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オル・トア ―精霊の往く先―  作者: 流留架
間章 ―街の余韻―
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24/70

翠の季-12.後日

 リシアに、いつもの日常が戻りつつあった。


 あの夜から半巡はんめぐりほど経ったが、ヴェリッダの様子は落ち着いたものだ。

 林で過ごすヴェリッダたちは、人の前に姿を見せることはない。

 昼間に活動するヴェリッダはいるが、それはあのときとは比べようもないほど静かだ。

 魔素の影響がそれほど強かったのだと、改めて思う。


 谷の魔素は、徐々に落ち着いてきた。

 魔素というものが何なのかを知ってから、一気に感知する力が増した気がする。

 

 見えないことに変わりはない。

 普通の濃度で漂う魔素は、相変わらず分からない。

 だが、濃度が上がっている場所であれば、そこに在ることが分かるくらいにはなっていた。


 魔素の濃度が山なりに変化していくのなら、山を越えて下り始めた辺りだろう。

 一巡から二巡というルティナの言葉は、まさしくその通りだ。


 ルティナはあれから、ほぼ毎日ここに様子を見に来ている。

 魔獣に対する興味なのか、心配なのか、それとも責任感の強さからか。

 いや、そういう類の感情ではなく、もっと深いものだ。

 彼女は、この世界そのものを、遥か遠い目で見つめているようなのだ。


 自然、いや、世界そのものを理解しようとする姿勢。

 寄り添い、思い、労わるような。

 人に対してそうするように、世界に対しても同じように接している。


 自分にはまったくなかった感覚だ。

 ルティナもまた、ユアンと同じような遠い存在だと感じてしまいそうになる。


 だが、今はその視点、その目で何を見ているのか。

 それを見たいと思う自分がいる。


 ウィランが言っていた。

 “あなたのその目と頭が欲しくてたまらない”

 あの言葉は、本当にその通りだと思いつつも、少し違う。


 ルティナの見ているものを、ユアンの見ているものを、自分の目で見たいのだ。

 

 わがままになったと思う。

 その欲張りな自分を、自分自身が一番驚いている。


 ――自分の解釈で、自分の理解として、心に落とす。


 この言葉が、あのとき深く、胸に刺さった。





 リシアの門から入ろうとすると、門衛が駆け寄って来た。

 レイランはリズから降り、そちらへ視線を向ける。


「失礼いたします。ローディス隊長が、お時間があるときに立ち寄って頂きたいとのことです」

「分かりました。すぐに伺うとお伝え下さい」


 門衛は、握った拳を胸に置き、軽く顎を引き礼を取った。

 そのまま振り返り戻っていく。


 リシアの兵士は、皆清々しい人たちだ。

 この街の空気がそれを物語っている。


 それなりに大きな街だが、ここに滞在し始めてからほぼ何も起こっていない。

 軽い揉め事くらいならあってもおかしくないと思うが、兵士がちゃんと見回っているのだろう。

 治安も良く、とても風通しが良い明るい街だ。



 レイランは門を入ってすぐ、兵舎の前に立つ兵士にリズを預ける。


 階段を上った先で服装を正し、奥にある部屋の扉を叩いた。


「失礼します」


 レイランが中に入ると、立ち上がったローディスが同じく礼を取った。


「早々にお越しいただき感謝いたします、レイラン殿」


 身体の大きなローディスの敬礼は、とても迫力がある。

 だが、顔を上げたときの人の良さそうな笑顔で、空気は一気に和んでしまう。


「いえ、ちょうど一段落ついたところでした。何かありましたか?」


 ローディスに促され、レイランは腰を下ろす。


「ヴェリッダの件、すべて無事に終えられました。ユアン様とレイラン殿には大変なご助力を頂き感謝申し上げます」

「こちらが無理を言ったのです、気になさることはありません」

「バルドのやつもその一点張りでして。何かお礼をと、何度も声をかけたのですが、いらん、うるさいと……」


 バルドらしい。

 正直なところ、素性を隠している今の立場を考えると、あまり目立ちたくは無かった。

 本来なら街の判断に任せるべきところを、無理に立ち入ったのはこちら側だ。


 このローディスと一部の人間だけが自分たちの身分を知っている。

 むしろ、協力してもらっているのはこちらなのだ。


「わたしもバルドと同じ思いです。無理な滞在に協力してもらった上に、わがままを通させてもらった。正式な礼を受け取れないのも事実です。こちらの意を汲むと思って、このまま終わらせていただければ充分です」


