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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
翠の季 春 ―森の合唱―
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翠の季-21.響律

 毎朝タヤの森に通うようになってから、この森の雰囲気にも慣れてきた。


 エンの森とは違う、どこか淡々とした森だ。

 もちろん、まったく悪い意味ではない。


 同じ色、同じ音、同じリズムで、ひたすら紡ぐように。

 すべての起点がゼロで、そこに必ず戻りながら巡り続ける。


 規則正しく、ちょうどよい場所。

 中庸とは、どこまでも安心なのだと体感で理解する。



 タヤの森では、エンの森とは育ち方の違う薬草や果物をたくさん見つけた。

 森の小さな動物たちも、違う種類が多い。

 魔獣が少ないのは、この森が安定しているからだろうか。



 翠の季も終わりが見えてきた。

 蒼の季まで残り二巡ほどになり、季の移り変わりに向けて霊素が動き始める。

 冬から春への動きよりも穏やかなはずなのに、なぜか少し不安がある。

 このざわつきが気のせいであって欲しいと、今は願う。



 タヤの森から帰ってしばらくすると、2人がやって来た。

 そろそろ訓練も終わっていい頃だと思うが、ユアンはまだ不安だと言う。


 ユアンは、森のことを心配して残ろうとしているのだ。

 あの件の結果が出るまでは、ここにいてくれるつもりかもしれない。



「今日もタヤの森に行ってきた?」


 アウリスの鞍を外しながら、ユアンが振り返る。


「はい、先ほど帰ってきました。特に変わりなく安定していますが……」

「ニオには会いませんでしたか?」


 レイランはあれから、ニオをとても気にかけている。

 ルティナ自身も気にしているが、あれ以来会えたことはない。


「あれから一度も会いませんね。もっと森の深い方へ戻ったのかもしれません」

「それなら良いのですが……」

 


 3人で家に入ろうとすると、くつろいでいたフェンが、突然飛び起きた。

 耳を立てて、何かの気配を追っている。

 アウリスとリズは、あまり気にしていないようだ。


 それは、こちらに向かってすごい速度で近付いて来た。

 空の高いところから、突き抜けるような鳴き声が森の上を抜ける。


 空から翼を広げて降りてくるそれは、逆光でまったく姿がわからない。

 速度を緩めた翼は、羽ばたきながらユアンの腕に降りた。


「リュート!?」


 ユアンとレイランは驚きつつも、顔は笑っている。


 リュートと呼ばれた鳥は、白群びゃくぐんの羽色に黒い嘴を持つ、中型の魔鳥のようだ。

 体長は50センチほどありそうだが、鋭さはあまり感じない。


 足には小さな筒が付けられており、ユアンがそれを外す。

 リュートは静かに羽ばたき、アウリスの近くの柵に留まった。


 ルティナはあまり魔鳥に詳しくないが、見惚れるほど美しい。


「さすが兄上だ……リュートを飛ばすとは思わなかった」

「間違いなく、連絡用としては最速ですね」


 レイランも、笑うしかないと言った顔だ。


「あいつはグライフェルという種で、国で飼育している緊急連絡用の魔鳥なんだ。王都からここまでなら1日かからずに飛ぶ。リュートは兄上専用で、とにかく速い……」


 グライフェル。

 まったく聞いたことがない種類だ。

 王都から1日もかからないということは、ほぼ休まずに飛び続けられるのだろう。

 あまり羽ばたかず、風に乗るのだろうか。


 ユアンは手紙を読むと、それをレイランに渡した。


「兄上がルティナによろしくってさ。感謝しているって」


 どういう手紙を書いたのだろうか……。

 王太子殿下に感謝されるようなことは、何ひとつないと思いたいが。


「ニオの魔法陣を写したものも後追いで送ったのですが、それも届いたようです。ウィラン様が規制する法を整えると言っておられるので、今後は罪を問えるようになると思います。ただ、今回の件の証拠だけでは、捕らえるのが難しいと……」


 それはそうだと思う。

 すべてが曖昧で、まだ森以外では実害も出ていないだろう。


 ちゃんとした規制ができるようになるなら、それだけでも抑止にはなるはずだ。

 大きな前進であることは間違いない。


 あれを見てから、気を抜くとすぐに嫌な想像が浮かんでいた。

 思い出したくなくても、あのとき感じたどろりとした感触が戻ってくる。

 何もできないと思っていたが、森のこれからが守られるかもしれない。

 ルティナにはそれが、何よりも嬉しいことだ。

 


「充分です。今までわたしは、ただ見ていることしかできませんでした。それを考えれば大きな変化です。心から感謝申し上げます」



 ルティナは2人に、そしてその手紙の先にいる人たちへ。

 アマヒトの礼、感謝と尊敬の心を届ける礼をとる。

  

