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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
間章 ―街の余韻―
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翠の季-13.クレイステード

 谷の風が落ち着いてきている。

 

 霊素が谷に降り始めたお陰で、魔素も徐々に散り始めている。

 あれだけ濃かった魔素が、もう半分ほどになっただろうか。

 

 風の質も変わった。

 乾ききっていた風が、少しの湿気を含み始めている。

 肌に触れるざらついた感触が和らぎ、柔らかくしなやかな風に戻りつつある。


 ここまでくれば、もうあとは時間が経つのを待てばいい。

 あと4、5日で元に戻りそうだ。


 林の中では、ヴェリッダたちが静かに休んでいるのが分かる。

 昼間の行動も、以前に比べてだいぶ落ち着いた。

 彼らは今後どうするのだろう。

 この林に住み続けるのか、谷に戻るのか。


 食べ物のことを考えるのなら、谷の方が良いだろう。

 ヴェリッダの好むハナモモが、谷には豊富にある。

 だが、子育てのことを考えるなら、穏やかで危険の少ないこの林の方が良さそうにも思える。


 あくまでもそれは人の視点だ。

 彼らが住みやすいと感じる、心地よいと感じる場所がどこなのかは、彼らにしか分からないことだ。


 ここにヴェリッダが住むことで、どんな変化があるだろう。

 短い期間では表に出て来ない、環境に与える影響があるかもしれない。

 この谷の風の巡りに、ヴェリッダが住むことによって生まれる風が関わっているとするなら、いなくなることで何かしらの変化があるはずだ。

 それが世界の巡りにおける、余白の範囲内なのか。



 ルティナの目が、広がる景色をするっと撫でる。

 緑が埋める丘と、岩肌がむき出しの谷が、なだらかに繋がって見える。


 こんなに違う色を出すのに、どうして溶け合っているのだろう。

 これが、自然界の難しく、美しい姿だ。

 


 フェンが大きく身震いをして、リシアの方を見つめる。


 談笑しながら、のんびりとこちらに向かってくる2人の姿が見える。

 レイランとジュードのようだ。

 珍しい組み合わせだが、空気はとても和やかだ。

 ユアンとウィランがいない時間は、役目を離れてリラックスできるのかもしれない。

 少しの休息時間なのだろうか。



「ルティナ様、今日もいらっしゃいましたね」


 レイランが少し離れたところでリズから降り、ゆっくりと歩いてくる。

 リズはそのままフェンの方へ進み、ぴたりと隣に並んだ。

 フェンは特にそれを気にせず、ロカの方を見つめる。

 ロカはジュードの後ろから動かないまま、その視線をしんと受け取っている。


「レイラン様、ジュード様、今日はのんびりとされていますね」

「珍しくあの方たちが部屋に籠って話しているのです。時間が空いたので、2人で散歩に参りました」


 レイランの半歩後ろ、ジュードは少し引いた位置にいる。

 軽装のレイランとは違い、常に鎧を身にまとっていたジュードだが、今日は皮のチェストベルトをたすき掛けのようにした身軽な装いだ。

 鎧を着ているととても大柄な印象だったが、そこまで身体は大きく感じない。

 背丈はレイランよりも高く、筋肉はしっかり厚みがあるが、筋骨隆々といった雰囲気ではない。

 丁寧に鍛え、密度が高められた調った身体だ。

 どっしりとした安定感から、少し年が上だと思っていたが、思ったより若く見える。

 装いとは、こんなに印象が変わるものかと秘かに驚いてしまう。


「そうですか。レイラン様たちが聞かない話があるとは思いませんでした」

「何か悪だくみをしているのかもしれません」


 レイランが笑いながら言うと、ジュードが少し嫌そうな顔をした。


「あの方たちの悪だくみは……できれば遠慮したいものだ。想像しただけで眩暈がする」


 何かを思い出しているのか、ジュードは目を閉じたままロカに手を置く。

 ルティナも少し想像してみたが、良いことは浮かびそうになかった。

 ウィランが風で何かを試し、その結果大失敗、横で笑っているユアンなど簡単に想像できてしまう。


 その光景があまりにも現実的で、ルティナは笑ってしまった。


「ヴェリッダも安定してるようですので、このままあと5日ほどで元の谷に戻ると思います。その後のヴェリッダがどう動くかはまだ分かりませんが、谷に戻ったとしても本来の形に戻るだけですので、問題はないかと」

