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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
翠の季 春 ―森の合唱―
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翠の季-22.森と生きる

 目の前で、今にも消えそうな小さな命が、息を吹き返した。


 レイランには、それを見ることはできない。


 ユアンが手をニオに近付けると、何か温かいものがその子を包んだ。



 抱きあげた瞬間。

 冷え切った身体からは、以前の魔素の気配を感じなかった。

 生きているのが不思議なくらい、ニオを軽く感じた。


 胃の奥が潰れていく。

 肺に空気が入ってこない。

 自分の無力さを、嘆いているのか、怒っているのか。


 目の前、腕の中にいるはずのニオが、途方もなく遠い存在のように思えた。



 その温かい何かが、ニオを遠くから引き戻してくれた。

 自分の首に抱き付くニオの、柔らかい青葉の匂いが鼻に届く。

 伝わってくる素直な“ありがと”に、胸がえぐられるようだ。


 受け取れない感謝とは、これほど苦しいものか。


 自分の気持ちを落ち着けるように、ニオを抱きしめる。


「れいらん?」


 ニオの視線は、この胸の内側に湧き出た黒いものを見ているのだろう。


「ニオ、良かった……」


 必死に振り絞った声は、思った以上に小さかった。

 ニオの小さな手が、レイランの襟元を握る。


「れいらん、あっち」


 ニオの指先が、森の更に奥を指差している。

 ルティナとユアンも、その先に目をやった。


 空を見上げると、少し先の上空でリュートがまた旋回している。


「行きましょう」


 レイランは自分の足が土を踏む感触を確かめるように、示された方へ向かった。




 少し歩くと、そこは木の隙間にある小さな空間だった。

 特に何もない。

 魔素がやけに薄いような気がする。


「これは……、なんでこんな……」


 ルティナが半歩前に進む。

 ユアンも同じ場所を見ているようだ。


「……わたしには見えないものが、あるということでしょうか?」


 レイランは2人が見ている場所に目を向ける。

 やはり、何もない。

 自分には見えず、感じることもないのだ。


 自分の中に、また嫌なものが湧いてくる予感がした。

 必死にそれを抑えようと、自分の奥に集中する。



「れいらん、みえるよ」


 ニオが不思議そうにレイランを見つめている。


「まそが、ない。を、みて」


 ない、を見る。

 

