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精霊の往く先  作者: 流留架
翠の季 春
21/26

翠の季-05.往診

 火床(ひどこ)には、甘酸っぱい風鈴果(ふうりんか)の香りが広がっている。


 レイランが届けてくれた風鈴果は、日が立つごとに香りが増し、今がちょうど食べ頃だ。

 大ぶりでふっくらとした丸みと、鮮やかな黄緑色に目が喜ぶ。


 ユアンの調律をしてから、3日ほどが過ぎた。

 

 春の森に流れる時間は思うよりも早く、日ごとに新たな発見がある。

 ここ数日は、春の仕込みに追われていた。

 薬草は薬や茶葉に、果実や花はそれぞれの香酒に。

 その他にも、保存の効く蜜漬けやオイル漬け、干し果実や干し野菜まで。

 どれも生育が良く、今年は当たり年だ。



 小鍋で煮詰めているのは、風鈴果のグラセラだ。

 木の実油で軽く火を通した風鈴果を、蜂蜜、レモリアの果汁、ワインで艶が出るまで煮る。

 桂皮や生姜などを加えても、味が締まって美味しい。

 紅茶やワインのお供として楽しめる、春の甘味だ。


 かまどでは、風鈴果のオルネが焼き上がったようだ。

 風鈴果のすりおろしと薄切り、カンロウ茶の茶葉を生地に混ぜ込んだ、しっとりした焼き菓子だ。

 茶葉と麦のやわらかい香りに風鈴果が重なって、甘い香りが一気に広がる。

 お菓子作りはこの香りが、最初のご褒美だと思う。



 今日は8日ぶりに、リシアへ往診に向かう。

 夕方前に戻って来るには、そろそろ出かける時間だ。

 飲み薬や塗り薬、茶葉、香などを用意し、出来立てのオルネとグラセラも包んだ。

 

