翠の季-23.贈り物
タヤの森から聞こえる葉擦れの音が、彼らを見送る。
彼らが吸い込まれた木には木漏れ日が降り、風に揺れるたび煌めく。
そこが大森林への入口であるかのようで、その奥を想像せずにはいられない。
無限かに思える深い森の奥には、何があるのだろう。
“クヴィティア”というどこか聞き慣れない響きが、やけに耳に残った。
きっといつかそこに向かう日が来ると、自分の中の何かが告げた。
それが、まだしばらく先であることも。
「1000年って……どんな時間なんだろうな」
同じ場所を見つめながら、ユアンは何を思っているのか。
人の身では想像するのも難しい、途方もない時間だ。
100年も生きない人とは、時の流れが違う。
ずっと森と共に世界を見守っている彼らに、自分たちはどう映ったのだろう。
手の中にある静鈴から伝わる彼らの思いを、ルティナは信じようと思った。
「ずっとわたしたちの行動を、見守っていたようでした。彼らはここ一帯のすべての森を、静かに見続けてきたのでしょうね」
ドリアードにとって、森は家であり、大切な家族だ。
タオから人へ向けられた感情はとても希薄で、怒りも恐怖もない。
ただこの森を憂い、静かな時間を願うだけだった。
彼らにある時間の中では、人は通り過ぎていくだけの存在。
それが、人の尊さであり、儚さだ。
「大変な贈り物をいただいてしまいました……」
レイランも手の中にある囁木を、大切に握っている。
「お返しできる何かを考えたいです」
「そうだな、邪魔にならないようなものをゆっくり考えよう」
頼まれた土の採取をして家に戻ると、すっかりお昼を過ぎてしまっていた。
ユアンは霊素を使っていたし、レイランはあれだけの魔法を使ったのだ。
かなり消耗している。
お腹も空いているし、遅めの昼食を振舞いたいところだが……
帰ってゆっくり休む方が良い気もする。
頭の中でぐるぐると考えていると、ユアンの顔がにゅっと現れた。
「ルティナ、どうかした?」
現れたのが目の前過ぎて、思わず一歩下がり目を背ける。
ユアンの距離感が近すぎるというのは、相変わらず変わらないらしい。
「いえ、い、頂いた鈴をどうやって身に着けようか、考えていました」
思っていなかった言葉が口から飛び出したが、なかなか良いごまかしだ。
2人は手に持っていた贈り物に、それぞれ目を向ける。
「俺は首に掛けておくかな」
「わたしもそうしたいですが……わたしの動き方だと少し不安ですね……」
「レイランは跳ぶもんなぁ」
跳ぶ……確かに、レイランはユアンよりも身軽そうだ。
ルティナは2人が戦っているところを見たことがない。
なんとなくレイランは、セラと同じくネコ科……豹が思い浮かぶ。
「でしたら、首にある程度固定できるようにして、囁木を後ろに回すのはいかがですか? 首の後ろには気素の巡りでも大きな道があります。感覚にも届きやすいかもしれません」
「なるほど、それなら魔法の邪魔にもならないです」
「紐はできれば森のもので編みたいですね。木で作られたものなので、馴染みも良さそうに感じます」
2人から、とても強い視線を感じる。
「ルティナは自分のをどうするんだ?」
ユアンは、興味と期待が入り混じった目をしている。
なんとなく、言いたいことは分かった。
「わたしは髪飾りにして、耳の後ろ辺りに置こうかと。髪に隠れるくらいの大きさですし」
「……あの、さ」
「それほど手間も変わりませんし、まとめて一緒に作りましょうか?」
2人は申し訳なさそうにしながらも、ルティナに手渡してきた。
手の中に3つが揃うと、それには一体感を感じる。
同じ木から作られたのかもしれない。
森の古い木。
彼らがそう呼ぶなら、少なくとも数百年以上を共に過ごした木なのだろう。
この2つとない贈り物には、積み重ねた時間と彼らから敬意が詰まっている。
大切にしたい出会いだ。
「この後はどうされますか? 食べ損ねた昼食を作ろうと思うのですが……」
さっきよりも更に、2人の顔はわかりやすく弾んだ。
それを見ると、もう変な気を遣うのはやめようと思える。
さて、今日は何を作ろうか。
誰かのために、ゆっくりと火床に立つのは久しぶりだ。
最近は自分の食べる分だけだったので、作る量も品数も少なかった。
食べてくれる人がいると、自然と気持ちが入る。
頭の中で作る順序を整理しながら、白根をすりおろす。
前菜はルティナも好きな、白根おろしにする。