 両手を胸の前に重ね、目を閉じ、顎を引く。

 右足を左足のかかとへ付け、ゆっくりと膝を折る。


 霊核が応えるように、緩く波打つ。


「いや……」


 それを習ったとき、祈りの姿勢だと思った。

 深い感謝とは、祈りのようなものかもしれない。


 ため息のようにこぼれた声が、耳に残る。

 ルティナは再び立ち、2人を見る。


「わたしも、これをしたのは初めてです」


 少し照れくさいのはなぜだろう。



 なぜ、今なのかは自分でもわからない。

 ただこのとき、自分の心に落ちたというだけだ。


 自分はアマヒトなのか。


 それがずっと、どこかに引っかかっていたのかもしれない。

 おそらく、陰の霊核を持つ精霊族はひとりだけだ。


 この世界に、同じ人はひとりとしていない。

 ただの自分だ。

 それは皆同じなんだと、思えるようになった。


 アマヒトから生まれ、育てられた。

 陰の霊核を持つ精霊族――月の民・月露ルオ


 それが、ルティナだ。



 自分をそうだと認めるだけで、この世界に立っているという実感が強まった。




「リュートをしばらく連絡用に使うつもりらしい……けど、今報告したいことは特にない……よな?」


 ユアンがリュートに木の実を差し出すと、指を避けるように器用に受け取る。


 グライフェルは草食らしく、木の実や果実を好んで食べるそうだ。

 ルティナは家にあるものをいくつか出してきた。


「そうですね。今のところは……」


 あれ以来、タヤの森は安定している。

 安定してはいるが、言葉にできない小さな不安みたいなものは消えない。



「とても綺麗ですね。あまり鋭さを感じなかったのは、草食だからかもしれません」


 ルティナはあまり近付きすぎないように、アウリスの手前からリュートを観察する。

 アウリスは座ったまま、ルティナの手を鼻先でつついている。


「とても覚えが良くて大人しいよ。特にリュートは、俺たちが子供の頃は兄上のお守り役みたいだった」


 ユアンたちが言う“兄上”は、聞いている限りとても破天荒……、いや、自由な人に思える。 

 ユアンと重なる部分もあるが、もっと肝が据わっている感じだ。


「今ウィラン様が、合わせて使ったと思われる水魔法の陣を再現しようとしているそうで、その場所の土を送って欲しいと書いてありますが。それを持たせて帰しましょうか」


 レイランは先ほどの筒を手に持っている。

 足に付けられていた小さな筒は、手紙と土を入れるには十分な大きさだ。

 土の採取をするなら小瓶の方が良さそうだ。

 あの筒に入るサイズがあるだろうか。


「小瓶を探して来ましょうか?」

「いえ、この筒は中が2重になっているのです。こういうやり取りにも使われるので、水もそのまま入れられます」

「すごいですね、それはとても便利です」


 ルティナは感心してしまう。

 森での採取や調査に使ったらとても捗りそうだ。

 そういう発想はなかったが、考えてみるのも良いかもしれない。


「早い方が良ければ今から採りに行きましょうか……少し、気になっているのです」


 首元に残る小さな不安が、どうしても消えないのだ。


「……それなら、今から行ってみるか。俺の感知の訓練も兼ねて」


 ユアンはリュートの前、高い弧を描くようにリンベリーを投げる。

 リュートは翼を広げて浮き上がり、落ちてくるそれを嘴で浚った。




 タヤの森の上空で、翼を広げたリュートが風に乗っている。

 太陽との間にいるリュートは、光を纏う黒い影のようだ。


 この森に流れる空気は、とても静かだ。

 その静けさが、逆に不安に感じるだけかもしれない。


 タヤの森に来るとき、フェンたちは留守番というのがいつの間にかできた流れだ。

 この不安がなくなったら、一緒に来てもいいかもしれない。



「ここは変わらないですね。特に不安定さも感じません」


 霊素も落ち着いている。

 希薄だった土に含まれる魔素も、かなり戻っている。


 やはり、心配し過ぎなだけか。


 ルティナが立ち上がろうとすると、ユアンの気配が鋭くなった。

 ユアンは森のさらに奥、エルゼド大森林の方へ向いている。


「なんだろう……すごく濃い陰を感じる。一箇所に集中してるみたいだ」


 ルティナも集中してみるが、陰の濃いエルゼド方面は霧がかかったようでよく分からない。


 ユアンは空を見上げる。

 真上にいたリュートは、いつの間にか少し東の方へ進み、その場で旋回している。


「行ってみよう」



 森の中を少し早足で進む。

 その場所に近付くと、リュートはユアンの元に降りて来た。


 近付くにつれて、ルティナにも異常な濃度の霊素が分かるようになった。

 感覚で分かる。この濃度は濃すぎる。


 リュートがバサッと羽で仰ぐような仕草をした。

 目の前の木の根元、小さな子供がうずくまっている。


「ニオ!」

 

