表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―王都へ―
PR
38/70

蒼の季-02.出発

 出発の朝だ。


 家の中はしんとしている。

 昨日は帰ってから、念入りに掃除をした。

 この家をしばらく守ってくれるミラ宛て書いた手紙を、食の間の卓に置く。


 庭に出ると、フェンはすでにそこにいた。

 庭の端、フェンがいつも昼寝をしている場所で手を合わせる。


 ここには父の遺した天日石コアヘリオが埋めてある。

 これがこの家を、結界のように守ってくれている。

 庭を包む凪のような静けさは、父の霊素そのものだ。


 力の強い精霊族が霊素へ還るとき、霊核が具現化したような石を遺す。

 これを持って行くか、ずっと悩んでいた。


 でも、これはここに残していこうと思えた。

 ルティナと同じく、父もこの森を愛していた。

 帰って来る場所として、ここで待っていて欲しい。

 きっと今なら大丈夫だ。


 

 ユアンの音がした。

 振り返ると、門の前でアウリスから降りたところだ。

 心配で来てくれたのだろうか。

 ユアンの過保護な優しさも、今日は嬉しい。


「おはよう」

「おはようございます」

「ここは……」

「……父が、ここに」


 天日石のことを話すと、ユアンは手を合わせてくれた。

 しばらく目を閉じている間、森が静まった。


 目を開け立ち上がったユアンは、いつにも増して強い黄金色を纏っている。

 その色は揺らぐことなく、とても頼もしく思えた。


 フェンの上で、いつもと変わらない家を振り返る。


 ――いってきます。


 ルティナはユアンの少し後ろから、彼の背中を追った。




 リシアの街は少し慌ただしい。

 街の門には、たくさんの人が集まっている。


 その中で、少し気まずそうなレイランが、忙しそうに動いている。

 街の人から渡されるものを受け取り、挨拶をしたがる兵士たちに声をかけられ、人だかりができている。

 静かに発つつもりと言っていたが、そうはいかなかったようだ。


 リシアで2人はとても好かれている。

 兵士たちも、街の人も、彼らを見送りたいのだ。


「ルティナ様、もう出発してもよろしいですか?」


 人をすり抜けて、レイランがリズにするりと跨った。

 その姿に、兵士たちは静かに整列を始める。

 街の人は、いっそう大きく手と声を上げた。


 門から離れたところに待機している馬車の近くには、セラとバルドの姿がある。

 彼らは遠目からその様子を眺めている。

 そういうところは、とても要領が良い2人だ。


 ルティナが小さく頷くと、レイランはユアンの後ろにリズを付けた。


 リシアの兵士たちは、揃った敬礼を向ける。

 その中には、ジグやローラン、リドの姿も見えた。


 人混みの奥、遠目に見送るアンテとミラは、こちらにお辞儀をした。


 ユアンは軽く手を上げ、リシアに応えた。

 この人は当たり前に人から思われる。

 それを今、この景色で実感した。



 街の声が遠ざかるのを聞きながら、ルティナはいつもの景色を見る。

 蒼と緑はいつもと変わらず、地平線を色で分ける。


 ヴェリッダの林を目で追い、岩肌に挟まれた谷に入る。


 谷の風音は抑揚をつけて、笛の音色のようだ。

 岩肌を石が弾む乾いた音は、風向きとは逆、王都側へ響く。

 

「ルティナはこの先に行ったことはある?」

「いえ、北へ向かうのは初めてです」

「あまりのんびりはできないけど、少し景色を見ながら進もう。旅はきっと楽しいから」


 ユアンの言葉は、ほんの少しの不安を消すのに充分だ。

 フェンも首を縦に振って、その声に応えた。




 谷を抜けると、しばらく静かな山道が続いた。


 北へ進むごとに、景色は徐々に鮮やかになっている気がした。

 太陽に近づくように、地面に積もる光が多い。

 山の中では聞いたことのない鳴き声ばかりだった。

 感覚が拾う気配が違い過ぎて、ずっと胸が騒いでいた。


 初日と二日目は、山道の所々にある休憩所兼見張り台で休んだ。

 山の温度は昼と夜でかなり差があり、霊素が山を下りていくのを感じた。

 

 そこを過ぎると、緩く上る山道に入った。

 王都がある台地は、少し高い土地にあるそうだ。

 その上り途中で一泊し、さらに進んだ頂上が今日の休む場所だった。

 

