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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―平原に吹く風―
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蒼の季-06.風の大地

「お話できるのを楽しみにしていたの、来てくれて嬉しいわ」


 見違えるほど元気になったナーシャは、5歳は若返ったのではないだろうか。

 あのときは、それだけ辛かったのだと思う。

 髪も綺麗に手入れされ、緩く波打つ長い髪はふくよかな艶を帯びた。

 黒に近い深緑の髪は、ナーシャの白い肌を際立たせる。


「お元気なお姿を拝見できて、安心いたしました。あれから何か気になることはありませんか?」


 まだ寝台にいるナーシャの横、用意された椅子に腰掛ける。

 窓を開けるようになり、部屋の空気も澄んでいる。

 調子が悪いときには空気の入れ替えもしにくかったのだろう。


「ええ、あれからは食事も美味しくなったの。ずっと無理して食べていたから味なんか分からなかったのだけど……急に美味しくなって、つい食べ過ぎてしまうわ」

「今は3人分必要なお身体ですから、たくさん召し上がって良いと思います」


 ナーシャの手を取って、身体の状態を確認する。

 体温ももどり、気素も安定している。

 この人の風の魔素は、とても柔らかい色だ。


 魔素の色は瞳の色に近いということが、最近の新しい発見だった。

 それが正しいなら、目を見るとその人の属性が分かるということになる。

 果たしてそれが良いことなのかは分からないが……。


「とても安定していますね、少しずつ身体を慣らして、外に出るのも良いかもしれません。陽の光を直に浴びて、風に当たるのも身体には良い刺激です」


 話をしていると扉が叩かれ、声がかけられた。

 聞いたことのある声のようだ。


「失礼いたします」


 入って来たのはミオルだった。

 こちらに気付くと軽く会釈をしてくれた。


「今日はミオルなのね。とても顔色が良くなったでしょう?」

「ラシェル殿は往診だそうで、代わりに参りました。そうですね、笑顔を見たのも久しぶりです」

「笑って過ごすのが良いんですって。それにはとても自信があるわ」

「確かに」


 ナーシャとミオルはとても親し気だ。

 この国の中心にいる人たちは、とても良い関係なのだと感心する。


「ルティナ殿はナーシャに呼び出されたのですか?」

「い、いえ、お身体の調子を診せていただきに……」

「ミオル、これからお友達になるところなのだから、変な言い方をしないでくれる?」

「ああ、まだ友達ではなかったのですね。それは失礼いたしました」


 ミオル返しもなかなかのものだ。

 幼馴染……のような感じだろうか。


「ミオルも時間があるのなら、一緒にお友達になればいいわ」

「そうですね、そうしましょう」


 この2人のやり取りはとてもテンポが速い。

 ミオルもナーシャも、もっとゆったりした人かと思っていた。

 

「ルティナ殿、ぼくもご一緒してもよろしいですか?」

「もちろんです」


 ミオルは慣れた様子で椅子を持って来て、ルティナの隣に座った。

 彼の魔素はとても規則正しく清らかだ。

 魔素はその人を表すのだということをしみじみ感じる。


「今日は、アルヴィン様にお伝えした、茶葉と香を持って参りました。良さそうなものがあれば置いていきますので、試してみてください」

「茶葉……お茶は控えた方がよいのかと思ったのだけれど、そうではないのね?」


 ナーシャは言ったことを覚えてくれているようだ。

 置いてある飲み物も清水になっているようで、それが嬉しかった。

 話を聞いてもらえるというのは、当たり前のことではないのだ。


「紅茶は発酵させて作っているので、身体を温める効果が高いものです。これからの時期は逆に過ごしにくくなるかもしれません。お茶全般に言えることですが、妊娠中は1日1、2杯に留めておくと良いと思います」

「温める……」


 ミオルが小さく呟く。


「お持ちした茶葉は発酵してないもので、こちらは熱を冷まします。気温が高い季節には良いと思いますが、同じく1、2杯までにした方が良いですね。花茶は気にせずお飲みになって大丈夫です。香りも見た目も良いものなので、お楽しみいただけると思います。お茶は、出来れば清水で淹れてください。効果が高くなります」

「発酵しているかどうかで、効果が変わると思って良いですか?」

「基本的にはそうです。なので、冬には紅茶はとても良いです。ミルクで煮出して甘くすると、とても幸せです」

「なるほど……」


 ミオルは持っていた手帖に細かくメモをしている。

 