 その言葉の意味を、頭が理解するまで少し時間がかかった。

 霊素と魔素は、互いを補完する。

 以前ルティナが言っていたことを思い出した。


 レイランは、以前よりは魔素を感じられるようになった。

 それでも、漂う魔素が見えたことは一度もない。


「ニオ、わたしは霊素も魔素もみえないんだ」

「れいそ、ニオも、みえないよ?」

「そうなのか?」


 小さく頷く。


「でも、まそ、みえる。れいらん、みえてるよ?」


 レイランはその場所に目を向けた。

 確かに、薄いのは感じる。

 それが見えているということなのか。


 ニオの目はずっと閉じたままだ。


「そこ、ひろく。からだと、おなじに、かんじて」



 自然に目を閉じて、感覚を研いでいく。

 五感の集約、そしてそれを視覚に置き換える。


 なんとなく感覚で理解はできるが、それを意識的にやろうとしたことはなかった。

 どこか、そう感じる場合があるという偶然だと捉えていた。


 分かる。

 魔素が段階を踏んで薄くなっている。

 そして、何も感じない場所が小さい範囲で存在する。


 目を開く。

 そこには、今までとは違う景色があった。


 銀鼠に淡く光る粒が、視界の中に確かにあった。

 そして、それが不自然にない場所も。


「ない、みえた。ね?」

「ああ、見えた」


 魔素とは、こんなに美しいのか。


「れいらんの、まそ、きれい。もりと、おなじ。だから、みえる」


 ニオはふわっと笑い、襟を強く握りしめる。

 溢れたものは、ニオの小さな手の甲に、雫となって落ちた。




「ニオはずっとここにいたのか?」


ユアンがレイラン肩越しに、ニオを覗き込む。


「ここ、した、みち、つながってる。れいそ、わいた」


ニオが指差したのは、魔法が使われた方角だった。


地下を巡るように走るみちがあるというのは知っている。

魔獣はそれを感じて、季節によって移動するという話もある。


「巡りは地上だけの話ではないのです。地下、上空、海の中にも、そういう巡りは存在します。あのときわたしが気付くべきでした」


 ルティナはその霊素を見つめたままだ。


「あの場所は、魔素が大量に消費されていたはずです。本来であれば、そこに霊素が流れ込むはずなのに……あの場所はあのとき、霊素がとても薄くなっていました」

「ああ、俺もそれを感じた」

「おそらく、下に広げた魔法が、地下の巡りに触れていたのだと思います。そこから霊素が流れ込み、流れに乗ってここに湧き出した……ということだと思います」


 魔素が薄くなって霊素が流れ込む。

 その霊素が湧き出してここに溜まり、魔素が外側に追いやられている。


 魔素と霊素の関係は、考えるほどシンプルだ。

 それがこの世界のどこででも、常に起きているということだ。


「範囲は狭いですが、かなり濃い陰の溜まりです。もともとこの森が陰が強く、中和が難しかったのだと思います。時間が経っているせいで、縁が淀み始めています……このままだとこの溜まり全体が壊素となり、いずれ反転します」

「反転……するとどうなる?」

「反転は、どちらかが極まったときに起こる現象ですが、壊素の反転は極から極への反転。その際に大きな爆発のような力が生まれます。壊素が一気にこの森に広がってしまう。壊素は……ある意味、世界の異物、毒のようなものです。広がるとその場所は変わります。どう変わるかは分かりません」


 ニオの魔素は乱れることなく、落ち着いている。

 ニオはこれを知っているのだろう。


「俺があれをなんとかできないかな?」

「おそらく、今のユアン様なら可能だと思います……」


 ルティナは迷っているように見える。

 今の森のためにはやった方がいいのだろう。

 でも、それが、これからずっと続くこの森にとって本当に良いことなのか。


 ルティナの迷いは、レイランにも伝わってくる。

 ヴェリッダのときでさえ、ルティナはとても迷っているようだった。


 ユアンはレイランの前に立って、ニオの高さに合わせて屈んだ。


「ニオ、あれをなくして、もとの状態に戻してもいいかな?」


 ニオはユアンをまっすぐに見て、首を振った。


「ここ、あそこ、もう、しんでる」


 ニオの小さい指が差した先は、土と草が変色し、木の根本まで広がっている。


「れいそ、とても、つよい。すごい。でも、つち、みんなは、もどらない」


 レイランの腕から消えたニオは、ユアンの側の木から現れる。

 ユアンのマントを掴み、ルティナを見て、ニオはふわっと笑った。


「るてぃな、ゆあん、きもち、うれしい。でも、もりのちから、しんじて」


 そのまま振り返り、レイランの足元に戻って来る。


「れいらん、ひ、ある?」


 膝のあたりからレイランを見上げるニオの視線は、とても強かった。


「ここ、やいて、ほしい」

「……え?」

「やけば、みんな、つちにかえる。みんなが、つち、げんきにする」

「でも……」

「へーき。ひが、れいそ、とばす」

「森に火が広がってしまうかもしれない」

「へーき。ニオ、つち、つかう。とめる」


 へーき。

 この言葉は、ニオの理解による絶対的な真実だ。


 レイランが2人に目を向けると、2人は頷いた。


「ニオの言うことは最もだと思います。霊素の溜まり消したとしても、土や木が元に戻ることは難しいかもしれません。戻るとしても相当な時間がかかります。だったら、新たに作り変えてしまう方がずっと早い。ニオがそう思うなら、きっとそれがこの森にとって一番だと思います」

「俺もそう思う」


 抱き上げられたまま、ニオは嬉しそうに2人を見る。


「もり、つよいよ。ありがと」


 この中の誰よりも、ニオは強いと思った。

 自分ができる自然の方法で、この森を守ろうとしている。



 身が引き締まる思いだった。

 自分がこれほど、森を、この場所を守りたいと思う日が来るとは思わなかった。


「ニオ、範囲を教えてくれるか?」


 ニオがレイランの手に触れると、目の前の色が変わった。

 

 これが、ニオの見えている世界なのだ。

 はっきりと分かるほど区切られている。

 これが生と死の境だ。


「ニオ、少しでもだめな木は焼いた方がいいか?」

「ねが、だめなのは、やく」

「分かった」



 呼吸を整えて、集中する。

 見える限り、かなり広範囲だ。

 しかも灰まで焼くとなると、火の力も強くする必要がある。

 ここまでの魔法は久しぶりだ。


 なぜか、少し昂っている自分を感じる。

 