 頂上からの景色は絶景だった。

 それほど標高が高くないはずなのに、空を見下ろしているように視界が広い。

 リシアの方を振り返ると、緑一色の大森林だけは見ることができた。


 皆で食事をとり、暗くなるころに辺りは静かになる。

 山では朝早く動き出す人が多いのだと知った。


 なかなか寝付けずにいると、外から月の気配がする。

 無性に外に出たくなった。

 足音に気を付けながら、静かに部屋を出る。


 階段を上って見晴らし台に出ると、冷やっとした空気が顔にかかる。

 何か掛ける物を持ってくればよかったと後悔しつつも、冷たい空気はとても澄んでいる。


 真っ白な月はまんまるで、辺りは青白く光る。

 山の満月から降る霊素は、感じたことのない密度だ。

 久しぶりに感じる濃い陰が、しっとりと身体に入っていく。


 王都までの道のりは、すでに半分を超えた。

 随分遠くまで来てしまった。

 思ったよりも違和感がないのは、山の木々たちのお陰だろう。


「眠れない?」


 肩に毛布を掛けてくれたのはユアンだった。

 マントを羽織っていない首元には、宵蔦の紐が揺れている。

 夜に浮かぶほのかな淡黄は、想像の数倍美しい。


「起こしてしまいましたか?」

「いや、多分この満月のせいかな。あまり眠くならなかったんだ」

「ここまで華やかな月は珍しいですね」


 ヴェリッダを追った夜も、確か満月だった。

 あれから約30日。まだ30日しか経っていないのか。

 もう随分前のことに感じる。


「旅はどう? 辛くない?」

「とても……新鮮です。音も、匂い、景色も、知らない気配ばかりで。最初はそわそわしましたが、知らないということに慣れてきました」

「俺もだよ、一度通った道のはずなのに、あのときとは全然感じ方が違うんだ。こんなに自分が変わったのかと、そっちに驚いてる」


 ユアンの横顔は、とても満足そうだ。

 霊核を受け入れてから、ユアンはとても落ち着いている。


「ユアン様は本当に強い方ですね。わたしならきっと、どこかで折れてしまったと思います」

「そうかな? ルティナは折れないよ。だって大切なものがたくさんあるだろ?」

「大切なもの……ですか」

「ああ、たくさんではないのか。世界は一つだもんな」

「……たくさんに、なりました。すべてとしてではなく、そこに在る一つずつを思えるようになった気がします。ユアン様に会ってから」

「俺は、ばらばらに散らばっていた大切なものが、ルティナに会って一つになったよ。この世界に守りたいものがすべて詰まってるんだ」

「欲張りになりましたね」

「お互いにね」


 山の木々が月を受けて、少しずつ光を纏っていく。

 

「出発前に、タヤ様に会いに行ったんです。そのときに叱られました」

「タヤ様に?」

「人の世界に入ったら、森の声が聞こえなくなりそうで不安だと……そうしたら、人も森も巡るものだ、変わったとしても森は寄り添うと言ってくれました」

「……ん」

「それがよく分からなくて戸惑っていたら、寄り添っているのは自分だけだと思っているのかと。森はこんなに君を愛しているのに、伝わっていないのは悲しいと」

「怒られてないじゃないか」

「……自分はなんて傲慢なんだと、恥ずかしくなりました」

「思うことの方が忙しいだけだろ?」

「ユアン様に言われたことと同じことを、また言われてしまいました……あの言葉は、深く残っています」


 ルティナはユアンに向き合い、手を取った。


「あのときに、わたしの世界は変わったのだと思います。わたしの存在を、わたしの願いを、この世界に置いて良いのだと。まだ、とても苦手ですが……それを、どうしても伝えておきたくて」


 言葉にすると、それは自分の意識に溶け始めているのだと分かる。

 自分はこの世界の外にいると思っていたのに、今はここに立っている。


「また迷いそうになったら、連れ戻してください」

「じゃあ、俺が突っ走ったら止めてくれ。俺を止められる人間はあまり多くないらしいから」


 冗談を言うユアンは、とても照れているようだった。

 よっぽど、褒められることに慣れていない人なのだと思う。


「そろそろ休もう。身体が冷える」

「はい」


 手を離すと、指先が真珠色の光の糸を、かすかに引いたのが見えた。

 



