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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―王都へ―
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蒼の季-04.調律と響律

 応接室の窓の外は暗く、都の灯りがやけに多く見える。

 あの灯りの下は、まだ想像すらできない。

 この場所の賑わいを肌で感じていないせいか、王都にいるという実感が薄い。


 ナーシャの調律を終えて、ユアンと2人、また元いた応接室に戻って来た。

 レイランたちは先に戻った。みんなそれぞれ忙しいのだ。


 

 ナーシャの身体は、すでに実感できるほど回復し始めていた。

 身体の巡りに問題が出る前で良かった。


 あれは外からの影響だと思う。

 身体に入って来たとき、あまり感じたことのない感触だった。

 まだ身体に馴染む前、気素になりきっていない霊素だ。

 今思えば、ニオも同じだったように思う。



 調律を見てから、ユアンは黙ったままだ。

 きっと……視えるようになって、色々と分かってしまったのだと思う。


「ユアン様……あの……大丈夫ですよ?」


 ユアンは瞳を曇らせたまま、微かに笑った。

 こんなに表情を作れないユアンは初めて見る。


 調律は……それほど異様な霊素の動きに見えたのだろう。


「あとで、少し話をしたい」

「……わかりました」


 2人しかいない応接室では、この重い空気はどうしようもない。

 怒っている……わけではなさそうだ。



「待たせてすまなかった」


 勢いよく扉が開き、アルヴィンが戻って来た。


「ルティナ殿、ユアン、本当にありがとう。あんなに元気なナーシャはここしばらく記憶にない。ルティナ殿に感謝を伝えてくれと、何度も念を押されたよ」


 疲れも心配も吹き飛んだ表情は、とても明るく見える。

 きっと2人とも、心も体も疲れていたのだ。


「いえ、お役に立てたのならわたしも嬉しく思います。しばらくは安静に、落ち着いたら楽しくお過ごしください」

「今日は遅くなってしまったが、ぜひ今度妻と一緒に話をさせて欲しい。これからの過ごし方や、注意すべきことなども詳しく聞きたいと。身体だけでなく、心も晴れたのだと、それは熱心に言っていた。時間があるときで構わない」

「わたしで良ければぜひ。過ごしやすくなる香やお茶なども、用意して伺います」


 アルヴィンは嬉しそうに笑ってくれた。

 そのままユアンに視線をずらし、声を低くした。


「……ユアン、女性の前だよ。律しなさい」

「あ、いえ……はい。すまない、ルティナ。失礼だった」

「……ユアン様にもご心配おかけしてしまいました。ありがとうございます」


 ユアンはずっと上の空だ。

 気になってどうしようもないのだろう。


「……無理をさせたのは私たちの方だな。ユアン、ルティナ殿をお送りして、今日は早めに休むといい。また明日、話をしよう」

「はい、兄上」

「ルティナ殿、今度使いを出してもいいかな?」

「お待ちしております」


 応接室を出てからも、ユアンは何も言葉にならないようだった。




 離れに戻ると、フェンは壁に寄りかかって微睡んでいた。

 気になっていたご飯を用意してくれたのはレイランだろうか。

 気配は察したようで、耳だけをこちらに向けてる。

 さすがにフェンも疲れているのか、そのまま動かなかった。


 家の灯りは点けられて、火床の保冷棚には食材がたくさん入れられている。

 パンや麦粉など、出るときにはなかったものも足されている。

 本当にありがたいことばかりだ。


「ユアン様は……お戻りになってお食事ですよね?」


 ユアンの様子は、相変わらずだった。

 頭と気持ちの切り替えはとても得意な人だと思う。

 ルティナよりもずっとだ。

 それが、ナーシャの部屋からこの様子なのは、さすがに申し訳なくなった。

 

「ルティナはどうするんだ?」

「保冷棚に材料も入れて下さっていますから、簡単なものを作って済ませようと思います」

「ここで一緒に食べてもいいかな」

「もちろんです、ユアン様がそれでよろしいのであれば」

「ありがとう」


 言葉は問いかけだが、いつもよりも随分と頑なだ。

 何を言っても聞いてくれないときの、フェンのようだ。

 こうなったら、納得するまで動かないだろう。


 ルティナは立ったままのユアンに座るように促し、さっと作れるものを考える。

 保冷庫にあった材料で、蒸し鳥とスープを作った。

 パンを温めて料理を並べると、湯気と香りがふわっと広がる。

 ようやく少し、ここの空気が和らいだ気がした。



「久しぶりのいい匂いだ……」

「そうですね……今日は……皆さんとお食事された方が良かったのではありませんか?」

「……今そうしても、きっと何も言葉が出ないよ。自分が本当に情けない」


 視線を落とし、その声はまったく力がない。

 黄金色が舞う眩しいユアンからは想像できない、傷ついた子供のような顔をしている。


「調律の……霊素の動きが視えたから、ですか?」

「……あれは、調律というんだな」


 ルティナも視線が落ちる。

 ユアンが聞こうとしてくれたことを、あのときルティナは話さなかった。

 自分の中で整理ができていないまま言葉にするのを躊躇ったからだ。


 今のユアンの様子は、ルティナのせいでもある。



 あまり会話がないまま、2人は淡々と食事をした。


 ルティナは食べながら気持ちの整理をした。

 今まで過ごした時間、タヤ様の言葉、自分の変化。

 ユアンへの信頼は、もう揺らぐことはないだろう。


 ユアンにだけは、これは伝えておくべきだ。

 いや、知って欲しいと思っている。

 まだ自分が理解していないこれを、彼は一緒に考えてくれる。

 今ならそう思える。


 いつも話をするときに最初に考えること。

 “どこまで話すか”

