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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
翠の季 春 ―森の合唱―
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36/75

翠の季-24.王都から

 翠の季、56日。

 蒼の季まで残り一巡となった。


 リシアへの往診の前にヴェリッダの元へと向かう。

 ユアンの訓練やタヤの森の件で、しばらく様子を見に行けていなかった。

 フェンと一緒に谷に通っていたのが、随分前のことに感じる。


 リシア近くの草原と空は、どちらも一段階色が濃くなった。

 太陽も、風も、色も、匂いも、すべて並んで初夏に進んでいる。

 ここに何も違和感をがないことに安心する。

 目まぐるしかった翠の季も、今こうしていつもと同じに巡っている。


 

 谷を見下ろすいつもの場所に着いた。

 ここからの景色にはヴェリッダの姿は見当たらない。

 でも、谷には確かな気配を感じる。


 尖って細かった風は、角がとれて柔らかくなった。

 この谷を包む豊満な風が、彼らがここに暮らす理由だろう。


 驚いたのは、林にいる個体の方が多かったことだ。

 小さな命の気配もする。

 ヴェリッダは林で生活し、谷に食べ物を調達に行く選択をしたようだ。

 ここの林の環境は、子育てにも良さそうに感じる。

 彼らにとっての安らげる場所になったのなら、あの誘導も良かったと思えた。



 いつものように門でジグたちと少し会話し、干し果実を渡す。

 ジグはアプリナとプルムを3つずつ、ローランは乾燥豆を気に入ってくれたようで、5つ買ってくれた。新しいお得意様だ。

 満足そうに手を振る2人に見送られ街の中へ向かうと、人が集まる市場に熱を感じる。

 街の中は、人から感じる陽気ようきが強くなった。


 自然に流れるものと違い、人の陽気は少し重く感じる。

 霊素と気素が混じり合う場所には、その街独特の色がある。

 これだけの人がいて少し重い程度なのは、リシアに住む人たちの気持ち良さだ。


 

 治療院や患者の家をひと回りしたあと、いつもの街外れへ向かう。


 今日はフェンの足取りが軽い。

 嬉しさで耳が半分ほど立ってしまっている。

 外に出る楽しさを知った後の留守番は、フェンには退屈だったはずだ。

 機嫌が直ってくれて良かった。



 ユアンの家の前まで来ると、庭にはバルドが立っていた。

 こちらに気付くと軽く会釈をする。

 屈強な騎士という雰囲気の彼は、体格よりもひと回り大きく感じる。


 あまり魔素は感じないが、身体の強さが圧倒的だ。

 どっしりとした豊富な気素と、乱れのない巡りが、その強さを裏付けている。

 顔はとても……引き締まっているが、ルティナはこの人に安心感を持っていた。



「ルティナ、待っていたよ!」


 ぱっと光が弾けると、飛び降りる姿が光の糸を引く。

 2階の窓から飛び降りるユアンにはもう驚かない。

 