 ローディスの顔が引き締まった。

 人の良さそうな笑顔から、一気に街の防衛隊長の顔になる。


「立場としてはそうでしょう。だが、気持ちの面ではそうはならない。この街はこれからも、あの場所、あのヴェリッダと共に暮らすのです。これから先の大きな指針とその意識を貰った。正式ではなくとも、個人的な礼として受け取って頂きたい」


 この人がいるから、この街はこうなのだと思う。

 バルドの旧い友人であり、若い頃はよく飲み明かした仲らしい。

 ローディスがいるから、この街に滞在することを選べた。


 ローディスから助力を頼まれた訳ではない。

 注意喚起として、バルドを通して軽く報告を受けただけだった。


 それなのに、こちらの話に耳を傾け、あの方法を受け入れてくれたのだ。



 レイランはローディスの顔を見る。

 固い意思表示の瞳だ。

 何も受け取らないままでは、収めてくれそうもない。

 では、どうするか。


「では、風鈴果を1ケース。そして、これ以降もヴェリッダの様子を観察して記録しておいてほしい。まだこちらが把握できていない能力や特性などがあるかもしれません。出来るだけ詳しい情報が欲しい」


 ローディスの瞳がわずかに揺れ、そしてゆるりと目元が下がる。


「承知いたしました。そのご提示にすら、礼をしたくなる思いです」


 ローディスは立ち上がり、深い礼を示した。

 レイランもまた姿勢を正し、気持ちよく受け取った。




 家に戻ると、庭ではジュードとロカが向き合って座っていた。


 ロカはただ静かにジュードを見つめ、ジュードもまた言葉を発しない。

 話し合いなのか、喧嘩なのか、ただの休憩なのか。

 端から見ると、とても不思議な光景だ。


 この1人と1頭から出る空気は、とても似ている。


「何をしているのですか?」 

「……ああ、戻ったのか」


 声をかけるまでこちらに気付かないのは、ジュードとしてはあまりにも珍しい。

 それほど集中していたのだろうか。


「あの方たちはどうしておられますか?」

「話があると言って、部屋に籠られた」

「そうですか。……それで、今はロカと何を?」

「いや……」


 居心地が悪そうに視線を逸らすジュードは、何か言いたげにも見える。

 ジュードはあまり口数が多い方ではないが、歯切れが悪いことはあまりない。


 少しの沈黙の後、意を決したように口を開く。


「あの方……ルティナ様と、話をすることは可能だろうか?」


 レイランはぴんときた。

 ジュードはロカのことをもっと知りたいのだ。


「ああ、声をかければ、嬉々として話してくれると思いますが」

「自分の都合で声をかけて、ご迷惑ではないだろうか」

「むしろ喜ばれるのではないかと思います。あの方の魔獣好きは少し……いや、かなりのものですから」

「そうか、わかった」


 ジュードは心なしか嬉しそうだ。

 そう言えば、ジュードがルティナと2人で会話しているのを見たことがない。

 ルティナがいれば、ウィランが会話をする隙を与えてくれないだろう。

 ジュードの性格と立場を考えれば、話す機会を得ることは難しいはずだ。


「ルティナ様は毎日、だいたい昼前にヴェリッダのいる林の辺りに来ているようです。ロカと共に行ってみるのが良いのではないでしょうか……必要であれば、最初だけでもお供しますよ」