「魔導石から出した水と、清水では何が違うのでしょう?」

「魔導石の水は……その……」


 言いかけて気付いた、あのときナーシャはいなかった。

 霊素の話はしない方がよいだろうか。


「大丈夫よ、あのあとアルヴィンに熱心な講義を受けたから、ある程度は分かっていると思ってくれていいと思うわ」


 向けられた視線には安心感があった。

 ナーシャはとても心が行き届く人だ。


「魔導石の水には、霊素がまったく含まれていません。水という点では同じですが、身体に与える影響を考えると、霊素が含まれる清水の方が良いと思います。あとは……説明が難しいのですが、自然界には特有の波動があります。自然界に、均一なリズムというものはありません。抑揚があり、呼吸があり、揺らぎがあります。それが、人の持つ鼓動、脈、巡りと馴染みが良く、効果が表れやすくなるのだと思っています」


 2人は、ため息を吐くように頷いた。


「とてもよく分かるわ。風も、水も、火も、全部そうね。植物や動物、人も同じだということだわ」

「はい、魔法も、身体の魔素を使って発動するので、その人特有の揺らぎがあります。魔導石の炎と、人の魔法の炎、木を燃やしておこす炎、すべて揺らぎが違いますね」

「魔法にも……」

「それも分かる気がするわ。アルヴィンの魔法は、風が左方向によく回るの。わたしは逆。これもきっと、その人特有の……揺らぎということじゃないかしら」


 面白い。

 確かにそういうこともあるかもしれない。

 ナーシャは感覚で捉える人なのだろう。

 ユアンに近い鋭さを持っていそうだ。


「治癒魔法も、魔道具を介さず人が直接行った方が効果が高いと……父から聞いたことがあります。そういう揺らぎ、呼吸が、人の身体に馴染むらしく、“手当て”という言葉通りだな、と思った覚えがあります」


 ミオルの手から滑り落ちたペンが、床の絨毯に音もなく落ちた。


 ペンを拾って渡そうとすると、ミオルは完全に止まっている。

 瞳が一点を見つめ、小刻みに揺れている。


「ミオル?」


 ナーシャの声にも反応がない。

 ルティナはナーシャと顔を見合わせた。


「あの……、どうかされましたか?」


 ルティナの声にようやく反応したミオルは、慌ててペンを受け取った。


「ルティナ殿、あなたは施術のときに、何を気にかけていますか?」


 今までにない強い瞳だ。

 たしかミオルは治癒魔法を使う人だったはずだ。

 余計なことを言ったかもしれないと少し不安になった。


「ミオル、ちょっと顔が怖いわよ」


 ナーシャのからかうような言葉に、ミオルはハッとして顔を整えた。


「失礼しました……」

「いえ……わたしは……そうですね、呼吸を合わせること、でしょうか」

「呼吸を……」

「できるだけ同じリズムで、同じ深さで、同調するといいますか……その方が、素直に身体に入るような気がします」


 ナーシャは目を閉じて、微笑んでいる。


「とても、よく分かるわ。ルティナさんの施術は心地よかったの。心も一緒に落ち着いていく。寄り添って、思いやってくれているのが、全部から伝わってくるのよ」


 その様子を見るミオルは、空気が沈んだ。

 諦めのような……取り残された寂しさ、だろうか。

 

「……ルティナ殿、改めてナーシャのこと、ありがとうございました。ぼくもいつか、その施術を受けてみたいものです」


 穏やかな表情に戻ったミオルは、少し疲れているように見えた。


「……ミオル様、首がお辛いのではありませんか?」

「え? いや、はい、最近少し忙しかったもので……」

「よろしければ……少し緩めましょうか」


 ミオルはナーシャに目をやった。

 ナーシャは口の端をきゅっと上げて、嬉しそうだ。


「お願いしてもよろしいのでしょうか?」

「もちろんです」


 ルティナは立ち上がり、ミオルの後ろに回る。

 首から肩にかけての巡りが弱く、道が狭くなっている。

 よっぽど根を詰めたのだろう。


「身体の力を抜いて、できるだけ深くゆっくり呼吸をして下さい。意識を自分の中心に置き、心を平らに」


 ミオルが静かになっていくのを感じてから、ルティナはそれに合わせる。

 気素を左の指先へ集め、首から肩へ、巡りを戻すように、道を広げていく。

 少し頭の巡りが速くなっている。

 なるべく一定に、身体全体が緩やかに巡るように調整していく。


 彼の気素の巡りはとても穏やかで、不足はしていない。

 もしかしたら、王都で出ている不調の原因を突き止めようとしていたのかもしれない。

 この人は責任感の強い真面目な人だと思う。

 色々重なって、少し疲れてしまっていたのだ。

 ナーシャのこと、もしかしたらユアンのことも。

 王都で続く不調も、全部を気にして考えたのかもしれない。


 巡りを戻すと、それは静かに、規則正しく流れ始めた。

 