 美しい黄金色は乱れることなく、軽やかに身体の周りを舞っている。


 揺らぎなく一定に保たれた霊核の光は、神々しささえ感じる。 

 霊核の制御を覚え始めて、たったの半季だというのに。


「少し早く来過ぎてしまいました。早くお渡ししたくて、気が急いてしまったようです」


 ルティナの左耳の後ろには、静鈴が飾られている。


 細く編んだ朝焼け色の飾り紐は、髪よりも少し短く整えた。

 先端には水晶を留め具として添え、静鈴は位置を調整して通した。

 紐を髪に直接編みこんで、小さな静鈴は髪の中で揺れている。


「……とても美しいね、よく似合っている」


 伸ばしかけた手を止め、ユアンは目を細めてルティナを見る。


 その優しい表情に、少し狼狽えてしまう。

 ここのところ、ユアンがとても近くに感じるのだ。

 自分が陽に惹かれるというのを自覚したせいもあると思う。

 これは霊核の反応として正しい。

 慣れていくしかないのだ。


 不安定な気素が気になってあまり意識になかったが、そもそも、ユアンの容姿はとても秀麗なのだ。

 朗らかで人懐こい空気も相まって、彼はとても人の目を惹く存在だろう。

 更に霊核の後押しまで加わって、向かうところ敵なしの人たらしだ。


 この人となりは、精霊からの贈り物だ。


 ユアンこそ、精霊に愛された存在なのだ。



「久しぶりの糸仕事に、時を忘れて没頭してしまいました」


 視線を少しだけずらし、隣にいるフェンのたてがみを撫でる。

 フェンはルティナに顔を寄せ、頭を撫でるように動かす。

 紛れもなく、フェンはルティナの心の騎士だ。


「部屋で見せてもらってもいいか? 紹介したい人と……少し話したいことがある」


 ユアンはフェンをバルドに頼み、そのまま中へ入る。

 その背中が、ほんの少し沈んだように感じた。




 ユアンの部屋に通されると、そこにはレイランが待っていた。


 中央の長椅子で向かい合い、仕上がった飾り紐を手渡す。


「レイラン様のものは、首に当たる中央を太めに、そこから細く繋げました。長めに編みましたので、お好みの長さで調整いたします。太い部分を前に、首の後ろに囁木がくるように固定してあります。余った紐は巻いても結んでも良いと思います。留め具にした天然石は、西の国で火柘榴ひざくろと呼ばれる守り石です。真実、友愛、勝利を意味する石だそうです」


 レイランはゆっくりと手を伸ばし、感触を確かめる。

 彼の手に収まった囁木から、一瞬何かが湧き出した気がした。


「……素晴らしいです。とても馴染みます」


 レイランは見つめたまま動かない。何かが聞こえているのかもしれない。


「ユアン様のものは、とても細く編みましたので、呼笛を通した部分は2本を合わせてさらに編みました。端に添えた4粒の水晶には、陰を込めてあります。首飾りにする際は水晶が胸元あたりに来るようにすると良いかもしれません。あとは……時によっては右腕に、腕飾りとして巻いてもよろしいかと思います」


