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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
蒼の季 初夏 ―王都へ―
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蒼の季-01.準備

 どれくらい、この森を離れることになるだろう。


 昨日決まったことに、まだ実感が湧かないというのが正直なところだ。


 王都へ行く。

 いつかそんな日が来るかも……と、なんとなく考えたのはつい最近のことだ。

 それが突然、明後日に出発だ。

 こんなことになるとは思ってもみなかった。


 ここに当たり前にある物が、王都にはないだろう。

 薬草も、茶葉も、食物も。

 この付近でしか手に入らないものが、今の生活の大半を占めている。


 妃殿下の治療に薬草は必要ないと思うが、体調の安定にはあった方が良いだろう。

 

 王都の近くに森や山はあるだろうか。

 採取道具を持って行けば、現地で調達できるかもしれない。


 服や身支度に必要なもの。

 茶葉や香、気素を整える薬草も最低限は持って行きたい。

 水は……さすがに無理だ。

 

 今仕込み中の保存食やお酒は、いくつか諦めることになりそうだ。

 昨日までに採取した薬草は、3日あれば処理し終えられる。

 初夏に採取したかった薬草や植物は……今年は諦めよう。

 来年のことを考えると少し不安だ。

 日々は積み重ねだ。

 今年が来年に繋がっている。


 この家は、いない間大丈夫だろうか。

 保管庫の薬草は……父の残した本や資料は……

 考えるほど不安が募る。


 自分で決めたはずなのに、すでに後悔しそうになっている。

 いかにこの場所に頼って来たか、狭い世界で生きてきたかが分かる。


 準備をしなければいけないのに、何も手に付かない。

 頭の中だけで、色々なことが浮かんでは消える。


 もう少し気楽に考えられれば、ただ短い旅行だと楽しみにできるのに。



 自分の部屋で服を出していると、庭の方で人の気配がした。

 小さくため息をつき、戸口へと向かう。


 庭の奥に目をやると、セラとミラの姿があった。

 慌てて庭へ出ると、2人は揃ってお辞儀をした。


 大きな革鞄をいくつも持って、すごい大荷物だ。


「どうなさったのですか?」

「準備のお手伝いに参りました」


 セラとミラは、馬に積んできた鞄をテキパキと下ろし、戸口の前まで運ぶ。

 使い込まれた風合いの大きな鞄は、やけに軽い音がする。


「え、と、あの……」


 ルティナは状況が分からず、しどろもどろになってしまう。


「王都までの日数や滞在期間を考えると、準備にも時間がかかると思いまして」


 セラは相変わらず、必要なことのみを言葉にする。


「お留守の間、失礼でなければわたくしがお家の手入れをさせていただければと思います。色々とお作りになるとのことでしたので、管理を教えていただければお手伝いできることもあるかもしれません」


 ミラはくっきりとした笑顔だ。


 その笑顔が、ルティナの心を軽くした。

 心配事の半分は、この言葉でなくなったのだ。



 セラは王都の気候や周辺の環境、流通しているものなどの話をしながら、洋服や日用品の選別を手伝ってくれた。

 話を聞く限り、身の回りのもので困ることはなさそうで安心した。

 さすがに王都だけあって、物は豊富に揃っているようだ。


 やはり不安なのは薬草や食物など、森で採取している植物だ。


「王都で手に入る茶葉は、ほぼ紅茶です。ルティナ様がよく飲まれている薬草茶は、薬などと一緒に売っている店があるくらいかと」

「そうですか……王都ではそういう扱いなのですね」


 それも分かる。

 薬草茶というと、あまり美味しくないと思われがちだ。

 日常に飲むというより、高価な薬の代わりに飲む物という認識だろう。


「どの程度の滞在になるかは分かりませんが、必要な分をお持ちになって構わないと思います。重たいものでもかさばるものでもありませんから」


 セラは綺麗に畳んだ洋服を、淡々と鞄に詰めている。

 その手際の良さはさすがだ。

 あっという間に鞄ひとつが服で一杯になっている。


「ルティナ様の服は……あまり見かけない生地や形のものが多いですね。上質な織物のような肌触りで、着心地が良さそうです」


 セラは重衣を広げ、前後を返しながらしげしげと見ている。

 