おろしの中に、塩で揉んだ角切りの白根を混ぜ込む。
味付けはシンプルに塩だけで。
レモリアの皮を刻んだものを香りづけに乗せる。
合わせる食前酒は、父の酒棚からドレーズを選ぶ。
グラスに少量注ぐと、深い森の香りが鼻の奥まで抜ける。
味の主張がなく、香りを楽しむお酒だ。
白根おろしと共に、五感をすっきりさせる。
泡水と清水を半々で割って、程よい喉越しにしよう。
集い間には、2人がすでに座っている。
これは……、相当お腹が空いているようだ。
あまり時間のかからないものの方が良さそうだ。
今日は1人分を1皿に盛り付けることにする。
丸ねぎを薄く切って炒め、あっさりとしたスープに。
若鳥のモモ肉にハーブ塩を揉み込んで下味を付け、皮目からこんがり焼き上げる。
丸芋を茹でて潰し、塩油と少量のミルクを加えてきめ細かくしっとりと混ぜ、ちぎった葉物野菜を器の代わりにして盛り付ける。
隣には口直しのピクルスを。
そろそろ春野菜も終わりの時期だ。最後に春の味を楽しんでもらいたい。
モモ肉をひっくり返し、弱火で火を通していく。
パンも焼こうかと思ったが、そこまで待たせるのはかわいそうだ。
先日まとめて焼いた丸パンを温めることにする。
食の間の卓に飲み物とスープ、パンを運び、2人に声をかける。
いつになく足音が速い。
伝わって来る空腹感に、思わず笑いが出てしまう。
最後に若鳥を食べやすくカットすると、溢れる肉汁と香ばしい香りがたまらない。
皿の中央に乗せると、それなりのボリューム感がある。
レモリアを半分にカットして、皿の端に乗せておく。
2人の前に出すと、それはもう素晴らしい表情だ。
自分の分は鳥肉をほぐしてサラダ風にする。
葉物野菜と共に塩油で和えると、さっぱり食べられる。
席に着く頃には、2人の皿はそこそこ減っていた。
作り手としては、嬉しい光景だ。
「ルティナ様の料理が久しぶり過ぎて……ゆっくり味わいたいのに手が止まりません」
目を閉じたまま浸るのは、さすがに大げさだ。
レイランは食べるのが本当に好きだな、と、しみじみ思う。
「ユアン様とは簡単な昼食をご一緒していましたが、レイラン様はここ最近ありませんでしたね。いつも美味しそうに食べていただけるので、作り甲斐があります」
「本当に美味しいのです。自分でも驚いていますが、野菜が好きなことに気付きました。身体が軽くなるというか、動きやすいのです」
若い騎士というと、どうしても食べ応えがある方が好きそうに思う。
実際、ルティナ自身も肉類を食べると、次の日は重さを感じる。
だからと言ってまったく食べないと、頑張りが効かない。
これもバランスだ。
「そのとき自分が美味しいと感じるものを、身体が欲しがっているということでしょうか……最近あまり野菜を食べていなかったとか……」
野菜の方が手軽に食べにくいというのはあるのかもしれない。
簡単に済ませようと思うと、どうしてもパンや肉の方が食べやすいものだ。
「セラが管理してくれているので、野菜も食べている方だと思うのですが」
「だとすると、陰陽の方のバランスがあるのかもしれませんね。レイラン様は中庸が心地よいと感じるのであれば、体内の陰陽が偏ることに敏感なのかもしれません」
食べ物だけでそれを管理しようとすると、とても大変だ。
セラに食物の陰陽を全て覚えてもらうというのも……なかなか難しい。
「身体も難しいものですね……」
レイランは最後のひと口を口に運び、名残惜しそうに飲み込んだ。
「俺はルティナにもらったお茶を飲むようになって、過ごしやすくなったよ」
ユアンはもう食べきっている。
目の前の皿は2つともきれいだ。気持ちの良い食べっぷりだ。
「ユアン様やわたしは陰陽がはっきりしているので、調整もしやすいのですが……何か方法があるか考えておきますね」
レイランは遠慮していたが、これも薬草師としては面白い研究だ。
大多数の人は中庸が心地よいはずなのだ。
これを季節の巡りに合わせて調整できるなら、不調が出にくくなるかもしれない。
食事の片づけを済ませると、後茶はレイランが淹れてくれた。
器用さはさすがのもので、もう何も言う必要がない。
茶葉だけは一緒に選んだが、お茶の淹れ方は完璧に近かった。
お腹が満たされた後のお茶の時間は、午後の気怠さの中でゆったりと流れる。
ここまで落ち着けているのはいつ以来だろう。
こういう時間は、何にも代えがたい癒しだ。