 頂上から少し進むと、4日続いた山道が終わった。

 目に飛び込んできたのは視界いっぱいの空と、土肌と草木が混ざり合う大地だ。


 太陽をそのまま受け止める拓けた大地は、初夏とは思えない陽の色だ。

 地面に薄い膜を張り、きらきらと輝く。


 大陸の北西は聞いていた通りの、暖かな陽の土地だった。

 動き回る風はとても自由で、この場所の霊素を隅々まで運ぶ。


 良い風だ。

 

 軽やかで奔放。温もりのある肌触り。

 これがアルデニアという国の雰囲気を表している。


 旧い街道を進み、5日目は旅人が集う広場に泊まる。

 綺麗に整えられた敷地には、澄んだ水場があった。

 エンの森以来の湧き水は、ルティナには心底ありがたかった。

 湧き水は木筒に汲む。陰包いんほうすれば、しばらくはこのまま持ち歩ける。


 新しく整備された街道に入ると、もう王都までは1日足らずの距離になった。

 旅の進みは順調で、6日目は王都へ繋がる街道脇、小さな砦に泊まる。

 行き交う人々が増え、商人や旅人のほか、兵士の姿が多くなった。

 リシア付近とは違い、人々があまり交流している様子はない。

 冷えた空気というほどではないが、どこか人と距離を取る姿は、その先の大きな都市を思わせた。



 7日目の朝。蒼の季1日。

 出発する準備をしていると、空から聞き覚えのある声がした。

 翼をはためかせて降りてきたのは、リュートだ。


 ユアンは脚の筒を外し、リュートの頭を撫でた。

 リュートはそのままアウリスの鞍の上で毛づくろいを始めた。


 ユアンは手紙を読み終えると、リュートに木の実をあげて、高く飛ばした。

 空を切るように、あっという間に北へと消える。

 森ではあまり分からなかったが、あの速度は凄まじい。

 翼の形状か、使う魔法の強さなのか……

 いつかじっくり観察してみたいところだ。


「今日少し急げば、夕方には王都に着くと思う。もうひと晩外で過ごすより、その方が良いと思うけど……どうかな?」


 さすがに身体が固まってきている。

 今日中に着けるならそれに越したことはないだろう。



 そこからの道のりは、ひたすら平坦な街道だった。


 王都に近付くに連れて人の気配が濃くなる。

 塊のような人の圧は、次第に大きく、強くなる。


 リシアの賑やかさとは違う。

 もっと重心の低い密度を感じる。


 ルティナは下腹部に意識を込めて、守りを強くした。

 ルティナにも変化があった。

 湧き出る気素が、以前の青白い光から、青みを帯びた白銀になった。

 自分の周りを白銀が包み、強い圧を和らげる。


 隣からユアンの視線が向いた。

 彼も同じように、黄金色を周りに留める。

 彼の色は、日を追うごとに洗練されている。

 とても綺麗だ。



 王都の大きな門と城壁は、重厚な石造りだった。

 さほど高さはないが、さすがこの国の中心、王都エルディラだ。


 風を遮らない砦の構造に、風への向き合い方が見える。

 この国を統べる風の王家は、この国の在り方そのものだ。


 門へ続く街道は、人で溢れている。

 その列は城壁の付近で扇形に広がり、4つの入口に分けられる。

 少数で動く商人たち、異種族を含む旅人、大型の馬車が並ぶ商団、王都への滞在を求める団体。

 それぞれ担当が分けられているのか、列の進みも早い。

 整えられた仕組みのお陰か、殺伐とした空気はまったく感じない。

 この光景は、王都への安心感をくれた。


 その列から逸れて、少し奥にある別門へ向かう。

 少数の兵士が、鋭い敬礼をする。


 レイランが短く言葉を交わすと、石が擦れる音と共に門が開く。


 ここからは人の世界だ。

 ルティナは大きく息を吸い、身体の中心に芯を作る。

 フェンの緊張も高まっている。

 首に手を当てると、片方の耳がこちらへ向いた。


 アウリスがちらっとフェンを見た。

 それは王者の余裕と言ってもいい、とても優しい目だった。

 フェンのぴんと立っていた耳は、先端だけ前に倒れた。


 城壁の内側、区切られた道を沿うように進む。

 途中で馬車は道を逸れて、そのまま街の中へと入っていった。

 ここは特別な通路なのか、他には誰もいない。


 街の喧騒から少しずつ遠ざかり、2つの扉を越えた。