 すべてを語ることは難しいと思う。

 隠したいのではなく、分からないからだ。

 ルティナにも知らないことや、見えていないことが多すぎる。


 でも、ユアンはきっと、それをまるごと受け止めてくれると思う。

 


 離れを出てしばらく庭を歩くと、王都が眺められる小さな東屋があった。

 街の灯りは数段明るく、森で見上げるよりも星が遠い。


 王都の空は遠いのだな、と、少し寂しく思った。



 東屋で隣に座ったユアンは、食事をして落ち着いたようだ。

 ルティナが気持ちを整理している間、ユアンも何かを思っていた。



「あれは……調律は、霊素を取り込んで、ルティナの奥に沈めているように視えたんだ」

「……はい」

「沈めた霊素は、いつの間にか消えていた。あれは……どこにいったんだ?」

「……わたしもあまり、分かっていないのですが……世界に、還っているようです」


 曖昧な言葉に、ユアンの瞳が遠くなる。

 隠している、と思っているかもしれない。


「ユアン様。もう、あなたに言えないことはありません」

「……じゃあ、本当に……わからない、のか」


 瞳をルティナに戻し、その目は強くなる。


「わたしが以前、ユアン様にお話ししなかったのは、自分でも分からないからです。わたしの身体の中で起こっていること。わたしがする調律というものが何なのか……まだ答えが見つかっていません」

「霊素を……還す。でも、それは視えなかったよ?」

「正確には、霊素を……何ものでもない素、中庸にして戻している……に近いと思っています。だから、霊素としては視えない。わたしの中には残っていません」

「……陰でも陽でもない、ということか」


 ユアンは、左手で鼻から口を抑えるような仕草をする。

 考え始めるときの、彼のくせだ。


義姉あねうえの気素は、壊素ではなかったよな?」

「はい……でも、いつもと違う感触でした。あれは外から入り込んだもの、まだ気素になりきっていない霊素だと思います。あまり起こることではありません。よほど濃い霊素溜まりに触れるようなことでもなければ……ニオも同じような状態だったのではないかと、あのとき思いました」

「ニオ……たしかに、とても似ていた」

「あれはニオの体質のせいかと思いましたが、人の身体でも起こるのだとすれば納得できる症状です」


 そうだとするなら、王都の近くにそれが存在するということだ。

 山の方、と言っていた。


「探した方が良さそうだな。明日、どこに行ったか聞いてくる」

「アルヴィン様はそうなっていなかったので、まだ柔らかい胎児だからという可能性もあると思います」

「そうだな、でも、そのままにしておけるわけでもないだろ?」

「わたしは特に王都ですることもありませんから、フェンと一緒に散歩でもしてこようと思っています」

「1人では行かせられないよ? 一緒に行く」


 さも、当たり前だという顔だ。

 そんなに頼りなく見えるのだろうか。

 王都付近は初めてだとしても、散歩くらいは1人で行ける。


「ただの散歩ですよ? フェンの運動も兼ねて……」

「行くから」

「……わかりました」


 これがユアンの、王都での素なのかもしれない。

 今までよりも意思が強い。


「調律をしたあと、ルティナの気素が一気に弱くなった。ごっそり抜け落ちたように、すごく存在が希薄になったように感じたんだ。あれがとても……怖かった」


 だからか。

 ルティナはようやく腑に落ちた。

 いくら分からないことが目の前で起こったとはいえ、ユアンの反応は少し大げさすぎると思っていた。

 ユアンは気素を……生命いのちを削っているように感じたのかもしれない。


「調律は、体内の気素を集めて器を作り、その中で行います。その器は、取り込む素と同量の気素が必要になるので、消費は……確かに多くなります」

「あの、身体のなかにあった光る球体か……」

「はい、あの器は……“律月ルオル”と言います」

「ルオル……?」


 その顔の意味は、よく分かる。


「わたしは陰の霊核を持つ精霊族、月の民・月露ルオ。……おそらく、ただ独りの月の民です」

「父上は、太陽の……」

「精霊族は、ひとつの種族です。宿す霊核で呼び方が変わるだけ。……わたしは特殊な例だそうです」


 ユアンの感情は、驚き、寂しさ、苦しさ、不安……目まぐるしく変化して混ざり合った。

 やはりこの人は、憐みを微塵も示さない。

 何よりも嬉しい、自分を否定されない証だった。


律月ルオルは、ルオの女性にしか作ることができない。陰の霊核の性質と、身体との親和性で生み出されるもの。調律ができるのも……今はわたしだけです」

「……気素が減るのは、辛くないのか?」

「気素が体内から完全に失われると、人は生きられません。それはどの生物も同じです。霊核持ちはそれがほぼ起こりません。疲れはありますが、自然と回復します。わたしは生命を削っているわけでも、自己犠牲をしているつもりもありません。世界はただの人が、そんなことをしたところで何も変わらない。わたしたちはただのひと粒ですから」