 フード付きの上着を肩にかけ、髪は内側にしまう。

 白銀の髪色はこの国では珍しく、ただでさえ少し目立ってしまうのだ。

 何かあったときのための備えとして、これだけは欠かせない準備だ。



 ここ数日、リシアで少し問題が起こっているらしく、ユアン達は忙しくしている。

 調律の翌日に診せて貰って以降、2人には会えていない。

 安定していたので大丈夫だと思うが、少し気になっている。

 邪魔はしたくないが、状態だけでも診せてもらえれば安心できる。




 リシアに到着する頃には、朝の気配が薄れ、陽が強くなり始めていた。

 門の前でフェンから降りると、いつもの門衛が軽く手を振ってくれた。

 顔なじみの人が出迎えてくれるのは、素直に嬉しい。


「もう8日経ったか。一巡(ひとめぐり)が早く感じるよ」


 手を振ってくれた門衛のジグは、以前父が施術していたことがあった。

 けがの後に残った痺れで上手く剣が扱えなかったが、今ではすっかり良くなった。

 最近は別の意味で、ルティナのお得意様だ。


「こんにちは、春になると時間が早く感じますね」

「それもあるんだが、ちょっとバタついていてな。街の外に出ることもあるんだ」


 レイランが忙しくしているのはこれだろうか。

 あまり詳しくは知らないが、やはり心配になる。


「そうですか、大変なのですね……」

「まあ、大丈夫だ。……それよりいつものやつあるか? 3つくれ」

「干し果実ですね。中身が変わりまして、リンベリーとアプリナになりましたが、よろしいですか?」

「おお、アプリナはいいな。じゃあ5つくれ」


 ジグは目を線にして、にかっと笑う。この人の良さそうな笑顔に、いつも元気を貰える。


 ジグの“いつもの”は、干し果実の袋詰めだ。

 森で採れる果実で作るので、中身は季節によって変わる。

 甘すぎず、ほどよく疲れを癒すらしく、門に立ちながらつまむのだという。


 5袋を手渡すと、手の上に銅貨5枚を乗せてくれた。


「あ、それ! いつも食べてるやつですか? 僕も欲しいです!」


 やり取りを見ていた若い門衛が、小走りで近付いてくる。

 ジグは少し気まずそうにしながらも、宣伝してくれた。


「いつも何か食べているとは思っていたんですが、これだったんですね。試しに1つ下さい!」

「素焼きのナッツ、塩気のある乾燥豆などもありますが……」

「じゃあ全種類1つずつお願いします!」


 声に張りがあって、とても元気な方だ。

 ルティナよりも若いだろうか。


「ありがとうございます。初めまして、薬草師のルティナと申します」


 目を合わせて手渡しながら名乗ると、少し目を泳がせながら、顔を赤らめる。


「あ、ロ、ローランです。よろしくお願いします……」


 ルティナの手に触れないようにしているのか、とても丁寧に受け取ってくれた。


「じゃあ、今回は奢ってやるよ」


 ジグは豪快に笑いながら、追加で3枚の銅貨をくれた。

 どうやらジグは、そこそこ面倒見がいいらしい。



 門から中に入ると、街はとても賑わっている。

 太陽の陽射しと共に、人も元気になっていくのが分かる。


 声も大きく、人の動きは活発になり、市場は彩豊かな旬の素材が溢れている。

 街の中央には屋台が並び、広場には美味しそうに頬張る姿が見える。

 笑顔が多いこの街は、心地いい空気が巡る良い場所だ。


 いつもの治療院へ薬を届け、3人ほどの家を回る。

 大きな巡りの変わり目は、身体の調子を崩す人が多くなる。

 体力と気力が少ない人ほど、その影響は出やすい。

 心配していた人たちは、春が馴染むごとに順調に回復してきていた。

 あと一巡もすれば、いつもの状態に戻るだろう。



 声をかけてくれる人たちに薬や茶葉などを売りながら、街をひと回りし終える頃には、太陽が真上に来ていた。

 ちょうどお昼時だ。

 賑わう広場を眺めるが、どうしても人が多い場所は苦手だ。

 森で半日歩き回るよりも、街で過ごすひとときの方が疲れを感じる。


 ルティナは、ふっとため息を吐いた。


 最後に買い出しを兼ねて市場を歩こうと振り返ると、フェンが立ち止まった。

 視線の先には、駆け寄ってくるリズの姿があった。


 街中で見る灰色の毛色は、森の中よりも静けさを感じる。

 フェンを見つけて走ってきてくれたのだろうか。

 嬉しそうに小さく足を踏み、フェンに鼻先を向ける。

 この2頭の仲の良さは相当だ。


 微笑ましい2頭の挨拶を眺めていると、遅れてレイランが走って来る。

 どうやらリズは、レイランを置いて来てしまったらしい。

 慌てた様子だったが、ルティナを見ると理由を察したようで、ほっとしたように笑う。


「ルティナ様、ようやく見つけました」


 かなり走っていたように見えたが、息はほとんど乱れていない。

 さすがレイランだ。


「こんにちは、探して下さっていたのですか?」

「いらっしゃる頃に門に向かったのですが、行き違ったようで。門衛にもう街に入ったと聞き、探しておりました」

「それは失礼いたしました。リズがフェンを見つけてくれたようです」


 ひとしきり挨拶を終え、2頭は落ち着いている。

 ぱっと見る限り、リズの脚はほぼ完治している。

 やはり、魔獣は気素の流れが戻るのが早い。


「急に走り出したので、何ごとかと思いましたが……リズのお手柄ですね」

「リズの脚はもう大丈夫そうです。お薬もお渡しした分まで飲みきったら、その後は不要です。完治まで診せて頂き、ありがとうございました」


 ルティナは深く頭を下げる。

 レイランはその様子を受けて、きちんと姿勢を正し、礼を取る。


「こちらこそ、ルティナ様に診ていただけて、本当に幸運でした。が、まだまだお世話になる予定でおりますので、今後ともよろしくお願いいたします」


 レイランのその笑顔が、ルティナはとても嬉しかった。

 治療が終わってもこのまま友人として接してくれることを、わざわざ言葉にしてくれるのだ。

 

