蒼の季-03.対面
荷物を整理をしていると、厩にいるフェンが壁に寄りかった。
ちょうど寝床の真横、壁を挟んだ外に厩がある。
これもおそらく、そういう配置にしてくれたのだと思う。
フェンの気配はルティナにとって、陽だまりのようなものだ。
少しでも気が休まるように。
この離れには、そういう心遣いが随所に感じられる。
アベリス家は、アルデニアの主要な貴族の一つなのだそうだ。
この国の中心である、風のアルデニア王家。
各地の治安や討伐を任される、火のアベリス家。
防衛と生活基盤を整える、地のグラナート家。
医療や教育を取り仕切る、水のリュサール家。
この4つの家が、このアルデニアを支えている。
王家には分家に当たる家もいくつかあり、王族や他貴族の護衛や側近には、風の家のものも多くいるそうだ。
ユアンとレイランは、このアベリス家の後継者なのだろう。
ジュードはグラナート家の人だそうだ。
旅の途中、アルデニアのことを聞きながら、すごい人たちと関わっているなと、他人事のように思った。
人の世界に関わらずに過ごしてきたせいだろうか。
あまり実感もなく、ただ身分の高い人なのだということだけは理解した。
王都は少し昼が長く感じる。
森ならもう夕方前あたりの時間帯だと思う。
太陽が少し落ちてきたころ、ユアンが離れに向かってくるのが分かった。
帰って来たばかりでまだ忙しないはずだが、ルティナは気になっていることがある。
「ルティナ、いいかな?」
ユアンが戸口の前から声をかける。
着替えて整った姿になったユアンは、とても綺麗だった。
「もちろんです」
ルティナも少し身なりを整え、アマヒトの礼装を少し崩した服に着替えておいた。
部屋を出ていくと、ユアンは瞳を大きくして立ち止まった。
「あ、いや……いつもと雰囲気が違って……驚いた。とても似合っている」
「ユアン様がきちんと整えられているのを初めて見ました。やはり思った通り、とても秀麗ですね」
傾いて色が濃くなった陽に照らされるユアンは、それは美しかった。
王族とは、こんなにも高貴な空気を纏うものなのだ。
霊核がなかったとしても、これは目の保養だ。
「この後だが……街に出てみるか? それとも本邸や庭を少し案内しようか」
「……この時間からでは、王太子妃殿下にはお目にかかれませんか?」
「……疲れているんじゃないか? 明日以降でも……」
「いえ、できるだけ早い方が。必要なものを準備する場合もありますし、ご迷惑でないなら」
「ありがとう。……兄上には、まだはっきりと伝えずに来たが、今からでも大丈夫だ」
身体の方は大丈夫でも、できる限り早く元に戻した方がいい。
この国で、王家に生まれ、魔素に適性が持てないのは何よりも苦しいはずだ。
馬車に乗ってから、そうかからない所で停まった。
そこには凛として調った風が、静かなうねりのように流れている。
入口からすでに空気が違う。
ここはアルデニアの王家が住まう場所だ。
足音を吸い込む深緑の絨毯を、ゆっくりと歩く。
人をほとんど感じないのは、ここが奥まった場所だからなのか、すでに人払いがされているからなのか。
こんな状況にも関わらず、自分がまったく緊張していないことに驚く。
ここの空気は、とてもユアンに近いのだ。
廊下を進むと、扉の前にレイランが見えた。
彼の整った身なりも初めて見る。
やはり彼も貴族なのだ。
こちらに気付くとレイランは向き直り、静かにお辞儀をした。
「ルティナ様、今日は際立って美しいですね」
アルデニアの褒める文化は、相変わらずむずむずする。
特にレイランの言葉は直球だ。
照れる方が恥ずかしくなってしまう。
「……恐れ入ります」
努めて冷静に応えたつもりだが、目を合わせるのはやめておく。
「中には、アルヴィン様、ウィラン様とジュード殿だけです」
小さな声で伝えた後、レイランは声をかけた。
中から返ってきた声は、少し低い。
それは真綿のように優し気で、澄んだ音で響いた。
扉が開くと、そこは広い応接用の部屋だった。