「生地は東方で手に入れたり、織ったものも多いと思います。その服は父と一緒に縫ったものなので、あまり見ないかもしれませんね」

「服までもが作ったものなのですか……?」


 信じられないという顔だ。

 リシアでも、最初の頃は視線を感じた。

 王都でもそれは変わらないということか。


「王都に着いて、もし人目が気になるとお感じになったら、王都に馴染む物をお求めになるのも良い選択肢かと思います。その際はお声がけ下さい」


 セラはルティナの心をよく分かってくれる。

 王都に行ってもこの人がいてくれるなら、それだけで全然違う。


「ルティナ様、お家の中をだいたい拝見いたしました。異国の家具や布がとても素敵で、憧れてしまいます」


 ミラには家の中を自由に見てもらっていた。

 アルデニアとは様式が違うものも多く、慣れないと大変かもしれない。



 仕込み中のものが並ぶ保管棚を説明しながら、茶葉や日持ちのする木の実を見繕った。

 使い切らなければいけないものは、適度に貰ってもらった。


 作業部屋、保管庫、本や資料が置いてある部屋を案内し、必要なことを伝える。


 裏にある小さなハーブ畑は、使えそうなものを自由に採ってもらうことにした。


 見たことがないものが多いらしく、ミラはひとつひとつに新鮮な反応だった。

 こういうところは姉妹でよく似ている。


 

 2人に手伝ってもらったお陰で、あっという間に準備はだいたい終えられた。


 戸口の横には、準備した大きな革鞄が3つ並んでいる。

 これを明日、馬車で取りに来てくれるそうだ。



 戸口の前から家の中を眺めると、なぜかとても静かに思えた。

 家具も、置いてあるものも、何も変わっていない。

 変わったのは自分の胸の内だけだ。



 ここで暮らした23年という時間が、今の自分を作っている。

 たかが数巡、ここを離れるだけ。

 今生の別れでもない、短い旅だ。 


 なのに、なぜこんなに寂しく感じるのだろう。


 ここには、父の霊素が残っている。

 この家にも、庭にも。


 本当の子供でもない自分を、故郷を離れてまで育ててくれたのだ。


 父には愛する人がいなかったのか。

 生涯を共にしたいと思う大切な人。

 家族や友人、共に森を守る人。

 いつか聞けると思っていた話は、ほとんど聞けないままになってしまった。


 父は350年ほど生きた。

 精霊族の中でも長命だろう。

 その最後の23年を、ここでルティナと過ごした。


 この森で暮らすことで、自分の身体がどうなるか。

 きっと分かっていたはずだ。

 父にとって、自分とはなんだったのか。


 自分とは、なんなのか。






 陽が昇る頃、鳥の声で目が覚めた。

 外はすでに明るいが、まだ明けたばかりだ。

 

 いつもより森の音が近く感じる。

 木々の揺れや、今が食べ頃の果実の気配まで、肌に届くようだ。


 ルティナは起き上がり、身支度をする。

 街から馬車が来る時間までは、まだ余裕がある。



 簡単なスープだけお腹に入れて、フェンと森の外へ向かう。


 森を出て東へ進むと、ふっと青葉の香りが届いた。

 彼はもう気付いているようだ。



 タヤの森の入口でフェンから降りる。

 エンの森よりも低い鳥の声が、森の奥から聞こえている。

 森に足を踏み入れると、そこはひんやりとした空気があった。

 しっかりと差を感じるのは、大地が熱を持ち始める初夏の兆しだ。


 核のある森の中心へ行くと、タヤが静かに立っていた。

 その佇まいは、人よりも妖精を思わせる。

 静かな森の中、その周りはさらにしんとして、一切の音がない。

 

 彼の身体はどこか遠くにあるのではないか。

 この森の一部であり、すべてであるように、この森と同化している。



「森を離れるのですね」


 森がざわめくような声が、身体の奥で聞こえる。

 

