるという考え方が強いようだ。


 これは、言霊と似たようなものだ。

 だが、やはりアマヒトよりもアルデニアの方が能動的な考え方をする。


 アマヒトは言葉や音に、魂や意思が“宿る”と考える。

 だから、心が言葉に乗るように、自分の意図が言葉に宿って伝わるように。

 言葉の意味が正しく響き、その響きに魂が宿るようにと願う。

 どちらかと言えば、尽くして願い、言葉を手放し、その後は受け取る側に任せるような感覚だ。


 アルデニアは、もっと意思が強い。

 きちんと示して、思いをそのまま伝えるという考え方だ。

 確かに、表現がまっすぐなのは感じる。

 含みを持たせたり、濁したり、受け取り方に幅を持たせる表現はあまりしない印象がある。

 ある意味、嘘がなく気持ちが良いものだと思う。


 やはり、知っているということが大切なのだと思う。

 受動的が能動的かの違い。

 その文化を理解していれば、どちらも同じく美しい。

 理解があれば寄り添える。

 


「お腹は空きませんか?」


 気付くと、ミオルが本を閉じている。

 太陽は橙になりつつあり、外で本を読むのは限界かもしれない。


「没頭してしまいました。そろそろお時間でしょうか?」

「ここは特に閉まりませんから、ぼくはよく朝になってロイに怒られています。さっきも釘を刺されました」

「なんて羨ましい……」

「さすがにルティナ殿には勧められません。まだそんなに遅くはありませんから、お読みになるのであれば中にしましょう」

「本は時間が経ってしまいますね……」

「……言葉の本、ですね。ぼくも好きな本です」


 ミオルは表紙をちらっと見て、目を細めた。


「わたしたちにも似たような考え方がありますが、やはり方向性が違うのが面白いです」

「ふむ」


 ルティナは、本を読みながら考えたことをとめどなく語った。

 ミオルは静かに聞き、時折打つ相槌が言葉を繋げやすくしてくれるようだった。


「話を聞くと、ルティナ殿の話し方の理由と意味が分かりますね。とても相手の受け取り方を重視する話し方だと思っていました。とても心地よい。そういうことなのですね」

「汲み取る、ということをとても大切にするのです。相手が伝わることを願って手放した言葉を、相手の願う形で汲み取る。相手が汲み取りやすいように話す……という流れでしょうか……」

「すべて、相手が主におかれるわけですね」

「たしかに、そうかもしれません」


 ミオルの目は、少し遠くを見ている。


「ぼくは、言葉にすること自体があまり好きではないんです。言葉は形で、形があるからその範囲内の意味以外にはなり得ない。形があるのに幅がある。でも、言葉は感性によって捉え方が違うもので、いくら尽くしてもそう伝わるかは相手次第。その点においては、ルティナ殿の考え方に近い気がしますね」


 遠くを見ていた目は、閉じられた。


「でも、伝えたいんだと思うんです。ぼくは、言葉は繋ぐ手段だと思います。相手を褒めるのは、その言葉の意味で伝えるのではなく、ぼくはあなたをきちんと見ています、という意思表示として。意思を伝えるための道として、ぼくは言葉を使うんだと思います」


 ミオルの考え方も、とても美しいと思う。

 その言葉の意図を汲むでも、意志を乗せるでもなく、その言葉で相手と繋がり通じ合う。

 受動でも能動でもない、その中間にあるミオル自身の価値観だ。


「とても素敵な考え方だと思います。道が繋がれば、それは相互に行き来ができますね」

「ははっ。まただ、あなたはぼくが想像する景色を、正しく言葉にする」

「そう……なら、嬉しいです」

「あなたがどれだけ、言葉というものを大切にしているかが分かります。だから、皆に伝わる。あなたの言葉は心に届くのです。頭ではない部分で理解するというのは、こういうことだったんだと、今理解しました」


