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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
間章 ―街の余韻―
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翠の季-16.伝説の武器

 セラの料理は、どれも美味しかった。

 

 季節の野菜と鳥の串焼き、干し果実とチーズを乗せたバケット。

 淡泊な白身魚のマリネ、薄切りにしたレッドディアのロースト。

 そのほか、温かいスープや果物など、立食でも食べやすく目にも楽しい料理たち。


 丁寧で真面目、食べる人のことを思って作られているのが伝わってくる。


 男性陣は、ワインや麦酒などを手に持ち、楽しそうに飲み食いしている。

 ただ楽しく話し、作法なども気にしない緩やかな時間だ。

 

 ウィランはそれを眺めながら、手に持っているのは泡水のようだ。


「ウィラン様は、お酒は好まれないのですか?」


 決して、飲ませようとしているわけではない。

 ただなんとなく、その様子が寂しそうに見えてしまったのだ。


「僕はどうも酒が身体に合わないようで。特に美味しいとも感じませんので、あまり飲みません。どうしても飲まなければならないときに、口を付ける程度です」


 美味しいと感じないのであれば、きっと身体は余計に受け付けないだろう。

 体質もあるとは思うが、身体がお酒を“良くない物”として認識している可能性もある。

 それなら、美味しいと感じるお酒なら、少しは飲めるのではないだろうか。


「ウィラン様は、甘いものは割とお好きですよね?」

「そうですね、頭がよく働く気がするので」

「でしたら、少しおすすめのものをお持ちします」


 ルティナが立ち上がり、ワインの瓶を手に取る。

 調理場へ向かおうとすると、セラがすかさず付いてくる。

 ウィランも興味を持ったのか立ち上がった。


 ルティナはセラに、果実をいくつか出してもらう。

 それをひと口大に切って、干し果実の蜜漬けと一緒にグラスへ入れる。

 その上から赤ワインを半分ほど注ぎ、蜜とワインをしっかり混ぜる。

 最後に冷えた泡水を注ぎ、軽くひと混ぜした。


「これは……とても綺麗ですね。香りも果実の甘さで、あまり酒を感じない」


 酒独特の匂いも、好まない人はいる。

 匂いでも拒否が出るなら、きっと美味しいとは思えない。


「夏場にはとても良いですよ。果実の甘さと泡水の軽さで、とても飲みやすくなります」


 ウィランはおそるおそる口を付ける。


「これは美味しいです。とてもワインとは思えないほど軽い」

「お酒は多少慣れの部分もあるそうですから、少しずつでも飲んでいると身体が覚えていくと思います」

「なるほど。これなら不快どころか飲みたくなります」


 嬉しそうにグラスを傾け、少しずつ味を確かめている。

 ルティナは少し心配になった。


「かなり飲みやすいので、進みやすいのが欠点です。なるべくゆっくりと、飲む量に気遣った方がよろしいかと……」

「わかりました、料理と一緒に楽しもうと思います」


 庭へと戻るウィランの背中を見送りながら、伝説の武器が火を吹かないことを願った。



「これはとても良い飲み方です。ルティナ様は本当に色々なことをご存じですね」


 セラは自分の分を作り、早速試している。

 この国では、ワインに手を加えることをあまりしないのかもしれない。


「父がとてもお酒が好きな人で、そのせいで覚えたのもあります。我が家には、父が集めたお酒の瓶がたくさんあるのですよ」

「ひと手間があるだけで、こんなに変わるのですね……」

「今回は時間がなかったので蜜漬けを使いましたが、果実をたっぷりと使ってワインに漬けておくだけでも、かなり飲みやすくなります。赤でも白でも、漬け込んだ果実はそのまま一緒に食べられますし、夏になるとよく作って冷やしていました」


 真剣に頷くセラは、いつのまにかメモを持っている。

 それも自分と同じだと思うと、嬉しくなった。


 ルティナもレシピを書き残して、綴っておくのが習慣になっている。

 あとから読み返すと、新しい料理の発想になったりするのだ。


「今年の夏に、是非作りたいと思います」


 