 ルティナが笑うと、ユアンの心は鎮まった。 

 とても、不安にさせてしまったのだということが、痛いほど分かった。


「……わたしが父を調律できなかったのは、器が足りなかったからなのです。父の身体に溢れ続け、大量の壊素となったものを、受け止められる器が作れなかった」

「今なら分かる、壊素は普通の気素とは密度が違う。それが身体の中に大量にあったなら……ひとりでは無理だ」

「……今のわたしでも、まだ無理ですね。でも、わたしはもっと深い。それが自分でも分かります。もっと深く、霊核の底まで潜れるように……もっとこの世界を受け入れたいと思っています」


 ユアンは呆れたように笑った。

 それは無理だと言うような乾いた笑いではない。


「じゃあ、俺はもっと大きくならないとダメってことだね。君の隣にいるのなら、今のままでは力不足もいいところだ」

「そんなことはありません。わたしはユアン様を見て、そう思えるようになったのですよ?」

「俺を?」

「タヤの森を助けたときの響律きょうりつは、とても素晴らしかったです。手のひらに作った“天楔ヒムカ”も、とても強いものでした」


 首を傾げるユアンを見て、伝えてなかったことに気付いた。

 あのときは忙しかったからだと……自分に言い訳をしたい。


「ユアン様が行ったものは、響律と呼ばれます。誰にも教えられないまま、霊核の力をそのまま使いこなしていた。世界の霊素に呼びかけ、自分を楔にして霊素を集める。ルオの調律とは対極のものです。体内に作る“律月”に対して、外側に置く“天楔”。アマヒトの男性にしか出来ないのだと、父は言っていました。でも、アマヒトではなく、陽の霊核を持つ男性……なのですね」


 あのときの姿は、今でも鮮明に思い出せる。

 焔鷲の高貴な姿、霊素が躍るように集まり、そして散った。


「呼び名を知ると、より深く自分に入るな」

「言葉は音に、音は響く。名には魂が宿る、と、思います」

「ああ」

「調律と響律は、この世界の深いところ……根幹に関わる力だと思っています。人が現れる前から、世界はずっと巡り続けた。その世界が作った理へ、この力は直接干渉してしまう。ただの人がして良いことだとは、到底思えなかった」

「……分かるよ」

「それがとても怖くて、……自分がいつかこの世界を壊してしまうかもしれない。それをできる力ごと、この世界から離れていたかった。……でもそれはとても孤独で……、覚悟が足りていない自分が疎ましかったのです」


 初めて口にする、本心かもしれない。


「ルティナ、俺は……この世界は必然なんだと思う。人が生まれるよりずっと前から、この世界の在り方は決まっている。霊素を知るたびに思う、世界はずっとこのままだったんだって。その世界が、俺たちを置いたのなら、きっとそれが在っていいものだからだと思う」


 いつものユアンに、戻っている。

 広く、大きく、受け止める。


「そもそも人だって、別にこの世界には必要なかったかもしれない。でも意思を持つ人を、世界は作ったんだ。この世界にあるものはすべてひと粒で、それは彩で、音で、匂いで、巡りの中に新しい何かを与える。それを受け入れて、この世界は巡るんだって、君が言ったんじゃないか」

「意思……」

「理だって、この世界の大きすぎる意思だと思う。その巡りの中に、意思をもつ俺たちが新しいひと粒を加えたら、1000年後にはもっと美しい巡りが生まれているかもしれないよ? 先のことなんて、誰にも、世界にだって分からない。でもそうやって巡ってきたんだ。俺たちが寄り添えば、世界は応える。タヤ様だってそう言ったんだ。だからきっと、大丈夫だ」

「……応える。世界が……」



 ルティナは理を守り、ありのままを受け入れる。

 それを今も願っている。


 ユアンは世界を信じているんだ。 


 世界の在り方を受け入れるのではなく、世界が受け入れることを信じている。


 それも寄り添い方。

 寄り添う方向の違いだ。


 表と裏、内と外から世界を見つめているようだと思った。

 自分にない視点、価値観は、身体の中でうずく種のようだ。


 これから見える世界はどんな姿、どんな色をしているだろう。



 ユアンのそばは息がしやすい。

 言葉が繋ぎやすい。

 歩きやすい。



 この人はきっと――

 これからも変わらず、ずっとそういう人だ。



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