 周りに影響が出ないように、焼き残しもないように。


 腕の陣を二重に。

 火を起こす陣と、増幅する陣を別に描いた。



 リュートを呼ぶ指笛が聞こえた。

 この上の空にいるのはあまりにもかわいそうだ。

 


 陣が組み上がると、応えるように魔素が集まって来る。

 とても素直だ。

 森の魔素が手伝ってくれるように感じるのは、傲慢だろうか。


 レイランは魔素が何もないその場所に向かって、火を放つ。

 地面を這うように、火は外へと広がっていく。


 ニオの視界、暗い場所を塗りつぶすように、火で埋めていく。


 火の粉が舞う。燃え上がる火は、身体を焦がしそうに熱い。

 灰色の煙は、吸い上げられるように空へと昇る。



「くろ、だめ。はい、やいて」

「炭じゃだめってことだな?」



 ニオを自分の背中に移動させて、更に火をくべる。

 火の色は赤から青へと変わり、 その一帯を一気に灰にする。

 

 木が焼ける匂いが、鼻にこびりつく。

 腕で口を抑えながら、なんとか呼吸をする。


 ニオは大丈夫だろうか。

 火は燃え広がっていないか。


 頭を過る考えを消し、集中する。

 ニオが止めてくれるはずだ。



 自分の中の魔素が空になる頃、森を焼いた火は完全に消えた。


 もくもくと上がる煙に、土が自ら覆いかぶさっていく。

 ニオの魔法は、まるで森が勝手に動いているように見える。


 ニオの見せてくれた範囲は、綺麗に焼けているだろうか。


「お疲れ、相変わらず……すごい火だ」


 呆れるような顔で隣に立つユアンは、どこか満足そうにしている。

 この人はきっと、心の中をずっと感じていただろう。

 そう思うと、少し恥ずかしさがあった。


「ニオ、ちゃんと焼けてるか?」

「へーき。れいらん、すごい。ニオ、なにも、してない」

「え?」

「れいらんの、ひ、じぶんで、よけてた、よ?」


 魔素が、そう動いた……ということだろうか。

 かなり気を付けてはいたが、完全に制御できていたとは思えない。


「まそ、こころ、わかる」


 魔素とは、自然界の力の根源。意思を映す鏡で、形作るもの。

 ウィランとルティナが言った言葉が、ようやく自分に落ちた。


「ははっ、魔素ってすごいな」


 ニオはふわっと笑い、背中からよじ登り肩に座った。

 きゃっきゃとはしゃぐニオと呼応して、森も少し沸き立っている。


「レイラン様の火、初めて見ました。とても澄んだ火でした」


 とても嬉しそうに微笑んでいる。

 ルティナもきっと、ただ静かに見守っていてくれたのだと感じる。


「れいらん、まそ、きれい!」


 肩に感じる重みは、さっきよりもしっかりとした感触だ。



 ニオを乗せたまま火の中心だった場所へ向かう。

 まだそこに魔素は感じない。


 霊素の溜まりは、この場所に残っているのだ。


「この程度であれば、自然と散ると思います。もう淀みも感じません」

「ニオは本当にすごいな。レイランの先生みたいだったもんな」

「……確かに。ニオ、ありがとう。ニオのお陰だ」


 ニオはずっと笑っている。

 その笑い声は、森が笑っているように身体に染みる。


 いつの間にか煙もすべて消え、そこは何もない森の空き地になった。

 


「タオ!」


 肩から重みがふっと消え、ニオは奥の木から現れる。


 木の横には2人、男性のドリアードが立っていた。

 1人は青年、1人は老年だ。


 まったく気配を感じなかった。


 タオと呼ばれた青年たちは、言葉を交わさずにニオと対話しているように見える。



 レイランは、ユアンとルティナの後ろへと控えた。

 