 ユアンに渡すと、呼笛と宵蔦はうっすらと光を持った。

 淡黄の光はユアンによく似合う。


「ありがとう。触れるだけでとても心地よい」


 手に持った水晶に触れ、ユアンはルティナの髪飾りに目をやる。


「水晶って、霊素に馴染みが良いの?」

「そうですね、水晶はとても澄んでいますので入りやすいです」

「ルティナの水晶は?」

「これはそのままです。太陽に当たるうちに入るかもしれませんね」


 ユアンはルティナの隣に移動し、髪に触れる。

 髪飾りの端、水晶を手に取り、手のひらに気素を集めた。


 その気素から感じる熱は、瞬く間に水晶に吸い込まれていく。

 透明だった水晶が、ユアンの気素で染まった。


「こういうこと?」


 思いついたからやってみた。というユアンの無垢な行動だ。

 気素の扱いも慣れたものだ。

 もう思い通りに動かせている。


「そうです、とてもお上手です。……ありがとうございます」


 ユアンの触れた水晶が、ほのかに温かく感じる。

 陽の熱は心地よいものだと実感する。


 レイランが目を伏せたまま、喉を鳴らした。


「ユアン様、呼んでもよろしいですか?」

「ああ、そうだな」


 ユアンは隣に座ったまま、動こうとしない。

 レイランは言葉にしなかったが、何か言いたげにユアンを見ている。


 自分が動いた方がいいだろうか……。

 でも、それはそれでおかしい。

 レイランから漏れている圧に気付かない訳もなく、ユアンは諦めたように元の位置に戻った。



 扉が開き入って来たのは、まだ知らない3人だった。


「紹介するよ、新しくここで働くことになった。左から、アンテ、ミラ、リドだ。リドはしばらく、リシアの副隊長と兼任になる」


 3人はそれぞれ礼を取った。

 ルティナは慌てて立ち上がり、同じく返す。


「アンテは、俺の幼い頃からの世話役だった人だ。そろそろ暇が欲しいと言うのに無理を言って、こっちに来てもらった。ミラはセラの妹、リドはバルドの甥にあたる」


 小柄で慎ましやかな印象のアンテは、白が混じった髪を後ろで丸めている。

 すっと伸び、適度に力の抜けた佇まいは、身を引くのは遠いと感じる。


 セラと同じく背の高いミラは、明るい栗色の髪を高い位置で束ねている。

 笑顔でこちらを見る表情は活発な印象だが、セラと同じような気配だ。

 姉妹なのが頷ける。


 リドはリシアでよく見かける人だった。

 たまに門で挨拶を交わすこともあるくらい、この街では馴染みの人だ。

 バルドの甥と聞いてもぴんと来ないほど、彼とは雰囲気が真逆だ。

 親しみやすく、常に笑って人と接するため、リシアでとても好かれている。


 ルティナが彼に視線を送ると、目だけで挨拶を返してくれた。


「ルティナ様にご挨拶させていただきます。アンテと申します。お目にかかれるのを楽しみにしておりました。半分は隠居の身ですので、緩く接して下さいませ。」


 アンテはルティナに微笑む。落ち着いた声は、秋の午後のようだ。


「ミラと申します。ルティナ様に色々と教えていただくのを、楽しみにしておりました。お時間があるときに、ぜひ調理場でご一緒したいです」


 はきはきと喋るミラは、セラを100倍社交的にしたようだ。

 セラと同じ色の瞳は、人懐こい猫のようにまんまるだ。


「ルティナ殿にこちらでご挨拶するとは思いませんでした。今後ともよろしくお願いいたします」


 軽く顎を引く敬礼は、見慣れているせいか安心する。

 


 ひとしきり挨拶を済ませると、レイランはアンテだけを残し2人を下がらせた。


「ここから先の話は、俺からの願いだ。無理なら断ってくれて構わない」


 ユアンの表情が硬くなる。

 先ほどの沈んだ空気はこの話か。


「俺たちは、一度王都へ戻ることになった。レイランとバルド、セラも一緒だ。その間ここに残ってもらうために、3人に来てもらったんだ」


 ユアンの身体は回復し、霊素の扱いももう問題ない。

 いつまでもここに滞在する必要はないだろう。

 むしろ、色々と心配をかけて引き延ばしてしまった。

 王都に帰るのは自然な流れだ。


「……そうですか。森のことでお時間を取らせてしまいました。感謝しております」


 ここにいる間、2人からはたくさんのものを貰った。

 感謝してもしきれない。これは心からの思いだ。


「……それは俺たちも同じだ。救われたのは俺の方だ。……ルティナ、これは単なる俺たちのわがままだ。……一度、王都に一緒に来て欲しい」


 切実な願いだと思った。

 ユアンの空気から、うっすらそういう話のような気はしていた。


 この土地を離れることは、ルティナも何度か想像してみたことだ。

 不安も完全に拭えたわけではない。

 何よりも……それを決断する理由がなかったのだ。


 何度考えても、心は動かなかった。

 ユアンやレイランと会えなくなるのは素直に寂しい。

 でも、自分の人生のすべてとも言える、父との時間が詰まったあの森を離れるのは、それなりの理由がないと難しいことだった。


「ユアン様、王都で何か……あったのですか?」


 ユアンは少し難しい顔をする。

 簡単には話せないことなのかもしれない。


「それはわたくしからお話させていただければと存じます」


 アンテが静かに進み出た。


「今、王都では身体の不調が出る者が増えているのです。わかりやすい症状であれば流行り病とも思えますが、そうではなく……季節の変わり目の体調不良が少し広く見られる、といった程度です。治癒師も医師も、特に何もする必要はなく、時間が経てば回復するという見解を出しております」