「リシアの防衛担当にも、とても感謝されました。山ほどの風鈴果が届くと思いますので、また森にお持ちいたします」

「頂いてばかりなので、こちらのことはあまりお気になさらないで下さい。フェンが丸くなってしまいそうで、最近心配しているのです」

「……それは切実ですね」


 ちらっとフェンを見ると、フェンはずっとロカを見つめたままだ。

 他の魔獣と違い、ロカは自ら近寄って来るタイプではない。

 気にしている様子もあまりないのだ。


 フェンは天真爛漫なようでいて、気になる相手でも最初の一歩はなかなか進まない。

 じっと圧を出して寄って来るのを待っている、なんとも面倒な性格なのだ。

 それに対して、まったく反応を示さないのがロカだ。

 嫌がる様子もなく、気にする様子もなく、ただ受け止めて動かない。


 フェンの作戦が通じない相手に、フェンはどうするのだろう。


「ロカは動じませんね」


 ルティナは、フェンがジリジリしているのが伝わってきて、どうしても楽しくなってしまう。


「こいつは嫌っている訳ではないのです。嫌いだったら背を向けます」

「確かに……昔、ウィラン様が近付くと、あからさまにそちらを向かないようにしていましたね」


 レイランは思い出すように口を開いた。


「あれは……色々と付き合わされた後で、嫌になっていたんだろう。もともと騒がしいのと、急な変化を好まないのだ」

「色々と……?」


 ルティナはジュードに視線を送る。

 呆れるように目を流しながら、ジュードはため息をつく。


「以前、ロカを戦闘でどう生かしたら良いかを考え始めたことがあって、川を渡らせてみたり、沼地を歩かせてみたり、足の動かし方を見るために走らせたりと、まぁ色々と……」

「研究熱心なウィラン様らしい行動ですね」

「そのこと自体は特に嫌がっていなかったのだが、何かを発見したときの感情の起伏がロカには強すぎるようで。自然と近付かなくなったというか、距離を取りたがるような時期があったのは確かだな」


 それは……少しかわいそうだ。

 でも、なにもロカに限ったことではない。魔獣は物音や変化に敏感だ。

 より静けさを好むということだろうか。

 

「音、感情、振動……圧力……」


 ロカは、ウィランの何が気になったのだろう。

 

 フェンは感情に敏感だ。それを読み取って警戒する相手を決めていると思う。

 彼がロカに敵意を持つとは思えないし、ロカはフェンから飛んでくる圧に対して特に気にする様子もない。


 急な変化を嫌う。

 ユアンが前に、人の感情を“空気の揺れ”のように感じると言っていた。

 突然に起こる大きな感情の変化を、強い揺れのように感じる。

 そういう類の感覚かもしれない。


「ジュード様、ロカに近付いても大丈夫でしょうか……?」


 レイランはジュードと顔を見合わせ、にこっと微笑む。

 ジュードはどことなく嬉しそうだ。


「もちろんです」


 ルティナがロカに近付くと、フェンが嬉々として寄って来る。

 ようやく近付く理由ができて、フェンにとっては好都合だろう。 

 こういうところでの要領の良さには感心してしまう。


「ロカの蹄は、アウリスとはまた違った強さがありますね」


 アウリスの蹄は、とても広がっていて、地面との接地面が大きい形だった。

 それと違ってロカの蹄は、大きくはないが先端が2つに分かれて、それぞれが分厚く少し下に巻き込むような形をしている。

 アウリスが振動を広げるのに対して、ロカは集中させて力を込める。

 この形で地面を掴み、あれだけの加速をしているのだろう。


 魔素の流れを視ても、ロカの脚と蹄は魔素が濃くなっている。

 これなら、自然と魔素が土に影響を出すかもしれない。


「ジュード様、ロカは沼地などでも普通に歩けたりしますか?」


 ルティナを見守っていたジュードは、驚いたように大きく頷く。


「ああ、多少の泥濘は気にせず走る。乗っている側は大変な被害だが」


 あの速度で泥濘を走れば、泥の跳ね上がりは酷いものだろう。

 気の毒どころの話ではない。


「……ロカの脚と蹄には、体内の魔素が濃く集まっています。これだけの濃度があれば、土に影響が出てもおかしくはなさそうです。その場の土を固めて、足場が強固になるのかもしれません」