 とても素直な巡りだ。

 魔素は、森の湖ような澄んだ水色で、淡い銀に包まれている。

 美しい魔素だ。



 ルティナは目を開けた。


「いかがですか?」

「……」


 ミオルは動かない。

 それを見つめるナーシャは、慈しむような目で彼を見ている。


 ルティナはナーシャにお辞儀をすると、頷き返してくれた。

 そのまま静かに部屋を出た。

 


 部屋を出るとすぐ、ナーシャに付き添っていた女性が追いかけてきた。

 丁寧に謝られ、また後日改めて時間が欲しいと伝えられた。

 その女性に、茶葉を2種と香を預けた。

 簡単な説明をしていると、ルティナを迎えに来てくれた騎士が歩いてきた。

 今後は、ナーシャに会うときの送り迎えをしてくれるそうだ。

 賓客のような扱いを大げさだと思ってしまうが、断っても困らせてしまうだけのような気がして、申し出を受け取った。


 廊下を歩きながら、美しい建物の造りを眺める。

 もっと華美な場所を想像していたが、王族の屋敷はシンプルだ。

 色合いは白と深緑で統一され、窓が大きく風と光がよく入る。


 今まで父と共に関わった、いわゆる偉い人たちとはだいぶ印象が違う。

 あの人たちは、アルデニアの人ではなかったのだろうか。



 離れに戻って簡単な食事を済ませると、ちょうど良い頃合いになった。

 庭からユアンの気配が近付いてくる。

 午前の務めは終わったようだ。


「ルティナ、待たせたかな」


 今日の服装は、見慣れた軽装だ。

 まっさらなシャツに、チェストベルトを掛け、腰に剣が2本。

 マントは渋い臙脂えんじ色で、丈は少し長めだ。

 ここに来る前に緩めたであろう首元には、宵蔦の細い紐が見え隠れしている。


 森にいたときよりもかしこまってはいるが、この方がユアンらしい。

 

「お疲れ様でした、そろそろかと思ってお待ちしておりました」

「明日は1日外に出ることになりそうなんだ。レイランも一緒だから、必要ならセラに頼んでおくよ」

「……できれば今日下見をして、明日は採取に行こうかと思っていたのですが……」


 ユアンはすぐに返事をしない。

 きっと喉の奥には心配の言葉が待っている。


「……今日行ってみてからの返事でも良いかな? 距離とか周りの確認をしてから考えたいんだ」


 最大限、譲歩してくれた答えだと思う。

 ユアンの過保護にも、ここに来て慣れてきた。

 

「お昼は何か召し上がりましたか? パンとスープでしたら作りましたが」

「嬉しい、いただいてもいいか?」

「ご用意します」


 時間ができると、何よりも先にここへ来てくれる。

 気にさせてしまっているのが申し訳ない。

 

「着替えてきますので、ゆっくり召し上がって下さい」

「ありがとう、いい匂いだ」


 食事はほとんどここで食べているのではないか……

 口を出すことでもないが、少し気になっているのは確かだ。

 ユアンが帰ってきて、家の人たちも嬉しいはずなのだ。




 敷地内、王都に入ったのとは反対側の通路から外に出た。

 この通路は、街を通らずに出入りできる、使う人が限られた専用の通路だ。


 王都に着いて4日目。

 結局、まだ賑やかな街には一度も行っていない。

 この気配に身体も随分慣れて、フェンも普段通りに落ち着いている。

 そろそろ街を見てみたい気もするが……1人で行くのは心配されそうだ。


 いくつかの扉を過ぎて、城壁の外に出た。

 