「はい」

「気を付けてお行きなさい。森は変わらずここに在る」


 ルティナの小さな不安は、透けて見えている。

 帰ってきたとき、果たしてまたここに居ることができるか。

 それが不安だった。


「森を離れ、人の中に在っても、あなたはあなたのまま変わらない」

「……とても、怖いのです。感じられなくなりそうで……」

「あなたの感じ方が変わったとて、あなた自身は変わらない。森も巡り、人も巡る。それは自然の変化です。今までのあなたを森は覚えている。これからのあなたに森は寄り添う」

「森が……」

「おや、寄り添っているのはあなただけだとお思いか? 森はこれほどあなたを愛しているというのに」


 ルティナの奥を揺らすその声は、雫として落ち、静かな波紋として広がる。


「不思議な方だ。すべてを思い、寄り添い、信頼しているのに。その中に自分を置かない。それは特殊な生い立ちからか、単に謙虚なのか、自信がないか。何が理由であれ、届いてないとするなら、我らにとっては悲しいことです」


 タヤは振り返り、森の木々を眺める。


「そう思ってしまう何かが、あなたの中にあるのかもしれない。だが、少なくとも我らは、あなたを家族のように見続けています。あなたがすべてにそうするように」


 タヤの森が、大きく震えた。

 木々が、土が、風が。

 森全体が湧き立つように声をあげる。


「木々は繋がり、記憶も繋がる。どこへ行っても、木々はあなたを覚えている。あなたに囁木は必要ないと思いましたが……必要ですか?」


 必死に首を振る。

 ずっと届いていたはずだ。

 それを自分が受け取らなかっただけだ。


「あなたはまだ若い。我らより、コーレン殿より。まだ芽を出したばかり、瑞々しい双葉のようだ。存分に迷い、悩むといい。答えなんて必要ないのです。迷い、悩み、考えることが、あなたを彩り、美しく磨くでしょう」


 ゆっくりと、森の奥へ歩き始める。


「西の森も、あなたを心待ちにしている。……お帰りをお待ちしていますよ」


 微笑むような声を残して、タヤは木の中へと消えた。



 その場所に座り、ひとしきり森の声を聴いた。

 身体に染みるその音は、いつもよりもずっと奥まで届く。


 フェンは隣で寝転がり、身体を寄せている。

 ここはフェンにとっても、安らげる場所になったようだ。


 いつの間にか、迷いは消えていた。




 午後になって馬車に荷物を預け、リシアへ挨拶に向かう。

 来られないことを伝え、その間足りるだけの薬や茶葉を届けるためだ。


「お、今日はどうした?」


 門の前のジグは、早くも夏の装いになっている。

 白いシャツは明るく、夏らしい爽やかさだ。


「しばらく森を離れることになったので、ご挨拶に参りました」

「それは珍しいな、いつ頃戻るんだ?」

「まだはっきりと分からないのです……」


 ジグは顔を斜めにして、目だけを上に向ける。


「そうか……夏までには戻ってきて欲しいところだ。あれがないと乗り越えられん」


 ジグの言うあれ、とは、干した甘夏に塩を纏わせた干し果実だ。

 夏には塩分が欲しくなると言われて、何年か前から作り始めたものだ。

 これがジグには堪らないらしく、毎年どっさりと買ってくれる。

 あれは柑の季の最初に作りたいものだ。


「さすがにそれまでには戻ると思います。あれは夏には必要ですね」

「あれを食べるようになって、夏がかなり楽になったんだ。今年も期待してるよ」

「あと、これをお渡ししたくて」


 ジグの前に、家に残っていたアプリナとプルムをあるだけ取り出す。

 残しておいても味が落ちるだけなので、どうせなら食べてもらった方がいい。

 袋に詰めたら、全部で20袋ほどになった。


「おいおい、こんなにたくさんいいのか?」

「置いておくのも勿体ないので……でも、食べ過ぎは注意ですよ」

「ああ、ありがたく貰うよ。代わりに、帰ってきたら力仕事でもなんでも呼んでくれ」


 両手いっぱいに干し果実を持ち、顔いっぱいで笑ってくれた。

 ここでの日常が、毎年が、こんなに当たり前になっている。



 ルティナは清々しい気持ちで、リシアの空を見上げる。

 空は蒼く、ところどころにある千切れた雲は、すぐそばに浮かぶ。


 夏になる前には戻って来なければ。

 ジグとの言葉が、ルティナにとって初めての約束になった。




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