「ルティナ様は、もうお仕事は終わりですか?」

「そうですね、あとは市場で買い物をして帰ろうと思ったところです。……ユアン様にお会いできれば診せていただきたかったのですが……」

「では、このままお越しいただけませんか? ユアン様は戻っておられると思いますので」

「よろしいのですか? お忙しければまた後日でも」


 ジグが言っていたことが気になってしまう。

 街の外に出るということは、何か問題が出ているということだろう。


「それについても、少しご意見をいただきたいのです」

「わたしに、ですか?」

「はい」


 レイランの顔が引き締まる。

 できることがあるとは思えないが、なにかあるのならお手伝いしたい。


「では、お言葉に甘えて、お伺い致します」




 レイランに案内されたのは、街外れにある2階建ての家だった。

 屋敷というほどの大きさではないが、この街の中では敷地も広く、かなり立派な建物だ。


 庭や敷地内はきれいに整えられ、奥の厩にはアウリスが見える。

 こちらに気付いたのか、視線を向けて首を上下に振ってくれた。

 リズとフェンが並んで歩いているのを見て、自分も出せと言っているのかもしれない。


 レイランに付いて、フェンがアウリスに挨拶に向かう。

 この2頭もまた、とても仲が良いらしい。

 フェンがこんなに社交的になるとは、思いもよらなかった。

 ルティナとコーレン以外にはまったく興味を示さなかった、あのフェンが、だ。 


 ルティナも厩に向かおうとすると、ふいに上から声がかけられた。


「ルティナ! 来てくれたのか!」


 声の方へ目を向けると、2階の窓から身を乗り出すユアンがいた。

 笑顔で手を上げる姿にお辞儀を返そうとすると――

 乗り出した姿勢からそのまま飛び降り、とんっと軽やかに着地した。

 何事もなかったように近付いてくるユアンを前に、上手く声が出ない。


「何をするんですかっ!」


 ルティナの心を代弁してくれたレイランに、惜しまぬ拍手を送りたい。


「こんな高さなら大丈夫だよ。身体が軽くなって良い調子なんだ」

「そういう問題ではありません。ルティナ様が固まっています」


 ユアンはルティナを見て、ほんの少しだけ反省したようだ。

 叱られた子供のような顔に、ようやく意識が追い付いてきた。


「……とても、軽やかな、音もない着地で驚きました。これなら足も痛めませんね」


 ……なぜ褒めているのだろう。

 ルティナを見るレイランの視線が、静かに刺さる。


「だろ? 身体のバランスが戻ってるんだよ。ルティナのお陰だ」


 朗らかに笑うユアンの顔は、どこまでも清々しい。

 きっと本当に気持ちがいいのだ。


「褒めるところでは、決してありませんが」


 なんとも言えないレイランの空気に、申し訳なくなる。

 ルティナは持ってきた焼き菓子を取り出し、なんとか話題を変えた。


「あの、レイラン様。よろしければこちらを。お茶と一緒に召し上がって下さい」


 差し出した包みからは、ほのかに甘い香りが漏れている。

 レイランの表情がみるみる緩む。

 甘いお菓子の香りは、誰の心でも和ませるのだ。


「とてもいい香りが……」

「頂いた風鈴果がちょうど食べ頃になったので、今朝オルネとグラセラを作りまして。少ないですが、おすそ分けです」

「……オルネ……グラセラ……?」


 少し不思議そうな顔に、もしやと思う。

 ルティナとは呼び方が違うのかもしれない。


「オルネは、しっとりと柔らかく焼き上げた素朴な菓子です。グラセラは、ワインと蜂蜜で甘く煮たもので、お茶やワインのお供にもよろしいかと思います」

「家で菓子を作るのですか! すごいですね」

「菓子と言っても家で作るものなので、そんなに難しいものではありませんが……アルデニアでは作りませんか?」

「あまりないと思います。職人が作るものはありますが……」

「そうですか……お口に合うか不安になりました」

「ルティナ様が作るものなら、その心配はありません。ありがとうございます」


 嬉しそうに包みを抱えたレイランの背中は、とても弾んでいた。




 案内された家の2階、通された部屋は窓が開きっぱなしになっていた。

 ユアンはここから飛び降りたのだ。


 部屋の中はきれいに整えられており、掃除も行き届いている。

 置かれている家具は豪華ではないが、とても丁寧に作られた良いものに見える。

 ルティナの家とはちがう、とても統一感のあるきちんとした部屋だ。

 