ユアンの半歩後ろに付いて入ると、まずはウィランが立ち上がった。
きらきらと目を輝かせて、こちらに歩いてくる。
ウィランはユアンをひと目見て、そのままルティナの前に立つ。
「ルティナ殿、こんなに早くまたお会いできるとは夢にも思いませんでした! こんなに嬉しいことはありません。そして今日はまた一段とお美しい」
本音は最初に、最後に付け足した褒め言葉が、ウィランらしい。
「ルティナ殿、長旅お疲れ様でございました」
ジュードも穏やかな笑顔で迎えてくれた。
「ウィラン様、ジュード様、こちらこそ、またお会いできて嬉しいです」
ウィランの圧は相変わらずだが、この場ではとても安心する圧だ。
その後ろ、この光景を眺めている視線は、とても大きかった。
その人は静かに立ち上がり、ウィランの後ろから歩いてくる。
立たせてしまって良いのだろうか……
ルティナは少しそわそわしたが、皆は特に気にしていないようだった。
「兄上、お連れ致しました。私がお世話になった、薬草師のルティナ殿です」
「初めてご挨拶させていただきます。ルティナと申します」
ルティナは静かに、アマヒトの最礼を取る。
その人はそれを静かに受け取り、口を開いた。
「どうぞ顔を上げてくれ。ユアンを助けて下さったこと、はるばる王都までお越し下さったことに、深い感謝を申し上げる。ユアンの兄、アルヴィンだ。そのまま名前で呼んでいただいて構わない」
ルティナは半歩下がり、視線を合わせた。
少しクセのある白緑の髪に深緑の瞳、背はユアンより高い。
そして、今まで会った人の中でも稀な、圧倒的な魔素の量だ。
ウィランよりも更に多い。
ウィランの研ぎ澄まされた魔素、レイランの純粋な澄んだ魔素とも違う。
そこに大きな風があるかのような、力強く自由な魔素だ。
王太子という立場の人なのに、まったく圧迫感がない。
ユアンの言っていたことがよく分かる。
この人に敵う人は、そうそういないだろう。
「今日着いたばかりだと言うのに、お心遣い痛み入る。妻に会ってもらう前に、先に少し話をさせてもらえないか」
アルヴィンはルティナを奥の席に誘った。
「さて、状況はご存じだと思うが、妻は身籠って二季になる。なかなか授からなかった子だというのもあって、少々慎重になりすぎている気がする。妊娠中の治癒魔法は……子供のことを考えるとあまり好ましくないと言って受けたがらない。薬もだ。症状自体は酷いものではないが、あまり体調が改善しないままもう半季ほどになる」
半季……。
妊娠直後の不安定さは、そろそろ落ち着いてもいい時期だ。
そこから繋がるように気素が偏りが始まったのなら、ずっと不調が続いていることになる。
「お食事は摂られていますか?」
「頑張って食べてくれてはいるが、食は細くなっていると思う」
「水分は……お水は飲まれていますか?」
「おそらく、果実水や紅茶などはそれなりに……」
「紅茶……ですか」
紅茶は陽が強い飲み物だ。果実水も、ものによっては陽が強く出る。
体力も落ちているなら、身体はとても重く感じるだろう。
霊素のことを知らない人に、どう説明すればよいのか。
「ウィラン様は、最近妃殿下にお会いになりましたか?」
少しうつむいていたウィランは、突然の声に驚いたように顔を上げる。
「あ、ええ、先ほども会って来たばかりです」
「魔素を……ご覧になりましたか?」
ウィランは頷いて、言いにくそうに答える。
「ええ、少し、弱まっているように見えました」
「身体のどのあたりですか?」
「どの……全体的に……いや、どちらかと言えば身体の中央だろうか……」
やはりだ。
お腹の子供、まだ安定していない子供に、陽が集まってしまっている。
子供の巡りは大人よりかなり早い。急いだ方が良い。
「治癒師たちは心配ないと言っているんだが、ルティナ殿には何か思い当たることがあるだろうか。私はなぜか、とても胸騒ぎがしている」
アルヴィンの目は真剣だ。
できればきちんと説明したい。