集い間にいる2人の元へ、作業場から紐や糸を集めて持っていく。
柔らかい繊維のもの、少し硬めで形が崩れにくいもの、染められるもの。
父が洋服や掛物を作るときのために、たくさん作り置いてあったものだ。
「この中から何か気に入るものがあれば、明日には仕上がります。なければ、植物から糸を紡ぐこともできますが、少し時間がかかります。色付きのものは染めてあるものなので、別の色に変えることもできますよ」
卓の上に並べてみると、かなりの種類になった。
3年ほどかけて、父はいつの間にか棚一杯の糸を作っていた。
入りきらなくなって、棚までも新しく作ったくらいだ。
好きになるととことんやり続ける。アマヒトは凝り性なのだ。
「すごいな……」
「……できることなら、一度お会いしてみたかった……」
心の中で苦笑いをする。
この半分は自分が作ったものだというのは、2人には言わないでおく。
「ぜひ手に取ってみてください。植物は思うよりもずっと主張があります。魔獣との相性があるのと同じで、しっくりくるものがあると思います」
ずらっと広げた色とりどりの束から、ルティナも自分用の糸を選ぶ。
ふと目に留まったのは、父が紡いで染め上げた露葛の糸束だ。
使うほどに馴染み、柔らかく自然な艶が出る。
元は生成りだが、これは朝焼けのような淡い紫に染めてある。
この色を出すのに、父は何度も染め直していた。
何に使うつもりだったのだろう。
手に持つと、それは思った以上に柔らかい。
丁寧に削られ、しっとりとした肌触りの静鈴と合わせると、その静けさと質感もよく合っている。
細めに編んで、髪に編み込んでも良いかもしれない。
父に感謝し、この露葛の糸に決めた。
「……これは、どうでしょうか」
レイランが持っていたのは、コルダという木の樹皮から作る硬めの紐だ。
使い始めは硬いが、使い続けるほどに強度が増し、馴染んでくる。
水にも強く、色も深い焦げ茶になる。
これを選ぶのがレイランらしい。
「とても……良いと思います。馴染むまで少し硬いですが、使うほどに味が出てきます。この素材になるコルダは、森の砦とも呼ばれる木です」
「森の砦、ですか」
「崖際で良く育ち、硬い土にも深く根を張ります。風や雨を受け止め、落雷を受けても倒れないと言われています。堅く、強く、常に森を守る存在です」
レイランはもう一度それを強く握り、コルダに決めたようだ。
「俺はこれがいい」
ユアンが持っていたのは、宵蔦から紡ぐ極細の糸だ。
しっかりと編んでも風に揺れるほど軽く、舞の衣装などにも使われる。
月光で育つ珍しい植物で、夜になると淡く光る。
これはルティナが紡いだ糸だった。
もともと陰の強い植物だが、さらにそれが強まっているのかもしれない。
ユアンには良い選択だろう。
幾重にも巻いて、風に揺らしても美しいだろう。
「お似合いになると思います。これは月光で育つ珍しい植物で、夜になると淡黄に光ります。とても軽く、肌に同化するほど柔らかく仕上がります。動きに馴染んで揺れるのは、見惚れるほど綺麗です」
ユアンは小さく頷いた。
「では……そうですね、明後日には仕上がると思います。久しぶりの手仕事なので、とても嬉しいです。大切に編ませていただきます」
預かった贈り物に、どんな飾り編みが似合うだろう。
考えるだけでうずうずしてしまう。
ユアンたちを送った後、ルティナは3つの贈り物を眺めていた。
エルゼド大森林の奥。
ルティナはうっすらと予感がしていた。
父の故郷、アマヒトが暮らす場所があるのではないか。
遠く東の地。
父はそれだけしか語らなかった。
自分がなぜ陰の霊核を持つのか、その理由だけは教えてくれた。
だが、それ以上のことはどうしても聞けなかった。
聞けば話してくれたかもしれない。
でも、聞いたとしても何も変わらないような気がした。
そう思えるくらいの年になってから聞かされた話だった。
必要がなければ、道は開かれない。
この言葉がとても腑に落ちた。
自分にとって、というよりも、ユアンにとって意味のある場所なのかもしれない。
だからタヤ様は、呼笛をユアンに渡した。
それなら。
この鈴の音が響く場所が、自分にとっての、往くべき場所かもしれない。
ルティナはこの森を離れる自分を想像する。
この家、この場所、この森は、今までの人生のすべてと言ってもいい。
自分がそれを望んでいるのか。
ルティナにはまだ分からなかった。