 ひとしきり話をして庭に戻ると、ウィランの顔が少し赤くなっていた。

 でも、その様子はとても楽しそうで、お酒が良い方に回っているようだ。


 グラスの中身はもうほとんどなく、少し声が大きくなっている。

 大丈夫だろうか……。


「セラ、これと同じものを作ってきてくれないか?」


 ウィランはセラが戻ったのを見て、グラスを持ち上げる。

 顔は赤いし、声は大きいが……まだ目の焦点は合っているようだ。


 セラは少し止まっていたが、すぐに調理場へと戻っていく。



「ああ、本音を言うなら、僕だってまだここにいたいんだ。こんなに刺激的な日々が目の前にあるというのに……」


 急に声のトーンが下がり、その目はそれはそれは寂しそうに下を向く。

 レイランとジュードの目がウィランへ向き、2人はちらりと視線を合わせた。


「この際だからはっきり言うが、ルティナ殿。僕はあなたの隣で世界を見ていたいんだ。僕の目からは見えない世界を、あなたは見せてくれる。あなたは僕の新たな光なんだよ」


 これは……酔っている。

 実際飲んだのは、ワイングラス1杯よりも少ないはずだ。

 お酒に弱いというのは、味の問題以外にもやはりありそうだ。


「……どうだろう、一緒に王都へ来てくれないか? あなたと共にする魔素の研究はそれは楽しいだろう、楽しいに決まっている。新たな世界が広がるかもしれない。王都の僕の屋敷に、君専用の研究室を作ってもいい。薬草や魔獣の研究、王都にはたくさんの資料や古い本もある。あなたの知的好奇心を満たすのに役立つはずだ」


 レイランの真剣な目は熱を帯び、揺らめきながらルティナを刺す。


 

 王都の資料、古い本。

 そこにはどんな知らない世界があるだろう。

 父の残した本は膨大だが、それは植物や魔獣など、自然のものに偏っている。

 この国の歴史や文化、魔法の成り立ちなど、その知識にはとてもそそられる。


「ウィラン様、少し酔いが回っていらっしゃるようですね。お水を」


 ジュードが立ち上がり、水の入ったグラスを渡そうとすると、家の中から新しいグラスを持ったセラが戻ってきた。

 なんというタイミングの悪さだろう。


 それを見たウィランはすっと立ち上がり、セラへ手を伸ばす。

 ふらっと身体が斜めになったが、椅子に手を置き倒れずにいる。

 グラスを受け取ったウィランは身体を滑らせ、そのまま椅子へと戻った。


「そうだ、あなたの父上のことを教えてくれた治癒師も……ラシェル殿やシルヴァン殿も、王都におります。彼も最近会えていないと嘆いておりました。薬草師としての知識も、王都にはまだまだ足りておりません! ルティナ、来てくれるならあらゆる準備を僕が整えておく」