 街の中心から距離があるせいか、ここはほどよく静かだ。

 窓の向こうに見えるリシアの街が、少し遠くに思えた。



「では、少し診せていただきますね」


 ユアンの右腕から肩にかけての巡りは、もうなんの問題もないように見える。

 やはり、霊核の存在はすさまじい。

 調えてしまえば、巡る力は強く、普通の人よりも活発だ。

 だからこそ、あそこまでの溜まりができてしまったのだろう。


 ルティナの体内はユアンとは逆で、とても穏やかにゆっくりと巡っている。

 乱れにくいが、元に戻すには少し時間がかかる。


「握る力はいかがですか?」

「ああ、だいぶ戻っている。まだ少し剣が重く感じるが、それは筋力の問題だと思う」

「そうですね、意識して使っていない期間がありますから、徐々に戻るはずです」


 ユアンは、自分の身体を理解している。

 気素の巡りだけでなく、身体全体のバランスがとても良いのだ。

 戦うための備えとして、きちんと鍛えているのが分かる。

 ユアンがどの程度の戦いに出るのかは分からないが、おそらくとても強いのだと思う。


「こんなに戻りが早いのは、正直想像していませんでした。かなり時間がかかると思っていましたが、ここまで戻ったのなら、そろそろ扱いを覚えた方が良いですね」

「リシアが落ち着いたら、本格的に教わりたいと思っていたところだ」


 この街で何か問題が起こっていることは、なんとなく知っている。

 詳しいことは分からないが、ジグやレイランの言葉からもそれを感じた。


 促されて、部屋の中央にある長椅子に腰掛けると、扉の外から声がかかった。


 お茶を準備して入ってきた長身の女性は、とても静かな印象だ。

 ルティナが渡したオルネは美しく盛り付けられ、白いクリームが添えられている。

 共に用意された紅茶は、オルネを邪魔しないように配慮された香りが控えめのものだ。

 とても丁寧な対応に、ルティナは座ったまま礼を尽くす。

 女性は少し驚いたようだが、ほんのわずか、頬が緩んだ。


「ありがとう、セラ。こちらは、俺がとてもお世話になった薬草師のルティナだ。今後もここに出入りするから、覚えておいて欲しい」

「かしこまりました。セラと申します」


 ユアンがセラと呼んだ長身の女性は、完璧に整ったお辞儀をした。

 表情は変わらず、視線にも色はない。

 相手に何も読ませない空気は、乱れなく磨かれ、洗練されている。


「初めまして、ルティナと申します。深いお心遣いに感謝申し上げます」


 セラは何も言わずに扉から出ていく。

 その一切無駄のないしなやかな後ろ姿に、ルティナは野生のヤマネコを重ねた。


「セラはあまり表情が動かないが、あまり気にしないでくれ。あれでもルティナのことは受け入れたようだから」

「いえ、とても真摯な方なのだと思います。このお茶も、あの方の心が現れていますから」


 目の前に用意されたお茶に、顔が綻んでしまう。

 誰かに淹れてもらうのは久しぶりだ。


 レイランは待ちきれない様子で、オルネを口に運ぶ。

 目の端を下げ、口を動かすのを見ると、口に合ったようだ。


「これは……とても美味しいです。甘すぎず食べやすい」

「ほんとだね、甘さが円くてしつこくない。クリームがあるとよりまろやかになる」


 ルティナもオルネを口に入れる。

 やわらかいクリームは甘さを抑えられ、全体を優しい味わいにまとめている。

 このクリームは、ミルクを煮詰めたものと発酵させたものを混ぜているのだろうか。

 とても時間と手間がかかるはずだ。


「このクリームがとても美味しいです。作り方を教わりたいくらいです」


 クリームだけを食べているルティナを見て、レイランが小さく笑う。


「セラも先ほど、オルネに同じような反応をしていましたよ」

「それは嬉しいです。作り方に興味を持たれるのなら、わたしと同じ匂いを感じますね」


 丁寧に淹れられたお茶と、手間をかけて作られたクリームからは、食べる者たちへの敬意と心遣いが感じられる。

 とても素敵な人だ、とルティナは思う。


 この2人に関わる人は、きっと皆同じような人なのだろう。

 そう思うと、なぜか誇らしく、とても嬉しくなった。


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