 素直に嬉しい。

 ちゃんと父の思いが自分にあるのだと、それが肯定された気がする。


「わたしの父は、故郷でミオル様と同じような一族にいたそうです。音を紡ぎ、永遠に伝える者。歴史や文化、在り方、言葉、そういうものを書き残し、言葉で伝え、後に残す。それを担っているミオル様にそう言っていただけると、認められたような気がして誇らしくなります」


 自然と、顔が笑ってしまう。

 父が目の前にいるように、思い出してしまう。

 涙は流せない。そんな気がした。

 目に湧き出すのが見られないように、立ち上がって背を向け、荷物を持った。


「……中に入りましょうか」


 背中に向かってかけられた言葉は、とても穏やかな声だった。

 ミオルは待たずに、中へと進む。


 完璧な人だ。

 ルティナの中に、ミオルに対する信頼と感謝が溢れた。



 書庫の中は、暖かい色の光が灯されていた。

 目に負担のないよう、ちょうどよく調整されている。


 人は減り、見える場所には誰もいない。

 ちょうど食事時だ。


「ミオル様、長々とお付き合いいただきありがとうございました。そろそろ戻ろうと思います」


 入口で誰かと話をしていたミオルは、手に白い石鍵を持っていた。 


「お戻りになりますか? 何か簡単に食べられるものを頼もうと思ったところなのですが」


 その言葉は魅力的だが、さすがにそこまでしてもらうのは気が引ける。


「わたしのことはお気遣いなく、アルデニアは3食召し上がるようですが、わたしは日に2回の食事で過ごします。ミオル様は召し上がった方がよろしいかと……少しお疲れが溜まっているようですし」

「2回……。なるほど、食事の回数を調整するのは思いつきませんでした。そういうものだと受け入れていましたが、身体が必要な分が足りていれば問題ないというは当たり前のことですね」


 余計なことを言ってしまった気がする。

 線の細いミオルが、これ以上細くなるのはあまり良いとは思えない。


「それぞれリズムがありますから……特に、よく身体を動かす人や、巡りの良い活力が溢れる若い男性は、それだけ食べることが必要になりますし……」

「ぼくは頭を使うことは多いですが、身体を使うことはあまりしません。無理をして口に入れますが、食べると身体が重く感じることもあります」


 ミオルの身体を視ると、たしかに巡りが穏やかだ。

 水の魔素で、身体が陰に寄っているからだろう。


 肉よりも、魚や野菜、穀物で、弱い陽を入れる程度が心地よいのかもしれない。

 

「ミオル様は、肉類を召し上がることが多いですか?」

「そうですね……アルデニアでは、鹿肉ディア羊肉ホーン牛肉ブル馬肉スティなどがよく使われますね。ぼくの立場もありますが、質の良い肉類を主とした食事が多くなります」

「ミオル様の身体だと、それが続くと少し重いかもしれませんね。魚や野菜、穀物、肉でも脂の少ないものを、蒸したり茹でたりした方が馴染むかもしれません」


 ルティナを見ているようで見ていないミオルは、瞬きをした後うつむき、迷いながら言った。


「ルティナ殿は……料理がお得意……ですか?」

「得意かはわかりませんが、とても好きです」


 言いたいことは、充分伝わった。

 家ではないことが残念なくらいだ。


「何か食べやすいものをお作りしたいところですが……今度何かお持ちします。おそらく、わたしと好みが近いのだと思いますので」

「……調理できる場所があれば、作るところを見せていただくことはできますか? それは体調の管理に関係している部分、ということですよね?」

「……そうですね……薬草師……というか、わたしの考え方は、日々身体に入れるもので人は創られる。それを調えれば、心地よく過ごせる。食事、水、空気、光、そういうものも含めて、身体の調整をします」