「足元を……固める……ならば、ある程度の深さの沼も渡れる可能性があるな」

「自重がありますから、どの程度まで耐えられるかは確認した方が良さそうですが、そのあたりは魔獣自身が一番分かっている部分です。嫌がるなら無理だということでしょう。これはあくまでも特性の部分、魔法として発現しているものではないので、ある程度の効果だと思います」


 ロカの魔法は、あのよく分からなかった波動だと思う。

 蹄からなのか、角からなのか、それも遠くてよく分からなかった。


「魔法……?」

「魔獣が魔法を使っている……?」


 2人の顔が、目を見開いたまま固まっている。


「え、ええ、ヴェリッダも風を起こして飛んでいますし……」

「あれは、魔法……なのですか?」


 ルティナは一瞬聞かれていることが分からず、同じように固まってしまう。

 魔獣というものの理解が、大きく違っているのかもしれない。


「魔獣は、野生の動物の中で魔素などに適性をもった種です。ガゼルたちは魔素とは違う適性ですが、ヴェリッダやクレイステード、エルドポニーなどは魔素に適性を持っています」

「はい、それは理解しています。……ただ、風などは魔獣の……なんというか、特殊な能力だと思っていました」

「魔獣の属性による特殊な能力が、魔法、なのではないでしょうか」


 2人はぽかんとしたまま、宙を見つめ動かなくなってしまった。



 そして、嵐がやって来た。


 リシアの方から、ユアンとウィランが駆け寄って来る。

 ルティナは深く息を吸い、心を強く保つ意識をした。


 固まっている従者を見るユアンたちは、何があったのかと不思議そうだ。

 レイランは意識を戻し、ここまでの話を説明してくれた。


 みるみるうちに感情が高まるウィランに、ルティナは思わずロカを見る。

 ロカはもうこれに慣れたのだろうか、意に介さず動かない。

 ルティナも早くこうなりたいと思ったが、まだしばらくは無理そうだ。



「ルティナ、それは俺もとても興味がある。是非とも詳しく聞かせて欲しい」


 ユアンはウィランを横目に見つつ、場を調整してくれるようだ。

 隣に立つユアンを見ると、目だけでにこりと笑ってくれた。

 ルティナは少しほっとする。


 ウィランの知識欲や探求心は、ルティナも共感する部分が多い。

 発想力も素晴らしく、話していてとても学ぶ部分が大きい相手だ。

 だが、まだ少し慣れないというのが本音だ。

 レイランやジュードでは、ウィランを抑えるのは難しいと思う。


 皆が心地よく過ごすための落としどころを掴んで整える。

 ユアンのこういうところを、ルティナはとても尊敬していた。


「魔法というものをどう解釈するかで変わって来ると思うのですが、少なくともヴェリッダやロカ、フェンは体内に魔素を持っています。そして、能力を使う際は体内のいんを……アルデニアの言い方では魔法陣を使っています」


 ルティナは落ち着いて話し始めた。


「先日、レイラン様の魔法の発動を見て、魔獣の方がずっと簡素ですが、魔素の動きと発動方法は同じだと……改めて思いました。わたしたちは魔獣の体内にある魔法陣を、印と呼んでいます」

「印……人が意図して組み上げるのが“陣”、魔獣の身体に刻まれているのが“印”という解釈で良いだろうか?」


 ウィランの理解の速さには毎度驚かされる。

 ルティナもまったく同じ考えだ。


「すべての魔獣に言えることですが、その種の特性による基本の能力があり、それとは別に特別に発現する能力がある。だいたいこの法則が当てはまると思います。後者の能力は、魔獣がそれを意図して発動しているというより、本能や状況が整うと発現する場合が多いようです」


 全員が同じように頷く。

 自分1人が教える側に回っているようで、足元がふわふわする。


「フェンで例えるなら、自重を軽くするという基本の能力は、エルドポニーという種の特性です。これは印を使うようなものではなく、体内の魔素がそのように動いているとしか説明ができません。魔獣の身体の構造と親和性がある形になっているような気がします。そして、時折発現するのが、翼付近にある印を使って風を浮力にし、速度を上げて地面を滑るように走るという特別な能力です。これは、フェンが急ぐことを意識したときに発現しているものだと思います」