 幅の狭い通路が繋がっていたのは、静かな敷地だった。


「お疲れさま。ようこそ、アベリス家の屋敷へ。ここが俺とレイランが暮らしている場所だ」


 街の中を通るとばかり思っていたルティナは、少し拍子抜けだ。

 でもそれはありがたい配慮だった。

 フェンもここの空気に慣れてからの方が、少しは楽だろう。


「ありがとうございます。ほっとしました」



 太陽は少し傾き始めたくらいで、まだ夕方にはなっていない。

 思ったよりも随分早い到着だ。

 

 敷地内を横切り正面に回ると、そこには出迎えの人たちがずらっと並んでいた。

 彼らは一斉に完璧なお辞儀をする。

 一糸乱れぬ整った礼だ。


 ルティナは思わず足が止まる。

 これだけでも、すごい圧だ。


 尻込みしていると、隣にセラが付いてくれた。

 

 ルティナは足を動かし、ユアンからは少し距離を置いて後ろに控える。


「ルティナ、家を仕切ってくれているウォルグだ。そしてメイド長のアンナ。アンナはアンテの娘だよ」


 2人は前に進み出て、丁寧にお辞儀をしてくれた。


「長旅お疲れ様でございました。ウォルグと申します。ユアン様が大変お世話になったそうで、屋敷を代表して御礼申し上げます」 

「アンナと申します。お目にかかれて光栄でございます」


 とても好意的な空気に、ルティナは秘かに驚いた。

 もっと形式的な挨拶を想像していたが、この家の雰囲気だろうか。


 自分のことがこの人たちにどう伝わっているのか……

 そっちが不安だ。


「お世話になります。ルティナと申します」


 自然に、アマヒトの礼を返していた。

 この人たちから、とても強い感謝を感じたからだ。


 場の空気が少し止まり、それをユアンが動かす。


「ルティナ、どうしようか迷ったんだけど……君には離れをそのまま使ってもらおうと思ってる。簡単な調理場もあるし、その方が落ち着けるかと思ったんだ。もし屋敷内の部屋が良ければ、それでももちろん構わない。その場合はアンナが身の回りの世話をするよ。どうだろう?」


 離れ……本心から言えばとても嬉しい申し出だ。

 身の回りの世話をされるのは気が引ける。

 距離が近いところにたくさんの人がいるのも……正直落ち着かない。


 でもそうすると、離れの周りに人が置かれることになる気がする。

 それは迷惑になるのではないか。


 ちらっとセラを見ると、彼女は静かに口を開いた。


「離れでゆるりと過ごされる方がよろしいかと存じます。ルティナ様は日々の過ごし方を大切にされますので、その方がお寛ぎになれるかと」


 屋敷全員の視線が、セラに集中している。

 それは驚きと、中には少し生温かさを感じる視線も混ざっている。

 セラはここでどういう人だったのか。

 相変わらず、視線は合わない。


「じゃあそうしようか、ルティナはそれでいいか?」

「……お心遣いに感謝いたします」

「それではルティナ様、わたくしがご案内いたします」

「ルティナ、あとで顔を見に行くよ。それまでゆっくり休んでいて」


 ルティナは小さく会釈を返し、その場にいる皆にお辞儀をする。

 

 アンナは庭の奥の方へと案内してくれた。



 離れは本邸のすぐ裏手、周りには適度に木が植えられている。

 王都とは思えない静かな場所だ。


 大きさは、ルティナの普段暮らしている家よりも少し狭い程度だろうか。

 なんとも贅沢なことだ。

 こんな場所をひとりで使わせてもらえるとは思ってもいなかった。


 ルティナのために色々と整えてくれたのだろう。

 調理器具も揃っており、小部屋には作業ができるような卓と椅子。

 先に運び込まれたらしい革鞄は、部屋の隅にきちんと置かれている。


 裏手にある厩は、新たに整えられたようだ。

 フェンもそばで過ごせるようにと考えてくれたのだろう。


 ここの人はとても……ユアンの家らしい人たちだ。

 アンナは簡単に説明をして、本邸へと戻っていった。



 王都での生活に感じていた不安は、一体何だったのだろう。

 ここでなら、ちゃんと息ができる。


 王都での時間が少しだけ、楽しめそうに思えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