 レイランの叫ぶような声があたりに響き、隣の土が蹴られた。

 ニオの元に駆け寄ると、ニオの頬に触れる。

 その手が一瞬驚いたように止まり、レイランはニオを抱き上げた。


 声にまったく反応しない。

 森が、ニオの身体が、あまりにも静かすぎる。


 ルティナは目を凝らした。

 ニオの体内に、前には感じなかった濃い陰が入り込んでいる。

 

「ニオ、分かるか?」


 耳元で響くレイランの声に、ニオは小さく身をよじり、顔を上げた。


「れい、らん」


 ふわっと笑うニオの笑顔が、とても淡く見える。


「ねむ、い」


 これだけ陰が濃いのだ。

 身体は冷え、もう巡りは止まりかけている。


 ルティナは背筋が凍る。

 自分の体温が消えていくあの感触が身体を走った。


 ――瞬間。

 目に前に包むような熱を感じた。


 ユアンが左の手のひらに気素を集め始める。

 黄金色に光るそれは少しずつ大きくなり、手のひらに留まった。


 その手のひらに集まるように、陰の濃いはずのこの場所から、黄金色の粒が集まり始める。

 太陽から直接受け取るように、空からも舞い降りる。

 

 手のひらに集まった光は、ユアンの手に乗るように、全体を包み込んでいる。

 

 ユアンはその手をニオに近付ける。

 自然にこぼれ落ちる光は、陰を中和するようにニオに吸い込まれる。


 不思議だ。

 霊素が意思を持って、そう動いているようだ。

 

 ルティナは見入っていた。

 それがあたりまえの光景としてそこに在る。


 魔素と霊素が補完しあうように、陰と陽は均衡を保とうとするのだ。


 知識としては分かっていた。

 いざ、目の前で起こると、自分の身体が陽を求めるのが理解できる。

 この世界の理に上に、すべてが存在するのだ。


 少しずつ、ニオに吸い込まれる光が少なくなる。

 ニオの体内の陰は落ち着き、巡りが戻ってきた。


 ニオがレイランの方に身体を返した。

 周りを見回すが、まだぼーっとしているようだ。


「るてぃ、な。……ゆあん。……れいらん」


 ルティナはようやく呼吸ができた。

 ニオの意識は、ちゃんと戻っている。


「ゆあん、の、たいよう。あたたかい」


 ニオは前と同じように、ふわっと笑った。


 ユアンはそれを見て、左手の霊素を元にもどした。

 集まっていた霊素は光の粒になって、森の中に消える。

 

 それを確認するように、リュートは再び舞い上がる。

 翼に煽られた風が、レイランの髪を揺らした。


「れいらん、ありがと」


 ニオはレイランの首にぎゅっと抱き付いて、そのままそこにいた。



「ユアン様……本当に、できるようになってしまいましたね……」

「自分でもびっくりだよ」


 ユアンは照れたように手を見つめた。


「こんなに陰が濃い場所で……」

「俺は願っただけだよ」

「願った……」

「ルティナだっていつもそうじゃないか」

「わたしが、ですか……?」

「ルティナはいつも、誰か、何かを思って、願っている。俺には常にそう見えているよ」

「願う……」


 願う。

 それは曖昧で、不確かで、掴みどころのないものに思える。


 魔素は、意思に共鳴して映し出し、形作るものだと理解した。

 霊素も本質は同じ……?

 ルティナには、霊素はもっと超然としたものに思える。


「俺からすると、ルティナは霊素に愛されていると思うけどね。多分霊核の違いもあると思うけど……俺は外の霊素に頼るだろ? そうすると明確に差があるんだよ」

「差、ですか」

「ああ、自分勝手にただ願っても、それに霊素は応えない。世界の巡りに沿っているというか、霊素の在り方に沿っているというか……そういうときの媒介に、自分があるような気がしてる」

「媒介……繋ぐ、ということでしょうか」


 ユアンは微笑む。


「今回のは、霊素の在り方に沿ったことを願ったから、俺がやったみたいに見えるけど、実際は霊素がそう動いただけだ。俺の感覚はそうだよ」

「在り方……」

「ああ、だからルティナの願いに応えて身体に入っていく霊素は、それがこの世界に沿っていて、霊素の在り方だということだ。ルティナは霊素に愛されていると思うよ、俺は」



 霊素の在り方に寄り添って、それを結びつけ繋ぐこと。


 その存在を深く理解し、寄り添い、共に生きる。


 この世界と共に生きるとは、そういうことなのか。



 ルティナはユアンを見上げる。

 この人は、この短期間で、何を見て感じたのだろう。


 ルティナが考え続け、未だに曖昧なまま決着が付けられないこと。

 自分の存在を、自分にしかできない調律というものの意味。

 それを、あたりまえのように言葉にする。


 調律は、そのものがこの世界の理に沿っている。

 そう解釈しても……いいのだろうか。


 その答えに、この人といればたどり着けるかもしれない。

 この人なら、理解してくれるかもしれない。


 ルティナはこの凛とした黄金色を、いつもよりも強く感じた。




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