でも、これを説明して理解してもらうには、時間がかかり過ぎる。
理解してもらえるかも分からないことだ。
「まだ実際に診たわけではありませんので、はっきりとは申し上げられませんが、予想はつきます」
「それはどんなものだろう?」
「妃殿下とお子様のお身体に関しては、治癒師の方のお見立て通りかと存じます」
「……それ以外に、何が?」
アルヴィンの視線は、心を透かすようだった。
「お子様の――」
「兄上、理由は説明できませんが、ルティナは子供が魔素の適性を持てなくなるかもしれないと言っています」
――アルヴィンとウィランの周囲が凍り付いた。
黙っていたユアンが、はっきりと言葉にした。
ユアンを見てきた2人にとって、ユアンがそれを言葉にするのが一番深く伝わる。
「お願いします、何も聞かずにルティナに任せて下さい」
アルヴィンは黙ったまま、ユアンを見つめる。
簡単に了承できることではない。
大切な家族のことだ。
ウィランが考えを巡らせながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「ルティナ殿、その理由を……言える言葉で説明してくれないか。兄上は、魔素の適性が素質ではなく素養であることを理解している。そして、あれから兄上は魔素がある程度見えるようになった」
ルティナは目が丸くなっていたと思う。
信じられないことだ。
これが才能というものなのか。
「……先占の法則、と言えば伝わりますか……?」
「……先占……つまり、魔素を受け入れる余白がなくなるということか?」
ウィランではなく、アルヴィンからその言葉が出るとは思わなかった。
「それは、ユアンの身体でも同じことが起きたということですか?」
「……いえ、それとはまた別です。なので、確実なことではありません。あくまでも可能性です」
ルティナは願うように答えた。
絶対にそうなるとは言い切れないのだ。
でも、かなりの可能性でそうなると思う。
胎児はとても柔らかい存在だ。
そして。
その子供には、霊核があるわけではない。
魔素の適性を……持てなくなるだけだ。
しばらく目を閉じていたアルヴィンは、ユアンとルティナに目を合わせた。
「わかった。……だが、付き添わせていただいても構わないだろうか」
「もちろんです。その方が妃殿下も心強いと思います」
「ありがとうございます、兄上」
アルヴィンは立ち上がり、ユアンに手を差し出した。
それをユアンが掴み、力を込める。
「ははっ、すごい力が戻っているじゃないか」
「またぜひ、兄上と手合わせ願いたいです」
2人は笑い合う。
その姿を見られたことが、とても幸せだった。
妃殿下の部屋は、更に廊下を奥へ進み、階段を上った先にあった。
部屋に入ったのはルティナとユアン、ウィランの3人だ。
アルヴィンが妃殿下と話をしている様子は、とても穏やかだった。
妊娠中で心が不安定と言っても、やはり国の中心にいる女性だ。
凛とした空気を持っている。
アルヴィンがユアンを呼ぶ。
そばに行って妃殿下と話し、自分の右腕を説明している。
彼女はそれを心から喜んでいるようだった。
ユアンはここで、家族にとても愛されているのだ。
「ルティナ殿、紹介するよ。妻のナーシャだ」
長い髪を胸元で束ねた彼女は、少し疲れた笑顔をルティナに向ける。
その姿は少し儚く映った。
「わざわざ王都まで来てくださったそうで……本当にありがとう。ナーシャです」
「初めてお目にかかります、ルティナと申します」
「周りが少し大げさにしているのですよ。大丈夫だと言っているのに……」
ルティナはアルヴィンを見る。
彼は黙ったまま頷いた。
「……今はとても大事な時期ですから、できる限り身体が楽になるように致しますので……少し診せて下さい」
ルティナはナーシャの手を取った。
意識を集中して、全体を視る。
全体的に陽が強く、気素の巡りが速くなっている。
妊娠中とはいっても、少し火照り強く出ている。