 ぱっと開けた視線の先は、想像以上に広大な平原だった。

 平原と空にくっきりと分かれた景色は、圧倒的に空が広い。

 木の陰のない草に覆われた大地は、陽の霊素を一身に受け止める。

 ここまで明るい大地を見たことがない。

 なんて清々しい陽の大地だろう。


「お待ちしておりました」


 景色に圧倒されていると、そこにはレイランが待っていてくれたようだ。

 王都に来てからはあまり話していなかった。

 レイランは常に忙しく動いている。



「ルティナ様、王都には慣れましたか?」


 リズとアウリス、フェンが並ぶのは久しぶりだ。

 リズはフェンのそばに寄りたいらしく、いつの間にかレイランが隣にいる。 


「空気には慣れたような気がします。まだ街には一度も行けていないので、そろそろ出かけてみようと思っているところです」

「そうですか、最初は誰かに案内してもらった方が良いですね。城下と都下を合わせると、そこそこ広さがありますから」

「やはり1人では無理でしょうか……」


 皆それぞれ、やることがある人たちだ。

 時間があるのが自分だけなら、ある程度1人で動けるようになりたい。

 手間を掛けさせると思うと、出掛ける気になれないのだ。


「セラが、ルティナ様と市場に行き、食材や調味料の選び方を教わりたいと言っておりました。一緒に出掛けてみるのも良いのではないですか? ユアン様が屋敷に居ない時間は、セラは暇なのです」

「そう……なのですか?」

「セラは王都内、屋敷内での警護が主ですから。ユアン様がいなければ忙しくはないですよ」


 それなら、お願いしてもよいだろうか。

 セラなら心強い。


「じゃあ、今度お願いしてみます」


 少し前を歩くユアンも、安心した様子だ。

 ユアンの心配性は、王都に来てから知った新たな一面だ。



 3人でただ広い平原を北へ向かって進む。

 蒼の季の始めにしては陽が少し濃い気もするが、異常とは言えない。

 

 例年の様子が分からないので何とも言えないが、このまま夏になっても偏りが強くなり過ぎることはないだろう。

 風がこの平原を絶え間なく巡るお陰で、停滞して溜まるのを防いでいる。

 さすが風の大地だ。

 ここならではの巡りが、ちゃんと動いている。


「平原の魔素は多くないのに、風には魔素を感じますね」


 確かにそうだ。

 平原には霊素が多く、魔素が薄い。

 地面に一層霊素の膜があり、その上を撫でるように吹く風に魔素を感じる。

 きれいに2層に分かれている感じだ。


「リシア方面の山道は、とても魔素が多かった気がします。あちらから風が運んできているのかもしれません」


 どこの地域にも、その土地それぞれ違った関係があるというのを実感する。

 王都付近の在り方も、とても興味深い。



 遠くに霞む高い山の麓に、小さな森が見えた。

 ナーシャたちが行ったという山は、あの付近だろう。


 王都からは少し距離があるが、途中はただ広い平原だった。

 これなら、森に来るのも大丈夫だろう。



 森に近付くにつれて、風の向きが変わった。

 平原を自由に駆け巡っていた風が、山の麓、森の前を横切るように回っている。

 まるでそこに何かがあるような風の流れだ。

 

「風の壁……」


 レイランが森を見ながら呟いた。


 その壁に近付くほど、濃い霊素の気配がする。

 でも、それは嫌な感覚ではない。

 感じたことがあるような、心地よい暖かさとして広がっている。


「なんだろう、確かに濃くなっているんだが……陽だまりみたいだ」


 ユアンの言う通りだ。

 陽だまりのような、小さな太陽が地面にあるような。

 そんな気配だ。



 その気配の方へ進む。

 森の手前、そこはちょうど風の境界になっているようだった。


 山から吹き下ろす風と、平原を巡る風がぶつかってできる隙間。

 方向が変わる風に囲まれるように、そこに小さな溜まりがあった。

 周りを見ると、同じような溜まりが全部で3つある。


 森の端、平原との境目。

 小さな溜まりを中心に、暖かな陽だまりのような空間がある。

 今までの、異常に濃くなった霊素溜まりではなく、その手前。


 これをルティナはよく知っていた。


「これは……森の核に近いものです……」



 危ういバランスで、奇跡的に固定化した濃い霊素。

 純粋なままでいられるぎりぎりの濃度で留まっている。

 

 こうやって、エルゼドに点在する森群ができたのかもしれない。

 そう思うと、とても尊いものだ。


 ここに、100年後には森ができるかもしれない。


 

「タヤの森で見た、あの核か」

「あれのとても小さいものですね……3つが近い距離にあるので、もしかしたら3つで核となるのかもしれません……」

「だけど……このままにして良いのかが難しい。義姉あねうえはおそらく……」

「そうですね。濃度を維持できる保証もありません」


 ナーシャが妊娠中だったから……というのも大きいが、同じような人がこの近くに

来ないとは限らない。

 エルゼドでは、どうやってこれが森になったのだろう。

 いくつもの偶然が、良い方向に重なったと考える方が良いのだろうか。


 自然の巡りで、こんな奇跡のようなことが起きているのに……



 レイランが森の方へリズを向けた。

 何かに呼ばれるように、まっすぐ森の奥へと走って行った。


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