 ニオに手を引かれて、タオと老年のドリアードはゆっくりと歩いてくる。

 森が静まり、2人の声を聴こうとしているようだ。


「タオ、タヤさま」


 ニオが2人と繋いだ手を交互に上げて、紹介してくれる。

 それはやはり、破壊的に可愛い。


「ニオがお世話になりました、タオと申します」


 タオは目を伏せてお辞儀をする。

 その雰囲気は、深く根差した大木のようで、積み重なった時の流れを感じる。


「森とニオを守って下さったことに、心から感謝申し上げる。レイラン殿、ユアン殿、そしてルティナ殿。……タヤと申します」


 静かで、そして厚みのある森の声のようだ。


「勝手を致しました。そう言っていただけると救われた思いです」


 ユアンは深く礼を返し、レイランとルティナもそれに続く。


「あれは我らにはどうにもできぬものです。離れるしかないかと思っていたのですが、ニオがどうしてもと嫌がりました。あなた方を待っていたのかもしれません」


 タヤはニオに視線を落とし、少し微笑んだように見える。

 ニオは2人の手にぶら下がってはしゃいでいる。


「強い火の気配を感じ、こちらに参りました。あれほどに強い火を、あれだけ静かに扱える人がいるものかと目を疑いましたが……あなたを前にして理解しました。ニオが信頼したのも分かる。レイラン殿は、調った美しい魔素をお持ちです」


 タオの目も、閉じられている。

 その言葉に何か返そうとしても、上手く言葉にならなかった。

 口を開く必要がないように感じたのかもしれない。


「ルティナ殿は毎日ここに来てくださっていた。ユアン殿はニオを温めてくれた。レイラン殿は森を救ってくれた。この恩に、我らから深い感謝と敬意を持って、こちらをお渡しいたします」


 タヤが差し出したのは、木で作られた小さな笛のように見える。


「これは我らの呼び笛。必要なときが来たら、これを森の中で吹いて下され。この森、大森林の中であればご案内できるでしょう。あなた方は不思議なものをお持ちだ。迷う日が来たら、この森の奥を目指すと良い。クヴィティアは、あなた方なら迎え入れるかもしれない」

「タヤ殿には、何かわかるのですか?」


 ユアンの声が少し強くなる。

 

「いえ、我らには何も分かりません。長く生きていると、感じることはできるようになるようで。必要がなければ、道は開かれない。そのまま忘れて構いません。必要なときに、記憶はあなた方に応えるでしょう」


 笛をひとしきり見つめ、ユアンは胸に手を当てた。


「ルティナ殿、コーレン殿は残念なことでした。我らは彼を尊敬している。あなたにも、コーレン殿と同じ心を感じる。迷ったら、この森へおいでなさい。森はあなたを迎え入れる」

「父を、ご存じなのですか?」

「彼は何度も、この付近の森、大森林さえも救ってくれた。誰よりも森を識り、誰よりも森に寄り添い、誰よりも森の声を聴いてくれた。彼の守っていたあなたにお会いできて、とても嬉しく思っている。あなたにはこれを」


 タヤは小さな鈴のようなものを出した。


「これは静鈴という。この森では響かない。これが響く場所に行くことがあったら、鳴らしてみると良い。そこに住まう我らの同志が、あなたの望む場所に連れて行くだろう」

「ありがとう……ございます」


 タヤは静かに進み、レイランの前で止まった。


「レイラン殿、あなたは稀有な澄んだ魔素を持っている。千年生きているが、あまり記憶にない純粋な魔素だ。あなたの意思がもしそこにあるなら、魔素は応えるだろう。これは我らの信頼の証。あなたなら、木々のささやきが届くかもしれません」


 タヤの手の中にあったのは、中央に穴が掘られた木の欠片のようだ。


「森の古い木から作ったものだ。届く者には森と呼応するように感じる。身につけておくと役立つかもしれません」


 ニオが足元に来て、ふわっと笑った。

 レイランには、ニオの意思がそのまま伝わってきた。


「大切に致します」


 タヤは振り返り、そのまま歩いて行く。


「我らはあまり人と関わらない。ですが、あなた方には出過ぎた真似を致しました。いつでもまた森にお越しください。ニオも喜びます。……ですが、できれば我らに静かな暮らしを……」


 タオは言いにくそうに目を伏せる。


「お約束します」

「ニオ、また会いに来るよ」

「タヤ様、父の話を聞きに参ります」



 3人は静かに笑ったように見えた。


 森が沸くのと同時に、3人は木の中へと消えた。



お読みいただきありがとうございます。

今日はもう一話上がります。


noteに、このエピソードにまつわる物語が置いてあります。

短編 EP.タオ

ぜひ、そちらも合わせてお楽しみください。

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