下腹部に、まだ小さく、更に早い巡りが2つ。
まだ壊素にはなっていないが、少し濃度が濃過ぎる気がする。
確かに王都の霊素は陽が強いが……それでも、ここまでになるだろうか。
胎児ということが影響しているのかもしれない。
もしくは、双子だからそれが加速しているのか。
毅然としているが、かなり身体は辛いだろう。
「ナーシャ様、少し身体の火照りが強いようですが……これはいつ頃からでしょう?」
「……20日は、経っていないかしら」
「こうなる前、どこかにお出かけになったりなどはされていませんか?」
「そうね……あ、そのころちょうど、山の方に出掛けたかしら」
「ああ、だいぶ体調が落ち着いて、久しぶりに外に出かけようと……」
ルティナは頭に過ったものを、一旦忘れる。
今はこれをどう説明するか。
「……今、身体の中に少し熱が溜まってしまっています。ユアン様の腕のごくごく軽い症状なので、通常であればこのままにしておいても問題ありません。ですが、妊娠中であることを考えると、自然に治るにはとても時間がかかるか、産むまで続く可能性もあります。ナーシャ様の体力も、お子様たちの体力も奪われてしまいます。わたしに……任せて下さいますか?」
ナーシャの顔が少し傾いた。
アルヴィンもだ。
「お子様……たち?」
「はい、命が2つ巡っております、双子でいらっしゃいますね」
ルティナは2人に微笑んだ。
「本当か!? そこまで分かるのか? 性別はわかるか?」
「分かりますが……お伝えしてもよろしいのでしょうか……楽しみに待たれる方もいらっしゃいますが」
「知りたい、ナーシャ、いいだろ?」
ナーシャも何度も頷いている。
「男の子と女の子です」
2人は手を固く握り合い、ナーシャの目からは涙が溢れそうだ。
よほど願っていたのだろう。
王太子である立場、その妻であることの重み。
おそらく結婚してからかなり経っているのではないだろうか。
2人から感じるこの感情は、ただ温かい愛情だ。
「ルティナ殿、ナーシャをお願いします。少しでも楽にしてやりたい」
その言葉にほっとした。
これ以上、信じてもらう方法が何もなかった。
ユアンも同じように、目元が緩んでいる。
アルヴィンに少し下がってもらい、ルティナは横になったナーシャの隣に立つ。
深く息を吐き、意識を身体の中心へ、深く沈める。
霊核から気素を集め、球体をイメージして身体の中央に浮かべる。
ユアンの施術以来だ。
あのときよりも、霊核が近く感じる。
ユアンと一緒に、自分も変わっているのだと分かる。
ナーシャのお腹の上、集まっている気素を、右の手のひらからゆっくりと引き入れていく。
小さな命に触れないように、身体の魔素に触れないように。
壊素ではないお陰で、気素の消費もそこまで重くない。
こちらに移してしまえば、あとは時間が経つのを待つだけだ。
ナーシャと子供の気素はそのままに、入り込んだものだけを引き入れる。
この選別が、以前よりもはっきりと感じられるようになった。
最後のひと粒がそこに入る。
そのまま安定させた。
ナーシャの身体には、淡い緑の魔素が視えた。
身体の色は戻っている。
後ろでウィランのため息が聞こえる。
その隣、微動だにしないユアンの気配が、背中に刺さった。
「ナーシャ様、身体はいかがですか?」
火照っていた顔は、すっきりしている。
「……え、と。信じられないほど、楽になりました……」
「良かったです。体力が戻るまでは安静になさってください。あと、紅茶や果実水はできるだけ控えて、お水や白湯を……できれば、魔導石の水ではなく湧き水などの自然のお水をお飲みください」
「……わかりました。他にはなにかありますか?」
「そうですね……たくさん美味しいものを召し上がって、睡眠を取って下さい。体調が落ち着いたら少し動いた方が良いですね。あと、たくさん笑ってお過ごしください」
「……それには自信があります」
顔色が戻ったナーシャは、先ほどとは比べ物にならないほど、若々しい笑顔だった。