 季節の変わり目の体調不良は、それなりにあるものだ。

 特に、冬から春などの急激な変化であればそれが強く出ることもある。

 リシアでも今年は少し多かったが、今はもう回復している。


 この時期にまだそれが広く残っているのは、確かに気になることかもしれない。


「アンテ様、それは起き上がるのも難しいほどの不調でしょうか?」

「いえ、そのような酷いものではありません。少し怠い、身体が火照る程度の熱など、症状はとても軽いものだそうです」


 だとするなら、そこまで心配をする必要もないと思う。

 今年は霊素の揺らぎが強く出やすいのかもしれない。


「そのせいで、今年は黄養こうようの需要が高まっております」


 ――。

 鼓動が一度、強く打った。

 あの歪まされてすかすかな黄養が、鮮明に頭に浮かんだ。


 なるほど、だからか。

 胸の中に抑えつけた拒否感が蘇る。


「……その不調は、子供や老人に強く出ていませんか?」


 アンテは少し黙り、静かに続ける。


「おっしゃる通りです。症状が強く出やすいようですが、それでも寝込んだりする者はほんの僅か、しばらくすると戻ります」

「アンテ様のお身体はいかがですか? こちらに来て、身体が落ち着いたように感じますか?」

「……確かに、こちらに来てからは怠さも感じなくなりました」


 霊素の揺らぎが強く出て、身体が慣れるのに時間がかかったと考えると腑に落ちる。

 少し季節の進みが早いと感じることは、ここの生活でも度々あった。

 今の段階で落ち着いてきているのであれば、このままで問題はないと思う。


「そうですか。それなら問題ないと存じます。症状が出ている方はお辛いと思いますが、もうしばらく時が経てば身体も落ち着くと思います。水分を多めに取り、紅茶ではなく薬草茶などに変えていただくと早く改善するかと思います」


 ユアンはまだあの表情のままだ。

 これ以外にも、何かあるのだろうか。 


「実は……同じような症状が、王太子妃様にも出ておりまして……ウィラン様がルティナ様に相談しろと、言伝を申し付かって参りました」


 ユアンの義理の姉に当たる人だ。

 ウィランがわざわざ言伝として伝えるということは、それが深刻ということだ。


「ユアン様、王太子妃殿下はお身体の弱い方ですか?」

「いや、むしろとても健康的な人だ。兄上と比べても遜色ないほどだ」


 だとするなら……。


「アンテ様、王太子妃殿下は……身籠っておられますか?」


 アンテは、先ほどよりも大きく表情を変えた。


「お察しの通りです。……今、ちょうど二季を過ぎました」


 二季。

 もう安定する時期だ。

 症状が落ち着いていくのなら、母体にもお腹の子供にも健康面でさほど影響はでないだろう。

 でも……。


「……少し、急いだほうが良いかもしれません」

「危ないのか?!」


 ユアンとレイラン、アンテの強い視線が、束になってルティナに向く。


「いえ、もう安定する時期に入っていますし、このまま落ち着けば母体にも子供にも影響は出ないと思います。……ただ、確実なことではありません、可能性として聞いて下さい」


 安堵と不安が入り混じった空気が流れた。


「……お腹の子供は、魔素の適性を持てなくなるかもしれません」



 ――空間が歪んだ。

 下腹部あたりから広がるように、感じたことのない震えが走る。

 ユアンを包む黄金色が、大きく揺らぎ、乱れた。

 

 それは、ユアンの感情だった。


 体内の霊素が震え、身体が強張って上手く動かせない。

 凍り付くような彼の気配から、その苦しさが想像できた。


「ユアン様」


 レイランが小さく声をかけた。

 我に返ったユアンは、ルティナの様子を見て自分から漏れでたものに気付いたようだ。

 自分と重ねてしまったのかもしれない。


「すまない、ルティナ。……大丈夫か?」

「大丈夫です……申し訳ありません。言葉を……選べば良かったですね」


 声の震えを覚られないように、身体の中心に力を入れた。

 一気に冷えた指先を膝の上で握る。


 それをユアンが目の端で捉えたのが分かったが、何も言わなかった。



 ユアンは一層苦しそうに目を伏せる。

 きっと、このせいで断れなくさせたと思っている。

 その表情を見て、迷いは消えた。

 この願いがわがままであるはずがない。


 大切な人を守りたいだけだ。



 ルティナの心は、決まった。


「ユアン様、わたしを王都へお連れ下さい」





      翠の季 ―(つい)



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