 黙ったまま、それぞれに何かを考えている。


「すべてが繋がっていて、本当に美しいな」


 ユアンから小さな声が漏れる。


 本当にその通りだ。

 印はとても簡単なものだ。

 人が考えて構築する魔法陣とは比べ物にならないほど。

 それが、いつのまにか身体に刻まれ、必要なときだけ発現する。


 魔獣の本能は、生きるためのものだ。

 生きるために、長い時間をかけて身体がそうなったのだ。


「魔素と共鳴して、共に生きているんだな」


 ウィランからも、小さな声が聞こえた。


「ロカも、ヴェリッダを追うときに、確かに魔法が発現していました。遠かったのでそれがどんなものかはよく分かりませんでしたが……」

「ロカが……!」


 ジュードはロカを振り返り、信じられないという表情をしている。

 ロカはじっとジュードを見る。黒い瞳は相変わらず、しんとしたままだ。


「ジュード様が発動した土を隆起させる魔法、あれに、地面を伝うような……振動のようなものをぶつけているように見えました。その後に向かって来たヴェリッダにも、同じように何かをぶつけて追い返していました」

「あ、あれか。ロカの勢いに押されたのかと思ったが……」

「いえ、魔素の流れとしては、ロカから確かになにかが」


 そうだ、小さな地震のような振動。

 振動が壁にぶつかって、それが小さな爆発のように広がった。

 

「魔素の属性……。風は流れ……土は……固める……? 固めた振動?」


 地面を揺らすというよりも、揺らすための振動そのもの。

 ジュードは守る人だ。

 それを汲み取って戦っているとしたら……


「ジュード様は、普段ロカとどのように戦うのですか?」

「どのように……自分はあまり前に出ることはありません。ウィラン様の側を離れることはありませんので。近接戦の距離まで近付かせることを許したくありませんので、土魔法はとても使い勝手が良いです」


 ルティナの中で、何かが繋がったような気がした。

 理解と献身が巡っている。

 ロカはどれだけジュードを見て、同じように感じていたのだろう。

 互いの意思疎通ではなく、外側から共感をしている。


 この1人と1頭はとても似ている。

 似ているからこそ、自然と思いが重なるのかもしれない。

 素敵な関係だ。

 静かで主張しない2人だからこそ、この関係が成立している。


 ロカはじっとジュードを見つめている。

 こうやってずっと、静かに背中を見ていたのかもしれない。



「何か繋がったみたいだね。それは言葉にできること?」


 ユアンの嬉しそうな声がする。

 自分が下を向いていることに、その声で気付いた。

 最近はこんなことばかりだ。

 人と関わるというのは、なんて心が忙しいのだろう。


 ルティナはなんとか堪え、声を作る。


「土魔法は、その性質が固める、集める、密度を上げるという方向に動くことが多い魔法です。ロカの魔法は、魔素を固めて密度を上げ、それそのものを相手にぶつけるというようなものではないかと思います。それはジュード様の土壁にぶつかると……爆発するように弾けていました。おそらく、固めた振動そのもの、小さな衝撃波のようなものかと。それは壁にぶつかることでより大きく、相手を止めながら吹き飛ばす盾のように働くのではないかと」

「衝撃波……」


 ジュードよりもウィランが、その魔法を理解したようだ。

 ウィランも何度も目にしてきたはずだ。

 でも、それが2人の魔法が重なったものだとは思わなかったのだろう。


「ロカは……ジュード様に深く共感していたのかと。ロカとジュード様はとても似ています。理解と献身が……巡ったのだと、思いました」


 言葉にするのが、その美しさを壊してしまう気がした。

 上手く当てはめられる言葉が見当たらないのだ。


 その時点で、これは言葉にする必要のないことだ。

 

 でも、どうか届いて欲しいと思う。



 ジュードは黙っている。

 黙ったまま、ロカの前に膝を付いた。


「はは、お前の方がずっと、守っているじゃないか……」


 こぼれるように落ちたその声は、静かに地面に染みる。

 ロカの目は変わらず、ジュードに向いている。

 見つめているのは、彼の心にある願いだろうか。


 ロカの思いがジュードに届き、その巡りが続くことを願った。


お読みいただきありがとうございます。


noteに世界観設定資料などをまとめています。

ご興味があれば、ぜひ。

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