 目の前に、新しい何かを見つけた、そういう顔だ。


「ルティナ殿は薬草師なのですね」

「お伝えしておりませんでしたか……?」

「ユアンが出会った、不思議な能力と知識をもった女性、とアルヴィンに聞かされたままでした」

「……間違ってはいませんが、言葉にすると少し訝しく聞こえますね」

「アルヴィンは言葉選びが雑なのです。核心をつくのは間違いありませんが、少し説明が足りていないこともありますね」


 とても距離が近い関係なのが伝わる。

 ユアンとレイランのような距離感だろうか。


「それで……いかがでしょう? ここ調理場では難しいですか?」

「材料があれば構いませんが、わたしが立ち入ってよい場所なのでしょうか……調理場は、そこを管理する人にとってはとても大切な場所です。ご迷惑にならないでしょうか」

「ぼくの研究の一環、ぼくの身体のためと言えば大丈夫でしょう。彼らはぼくに食べさせることに心血を注いでおりますから」


 よほど、食べるのが苦手らしい。

 美味しいものが好きだというなら、少し整えればたくさん食べられそうな気はする。


「わかりました、ご一緒いたします」


 ミオルは、書庫の端にある席にルティナと自分の読みかけを置き、上から布を被せた。

 ルティナの手荷物を流れるように手に取り、ご案内します、と言って歩き出す。

 自分で荷物を持とうという気持ちは、あっけなくミオルに攫われてしまった。


 思いのほか、手強い相手だ。

 こういう部分で敵わないと思っているレイランの、更に2、3枚上手かもしれない。


 ルティナは背中を追いかけながら、小さく笑った。



 扉を出ると、慌てた様子で追いかけてきたのはミオルの従者だった。

 ミオルに似た空気の彼は、少し声を大きくしている。


「兄様、声をかけて下さいと申し上げたはずですが」

「ああ、また戻るつもりだから、あちらで待っていても構わないよ」

「そういう問題ではありません」

「……ロイ……ルティナ殿にご挨拶がまだではなかったですか?」

「あ、はい、そうですね。……失礼いたしました、弟のロイと申します。護衛兼見張り役として側におります」


 見事な煙の巻き方だ。

 そして、見張り役とは……どういうことだろう。


「こちらこそ失礼いたしました。……ミオル様がわたしの食事を気遣って下さったのです」

「違いますよ、ルティナ殿がぼくの食事を気にかけてくれているのです。ロイも一緒に来ますか?」

「兄様が食事を……それは願ってもないことです。お供いたします」


 ロイの驚きを目にすると、“見張り役”の意味が分かったような気がした。

 そして、ロイのお小言はどこかへ消えている。


 アルヴィンとは違う、弟への諫め方だ。

 家族との接し方は、人となりや関係性が分かりやすく見て取れるものだと思う。


 アルデニア家とはまた違う、内側からの接し方だ。


 ロイはミオルの後ろではなく、ルティナの後ろに付いた。

 

 前に2人いることに慣れていたが、後ろに人がいてくれるのも心強いものだ。

 これも、リュサールの在り方の違いだろうか。


 こういうところも、聞いてみたくなる。

 知りたいと思うことが無限に出てくるのは、嬉しい悲鳴だ。



 調理場はすでに片付けられており、中では数人が雑談していた。

 ミオルを見ると立ち上がりお辞儀をしたが、緊張する様子もなく会話が始まる。


 声を掛けられて近付くと、彼はルティナを薬草師として紹介した。

 日々口に入れる物が身体を創り、それを元に身体を整え健康に導くという概念。それを自分が学ぶために来てもらったのだと……


 その言葉は彼らの思いを踏みにじることなく、理解をしようと思える伝え方だ。

 彼らはぜひ伺いたいと言い、ルティナに向けられる視線は温かいものだった。


 ミオルに対して何度も思っているが、見事だ。



「ミオル様は本当に、思う方ですね……」


 調理場の人と話をするミオルを眺めながら、誰に言うでもなく言葉が漏れた。

 後ろに立っていたロイが小さく返す。


「兄様の中には、あまり順番がないのです。すべての人が自分と同じところにいる」

「その通りですね」

「あ、でも……人はそうですが、欲求や衝動は何よりも前にありますね。それを守るための見張り役です」


 ロイの意見には納得しかない。

 そこには深い尊敬があった。

 兄が大好きなのだ。


 少しだけ、兄弟というものが羨ましく思った。

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