 ジュードの顔がぱっと明るくなった。

 この人も、自分ほどではないにしろ、ロカをとても大切にしている。


「それはとても助かる」

「今日もそろそろではないでしょうか。行ってみますか? むしろ今でないとウィラン様に機会を奪われてしまいそうですし」

「勝手にここから離れるのは……」

「セラがいれば問題ないでしょう。言付けておくと、後から追いかけてくるかもしれませんが……」


 ジュードは、確かに、と言い笑った。


「ルティナ様は大人気ですね、皆が彼女と話したがる」

「それはそうだろう。あの知識の深さと、あの空気だ。とても普通の人とは思えない。今までよく隠れていられたと思うよ」


 ジュードの言うとおりだが、レイランは少し迷いもあった。


 ルティナをこの場に、半ば強引に引っ張り出したのは自分だ。

 それが果たして、彼女にとって良いことだったのか。


 自分と出会わなければ、今も静かにあの家で暮らしていたはずだ。

 ユアンの治療だけを頼み、その後はまた静かに過ごしてもらうことだってできる。


 だが、そうしなかった。

 できなかったと言ってもいい。

 彼女の存在は、既に自分にとっても、ユアンにとっても、今となっては我々にとって、とても大きいものになっている。


 だからせめて、全力で彼女を守りたいと思う。

 それはきっと、ユアンの願うことでもあるはずだ。



 ジュードと2人で連れ立って、ヴェリッダの林へ向かう。

 こんなのは久しぶりだ。王都では絶対に考えられない。


 この街にいると、王都では得られない自由を感じてしまう。

 もちろん、ユアンとウィランが人を遠ざけて話していて、セラとバルドが家にいるという条件があってのことだ。


 ユアンは1人でも特に問題はないが、ウィランは少し違う。

 ある意味ウィランも尋常ではないほど強い人だが、魔法は発動までの時間がある。

 ジュードの方が、護衛としてウィランから離れることは滅多にないだろう。


「ウィラン様から離れるのは、やはり心配ですか?」

「あの方を? いや、危険という意味で言うなら特に不安はない。自分など本当はいなくても問題ないのだ。ただ、形としてお側にいるだけだ」


 少し落ち着かない様子のジュードは、ウィランを気にしているのではないかと思ったが、違うようだ。


「そうなのですか? さすがに魔法使いとしてずば抜けているとしても……」

「レイランはあの方が戦うのをあまり見たことがないのだな」

「そう言えば、そうかもしれません」

「あの方の魔法は、発動までの時間がほぼない。思った瞬間にもう発動している。発動までの時間を稼ぐなど、必要のないことなのだ。しかも属性は風だ。多人数相手もめっぽう強い」

「なるほど……」

「自分の存在が邪魔になることはあっても、いなくて困ることはない」


 ジュードの声は淡々としている。

 だが、微かな寂しさ、あとは自嘲にも似た何かが見え隠れする。


「あるとするなら、頭に籠っているときに狙われたら危ないくらいではないか? まぁ、それが一番多い機会ではあるかもな」


 思い当たり過ぎる場面だ。レイランは思わず笑ってしまう。


「あとは……暗殺、くらいだろうか。でも、それもセラが近くにいるのなら不可能だろう。今は何も心配が必要ない時間だ」


 ジュードは少し遠い目をしているが、レイランからはそうは見えない。

 ウィランのジュードに対する信頼は厚い。

 何があっても、ジュードを離さないだろう。

 大きすぎる主人へ抱く気持ちは、痛いほどよく分かる。

 だが、ジュードがいないときに、ウィランが頭の中に深く籠る姿を見ることはないのだ。

 それに気付いているだろうか。


 レイランは言いかけてやめる。

 これは自分で折り合いをつけるか、乗り越えなければ進めない。

 それをレイランは感じたばかりだ。



 「ジュード殿から見て、ルティナ様は異質ですか?」


 ヴェリッダの林が近付いて来て、遠くにルティナの姿が見えた。

 その姿を目にした途端に出た言葉に、自分が驚いてしまう。


「……異質……という言葉はどうだろうな。特別な人だとは思う。あれだけの知識があるのに、それを何とも思っていない。そして、誰の言葉もそのまま受け入れて、嘘のない敬意を感じる。あの方から否定の言葉が出るのは想像できない」

「否定の言葉、聞いたことがあります。自分自身を否定する言葉でしたが」

「ああ、そうだろうな。勝手な想像だが……あの方は、誰かに必要とされたり、必要としたことがないのではないか? 父親とはそういう関係にはなれないだろう」


 ジュードの言葉はとても客観的で、的を射ている気がする。

 その視点は自分には無かった。

 ルティナのことを客観的に見ることができる存在は、とても貴重だと思った。

 自分にも、ユアンにも、そしてウィランにも無理だ。

 既に特別な感情を持ってしまっている。


「ジュード殿がいて下さって良かったです」


 ジュードは少し目を大きくした。

 そして、視線を外して小さく口元で笑う。


「まぁ、今日これから、その視点は変わってしまう可能性があるわけだが」


 沈黙の後、2人で同時に声を上げて笑う。


 確かに。

 レイランはこの後の話が、とても楽しみになった。



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