 シルヴァンという名前は、とても覚えている。

 父が王都へ行くときに訪ねていた、王都にある治療院の治癒師だ。

 治癒師でありながら父の話にも興味を持ち、治療に取り入れようとしていた人だ。


 会ってみたい。

 是非、その人に話を聞いてみたい。


 ウィランの心は熱烈だった。

 心底探求が好きなのだろう。


 この土地から自分が離れることを想像しても、あまり実感が湧かない。

 でも、いつかそんな日があるのかもしれないと、頭の片隅に残った。


「……ルティナ、僕は……本気だ。魔素の研究を共に、君と真理を見つけたいんだ……」

「ウィラン、少し横になった方が良いんじゃないか?」


 ずっとハラハラとしながら様子を見ていたユアンが、ついに立ち上がった。

 ウィランの独白が始まってから、ユアンは少し困っていた。

 いつ止めようかと見計らっているのは分かったが、あの熱量になかなか口を挟めなかったのだろう。


「……いや、時間がないんだ……今日中に……ルティナを説得しなければ……」


 ウィランの目は、ついに焦点が合わなくなっている。

 立ち上がった足元は、もう地面を掴めていない。



 セラの持ってきた伝説の武器は、やはり彼には強力だったようだ。



「ウィラン様、身体が揺れているのはあまりよくありません。少しお休みになってください。後ほど酔い覚ましをお作りしますから」


 ルティナは立ち上がり、ウィランを支えようとする。


 瞬間、ウィランはぐっと力強く、ルティナの左肩と右手を掴んだ。


 その視線はルティナの右手を、尊いものでも見るように眩しそうに見つめる。

 彼にはこの右手が、この世界のすべてを掴みそうに見えているのかもしれない。


 ウィランの熱い視線に、ルティナは少し誇らしく思った。


「俺が運ぶよ、ルティナは座っていてくれ」


 ユアンはウィランの手を掴み、背負うように身体を入れる。

 細身の身体からは一気に力が抜け、ユアンにすべての体重を預けた。


 ついに、ウィランの意識は深いところに落ちて、眠ってしまった。


 ユアンはジュードと一緒に、家の中へと入っていく。



「ルティナ様、その……あまりお気になさらずに。ウィラン様は、ひと口でもかなり記憶が曖昧になりますから」


 レイランが気まずそうにしている。

 苦手なお酒を飲ませてしまった責任を感じるが、悪い回り方ではなかった気がする。


 楽しいお酒なら、それは今日が良い時間だったということだ。


「あまり飲まれないとおっしゃっていたので、目覚めはきついかもしれませんね。酔い覚ましの用意をしておきますので、お辛そうだったらお使いください」

「え、ああ、そうですか。ありがとうございます……」


 レイランの気遣いは、そこではなかったようだ。

 ルティナの不思議そうな顔に、やれやれという言葉が滲んでいる。 


「……何かほかのことが気になりますか?」

「いえ、いや……あまりにも熱烈な……お誘いだったように見えましたので、お困りではないかと思っただけです」

「ウィラン様は欲望に忠実でいらっしゃいますね。真理を見つけたいとまで言葉にするのは、よほどの覚悟がないとできないと思います。とても真摯な向き合い方は見習いたいと思いました」


 レイランは黙っているが、何かに納得したようだった。


 後ろではセラが、空いた皿を少しずつ片付け始めている。

 手伝おうと思ったが、セラに目で制されてしまう。


 ここではセラが火床の主人だ。

 ルティナは厚意に甘えさせてもらう。


「レイラン様は、シルヴァン様をご存じですか?」


 ウィランの口から出た名前が、どうしても気になってしまう。

 少なくとも父は、その人のことだけは信頼していた。


「わたしは直接は存じません。ユアン様を診ていたラシェルという治癒師の知り合いで、王都の治療院にいるとだけは聞きました。その方との話で、コーレン殿のことをラシェルが知り、わたしが伝え聞きました」


 王都の治療院で、父は何を伝えていたのだろう。

 その伝えた内容は、どの程度王都で知られているのか。


 あまり施術について人に語らなかった父だ。

 それを話せる相手ならば、とても理解のある人のはずだ。


「必要であれば、その方のことを調べておきますが」

「いえ、いえいえ。もしいつか、会うことが叶うなら、父のことを聞いてみたいと思っただけです」


 エンの森を長期間離れるのは、やはり少し不安だ。

 父がいないのだ。

 安定しているとはいえ、何か不調が出たときに戻すことが難しい。


「王都での滞在日数によりますが、往復で三巡ほどあれば可能だと思いますが」


 三巡。

 父がいたときなら、そのくらい家から離れたこともあった。

 慎重になり過ぎているのもあると思う。

 でも、やはり怖さはある。

 身体が冷えて意識が遠くなるあの感覚は、なかなか忘れられないものだ。


「わたしは、あまりあの森から離れられないのです。今はもう安定しているのでそうそう大変なことにはならないと思いますが……それでも、わたしの身体はすこし難しいですから」

「それは……」


 レイランは言いかけてやめた。

 ちょうどユアンと共にジュードが戻ってきた。後ろにはセラもいる。


「しっかし、気持ちよく酔ってたな。あんなのは初めて見たよ」


 ユアンはルティナの前の椅子に腰掛け、思い出すように笑う。


「ルティナ、ウィランがすまなかった。少し本音が出過ぎてしまったみたいだ」

「いえ、普段あまり空気が乱されないなら、良い発散だったのでしょうね」

「それはそうだが……さすがに少し冷や冷やしたよ。どんどん声が大きくなるし」


 確かに。

 途中はほとんど叫んでいるようだった。

 あの素直さを思い出すと、とても微笑ましい。

 

「起きたときに、覚えていない方がいいかもしれませんね」

「覚えていないのも不安でしかないだろうが……」

「忘れてしまった方が良いことも、たくさんあると思いますよ?」


 そこにいる皆の頭の中には、ウィランの魂の叫びが浮かんだはずだ。


「まあ、自分だったら、ルティナ殿の顔はしばらく見られないな」


 ぼそっと呟いたジュードは、とても不憫だと顔に書いてある。


「わたしなら、覚えていても忘れたふりをしますね」


 うっすらと笑っているように見えるレイランだが、実際はどうだろう。


「はははっ」


 ユアンは声を上げて、ただ笑うだけだった。


 ユアンなら、どうするのだろう。

 ルティナはそうなったときのユアンを想像し――


 声に出さずに、微笑んだ。





      ―街の余韻― 巡了



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